午前中のうちに掃除を終わらせて家を出た。何処へ行っても騒音のする都会と違って、田舎町である島は蝉時雨ばかりが耳朶を打っていた。懐かしい町は姿が全く変わらない。少しばかり住宅地や建物が増えた以外は、何もない田舎に見える。
「さて、まずは……」
挨拶廻りに出たはいいが何処から廻ろうか。最初に予定していた鈴白の家も後に回すように言われている。次の候補を考えていると、懐かしい記憶が蘇るようであった。
「取り敢えず、馴染みの古本屋に行ってみるか」
稲荷島には古本屋がひとつ。住宅街、駄菓子屋の隣にあった。もっぱら子供たちが用があるのは駄菓子屋で古本屋に興味がある子供はまずいなかった。そこに通い詰めていた異端児–––それが俺だ。
住宅街に入って目印の駄菓子屋へ。懐かしい道順に従って歩くと、微かに記憶に残る駄菓子屋は懐かしいあの場所に存在した。隣には見覚えのある家屋がある。あれが古本屋だ。誰も訪れない、憩いの場所。
俺は意を決して、古本屋の引き戸を開けた。
「……懐かしいな、この匂い」
開けた瞬間、漂う古本の匂い。紙媒体である本からしか感じ取れない匂いがした。
入り口から本棚が並び、中にはぎっしりと大量の本が詰められている。相変わらず子供が読まないような背表紙の本ばかりでマニアックな内容のものが多かった。
そのうち数冊のタイトルを読む。
「『手話の勧め』『白狐伝説』『おかず百品』……って、見事にジャンルバラバラだな」
中にはまともな本もある。ミステリー小説、恋愛小説、そのどれもが持ち主がいない本だ。相変わらずそういう妙な本ばかりを蒐集しているらしく、店主の興味のないものまで陳列してあった。
「すみません。この本屋自体、趣味のようなものですから……」
文句を言っているつもりはなかったのだが、突然謝罪を受ける。声のした方に顔を向けるとそこには黒髪のおっとりとした美人な女性が立っていた。瞳は青く、光の加減で深海のように見える。あれも青空の下で見れば、青空のように輝くサファイヤの原石だ。
七年経っても、この引っ込み思案な性格は変わらないようだ。
「あの、観光の方ですか……?」
「文姉、俺の顔忘れたの?」
「……?」
全然わからないという顔だ。……ちょっと傷つく。
「俺だよ。黒崎圭」
「あぁ!帰って来たという話は聞いてましたが、その……ごめんなさい。成長していて全く気づきませんでした」
「いや、覚えてくれていただけ嬉しいよ」
この妙におどおどしている女性は“橘文絵”。二つ年上でこの古本屋の店主をしている。本の蒐集癖があってジャンル問わずなんでも読み込んでいる。小学校時代に図書室にある全ての本を読破したとか。
「相変わらず、客がいないな」
「仕方ないですよ。皆さん、本土の本屋に行きますから」
「そりゃ品揃えの悪いこの店には来ないな」
「圭くんも本土の本屋に行ってしまうのですか……?」
文絵は悲しそうな顔で俺の顔を窺った。
「行かないよ。文姉のいない本屋に行っても意味はない」
「ふふ、そう言われると嬉しいですね」
純粋に喜んでいるようで文絵はクスクスと笑う。
相変わらず、言葉の真意には気付いていないようだ。
昔は憧れのお姉さん、って感じだったが……。
なんか無性に心配になる。悪い奴に騙されそうで。
「ところで、見慣れない本とかあるけどまた本を増やしたんですか?」
「……敬語になってます」
「へ?」
「ダメです。昔みたいにもっと砕けた口調で話してください」
「いや、文姉は一応歳上だから敬語を使ってみたんだけど……」
「私と圭くんの間に、そういう他人行儀な態度は不要ですよ」
「……わかったよ。文姉」
他人行儀な話し方が嫌いらしく、文絵に叱咤されてしまった。慌てて口調を戻す。
昔、昔……どんな口調で話していたか。子供の無邪気さとは末恐ろしいもので、大人相手にタメ口を吐く。敬うことはあっても敬語という概念は存在しなかった。
昔の話し方を思い出そうとすれば、違和感がある。
それでも俺は昔の接し方を必死に思い出した。
「それで、話の続きでしたね」
ころっと話が戻される。
「この本屋の本は読み終えたので、本土の本屋で色々な本に出会いまして今では三百冊くらい増えているかと」
「へー、本土の本屋に行ったのか」
「あっ……」
しまった、と表情を硬くする文絵。
そして、裏切った言い訳を始めた。
「仕方ないんです。あんなところに本屋があるのがいけないんです。新しい本読みたかったんです。新しい本と出会いたかったんです。だからこれは決して浮気などでは……」
「もうこの本屋辞めて、本土の本屋で働いたらいいのでは?」
「それはダメです」
こんな古本屋をやっているよりお金は稼げる。そう言うと、文絵はぶんぶんと首を横に振った。そう、彼女は–––。
「……そんな事をすれば、人見知りの私は死んでしまいます」
–––極度の人見知りだ。
「取り敢えず、これ」
「これは……」
持って来ていた紙袋を手渡す。
中身を見て、文絵は瞳を輝かせた。
「俺が都会に行っている間に読んで気に入った本。まぁ、ほぼ恋愛ものだけど」
「嬉しいです。ありがとうございます!」
礼を言ってから、奥のカウンター前の椅子に座って本を読み始めた。俺の存在が既に認識から外れている。読書の邪魔をしないように俺は黙って店を出た。
◇
本屋を出た後、出会った島民に挨拶をして廻り、魚屋、八百屋、といろんなところに顔を出した。
「取り敢えず、こんなところかな……」
昔、お世話になった店や親しい人達に挨拶をして、海水浴場に足を運ぶ。浜の見える堤防で潮風を浴びながら一休みしていた。そこに計ったように膝に狐が飛び乗り、撫でてと言わんばかりに身体を擦り付けてきた。
「おーよしよし、可愛いなー、おまえ」
「クォーン。クォーン」
なので全力で愛でる。顎の下を撫で、頭を撫で、お腹を撫で……そうすると気持ちよさそうに膝の上に寝転んだ。
「それにしても、随分と観光客が増えたな」
海水浴場にいるのは島民ばかりではなく観光客が多くいた。水着のギャル、お姉さん、学生、その他もろもろ。この島は本土の海水浴場に比べて海が綺麗なので有数の観光スポットになっているのはわかるが、それは七年前には見ない光景だった。
浜辺では金髪ビキニギャルが一人で歩いている。そこに若い金髪と茶髪の男が話しかけ……会話もそこそこにフラれていた。男達はとぼとぼと撤退していく。見るに堪えないナンパであった。
そうしていると、ナンパされていたギャルと目が合う。
–––正確には、膝の上で気持ちよさそうに眠る狐に目が向いていた。
ギャルは自然な足取りでこちらに寄ってくる。
数歩手前で、じっと狐を見つめた。
「……こんなに人馴れしてる狐は初めて見た」
「観光か?」
「うん。そう。あんた、この島の人?」
「そうだな。つい先日、帰って来たところだが」
「そうなんだ」
会話中、狐から目が離れないギャル。
「触ってみるか?」
「いいの?」
「この島の狐は人と仲が良いからな。油揚げでも持っていれば自然と寄ってくるぞ」
「私も試したけど、あんまり触らせてくれなかったよ。こんな風にしてるのは初めて見た」
あぁ、なるほど……。
狐達にも人馴れしている個人差がある。
孤高の狐もいれば、人懐っこい狐もいる。
島民でも全然狐に触れない人もいる。
狐に好かれやすい人、動物に好かれやすい人。
千差万別であった。
多分、この島を探しても膝の上に乗ってくれるのなんて、俺と琴音くらいしかいない。
「もっと近くに寄れよ」
隣を叩く。ギャルは狐を起こさないようにそっと隣に座った。
「すごい、もふもふしてる」
そして、ゆっくりと手を伸ばす。まずは身体を撫で、顎に手を伸ばし優しく撫でた。
「あんた、良い人なんだね」
「何故、そう思う?」
「動物がこんなに懐いてるから。優しいのかなって」
ギャルは狐を撫でている間、終始笑顔だ。
「膝にも乗せてみるか?」
「逃げない?」
「大丈夫だろう。おまえは見た目ギャルだけど、狐を撫でる手が凄く丁寧だからな」
「ひゃっ」
遠慮気味だったギャルの膝の上に寝ている狐を乗せる。
……なんというか、羨ましい光景だった。
「んふふー、可愛いでしゅねー?」
一見、冷たそうなギャルが相好を崩して狐にデレデレな様子を見せる。
「はっ。……見た?」
でも、すぐに他の人がいたことに気づいてバツの悪そうな顔をした。
「可愛いだろう。狐は。この島じゃ神聖な獣として扱われていてな、白い狐は神様の眷属とされているんだ」
「本当にいるの?」
「いるぞ。呼んだら出てくると思う」
「でも、何年も白い狐は見ていないって……」
そこまで言われて忘れていたことに気づく。
そういえば、あの白狐は俺以外に滅多に姿を現さない。
「認めてもらえば、きっと姿を見せてくれるさ」
「そうなんだ」
今度は、ギャルは俺を見つめていた。
「ねぇ、スマホ持ってる?」
「持ってるけど、なんで?」
「島の人って、あんまりスマホ持ってないでしょ」
だから、その確認をしたという。
「連絡先交換しよ」
「そういえば、俺はおまえの名前すら知らないんだが」
「私は篠宮柚葉。あんたは?」
「俺は黒崎圭」
この日、初めて俺のスマホに女性の連絡先が登録された。
取り敢えず、簡易設定ここに置いておきます。
鈴白琴音。十六歳。高校二年生。女性。
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身長164,
倉科美咲。十六歳。高校二年生。女性。
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身長160,
橘文絵。十九歳。大学生。女性。
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身長162,
湊智代子。十五歳。高校一年生。女性。
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身長158,