稲荷島は観光名所とはなっているが、その実観る場所は少ない。それもそのはずこの島の売りは“いつでも狐と触れ合える”という点にあり、島の至る所にいる狐の楽園なのである。他にも綺麗な海での海水浴、島の大鳥居など観光できる場所もあるが、観光という意味では向いていない。都市開発など以ての外、自然がありのまま存在するのである。
それでも昼から夕方にかけて稲荷島を案内すれば時間は足りず、九条兄妹にせっつかれるまま島内を案内した俺は、やや疲れ切った様子で帰路を歩いていた。
「悪かったって」
重い足取りで歩く俺に、苦笑いしながら晶が謝罪するがその顔を見れば謝意がないのは明白である。俺のげんなりした様子を見て半分面白がっていた。
「〜〜〜♪」
そんな俺とは対照的に目の前を鼻歌交じりに歩くのは、いつにも増してご機嫌な美桜である。その理由はうちの祖父と会ったことにあるのだが、俺からすればまったく意味がわからない。
–––晶が余計なことを言わなければ。
そう、あいつが余計なことさえ言わなければ、病院に入院している祖父に会わずに済んだのに。
「おまえが余計なこと言うからだろ」
島内を案内している時に、晶が思い出したようにこう言ったのだ。
『そういえばお祖父さんは?』と。
晶のこの言葉に美桜が反応して、『お世話になっているんだから挨拶しないと』とか言い出しちゃったのである。
「もういいや、帰ろう」
心の傷を埋めるため、とぼとぼ帰路を歩いていると前方から白い毛玉が走ってきた。その塊は真っ直ぐに飛び込んでくると、器用に膝やお腹を蹴って肩に跳び上がる。
「クゥーン」
「迎えにきてくれたのか、ハクア」
その毛玉は迎えにきてくれた白狐。どうやら準備が整ったことを教えにきたらしく、頰にすりすりと身を寄せて甘えてきてくれる。
「なんていうか凄い光景だよな」
放し飼いに近い狐が一人の人間を探し出して甘えている姿が奇妙なのか、目を細めて晶が感心した様子を示す。普通に飼っている犬や猫ではあまり見ない光景にびっくりしているようだった。
「おまえだけは祖父を紹介してくれとか言うなよ。頼むから」
「……おまえ必死だな」
俺の必死な様子に晶はドン引きである。
ハクアが合流してから二十分ほど歩くと、ようやく家へと辿り着く。俺は玄関を開けて横にずれた。
「さっさと入れよ」
先を譲った俺に晶が怪訝な顔をする。美桜はまったく気づいていない様子だが、言われるままに先に家に入って玄関を上がっていった。何やら靴が増えていることに気づいたが、家には人の気配がない。明かりもない。
そんな様子に訝しんだ二人が、居間へと足を運び入れた瞬間–––。
–––パン、パパンッ!
何かが弾けた。と、同時に居間に明かりがつく。
「「「「「ようこそ、稲荷島へ!!!!」」」」」
待っていた人達の手には破裂したクラッカー。
机の上に並ぶ料理の数々に、五人の少年少女と幼女。
居間の上部には『well come稲荷島』の横断幕。
そんなパーティームードに、歓待を受けた二人は困惑していた。
「「え、どういうこと?」」
さすがは兄妹、反応がまったく一緒だ。俺は入口で固まる二人の背中を押して居間へ押し込める。そしてそのまま空いている席に座らせて、一言だけ説明した。
「言っただろ。歓迎会やるって。まぁ、難しく考えるなよ。騒ぎたいだけだから」
そう言われて二人はようやく理解したようである。
「まずは自己紹介だな。じゃあ–––」
「はいはい!俺、瀬戸亮介ね。よろしくお嬢さん」
「おい抜け駆けは禁止だぞ亮介!まったく……俺は神楽坂真広だ」
「「あ、漁師の人」」
気の良い二人組が促すまでもなくフライングして美桜に迫る。今朝のことを覚えているようで、当然漁師として覚えられていたが。
「湊智代子です。ちょこって呼んでくださいね」
いつものことなのか二人をスルーして、智代子が自己紹介をする。九条兄妹はまじまじと智代子を見つめ、自己紹介が終わると首を傾げて顔を見合わせていた。
「あ、あの、それどういう反応ですか……?」
「「いや、妻と愛人の次は何がくるのかなって思って……」」
九条兄妹の反応に智代子が原因である二人の先輩、琴音と美咲を振り返る。ものすごい反応速度、見れば全員が原因たる二人を見ていた。
「先輩方、どんな自己紹介をしたんですか!」
「妻ですって」
「圭君の愛人だって」
「美咲先輩それでいいんですか!」
「昼ドラで最後に勝つのは愛人なんだよ」
いったいどんな昼ドラを見たのか気になるところだが、ドロドロの愛憎劇なのは間違いない。夏休みは暇もあってついつい見ちゃうのだろう。俺も美咲に付き合って見ていたから心当たりはある。
「そんな面白い自己紹介求められてもちょこにはありませんからね。ちょこはただの後輩です」
「瀬戸亮介。愛の狩人だ」
「神楽坂真広。インテリ眼鏡と呼ばれている」
智代子のフリに合わせて亮介と真広は自己紹介をやり直した。面白称号付きで。
「おいおい真広、おまえインテリ眼鏡じゃなくてむっつり眼鏡の間違いだろ」
「亮介、おまえこそ最近は自慢の網に獲物が掛かっていないじゃないか」
二人は完全に美桜のことを意識しており、自己アピールを始めるがウケているのは九条兄の方だ。腹を抱えて大爆笑している。
「ひー、ひー、あーおもしろ。二人ともやめといた方がいいよ妹は。ガサツだし、だらしないし、怒りっぽいし、乱暴だし、あとこいつ圭のことしか見えてないから」
「ちょっと何言ってるのかよくわからないんだけどお兄ちゃん?」
兄に貶されて妹は微笑みを浮かべて兄を睨む。表情は冷たい笑顔で、瞳は無機質で昏い。
–––あいつ死んだな。
俺は晶の冥福を祈り、一人黙祷を捧げた。
「そんなもん一目瞭然よ。俺達はできたら都会の可愛い女の子を紹介して欲しいんだ」
「あぁ、そのためならリーダーの女に媚を売ることも辞さない。……というわけで、こんな写真があるんだが」
「ふん。今更私を圭さんの写真で釣ろうなんて……」
真広が懐から出した写真に、そう言って断ろうとした美桜の視線が釘付けになる。
「えっ、ちっちゃ、可愛い!」
「他にもこんなのもあるぞ」
「……交換条件は何かしら」
「「是非ともご紹介を」」
何かとんでもないものを交換条件に闇取引をしているみたいだが、商談は成立しそうな勢いだ。数枚の写真を受け取ってほくほく顔の美桜は財布の中に写真を大切にしまうと向き直り、
「……それで、ちょこさんは本当にただの後輩かしら」
笑顔でそんなことを言い出す。智代子はそれでも微笑みを絶やさず。『何が言いたいんですか?』と表情で問う。心なしか少しだけ怒っているように見えた。
ほんの少しの変化に気づいたのはきっと俺だけではないだろう。琴音と美咲も智代子を見て、少しだけ表情を変える。そこにどんな意図があるのかはわからないが、少しだけ優しい表情をしていた。
「ただの後輩ですよ。妹ちゃんもただの“友人の妹”ですよね」
「今は、ですけど」
気のせいだろうか。二人の間に火花が散って見える。珍しい智代子のただならない雰囲気に何かを感じ取るも、その正体が掴めずに触れてはいけない気がしてしまう。
「あ、そうだ。申し遅れました。私、九条美桜です。圭さんとは一緒にお風呂に入ったり、一緒に寝たりする仲です」
どうやら俺はこの火の海の中に突っ込まなければならないらしい。語弊のある美桜の自己紹介に、女性陣が錆びついたブリキの人形のような動きで俺を睨んだ。
「圭〜?あたしそんなこと一言も聞いてないんだけどっ」
「誤解だ。ほら、子供の頃に一緒に風呂に入ったりしてただけで……」
九条家に泊まるたびに、一緒にお風呂に入ったり、布団に潜り込んできていた美桜ちゃんの様子が脳裏に浮かぶ。妹のように甘えてくる彼女に何度『親友の妹』って自己暗示を掛けたものか。中学生になっても風呂場に突撃してくるものだから、俺はその度に生きた心地がしなかった。九条家にバレたらどうしようと。
尤も晶はそんなこと知っていて放置していたのだろうが、あいつが止めてくれないおかげでピンチは何度もあった。なのにうちに泊まりに来いよって誘うんだよな、あいつ。今思い出したら確信犯じゃねぇか。
「子供の頃に、ね。……ねぇ、いつまで?」
回想していると詳細を詰めようと琴音が自白を促す。誤魔化そうとしたのに、どうやらうちの許嫁様は逃してくれないらしい。
「……小学六年生クライマデカナ」
「ふふっ、美桜ちゃんって相当発育いいわよね。ね?」
「そうだよね。多分、クラスで一番とか」
「この大きさ、小学生でC超えてても不思議じゃありません。ギルティです」
いつの間にか両脇を琴音と美咲に詰め寄られ、背後には智代子が忍び寄っていた。前方には机、逃げ出そうにも四方を囲まれており逃げ出す隙すら無い。
「俺は止めたんだよ。……止めたんだよ」
でも、美桜は止まらなかった。さすがに中学生になったらやめると思うじゃん?止まらないんだよあの娘。
「ねぇ、九条君。圭が妹さんとお風呂入ってたのはいつまで?」
「妹が中学一年生の頃までかな。それからは、布団に潜り込むくらいまでしかしなくなったけど」
「……」
親友の裏切りに俺は驚きを隠せない。っていうか、知ってたんなら止めろよ妹を。たぶんおまえが仕組んでたんだろうけどな!
「……少なくとも、俺から誘った事実はありません」
私刑執行を前に減刑を求めたが、あまり期待はできそうになかった。