“巡礼祭”のある八月。巫女が禊を始めるのは七月後半から、八月の終わりまでと昔から定められている。禊用の儀式装束を着て山を登り、聖域で穢れを落とす。その際、儀式装束は脱がなければいけないという決まりがある。
何も山を登らなくても……と、思うが知れないがこの程度乗り越えられないようであれば、巡礼祭のお役目を果たすのは無理である。連綿と受け継がれてきた伝統は、生半可な覚悟では果たせない。
「はぁ……はぁ……ふぅ…」
子供の頃から島の自然を体感している経験がなければ、このお役目はキツかったかも知れない。
「やっとついたわね」
「そうだな」
額や頰に髪を張り付けながら、汗を手の甲で拭う彼女は普段とは違う魅力があった。
「随分と楽しそうだな」
昔の琴音なら、お役目とかしきたりとか嫌いそうなものなのに真面目に全うしようとしている。毎日、山登りとか面倒なものなのに嫌な顔一つせず、彼女は黙々とこの場所を目指していた。それを不思議に思って声に出して指摘すると、彼女は夏の日差しにも負けない笑顔を浮かべてこう言った。
「だって、圭とデートしてるみたいで楽しくて」
「おまえお役目ってこと忘れてないか?」
「忘れてないわよ。大事なことだっていうのはわかってるわ。おばあちゃんからお母さんに、お母さんからあたしに受け継がれた大切な伝統だもの」
胸に手を当てて目を瞑り、感傷に浸る横顔は母親のことを思い出しているようであった。子供の頃は彼女の母親が巫女の役目を務めていたので俺もよく覚えていた。
「さぁ、行きましょ」
立ち入り禁止のその先、聖域に足を踏み入れる。
ドーナツ状の泉には石で出来た足場を渡り、中心の御神木へ。
そこで履物を脱いで、儀式装束を脱ぐのだが……。
緋袴に手を掛けて、ストンと足下に落としたところで琴音の動きがぴたりと止まる。
「……なに見てるのよ」
振り返る琴音と視線が合う。頰を僅かに赤らめて、責めるような視線に俺は答えず。今の心境をどう物語ったものか、恥ずかしがる彼女に魅力を感じていたのだ。
「いや、今更隠す必要はあるのかと思ってな」
風呂場で琴音の裸は何度も見ている。だが、何故か服を脱ぐ姿は一度だって見たことがなかった。決まって俺が先に入って、後から琴音が入ってくるのだ。
「それに……」
–––なんか女性が服を脱いでる姿ってエロくね。と、愛すべきバカ達が言っていたのだ。
「脱いでる姿を見てみたくなった……?」
「もう、圭のえっち」
琴音は俺を精一杯罵倒するが、その声は喜色と恥ずかしさの入り混じった可愛いものとなっている。
「普段からおまえ達から誘惑してくるんだから、これくらいいいだろ」
「神聖な禊をなんだと思ってるのよ」
「煩悩を祓うにはちょうどいいかと思って」
「満たしてるし。それにやるなら滝行よ」
容赦のない鋭いツッコミに納得してしまう。
「もう、仕方ないわね」
口ではそう言いつつもなんだか嬉しそうに頰を緩ませて、彼女は儀式装束を脱いでいった。羞恥に耐えて、頰を赤らめながら一糸纏わぬ姿になると、彼女はゆっくりと泉に足を浸けた。
「うぅ、やっぱり冷たいわね。気持ちいいけど」
両脚が底に着くと琴音はより深い方へ歩いていく。腰まで浸かる場所へ行くとそのまま泳ぎ始めた。
「禊ってそんな適当でいいのか?」
「さぁ?あたしが子供の頃、お母さんとやった時もこんな風だったし」
「伝統って言う割に適当だな」
それで本当に禊をしたと言えるのだろうか。
案外適当な伝統に、苦笑してしまう。
「でも、烏の行水みたいなのはダメみたい。さっと入って出るみたいなのは良くないらしいわ」
「禊だしなぁ。ある程度それらしくないとダメか」
泳ぎ飽きたのか琴音は戻ってきた。
「ねぇ、圭も一緒にしない?」
「えー、やだよ面倒くさい」
「あたしだけこんな恥ずかしい思いしてるのは不公平よ」
お風呂入る時も恥ずかしい思いしてるのは琴音だけなのだが、指摘すると話がややこしくなりそうなので胸の内に留めておく。
「それに、ね……なんだかいつもより恥ずかしいような気がするんだけど」
局部を隠して、恥ずかしそうに俯いてそわそわと落ち着かない様子で琴音はちらちらと此方を見上げる。彼女の瞳と視線が交わる度に心が擽られるようで、焦ったくてもどかしくて、そっと抱き寄せていた。
「あっ……もう、あんたも濡れるわよ」
「俺がこうしたいんだ」
そんなことよりも、彼女の耳に口を寄せて。
「おまえそういうの好きなんだな」
「〜〜〜ッッッ!?!?!?」
そう囁くと、耳まで真っ赤になってぽかぽかと胸を叩かれた。
「もう、バカ!バカ!」
「ははは、悪い悪い。つい言いたくなった」
「これは違うんだからっ、その、あたしがおかしいわけじゃなくて」
「外で裸になって見られそうな状況を楽しんでいるところ悪いんだが」
「全然わかってない!?バカ!」
もう思考が回らなくなってバカバカと繰り返すだけになってしまった琴音に、俺はちょっとした嗜虐心を覚える。
「でも、外で裸を許婚に見られて興奮するのも相当なものだと思うが」
「こ、これは誰でもなるわよ!恥ずかしいんだからね!」
「禊するたびに穢れ溜まってない?おまえ」
「誰のせいよ!」
「ごめん。悪かった。おまえが可愛くてつい」
いつものシチュエーションと違って興奮する琴音を宥める。斯くいう俺も、いつもと違う状況に少し気持ちが昂っている。
「ほんと調子狂うんだから」
「そうだな。冷静にならないと……」
冷静にならないとおかしくなってしまいそうだ。
普段とは違う琴音に魅了されて、つい手を伸ばしてしまった。
「……ねぇ、恥ずかしいからこのままぎゅっとしていて」
さすがに見られるのが恥ずかしいらしく、お願いしてくる琴音に応えるように俺は身体を密着させる。体に付着した水滴が湿って冷たいが、それのおかげかいくらか冷静になれた。
–––危うくこんなところで押し倒すところだった。
二分ほどくらい抱き合って、琴音の心音が感じられるようになる。
彼女は抱きしめられていると安らぎを覚えたようで、まるでメトロノームのように共鳴しあっていたお互いの心音は、凪のように静かになっていた。
「そういえば禊の期間中って、そういうことしても大丈夫なのか?」
「そういうことって……?」
「禊って穢れを祓うためにするんだろ。おまえ顔真っ赤だぞ」
「し、しょうがないじゃない。あんたが変なこと言うから」
頰は上気して赤く、目は潤み、優等生の顔が妖艶に。
「……キスくらいなら、いいんじゃない」
震える唇が紡いだ言葉に蓋をする。どちらから合わせたのか、唇が触れ合う感触に脳が痺れるような感覚を覚えて、その心地良さに離れた時の余韻が互いを寂しくさせる。
「ねぇ、もう一回して。今度は圭から」
強請るような言葉に、抗うことはできなかった。
このあと冷静になって御神木に頭突きをする主人公君と泉の中で身悶えている巫女ちゃんがいたとかいなかったとか。