夜八時を過ぎた頃、夕食に満足したハクアが胡座をかいた俺の足に乗って丸くなっていた。クァと小さく欠伸をして微睡んでいる様子に可愛がりたくなって撫でていると、尻尾が波打つように揺れて、狐耳がぴくぴくと動く。安心したように蕩け切った様子で身を任せてくれるので、なおさら可愛く見える。
「ん。どうした?」
「クゥーン」
語り掛けるとすくっと立ち上がるハクア。そのままトタトタ歩き出したかと思うと、数歩先で振り返って小さく鳴いた。
「ついてこいってか」
誘われるままに後をついて行くと玄関の戸をカリカリと引っ掻く。出してくれと言わんばかりに引っ掻いては鳴くので、俺もサンダルを履いて玄関を開けて外に出た。
「クゥーン♪」
楽しそうにステップを刻みだすハクアについて、夜道を歩き始める。
「どこに行くんだ?」
「クゥ♪」
目的を聞き出そうとするも小さく鳴くだけ。
ただ走ったり、周りを駆けるハクアに翻弄されながら、夜道を歩いた。
先導されること二十分ほど、夜の浜辺へやってきたハクアは楽しそうに駆け出す。寄せては返す波と追いかけっこをして浜辺を駆けるハクアが突然波に直撃され、避難するようにこっちへ戻ってくる。最後には元気なさげに情けなく鳴きながらとぼとぼとした足取りで戻ってくると悲しそうな顔で見上げてきた。
「うぅ。びしょびしょになっちゃいました……」
目を離していないのに気がついたらそこには水に濡れた着物姿の狐耳美女がいて、上目遣いに見てくる彼女の胸元に視線を吸い寄せられながら、俺は苦笑していた。
「こんなところまで連れてきたかと思えば、なにやってんだおまえは」
「ケイと夜のお散歩をしたかったので」
不機嫌そうな顔を隠そうともしないで、ハクアはそう言った。そうして両手を広げて強請るような仕草を見せる。
「温めてください。あなたの温もりで」
「わかったよ」
流石に夏といえど夜の海の冷たさは堪えたのかハグを要求してくる。ずぶ濡れの彼女に俺はシャツが濡れることも厭わず、抱き締めるとパタパタと尻尾が嬉しそうに揺れた。
「ふふふ。あったかいですね」
「……そうだな」
冷たいなぁと思ったが、夏の夜の暑さにちょうどいい冷たさと人肌の温もりに強く彼女を抱き締めてしまう。密着する体に、交わる体温、虜になるには十分だった。
「ただ、少し……なんか悪いことをしている気分なんだが」
「こんな夜に他の女性と密会してるんですもんね」
核心を突くハクアの言葉にドキッと心臓が反応する。だが、何故か彼女とこうしていると安心するのも事実なのだ。傍にいなければならないほど、俺の魂は彼女を求める。
「まぁ、もっとも泥棒猫はあの人達の方ですが」
ハクアの独白は密着しているおかげでしっかりと聞こえたが、その真意は測れないままでぐいっとさらに密着されてしまう。
「っていうか、こんなところでそんな姿になっていいのか?」
僅かばかり視線を下げると彼女の頭に生えた狐耳が目に入る。背中越しにはゆらゆらと機嫌良さそうに尻尾を揺らしていて、彼女が人外の何かであることは明白で、島民達に目撃されればどんな反応をされるか……。
「大丈夫ですよ。遠目には本物か偽物かなんてわかりませんし、狐に化かされたと思うだけでしょうから」
実際に化かされている身としては、とても反応に困る言い分である。
「どっちが本当のおまえなんだ?」
「私にもわかりません」
人か、狐か、あるいは別の何か。本人もわかっていないらしく、困ったように微笑を浮かべる。
「だけど、あなたが愛する私が、私なんだって……ケイが言ってくれたからそれでいいと思うんです」
正体不明のままでいいと自信を持って言うハクアに、俺の気も緩み納得していた。
「そうだな。おまえが何者かなんて些細な問題だな」
過去の俺が贈った言葉に嘘偽りはなかったのだろう。彼女の在り方を決めたその言葉に、自分が贈った言葉と思えたからか、すとんと腑に落ちてしまう。
「……このままずっと抱き合っていたいですけど、さすがに冷えてきましたね。戻りましょうか」
名残惜しそうに身体を離して、彼女は手を繋ぐ。隣を歩く彼女の横顔は、月明かりに照らされてとても綺麗に見えた。
海岸から港を経由して帰路へ就く道中、ふと視界に入ったのはフェリー乗り場の方。街灯がまるでスポットライトのようにある場所を照らしていた。その下には膝を抱えて蹲る影。存在を強調するかのような光は、まるで私を見つけてくれと言わんばかりである。
「……なぁ、あれ……」
隣のハクアと顔を見合わせれば、既に白狐の姿になった彼女が腕を駆け上がり、肩に乗って身を寄せている。同じく困った顔で俺を見返していた。
「はぁ。……やれやれ」
見てしまった以上は見捨てるのも忍びなく、フェリー乗り場の前で膝を抱える少女に近寄る。もしかしなくても、その金髪は何処かで見た知人に似ていた。
「おまえ何してんだこんなとこで」
「……ほっといてよ」
事情を聞けば投げやりな言葉で突き放される。顔も上げずに抱えた膝に顔を埋めて、見るからに困っていますと体現する少女にどうしていいものかわからず、ただ話しかけ続けるしかなかった。此処からは憶測の話になる。
「もしかしてだけど、フェリーの最終便に乗り遅れて、挙句旅館にも泊まれずここで一夜を過ごすつもりじゃないよな?」
「……」
無言は肯定と見做す。俺は少女の前に屈み込んで、前髪に隠れた視線に合わせた。
「おまえアホか。いくら夏といえど夜は冷えるし、いくらこの島が安全だからって女の子がこんなところで蹲ってるんじゃねぇよ」
そこまで言われてようやく言い返す気になったのか、柚葉は顔を上げて俺を睨み返す。
「だってしょうがないでしょ。この島に知り合いなんて桂音ちゃんと、あんたくらいしかいないし……」
柚葉の視線が、俺の肩に乗るハクアに向けられて固まる。
「……白い、狐?」
「おい、俺は無視か」
可愛いとかそんなこと言ってる場合じゃないだろうに、柚葉の視線は白狐に釘付けだ。それからしばらくハクアを見つめた後、自分の置かれた状況を思い出したのか俺に視線を移した。
「一応、聞いておくが泊まる場所に当てはないのか?」
「あったらこんなとこにいないし」
「桂音のところは?」
「小学生にもなっていない女の子に頼るなんて、なんか変じゃない……?」
「そんなの関係ないと思うがなぁ」
大きなお友達、という概念が彼女にはないのだろうか。これが異性間であれば大変であるが、同性なら気にする必要もないと思うのだが、島の外では気にするらしい。
「だったら俺の家に来るか?」
「はぁっ!?」
–––何故か、物凄い勢いで引かれた。
「そう言って私を連れ込んで、何が目的よ!?」
「身体を守るように抱くな。そんな気は毛頭ない」
不満そうに喉を爪で引っ掻いてくるハクアに言い聞かせるように、俺は柚葉に弁明した。
「まぁ、おまえの気持ちもわからなくもないがな。男性を女性が警戒するのは当たり前だし、そう簡単に信用しなくていいと思う。だけどおまえ俺がそんな人間に見えるか?」
「寝込み襲って来そう」
「おいおい」
少なくとも実行に移そうとすれば、二人の幼馴染と白狐に折檻されるだろう。間違いなく。
まるで捨て猫のように警戒する柚葉に、俺はどう安心させたものか思案するも両案が浮かばない。だけど、次の策を考えるよりも早く、彼女が口を開いた。
「確かあんたって桂音ちゃんの姉と一緒に住んでるんだっけ?」
「それと今は、もう一人幼馴染がいるな」
「……じゃあ、行く」
同じ女性がいるとわかって安心したのか、柚葉はようやく重い腰を上げた。