視界を埋め尽くす白と黒の嵐。スノーノイズと世間一般的に呼ばれる現象が、アナログテレビに稀に起きる。しかし、目の前のこれはなんというか判断に困った。まるで画面越しに何かを見ているような感覚ではあるのに、テレビの液晶のような画面を見ているわけではない。この目にしっかりと映っているのである。
脳に直接映像を流し込まれているような感覚もあれば、その光景が風景のようにも映った。
長い間その光景に立ち尽くしていると、徐々に意識がはっきりとしてきた。
モノクロの嵐に何かを見る。輪郭のボケた人型の影。黒い何か。
「おい、あんた……」
呼び掛けてみると、ゆらゆらと揺らめいていた闇がぴたりと止まる。
「……っ」
視線が合った。直感する。だが、それはこちらを見ているのに……どうしてか目がない。口がない。鼻がない。耳がない。顔がない。
–––身体が警鐘を鳴らす。逃げろ。
嫌な予感がした。
俺は言いようのない悍ましさに鳥肌を立て、影に背を向けた。
足を踏み出して逃走を開始する。
背中越しに、あの影が追ってきているのを感じて……。
「ちくしょうなんだあれは!?」
対峙した時の圧迫感は熊と対峙した時と同等かそれ以上に感じた。
「なんでこんなところに……いや、これは夢かっ」
非現実的な光景に夢を自覚する。しかし、夢は覚めない。任意的に覚ますこともできるはずだが、今回に限って夢はまったく覚める気配がなかった。
方法はもうひとつ、夢の中で死亡するという方法があるがあれに捕まるのはまずい。本能が警告する。
「光、出口か……!」
右も左もない世界の先に光を見て、全力で駆け抜ける。
モノクロの嵐が消えた。
「ここは……」
見渡せば木々に囲まれた森の中。そこでぽつりと一人立っている。モノクロの嵐の世界を振り返れば、古びた小さな赤い鳥居が建っていた。見覚えのあるものだ。
「さすがにもう追ってこないだろう。さて、どうするか」
夢が覚める気配はない。でも、なんだかこう胸がざわつくような気がする。何かを探しているような気がして、そわそわと落ち着かない気分になる。
ふと、視線を上げた。
–––なんだ、これ?
島の中心とも言える、山の上から強烈な気配を感じた。
御神木に、何かいる。
意識を向ければ、胸の騒めきがその存在に呼応するかのように高鳴る。
逢いたい。逢わなければいけない。何故か、そんな気がした。
◇
山を登る。
道なき道を。
獣道を。
草木を掻き分け。
登った。
どうしてこんなことをしているんだろうと思った。楽をするなら住宅街の方に戻って、秘密基地のルートから行く方法もあった。それなのに俺は真っ直ぐに、一直線に向かう道を選んだ。心がそうさせた。そうせざるを得なかった。何も考える暇もないくらい心が、魂が求める。
「はぁ……はぁ……」
突然、視界を埋め尽くしていた木々が消えて、開けた場所に出た。丘のような場所には、ドーナツ状の浮島のような場所がひとつ。その中心に御神木が立ち、影を作っていた。
息を整えて足を踏み入れる。この丘そのものが立入禁止のエリアだが、聖域とまで呼ばれているのはドーナツ状の泉とその中心の御神木の辺りで関係者以外の立ち入りが禁止されている。
–––その理由が今よくわかった。
泉に足を踏み入れ、御神木に向かおうとした時、神聖な空気や力を感じた。
足が水に取られる感覚に構わず進む。
そうして御神木に辿り着くと、俺は急かすように高鳴る鼓動を抑えて御神木の周りを回る。
–––そこに、いた。
泉の中に裸で沐浴する一人の女性が。
「……っ」
煌めく白い髪と、琥珀の瞳。肌は処女雪のように白く、そしてその体躯は美術品のように美しい。
ただ、ひとつだけ人と違う点がある。彼女の頭には、白い狐の耳。腰まで届く白い髪を掻き分けるように、お尻には尻尾が生えていた。
「あら?」
ふと、視線に気づいた女性がこちらを向く。
「ケイ。ケイ、ケイッ……逢いたかった」
瞳が潤み、溢れ落ちる涙。彼女は俺の名前を呼びながら泉の中を進み、至近距離に接近したかと思うと泉から足を引き上げて、俺に抱きついてきた。豊満な胸を押しつけて、腰に腕を回してくる。頭を俺の胸に預け、甘えるように名前を呼ぶ。
「ハク、ア……?」
「うん。うん、私だよ。ケイ」
誰だ、なんて言葉の代わりに喉からするりと名前が出てくる。
白い狐につけたはずの名前を、俺は呼んでいた。
「……あ、なんで。どうして……」
まるで彼女の涙が伝染したかのように俺の頬にも涙が伝っていた。
「やっぱり、覚えてないんですね」
初対面の女性にそう言われて困惑する。
覚えていなくとも。
この腕の中にある温もりは、失くしてはいけないような気がして。
彼女の涙が止むまで、ずっと抱きしめていた。
泉の畔で二人並んで腰を下ろす。涙は流れなくなったものの、体を離すのが寂しくて手を繋ぎ合わせていた。彼女は着物を着崩しており、太ももからはだけさせた足先を泉につけている。
「クスッ、本当にあなたは変わりませんね」
「え、いや、何が?」
そっと身を寄せると豊満な胸が当たる。それすら厭わずに彼女は俺の耳に口元を寄せると、内緒話のように囁いた。
「そうやって、私の太ももやおっぱいに熱い視線を送るところ」
雪のように白い頬を赤く染めて、恥ずかしそうに指摘してくる姿が何処か愛おしくて、同時に苦しくなる。それすら忘れるほどの羞恥に俺は顔を顰めた。
「いや、すまん」
「いいんですよ。私達はそういう関係ですから」
「そういう関係?」
「夫婦ですから。えっちなことはたくさんしましたし。それに、その……私自身求められるのは嬉しいというか」
照れたように微笑む彼女に、俺は心を奪われていた。
「そ、そうか……悪い」
「おっぱいも太ももも好きでしたからね。あなたは」
言い返すことができなくて俺は言葉に詰まる。なんとか笑みは引き出したものの、なんともぎこちのない引き攣った笑みになってしまう。
「とはいえ、それもまたあなたの覚えていない過去のこと。もう何百年もご無沙汰ですから」
–––その言葉が引っ掛かった。
「何百年も?」
「はい。何百年も。これで、十三回目です」
何百年とか。十三回目とか。訳の分からない数字に目を白黒とさせる。
「なんのことだかわかりませんよね。ごめんなさい。これは、私のわがままみたいなものですから」
手が強く握られる。憂いを帯びた表情をする彼女に居ても立ってもいられなくて、俺は彼女に応えるように手を強く握り返していた。
「クスッ、本当にあなたという人は、もう……♪」
嬉しそうに微笑んでくる彼女は尻尾でぺちぺちと腕を叩いてくる。
「ふぅ。失礼しました。それで、何から説明しましょうか?」
まるで試すような物言いに俺は悟る。
あ、これ、最初から決まってるやつだなと。
「そうだな……じゃあ、まずは。ここは何処なんだ?」
俺の質問にやっぱりという顔をする。そうして、クスクス笑うと淡々と答えを口にした。
「ここは夢と現実の狭間。夢であり、現実でもある。かつて理想郷とも、あるいは涅槃とも呼ばれた場所です」
また現実味のない言葉が彼女の口からぼろぼろと。ただ、不思議と嘘をついているようには聞こえなかった。
「まったくよくわからん」
「そうですね。場所としての名称なんてどうでもいいのです。要は、ここがどういう場所か説明するべきですね」
首を傾げる俺を見て、ふふっと微笑む。
「ここではどんな願いも叶えることができます」
「どんな願いも?」
「はい。ただ……ここにいると欲望が抑えきれなくなるので、あまり長居はお勧めできません」
彼女の言う願いとは–––人の欲望そのもののことだそうだ。それを浮き彫りにして、世界に反映させる。だから、願いが叶う場所と彼女は呼んでいるそうだ。
「それともうひとつお話が」
彼女の睫毛が微かに震える。
何かを恐れたような、そんな表情。
「ここに来る時、黒い影を目にしませんでしたか?」
覚えている。朧げな存在だったのにはっきりと。黒いモヤのような輪郭のボケた人型。
「あれはなんだ?」
「あれは、私の罪の証–––」
喉に何かを詰まらせたかのように言葉が切れる。
震える声で、彼女は言った。
「–––人間の成れの果て、です」
思わぬ正体に思考が停止する。
追いかけてきていたのが、化け物が。
かつて人間であったものと言われて、どんな反応をすればいいのだろうか。
言葉に詰まる。
「もう、朝ですね」
その言葉の意味がわからないわけではなかった。
寂しそうに、別れを惜しむ彼女に、俺は何もしてやれない。
「いや……ダメだ。おまえを一人にしておけない」
「……ダメですよ。夢は覚めるから夢なんです。あの子達のところへ、帰ってあげてください」
横に首を振って拒絶すると、そんなことを言う。
「最後にひとつだけ。……あの化け物には、捕まらないでください」
理由を語らなかった。聞く暇もなかった。
いや、喋るための声が出なかったと言うべきか。
「……っ!?」
唇に触れる、柔らかな感触。
温かいそれと、近い彼女の顔に俺の思考は奪われる。
甘い匂いに脳が酔いしれる。
もっと味わっていたいと、そう思えるような–––。
「これくらいはあの子達も許してくれますよね」
そこで世界は、光に包まれるように彼女の姿を隠した。
エロゲって何かよくわからないファンタジーな設定あるよね。