日が昇ってどれくらい時間が経ったのだろう。朝起きてからずっと畳の上を転がっていた俺は、そんなことを思い天井を見上げた。
夏の朝は特にやる気も起きず、無駄に時間を浪費する。ふと家の中に人の気配がないことに気づいた。隣にあったはずの布団は綺麗に畳まれていて、同時に心中を不安が襲う。
琴音は何処に行ったのか?
何時からいないのか?
昔は無関心であったのに、俺は少し心配性になってしまったようだ。どうしても彼女の動向が気になってしまう。
「……言えないなぁ。そんなこと」
ヒトリゴトを呟いて、畳の上を転がる。体温が伝播して温かくなってしまった場所から、冷たい畳の上へ。これでもうしばらく動く気は起きなくなった。
そうしてまた時間を浪費していると、玄関が開けられたガラガラという音が鳴る。市場に朝食の買い出しに行っていたのだろうと勝手に納得して、その足音が近づいてくるのを待った。
「圭先輩、朝ですよー」
だが、予想していた声とは違う声が聞こえて、俺はのっそりと顔だけを上げる。そこにいたのは予想外の人物で、一番関わりの少ない後輩女子だったのだから。
「智代子……?」
「はい。みんな大好きちょこちゃんです」
「琴音は?」
「ちょっとちゃんとツッコミを入れてくださいよ。これじゃあちょこが自己顕示欲の強い女みたいじゃないですか。琴音先輩なら、本土の方へ行ってますよ。なんでも買うものがあるとのことで。美咲先輩と一緒に遊びに行ってしまいました」
二言目に琴音のことを出せば、智代子にジト目を向けられてしまう。
「聞いてないんですか?」
「あぁ、寝てたしな。昨日もそんなこと言ってなかったし」
「今日の朝、いきなり連絡が来ましたからね」
「おまえは行かなかったのか?」
「ちょこちゃんには用事があるので。それでその時間まで暇なので、先輩のお世話を頼まれてしまいました」
そう言って彼女は、手に持ったバスケットを掲げる。文字通りあれにはお世話になる朝食やなんやらが入っているのであろう。が、花の女子高生が、友人に許嫁の世話を頼まれるのは如何なのだろうか。一般常識的に考えて。
「断ってもよかったんだぞ」
「いえ、どちらかと言えばちょこも先輩のことは個人的に気になっていたので。それに仲良くなるチャンスですし、受けておいて損はないかと」
確かに俺と智代子の関係は微妙だ。俺にとっては幼馴染達の可愛い後輩兼友人で、智代子から見れば幼馴染達の友人と言ったところで。端的に表現するならば、友達の友達という微妙な関係なのだから。
「というわけですので早く起きてください。ちょこはご飯の準備しますから」
そう急かされて、俺はのろのろとした動きで起き上がった。
布団を畳んで居間に向かおうとすると、部屋の手前で脳が危険信号を発していた。鼻を通じて嗅ぎ取ったその匂いに一瞬立ち竦むものの、俺は意を決して更なる一歩を踏み出す。
–––この独特な、甘い香りは。
嫌な顔をどうにか面の皮に隠しつつ、居間に踏み出すと智代子が既に朝食の準備を終えて席に着いており、ちゃぶ台の上にはタッパーに詰めて持って来たであろう朝食が出揃っていた。
白米、味噌汁、南瓜の煮付け、里芋の煮っ転がし、鮭の塩焼き、胡瓜の浅漬け。シンプルだが和食という感じが出ており、昨日智代子が何を食べていたのかわかる献立であった。
「……やっぱり智代子は凄いな」
「ちょこに感謝してくださいよ。……と言っても、殆ど昨日の残りですけど」
智代子が得意げに胸を張ると、それに合わせて彼女の胸も小さく揺れる。ただそんな仕草が可愛らしくて、ちょっとあざとい。だけど朝から南瓜と里芋が入ってるのは全然可愛らしくない。多分、俺と智代子は相容れない存在かもしれない。
「「いただきます」」
二人で合掌して朝食を食べる。まずは苦手な南瓜と里芋から手をつけて、先に食べ終えると味噌汁で南瓜の甘みと里芋のねばねばを消す。
「本当に智代子は料理が上手いな」
「ふふっ、褒めても何も出ませんよ。……あっ、南瓜の煮付けのお代わり要ります?」
「遠慮しておく」
感謝する代わりに料理上手なのを褒めたら、おそらく智代子の大好物であろう南瓜を押し付けられそうになったので、気持ちだけ受け取っておいた。
「しかし、あいつら大丈夫かな」
「琴音先輩と美咲先輩のことですか?」
胡瓜の浅漬けを口に放り込んだので、こくりと頷く。
「と言いますと?」
「あいつら美人だろ。ナンパされるんじゃないかと思って」
「あぁ、そういえばそうですね……」
何が面白かったのか、クスッと微笑む。
その顔が悪戯っぽく綻んで、蠱惑に輝いた。
「よくナンパされますしね。圭先輩は二人のこと心配なんですか?」
「そりゃあな。男なら女を守れ、って祖父に育てられたからな。多少は心配もする。それに世の中良い奴ばかりとは限らないしな」
俺がいなくても大丈夫だったのだから大丈夫なのだろうが。
「圭先輩は本当に二人のことがお好きですね」
「揶揄うなよ」
「いいな〜、ちょこも一度でいいからそんな風に愛されてみたいです」
「そう言う智代子こそ、そういう相手はいないのか?」
智代子も島で一番を争う美少女だと思っている。学校でもさぞ人気だろうと探りを入れると、曖昧な笑みを浮かべて智代子ははっきりと答える。
「ちょこはそういう特定の相手はいませんよ。お慕いされていることはあるんですけど、告白してくる人は皆、本当のちょこを知らないですからお断りしています」
「表面上だけで見られたくない、か」
ある程度仲良くなってから、というのが智代子の理想らしい。ただ、その言葉の裏には何か隠されていそうであったが、それほど仲良くないので踏み込むのを戸惑ってしまう。
「……圭先輩なら、愛人でもいいですけど」
「…………ちょっと待て何故そうなった?」
唐突に、ぼそりと呟かれた言葉が右耳から入って左耳から出て行こうとする。それがUターンして戻ってきた。
「ちょこは琴音先輩や美咲先輩を押し退けて圭先輩の正妻になる度胸はないので。可愛がってくれるなら、それもありかなと」
何処から何処まで本気なのか判らない言葉で覆い隠しつつ、智代子は揶揄うようにそう言って食べ終えた皿を持って台所の方へ逃げるように去って行った。