稲荷島には幾つもの“獣道”が存在する。この島では古くから“神様が通った道”と呼ばれ、安全な道として有効活用されてきた。神様が通った道なのに不謹慎なと思うかもしれないが、島民にとって獣道は狐様の通った道であり、守神のような存在であるので通っても良いという認識のようだ。
病院の裏にも獣道があり、そこから山へと入った俺と智代子は秘密基地を目指していた。でこぼこした山道を軽快な足取りで先導する智代子が鼻歌交じりに軽々と登っていく姿を、何処か懐かしいものを見るような目で俺は見ていた。
「ところで先輩は、島流しってご存知ですか?」
途中、くるりと振り返って隙間風に揺れる髪を抑えながら智代子が問う。
「罪人を島に送るってあれだろ。時代劇とかでたまに見るな」
「正解です。その島流しです」
彼女が欲しかったのは、現代的解釈の島流しではなく、古い意味での島流しなのだろう。満足そうに彼女は微笑むとまた山を登り始めた。
「この島にも昔、島流しで流れ着いた人がいたそうです。当時、この島は人が住んでいるとは認識されていませんでしたから、刑罰にちょうどよかったのでしょう」
「無人島というやつだな。で、この島の住人は罪人の末裔だと?」
「いえ、正確には“無人島と思われていた”というだけで、先住民がいたんです。それがこの島の御先祖様ですね」
まるで昔話を語るように智代子は言って、話を繋げていく。
「突然、島の外からやって来た人間に島民達は戸惑いました。彼らにとって初めて見た外の人間だったからです。そしてまた、島流しにあった罪人も先住民がいたことに驚いたそうです。なにせ、誰もいない島と言われて流されて来たのですから」
「随分と杜撰な島流しだな」
「当時の島民達は島の中心に村を作っていましたから、誰も気づかなかったのでしょう」
「それでそれがどうかしたのか?」
智代子の言っていることが要領を得なくて、つい急かすように話の続きを促す。それでも話に付き合ってくれるのが嬉しかったのだろう、彼女は得意げな笑みを崩さない。
「当時の島民達は物珍しげに思いながらも島流しで送られて来た人を無下には扱いませんでした。事情も聞かずに同じ村落に住むことを許し、協力しようとしたのです」
そこで罪人が自分の素性を明らかにしたとは考え難い。と、思ってしまうのは俺の考え過ぎだろうか。
「それから数日後、村で事件が起こりました」
「事件?」
「はい。どうやら村の女性が、死体で見つかったそうなのです」
「そりゃまたえらいタイミングだな」
話を聞けば流れて来た罪人がやったようにしか聞こえないだろう。実際にその通りで、智代子は俺の考えを肯定するかのようにこくりと頷いて話を続ける。
「犯人は、島流しで流れ着いた罪人でした」
「そいつは捕まったのか?」
「はい。その罪人を捕まえたのが、黒崎家の御先祖様なのです」
突然、先祖の話が出てきて俺は微妙な顔をする。智代子がこの島の起源の話でもしているのかと思っていたからだ。
「当時、黒崎家の御先祖様は島一番の狩人でした。狐達と共に熊や猪などの危険な猛獣を狩る役割を持っていたのです。そういうわけで白羽の矢が立った彼は、今回の騒動で罪人を捕まえるように村長に言われたそうです」
「それが黒崎の始まりか?」
「はい。それからも黒崎は、外敵を狩っていたそうですから。その頃から守護者としての役目を持たされたらしいですよ」
その内容は、黒崎家の御先祖様の話で。
智代子が自由研究で調べた成果なのだろう。
そうなると別に気になることが出てくる。
「鈴白の家はどうなんだ?」
「元々は村長の家系だったそうですよ」
話はそれで終わりではないようで、智代子はまた振り返ると俺が並ぶのを待った。それから並んで歩いて話を続ける。
「ある時、鈴白の家にとても可愛い女の子が生まれました。その娘は成長すると美しい女性に育ったそうなのです」
「……?」
それがどうした、という顔をすると智代子は気にせず話を続ける。
「そんな鈴白の娘を巡って、島民達は争ったようです。なにせ婿に入れば次の村長ですから。それに鈴白の娘がとても美少女だったので人気があったのでしょう」
「なんかよく聞く話だな」
美少女を巡って恋のバトルなどそう珍しい話でもない。恋敵、という言葉があるくらいだし。
「その噂が、何故か外に漏れたそうです。本土に。そこから何処かの城の将軍がやってきて、鈴白の娘を嫁にしようとしたそうなのです。無理矢理連れ去ろうとしましたが、鈴白の娘は当然嫌がりました」
「そりゃそうだな。いきなり会った相手に俺の嫁にしてやるとか言われたらな」
「相手は百ほどの兵を島に連れて来ていたそうなのです。先輩は勝てると思いますか?」
物騒な話だが、鈴白の娘を嫁にするために兵を引き連れてきた将軍がいるらしい。常識的に考えて、ただの村人が刀や弓を持った兵に勝つのは不可能だろう。俺は否と答える。
「–––それが勝っちゃったんですよ。たった一人で」
思わぬ答えを口にする智代子も、まるで信じていないような顔だ。
「黒崎家の御先祖様がたった一人、狐達を引き連れて百の兵を迎え撃ったそうです。その数、なんと千を超えていたとか」
「それが本当だとしたらえらいことだな」
「それに白い狐様の姿があったらしく、文献にも残っていました」
その話が鈴白の家に残っていたらしく、智代子はそう付け足した。
「そうして鈴白の娘は守ってくれた黒崎家の御先祖様と結婚したそうです」
そう語り終えるや、智代子は興奮したような表情を見せる。
どんな女の子でも、この手の話が好きなのだろう。
「ん?それだと鈴白と黒崎の家は一つになったことになるんだが」
俺が疑問を投げかけると、智代子は表情を元に戻した。
「そう、一つにしたことで問題があったんですよ。元々あった守護者の役目と巫女の役目を同時に一つの家が負担するのは。だからこそ鈴白は巫女となる娘を当主に、黒崎は男を当主にするようにしたらしいです」
隣を歩いていた彼女が立ち止まる。
木々の隙間から、秘密基地の屋根が見えていた。