「はい、お待ちどおさま」
午後六時過ぎ、漸く機嫌を直した琴音が夕食を台所から運んでくる。白米、煮物、豚の生姜焼き、野菜炒め、胡瓜の浅漬け。それが三人分並んだところで琴音はすっと隣に腰を下ろす。いつもと違い距離が近い。いや、近いなんてものじゃない。いつもは正面に座るのに隣にいる時点でその差は明白である。
琴音が座った右側の反対、左側には美咲が座りこれまた腕が触れ合いそうなほど近い。具体的に述べるなら、もう既に胸の柔らかな果実が腕に時々当たっていた。合掌すると両腕が柔らかな反発を受ける。
「あれ、箸は?」
見れば俺の配膳にだけ箸がない。忘れたのだろうかと首を傾げて隣をちらりと見ると二人とも箸を持っている。仕方ない、自分で取りに行くかと立ち上がろうと腰を上げた時だった。
「いらないでしょう?」
「そうだよ。圭君は座ってていいよ」
両隣から腕を掴まれて立ち上がりきれず腰を落とす。『じゃあどうするんだ』と口を開けた瞬間には、口元に箸に摘まれた生姜焼きが迫っていた。
「はい、あーん」
「……」
「どう?美味しい?」
「うん、美味い」
琴音には『美味い』と言っておきながら、内心は『食事は普通にしたい』と思う。思っても口に出さないが。本人が楽しそうならそれでいいかと思い直すことにした。触れない神に祟りなし、とも言うし。
「ボクが作った浅漬けもどうぞ」
「……」
「どう?」
「美味いな。っていうか浅漬け作ったのか」
「ちょこちゃんのおばあちゃんに習ってね」
今度は美咲にも食べさせてもらう。気分は親に餌を運んでもらう雛鳥だ。
「次は何が食べたい?」
「じゃあ、煮物で」
筑前煮らしき煮物が口に運ばれてくる。こちらも鈴白の婆様にでも習ったらしく、味に不満はなかった。むしろ粗を探す方が難しく欠点らしきところが見つからない。
「圭君」
「圭」
その後も交互に食べさせられて、食事を終えたのは一時間も過ぎた頃だった。
気がつけば風の音に交じって雨音が聞こえてきた。テレビでは夏の心霊特番が組まれており、それをなんとなしに三人で観ながら暇を潰していた。
「降ってきたな」
「そうね。おばあちゃん達、大丈夫かしら?」
「親父さんいるし大丈夫だろ」
「そうだけど、あの子、雷苦手だから」
あの婆さんは雷が落ちても死なないのではないだろうか。少なくとも、落雷でぽっくりと逝くことはないと思う。鈴白も黒崎も爺婆は妖怪扱いされることが多いため、死ぬ姿が想像できなかった。
二人は俺に寄り添いながら腕を絡めてくる。家にいる間ずっとこの調子で、トイレに行く以外自由はなかった。
–––ガタガタガタッ。
((ビクッ!?))
風で雨戸が揺れる度に二人から振動が伝わってくる。平気そうな顔で心霊番組を見ているが、その顔は能面のように固まっている。
「……無理して見なくてもいいんだぞ?」
「無理してないし」
「だ、大丈夫だよ。フィクションだし」
意地でも離れたくないらしく、俺が見たかった心霊番組鑑賞に付き合ってくれる。こういう強がっているところを見ると、心の底から悪戯心が顔を覗かせる。
『きゃあああぁぁぁぁ!?!?』
「「なになになにっ!?」」
テレビから聞こえてきた悲鳴に共鳴するかのように二人が
悪戯するまでもなく驚く二人につい笑ってしまい、腹が捩れる。
「くっ、くっくっくっ。あー、おもしろ」
「なに笑ってるのよ!?もう」
不機嫌そうに琴音がそっぽを向くが、その腕はしっかり俺の腕に回されていた。がっちりホールドしているせいか、押し付けられた胸の感触が強く伝わる。
心霊番組の中身なんかより、二人の一挙手一投足が気になり始めていた。
–––ピリリリリリリッ。
「「きゃあっ!?」」
突然、足元から響いてきた電話の音に二人が跳びはねる。琴音は首に、美咲は胴体に、それぞれ腕を回して力の加減をする余裕もないほど強く抱き着いてきた。
「な、なに……?」
「な、なんだ、圭君のスマホか……びっくりした」
「ぶわっはっはっは。驚きすぎだろ。あー、もう、腹痛い」
そして俺は、自由になった腕を彼女達の腰に回し……ガシッと掴んだ。
「「きゃあああぁぁぁぁ!?!?」」
二人は絶叫し涙目で暴れ回る。
「な、なにか、手が!」
「ガシッ、がしぃってぇ!」
「ごめんそれ俺の手」
「「……」」
ネタバラシをするとすんと大人しくなる二人。
その目は、今までに見たことないほど冷ややかだった。
「いふぁいいふぁい。悪かったって」
無言で頬と太ももを抓られて抗議の声を上げるが止む気配はない。
これは誠意のこもった謝罪が必要だろうか。
「悪かったって」
「絶対反省してない」
「圭君はもう少しボク達の気持ちをワカッタ方がイイヨ?」
「わかった。なんでもひとつ、俺が叶えられることなら言うことを聞くってのはどうだ?」
「それならまぁ……」
「許してあげなくもないかな」
二人が妖しげな笑みを浮かべる。少し早まったかなと思ったが、機嫌を損ねたままにすると後が怖いので必要な犠牲であったと考えれば致し方のないことだった。元はといえば俺が悪い。自業自得だ。
「……それで圭君、電話鳴ってるけど」
「ん。そうだったな」
今も鳴り続けるスマホを手に取り、表示された名前を見ると『湊智代子』と可愛い後輩の名前が表示されている。相手を知るや二人はさらに身体を寄せてくる。
「どうした智代子?」
二人が聞き耳を立てる中、電話に出ると雨音に交じって彼女の啜り泣く声が向こうから。
『先輩、助けてください』
後輩のいつも元気な様子は、涙声からは感じられなかった。
◇
外に出ると強い風と雨が襲ってくる。降水量そのものは少ないが、風により強化された雨がより鬱陶しさを加速させていた。二人には家で待っているように言ったのだが、付いていくと言って聞かない。桂音の様子を見に行くと言われれば反論することもできず、二人を伴って嵐の中を鈴白の屋敷へ向かうことになった。
なんとか屋敷へ辿り着いたところで玄関を開ける。その音に反応して、ドタバタと小さな足音が迫ってきた。
「おにーちゃーん!」
隣にいる琴音は無視して、俺の胸に飛び込んでくる少女。俺はそんな可愛い妹分の頭を撫でながら、抱き上げてやった。
「元気にしてたか?」
「うん!」
本物の兄妹もかくやという関係に、琴音がジト目を向けてくる。姉としては複雑な心境なのか、嫉妬交じりの視線を向けながら彼女は独り言のような呟く。
「……なんか、仲良いわね」
「あれっ、おねーちゃんだ」
「いたわよ!最初っから!」
実の姉の姿には気づいていなかったらしく桂音がそんなことを言うと、妹の言葉に傷ついたように彼女は叫ぶ。
「それより智代子は?」
「ちょこおねーちゃんなら奥にいるよ」
「それじゃあ、さっさと婆さん達のとこに行くか」
桂音を抱き上げたまま玄関から奥へ進む。昔よく宴会や会議場に使っていた広い部屋に、智代子を始め亮介、真広、鈴白の婆さんや同年代と思われる数人の少年達、それから島の男連中の姿を確認する。その中には龍之介の姿もあり、他の二人の取り巻きもいた。
ただ少し気になったのは智代子のそばにいる人。目を泣き腫らしているようで、それを数人の大人の男達が困ったように遠巻きに眺めていてその横には夫と思われる男性の姿もあった。
「はぁ。なるほど、そういうことか」
一人納得して頷く。電話では早く鈴白の家に来るよう言われただけだったので智代子の慌てた様子に動揺したが、蓋を開けてみればなんとも珍しくもない話で脱力してしまった。
「あっ、団長」
「やっときたかリーダー」
俺達に気づいた亮介と真広の二人が寄ってくる。智代子も俺が来たことに気づいたようだが、夫婦の側を離れずついているので声を掛けようにも掛けれない。
「一応聞くが、何があったんだ?」
「帰ってきてないんだとさ。子供が一人」
「そうか……」
事の重大さは理解しているのだが、智代子に何もなくて少し安心してしまう。しかし、助けを求めてきた本人に事情も聞かずこの場にいるのも居た堪れるため、俺はこちらを注視する視線を無視するように智代子の方へ堂々と歩いた。
「よう、来たぞ」
「あ、圭先輩……琴音先輩に美咲先輩も」
力のない返事。相当参っているのか目尻には涙が浮かび、髪はしなしなと艶のない印象を受ける。彼女の醸し出す雰囲気は悲しげで弱々しくいつもの元気な姿とは到底似つかない姿だ。
「よう来たね、婿殿」
「そりゃ呼ばれたら来るさ。で、今のこの状況は?」
「島崎さん家のお嬢ちゃんが帰って来なくってね」
「やっぱりか」
島崎さんというのは智代子の近くにいる夫婦?のことなのだろう。俺は全く知らないが、俺のいない間に移住してきた一家ということだ。補足として横から琴音が教えてくれた。そして、いなくなったのが十歳くらいの娘さんだということも。
「それで?」
「森や山中以外のめぼしい場所は粗方探したよ」
「あとは離れ小島と森の中か」
「その森や山も嵐の中じゃ危険だからね。それに今は夜だ。足下なんてろくに見えない状況じゃ二重遭難や事故なんてありえない話じゃないからね」
この島には崖になっている場所だって多数存在する。そこから足を踏み外したりすれば、怪我で済んだりはしないだろう。一命を取り留めても気づかなければ明日には骸だ。
「山道や獣道だけなら行けなくもないがなぁ」
当然、そんなお利口な子供はこの島にはいない。山道や獣道から外れて森や山の深いところに探検していくのは日常茶飯事。そういうところも含めて子供達の遊び場なのだ。この島の大自然は。
「先輩、なんとかならないんですか!?」
夜の森はただでさえ方向感覚が狂う。その上、危険も伴うとなれば足を踏み入れるのは下策だろう。そこに入れるバカが三人くらいいるわけだが。
「三人だけで探すのは非効率的だな」
「やっぱり、先輩でも無理ですか……?」
「なんで智代子は、その子を探したいんだ?」
「その子とはよく遊んでたんです」
「仲が良かったんだな。……まぁ、智代子の頼みとあっちゃ仕方ないか」
俺が肩を竦めるとその両肩を力強く叩かれる。
「言うと思ったぜ団長!」
「さすがは俺たちのリーダーだ!」
と、盛り上がっているところに近づいてくる気配。視界の隅に映っていたからわかっていたが、何か物申したいことがあるようでこいつまで参加を表明してきた。
「僕も行く」
「……誰だっけおまえ?」
「青峰だ!青峰龍之介、いい加減覚えろ!」
冗談が通じないらしく、激昂した龍之介は何度目かわからない自己紹介をする。それで幾分か冷静になったのか、彼の目は真剣に俺を見返した。
「人手が必要だろう。大人連中があの調子だ。なら、僕たちだけでも行くしかない」
大人達を非難するような視線を向けて、龍之介は決意を示した。しかし、その捜索を渋っている大人達にも理由があるのだ。十数年前の嵐の夜に子供を探しに山へ入った大人が足を滑らせて滑落し大怪我を負った。死には至らなかったものの、そういう事例もあり大人達も慎重にならざるを得ないのだ。
本来なら俺たちも山に入るべきではないのだが、もし捜索もせず少女が翌朝遺体となって見つかれば後悔は深いものになる。特に智代子なんて自分を責めるかもしれない。それは俺の願うところではない。
「足手纏いは要らん」
「なっ、僕はそれなりに役に立つぞ。それに手分けした方が見つかる確率も高くなるだろう!」
龍之介の言い分も尤もだが、俺には他の方法があった。
「いや、探す必要はない」
「探す必要はないってどういうことですか先輩?」
期待と疑心の中で揺れる目をして、智代子は祈るように俺を見る。
「あぁ、正確には人間が探す必要はない、か」
「人間が探す必要はない……?もしかして、お狐様に探させるんですか?」
「正解。智代子、こっくりさんセット持ってるか」
「よく日和ちゃんとするから持ってますけど……」
鞄に常に入れているらしく、智代子は鞄から一枚の紙を取り出すと差し出してくる。俺はそれを畳の上に置くと十円玉を借りて、赤い鳥居にセットした。一人こっくりさんの始まりである。
「こっくりさん、こっくりさん、おいでくださいましたら『はい』におすすみください」
いきなりこっくりさんを始めた俺を龍之介が訝しげな目で見る。こんな時に何やってんだって思うのも無理はない。島崎さん夫婦も俺を変な人を見るような目で見てくる。
「森や山で迷子になっている子供がいたら、狐達は道案内をしてくれる。帰って来ないってのは何らかの事情で動けないんだろう。子供だと足を怪我したりな。それに今日は嵐、狐達も籠るために準備に忙しかったろ」
まるで言い訳のように狐達の事情を述べている時だった。突然、雨戸の一つがガタガタと揺れるとパンと音を立てて開く。
「「きゃあ!?」」
琴音と美咲が驚いて抱き合ったところで、開いた戸から白い獣が侵入してきた。雨風を凌げる場所でパタパタと水滴を落とし、ぐいっと伸びをすると可愛くひと鳴きしてこっちに走ってくる。そのまま飛びかかってくると、嬉しそうに尻尾を振りながら頬擦りをしてきた。
「はぁ、まったく婿殿は……」
鈴白の婆さんが呆れている。そういえば、婆さんに白い狐を呼び出すところを見せたことはなかったか。
「呼び出して早速で悪いが、島の何処かで迷子になっている子供がいないか探して欲しいんだけど」
「……きゅっ」
用件を伝えた途端、ハクアの尻尾はしなしなと倒れ、不機嫌そうにそっぽを向いた。
「あれー?ハクアさーん?」
感情豊かな狐に俺は慌ててご機嫌を窺う。
「……拗ねちゃってますね」
「いま拗ねる要素あったか?」
「好きな人に呼ばれて意気揚々とデートに来たら、二人きりじゃなかった……みたいな」
「わかりやすい説明をどうもありがとう」
拗ねた理由を智代子に説明されて、俺は打開策を考える。似たような状況なら経験済みだ。
「……貸し一つで」
「きゅう♪」
納得してくれたらしく、ご機嫌に尻尾をゆらりと揺らすと開けられた戸の方へ。
「クオォォォォォーーーン!!!!」
森がざわざわと揺れる。ハクアの遠吠えに呼応するように森が揺れたかと思うと、方々から狐色の毛玉が姿を現した。続々と現れた狐達は真っ直ぐに鈴白の庭にやってくる。
「クゥーン、ウォン。キュックルルルゥゥ」
「「「「クォンッ!」」」」
ハクアの呼び掛けに応えた狐達が、来た道を戻るように山の方へ帰っていく。それから数分ほど、遠吠えが聞こえていたが、その一つにハクアが反応する。
「クオォォォォォーーン!!!!」
返事の遠吠えをした後、ゆったりとした足取りでハクアは戻ってきた。
「どうやら見つけたみたいだな」
「きゅっ」
短く鳴いて、返答をする。
「そんなバカな……」
「えぇ……本当ですか……?」
龍之介と智代子が疑ってかかるが、信じられないのも無理はない。人間の言葉を理解する動物はいるが、ここまで意思疎通ができる動物は滅多にいない。そういう意味では、この島は特別だ。
「じゃあ、行ってくるわ」
「もちろん俺も行くぜ、団長」
「俺もだ、リーダー」
「勝手にしろ」
亮介と真広は参加。この二人なら足手纏いになることはないから、ついてきたって問題はない。
そんなことを思っていれば、だ。
「……先輩、ちょこもついていきます」
「おいおい、やめとけ。危ないぞ」
「ちょこなら顔もわかりますし、もし足手纏いになるのなら置いて行ってくださって構いませんから」
そう言われて、はいそーですかでは済まない。智代子に何かあれば悔やむのは自分だ。断っても勝手についてきそうなほど真剣な視線に、俺は頭を抱えたくなった。
「言っておくが僕も行くからな」
–––面倒なのが二人。
「琴音、美咲」
「諦めて連れてってあげれば」
「ごめんね圭君。ボク達じゃ止められないかな」
頼みの綱の二人でも、智代子は止められないようだ。
「……わかったよ。琴音と美咲は悪いけど、婆さん達と協力して狐様達への貢物と風呂の準備。あとついでに俺の夜食と風呂も準備しておいてくれると助かる」
「…………怪我して帰って来たら許さないから」
琴音はそう言って、婆さん達の方へ行ってしまった。
「圭君のことだから大丈夫だと思うけど、無茶しないでね」
「無理も何もいつも通りだしな」
信頼してくれているのだろう。美咲は口ではそう言うが、表情は何処か納得できていないようである。
「さぁ、悪ガキどもは行った行った。役に立たない男連中は誰か一人、診療所行ってきな。他はお狐様風呂に入れる準備だよ」
鈴白の婆さんの指示に大人達は肩を竦めて動き出した。