ドアを開けた瞬間、蒸すような夏の暑さを孕んだ風が秘密基地から飛び出していく。それを正面から受けても智代子は気にする様子すら見せず、着ていたパーカーを脱ぎハンガーに掛けると、窓を開けて換気を始めた。
「すぐに終わりますので先輩はソファーにでも座って待っていてください」
隅に引っ掛けてあった箒を取りながら彼女が言う。既に床を掃き始めており、俺のことなど視界の隅にも入っていなかった。
「いや、俺も手伝うぞ?」
「いえ……。あ、それならそこにある新しい布で拭き掃除の準備をしてもらっていいですか?」
「わかった」
そう、了承した後だった。この小屋に一応、水道管は通っているがかなり昔に閉めてしまっていることを思い出したのは。水を利用するのなら、近くの沢に行かなければならないのだ。それでもかなり険しい道にあり、子供の頃はとても苦労していたのを思い出す。
「……はぁ」
やる、と言った手前、今更やらないとも言えず俺はバケツを持って秘密基地を飛び出した。
バケツに水を汲んで戻って来たのは十分くらい経った頃、戻る頃には智代子も掃き掃除を終えていて、俺が水を汲んでくるのを待っている状態である。
俺から水の入ったバケツを受け取ると、智代子は真新しい布巾をバケツに浸して絞り、ソファーやテーブルなどの拭き掃除を始めた。
「そうだ。ベッドの下の物とかも一度退かして中も拭いちゃいましょう。せっかくなので」
「……わかった」
『ベッドの下の物』と言われて、多少は動揺したものの俺は無関係と思い出して、知らないふりをしておくことにした。智代子の命令に従ってベッドの下の収納棚を引っ張り出し、中の雑多なものを外に出す。野球ボールや花札、ダンベルにおはじきと一貫性のないものばかりが散らばっていたものを傍に置き、俺は智代子に声を掛ける。
「出したぞ」
「“全部”ですよ“全部”。まだ全部出してないですよね?」
ベッドの下は空っぽだ。本当に、何もない。
「二重底の下の物も全部出しちゃってください」
しかし、二重底の下にはあいつらのお宝が大量に埋蔵されている。おそらく智代子はそのことを言っているのだろう。俺は観念して二重底に手を掛け、思いっきり引き剥がした。
ベッドの下には、エロ本。エロ本。エロ本。
失礼、お宝の山があった。
「これを全部?」
「はい、全部です」
智代子に命じられて俺は黙々と薄い本を取り出していく。タイトルの偏りを見れば、あいつらの性癖が露見しかねないラインナップだ。だが本当に惨めなのは、エロ本の隠し場所を知られているあいつらではなく、エロ本の整理を異性と行うという苦行を強いられている俺であることは明白だ。あいつらに同情はしない。
「一応言っておくが俺のじゃないぞ」
「わかってますよ。真広先輩と亮介先輩のですよね」
呆れたような、寂しげな顔をして、智代子は積まれた本の山を見つめる。
「圭先輩には必要ありませんし。それにこれだって一年以上前からありますから」
時々、秘密基地に来ている智代子が気づかないはずはなく、だいぶ前から二人がお宝を秘密基地に隠していたことは知っていたようだ。俺の無罪の証明にもなる。
「他の二人は?」
「知ってますよ」
当然、智代子が知っているなら琴音と美咲も知っているそうで、淡々と述べながらベッドの下の本を床に積み上げていく。
「哀れな」
「そこで先輩にお願いがあるんですけど」
「なんだ?」
「お二人に隠し場所を変えるように言って欲しいんです」
「言わなかったのか?」
「直接言うの嫌じゃないですか。それに先輩なら角が立ちませんし、女性から言うよりはダメージは少ないと思いますので」
「まぁ、確かに直接言われるのはなぁ」
「それともう一つ、私達が知っているってことは伏せておいて欲しいんです」
「……完全に気付いてないフリをするわけだな」
智代子の意図を理解して、俺は全て了承しておく。
収納スペースを拭いた後、本を同じ場所に戻して仕舞う。
「これで綺麗になりましたね」
拭き掃除を終えて、ベッドのシーツを取り替えると智代子はベッドに座った。俺は机を挟んだ対面のソファーに座りながら、何もする隙のなかった彼女の手際の良さに脱帽する。
「さて、部屋も綺麗になったことですし、こっくりさんでもしませんか?」
有無も言わせず、ベッドの下から一枚の紙を取り出す。五十音表、赤い鳥居、はい、いいえ、と書かれた紙だ。その周りには時計のように一から十までの漢数字が書かれている。稲荷島の売店に売っている『こっくりさんセット』税込298円である。
「一応聞きますけど、こっくりさんのやり方わかりますよね?」
「子供の頃に散々やったからな」
ポケットから十円玉を取り出し、赤い鳥居に置いた智代子はそのまま人差し指を十円玉の端に乗せた。続いて俺も人差し指を十円玉に乗せると、指先がちょんと触れ合う。
「先輩、触り方がやらしいです」
「濡れ衣だ」
智代子の指、細くて白くて綺麗だな、と思ったが他意はない。
「「こっくりさん、こっくりさん、おいでくださいましたら『はい』へおすすみください」」
こっくりさんを呼ぶ定型文を唱えた時だった。
風の音さえ聞こえなかった秘密基地に、草が揺れるようなガサガサという音が飛び込む。
何かが近づく気配に気づいた智代子が、開いた窓の方に顔を向けた。
「せ、先輩、あれ!?」
全開の窓から顔を覗かせた、琥珀色の瞳。白いもふもふがこちらを見ている。
「し、白い狐です!」
その正体は、激レアとされる“白い狐”だ。
「きゅるるるぅぅ」
一鳴きして姿勢を低く伏せ、まるで獲物を狙うかのように身を屈めると、窓枠を一蹴りしてこちらに飛び込んできた。
「ガリッ」
「痛っ!」
「先輩、十円玉から指離しちゃダメですよ!こっくりさんに取り憑かれます!」
「もう(噛み)憑かれてる」
十円玉から指を離すまでもなく、いきなり噛み付いて来た白い狐を首にぶら下げながら、俺は手遅れであることを申告した。両手で噛み付いてくる白い狐の胴を持って、首から遠ざけている。
「コーン!きゅる、くるるるぅぅ!」
「あの……先輩、大丈夫ですか?」
「何が?」
「いや、先輩にしては珍しく……それも白狐様を怒らせてますけど」
「あぁ、そのことか。俺が急にいなくなったもんだから怒ってるんだよ。可愛いやつだろ。悪かったから、お前も機嫌を直せよ。ハクア」
「名前までつけてるし……」
バタバタと暴れる白い狐から手を離すと、一度床に着地した後、タンと跳んでよじ登って来た。そのまま首と肩にマフラーのように巻きつくとすりすりと頰を寄せて甘えてきた。
「それにこっくりさんの最中に十円玉から手を離したら取り憑かれるって聞いたことありますけど」
「噛みつかれた上に、巻き付かれてるな」
これだけの騒動でも智代子は十円玉から手を離さず、俺を案じて心配そうな顔をしていた。
「“こっくりさん”もですけど、白い狐は“見ることができたなら幸福が訪れ、触れば不幸が訪れる”って話があるじゃないですか」
それが全て事実なら、俺は二重に呪われることになる。迷信でも怖いようで智代子は恐る恐るといった様子で白い狐に近づかないように見ていた。こっくりさんをしている最中だからか、遠ざかることも出来ない。
「その話にも色々あるんだよ。白い狐を捕まえて売り捌こうとした奴の話だったり、狐に化かされた人が幻覚を見たり、それで触ったら不幸が訪れるって広まったんだよ」
「え、じゃあ触っても大丈夫なんですか?」
「命の保証はしないけど」
「全然ダメじゃないですか!」
智代子も狐は大好きなようで、触りたそうにしていたが諦めたように手を下ろした。
「こ、こんな可愛い狐さんがいるのに、触れないだなんて……!」
「じゃあ、触るか?」
「ちょこに何かあったらどうするつもりなんですか!?」
「責任を取るのは構わんが、覚悟するのはお前だぞ」
「あれ?おかしいですね?圭先輩に責任取らせる話のはずなのに、どうしてちょこが覚悟する話になっているんでしょう?」
触るも、触らぬも、自己責任である。
「そんなことより、まだこっくりさんは終わってないんだから続けるぞ」
十円玉の上に指を戻して、こっくりさんを続ける。
「まず、智代子からどうぞ」
「じゃあ、お言葉に甘えてちょこからいきますね」
そう宣言して、智代子は緊張を解すように呼吸をして、自分の質問を口にした。
「圭先輩の好きな人は誰ですか?」
本人を前にして、智代子はそんな質問をする。
「いや、わざわざこっくりさんに聞くことじゃないだろ」
「だって先輩って素直じゃないじゃないですか。今も現状維持なんでしょう?琴音先輩にも手を出していないみたいですし」
「それはだな……」
「まぁ、先輩がそうしたい気持ちも分からなくはないですけど」
当然、十円玉は動かない。ほっとしたのも束の間、首筋に巻きついていた白狐が降りて、十円玉に前足を乗せると五十音表の上を動かし始めた。
『わ』『た』『し』完全な自己主張である。
「キュウ♪」
「え、言葉わかるんですか!?凄いですね!?」
「それなりに理解はしてるんだよ。ここまで理解してる個体は珍しいが」
「っていうか、この狐自己主張激しすぎません!?私が先輩の彼女!みたいな!」
白狐はわざとらしく小首を傾げて、わからないフリをしていた。本当にわからないのか、わざとやっているのかはわからないが、かなり賢いのは間違いない。
「鳥居の位置までお戻りください」
リセットの言葉を唱えると、前足で器用に赤い鳥居に十円玉を戻す。
「本当、この島でこっくりさんやると面白いですね」
「次は俺な」
こっくりさんをしてこうなるのはこの島だけである。それも地域ごとの特色といったところだろうか。
「そうだな……。じゃあ、智代子のスリーサイズで」
『84』『54』『81』丁寧にもバスト、ウエスト、ヒップの合間に鳴いて何処で区切るか教えてくれる。
「なんでわかるんですか!先輩のえっち!」
「俺が知ってたみたいに言うなよ」
「だとしてもです!」
「この島で隠し事は無理だからな。全部、狐様に暴かれる」
もっとも人の感情の機微には少しばかり疎いのだが、浮気などはすぐにバレてしまうため、主婦達の間では専ら浮気センサーの役割なのがこっくりさんだ。
「鳥居の位置までお戻りください」
また同じ文言を唱えて、鳥居に戻ってもらう。
「それじゃあ、次は智代子の体重–––」
「こっくりさんこっくりさんありがとうございましたお帰りください!」
慌てて被せるように智代子が叫ぶと、白狐の手で『いいえ』の上に十円玉が導かれる。
「別に全然重くないじゃないか。あの二人よりは軽いぞ」
「お二人の体重知ってることにも驚きですけど、深くは追及しないでおきます」
智代子の体重については、黙秘しておく。
ところで狐関係ないらしいね?