家まであと十分というところで念のため琴音達に連絡を入れる。無事に身支度を終えたと連絡が来て、ようやく俺は九条兄妹を家へと案内していた。
「ほら、ここが俺の家だ」
玄関口をわざと大きく音を立てて開き、「帰ったぞ」と声を掛けると奥から琴音の返事。短いそれに合わせて顔を出した二人に九条兄妹がピシリと固まった。
「いらっしゃい」
琴音は奥ゆかしい所作で二人を迎える。まるで夫を出迎える妻のような雰囲気に、出迎えられた俺はなんとなく背筋が寒くなった。その背中を叩いた晶が、慌てて顔を寄せてくる。
「おまえどういうことだよ!?誰ッ!?この美人!?」
「あぁ、こいつは–––」
「妻です」
俺の紹介を先回りして、琴音がいい笑顔で答える。
ついで、九条兄妹の視線が美咲に向けられた。
「ボクは〜、圭君の愛人だよ」
こちらもとてもいい笑顔で告白なされた。
いいのかそれで。おまえは。
俺は頭を抱えてどう説明するべきか悩む。
「一応、言っておくが許婚な。いるって言っただろ」
「……嘘だと思ってた」
まったく信じていなかったようで、晶はあんぐりと口を開けたまま固まっていた。
美桜の方も随分と驚いたようで、その顔は微妙に引き攣っている。
「へ、へぇー、許婚……」
能面のような顔にハイライトの消えた瞳が人形のように無機質な存在を連想させる。美桜はぴくぴくと頰を引き攣らせながら、負けじと俺の腕に抱きついてきた。
「はじめまして。お世話になります、九条美桜です」
自己主張の激しい胸に、これまた自己主張の激しい……。なんとも言えない宣戦布告とも言えるその行動に、良妻を演じていた琴音の表情が微妙に引き攣った。
「さて、取り敢えず部屋に案内するか。一応聞いておくが、別々の部屋がいいだろ?」
「わ、私は圭さんと同じ部屋でも……」
「別々にしてくれ。頼む」
「そうか。わかった」
何やら美桜が妙なことを口走ったような気がしたが、晶は妹と同じ部屋が嫌なようで食い気味に一人部屋を催促してきた。旅行先でまで妹に煩わされるのは嫌らしい。
二人を別々の部屋に案内して、適当に荷解きをさせたあと、居間へ。
そんな俺の背中に、ぽすんとぶつかってくる影。
「琴音、どうした?」
腹に回された腕に手を重ねて、ぐりぐりと頭を押し付けてくる彼女に答えつつ、ぽんぽんと宥めるとふわりと拘束が解かれる。
「ちょっとね、触りたくなって」
「そうか。ほどほどにな」
適当にあしらいつつ座布団を引っ張って座る。そのタイミングで美咲がお茶と羊羹を持ってきて、ちゃぶ台の上に置いて対面に座った。
「面白い子だね」
「それはどっちに対して言ってんだ?」
「もちろん、妹ちゃんの方だよ」
美咲は随分と美桜のことを気に入ったらしくそんなことを宣う。その瞳が新しいおもちゃを買ってもらった子供のように爛々と輝き、不穏な何かを感じ取る。
「仲良くしろよ。頼むから」
「それは相手次第かなぁ」
「あたしも約束はできないわよ」
もう既に一触即発の雰囲気らしく、二人はそう言って怪しげに微笑む。おそらく美桜の方から何かしなければ何もしない、という意味なのだろうがさっきのやりとりを見るに無事に済みそうになかった。
そんな俺の不安を的中させるかのように、ドタバタという音が聞こえたかと思うと美桜が居間に飛び込んでくる。俺の背中に飛びついて首に腕を回すと、そのまま甘えるような声を出してきた。
「ねぇねぇ、圭さん。遊びに行こうよ。二人っきりで」
「おいおい、兄貴はどうするんだよ」
「放っておけばいいのよ」
いやうちに放りっぱなしも困るんだが。そう反論するよりも先に、琴音がストップを掛けた。
「ダメよ。圭には用事があるんだから」
「じゃあ、そのあとでも……」
「大事なお役目があって、三時間は帰ってこないわよ」
「なら、明日–––」
「毎日あるから無理ね」
とりつく島もないとはこのこと。俺が答える前に、俺の予定が勝手に決まっていく。そんな時間のかかるお役目でもないのだが、それを理由に二人きりにさせまいとしているようである。
「むむむ……」
「昼には終わるから、それまで待ってろ」
ぽんぽん頭を撫でてやると、にへらと口元が緩む。
昔から可愛がっていたので、甘えてくれる分には嬉しかった。
「わかった。待ってる」
こんな可愛い妹の何が気に入らないのかわからないが、晶は美桜と折り合いが悪かった。今も柱の陰から微妙に引き攣った顔で美桜を睨み、とても入りづらそうにしている。
「終わったのか、荷解き」
「中身の確認だけだからね」
声を掛けると晶は諦めて居間に入ってくる。まるで妹などそこにいないかのように目を逸らしながら、器用にも適当な場所に座布団を広げて座り込んだ。
琴音からのジト目が酷いことになっているから美桜を引き剥がして欲しいのだが、晶は既にスルースキルを覚えてしまったらしく妹を視界に入れないようにしている。これが兄の処世術か。
「じゃあ、ちょっと早いけど行くぞ。琴音」
「ええ、そうね」
「え、なにどこ行くの?ついて行っていい?」
「晶。ついてきたらしばき倒す」
「おー、怖っ。大人しくしてよう」
晶には念入りに釘を刺して、禊の用意をして家を出た。
◇
御神木についた瞬間だった。
突然、背中を押されたかと思うと泉にダイブ。
湧水の冷たさに跳び上がると、背中に組みついてくる柔らかい感触。
人肌の温もりの正体は、儀式装束を脱いだ琴音だった。
そのままズルズルと妖怪のように泉の中に引き摺り込まれ、俺の膝の上に跨ると首に腕を回してくる。
唇を尖らせて、俺を真っ直ぐに見つめてきていた。
「おい。俺までずぶ濡れじゃないか」
文句はあったが、別に怒っているわけじゃない。ただ不満をぶつけると不満そうな顔を返される。そのまま琴音はぎゅっと抱きついてきて、不満も露わにこんなことを言い出した。
「だって、圭があの女の子に鼻の下伸ばしてるんだもん」
「伸ばしてません」
「伸ばしてたわ。それはもうえっちな目で見てたもの」
身に覚えがないと弁明すると、それはもう疑わしいという目で見てくる。やましいことはないはずなのに俺は目を逸らした。
「目の前に裸の女の子がいるのに、なんで目を逸らすのかしら」
「裸だから問題なんだろ」
あたしを見て、と言わんばかりに頰を挟んで前を向かせる。つい視線が下に落ちてしまって、元に戻すこと数回、完全に俺が何処を見ているかはバレバレだった。
「圭のえっち」
「見るな、っていう方が難しくないか?」
見ろと言ったり、見たら見たで変態扱い。何が正解なのか分からず眉根を寄せて怪訝な顔をする。だけど、視線だけはしっかりと琴音の艶姿に向けられていた。悲しきかな本能だけは抑えられなかった。
「罰として、圭には禊の間、こうやって抱きしめておいてもらうから」
「何の罰だよ」
どうやら泉から上がらせてはくれないらしい琴音が、反転して背中を預けてくる。
「風邪引いたらどうするんだよ」
「圭がその程度で風邪引くわけないでしょ」
「それはそうだけど」
「それに圭が風邪引いたら看病してあげるわ」
「酷いマッチポンプもあったもんだな」
文句は言いつつもしっかりと琴音のお腹に腕を回して、俺は御神木を見上げた。揺らめく葉の隙間から、きらきら輝く陽光がなんとも眩しく目を細めてしまう。
「–––ところで、そこに隠れてるの。出て来いよ」
俺はそのまま首を倒して背後を見た。木に上手く隠れているつもりかもしれないが、赤茶色のツインテールが隠れずはみ出ているのが見えていた。
「……ぐ、偶然ですね圭さん」
木の陰から美桜が出てくる。晶には釘を刺しておいたためついてきたらダメなことはわかっていたのか、少しだけ申し訳なさそうな顔ではある。だが、すぐにその顔は形を潜めて顔を真っ赤にして怒り出す。
「で、でも、圭さんだってなにしてるんですか!?」
「なにって禊?」
「禊って、女の人裸にして鑑賞することを言うんですか?」
「それは誤解ですね」
「なにが誤解なんですか?」
自分でなに言っているのかわからないが、俺はただの付き添いである。
「禊に託けてそれが伝統ですか?」
そう言われれば返す言葉もない。
「そこに正座してください」
「「はい……」」
俺と琴音は何故か二人揃って正座して、嵐が通り過ぎるのをただ待つばかりであった。