夢を見た。
朝起きると卵の焼けるいい匂いがした。
身を起こすと、いつの間にか胸の上に乗っていたハクアが転げ落ちる。ひっくりかえったハクアはごろんと身を捩り、膝の上に起き上がる。
次第にはっきりしていく脳で、隣にいるはずの智代子を探したが既に起きて部屋を出たあとだった。
「……懐かしい夢を見たな」
あれは何年も前の記憶だった。無意識下に保存していた“湊智代子”との出逢いの物語。忘れたと思っていた、なんでもなかった、しかし後に大切になってしまった記憶の一つ。
時に出逢いとは偶然で、必然で、衝撃的であり、また運命でもある。
なんでもない出来事が、大切に変わったのは間違いない。
幼い智代子の姿を思い出すと、どうしても成長した彼女の姿をもう一度見たくなって俺はベッドから立ち上がった。
テッテッ、とハクアが後ろをついてくる。
居間に行くと、先に起きていた琴音と美桜、桂音の姿があった。
二人して今朝のニュースを見ながら、ぼーっとしている。
すぐに俺の存在に気づくと、二人とも表情が綻んだ。
「おはよう圭」
「おはようございます圭さん」
「おにーちゃんおはよー!」
「おはよう。智代子と美咲は?」
「二人とも台所よ。人数が多いから、二人で朝食の準備をしているの」
そう言われると申し訳なくなる。美咲の負担も増えていることだし、今度何か埋め合わせを考えなくてはいけない。
「あ、そういえば晶は?」
「うちの兄なら亮介さんと真広さんに連れられて漁に行きましたよ。体験させてくれるっていうんで」
思い出したように晶の行方を聞くと、美桜がそう答えた。
昨日の夜に決まったらしくそれで朝早くからいないのだとか。
随分と亮介達と仲良くなったらしい。
男の友情は美桜にはわからなかったらしく、自由な兄に呆れたような顔をしている。それもすぐに一転して美桜は笑顔で今日の予定を提案してきた。
「それより圭さん、今日は海で遊びませんか?新しい水着買ったんですよ」
「そうだな。禊が終わったら行くか」
「やった!」
無邪気に喜ぶ美桜の様子を見ていると、その横からジト目を向けてくる許婚の姿が。
「ちょっと圭、二人で行く気?」
「おまえは奉納舞の練習があるだろう」
「そうだけど、二人で行って岩場の陰で変なことしないでよ」
「誰がするか」
「もし必要とあれば、いつでも言ってくださいね」
「あんたは油断も隙もない」
そんな風に今日の予定を話し合っている時だった。
「あれ、皆さんで何の話をしてるんですか?」
「なになに面白い話?」
「ちょっとな。海に行く話をしてたんだよ。あ、手伝うぞ」
「私も手伝います」
両手に朝食の皿を持った智代子と美咲が居間にやってくる。往復して運ぼうとしたところで、俺と美桜も手伝うことで二回で食卓に朝食を運び終えた。
「いただきます」の合掌をして、改めて食卓を見る。白米、味噌汁、目玉焼き、ソーセージ、レタス。一般的な朝食だが二人が作った料理はとても美味しそうに見える。
「どうぞ先輩、召し上がってください」
なんだかいつもより機嫌のいい智代子に促されて、俺はレタスをまず食べ尽くした。それから味噌汁を手に取り、具材に何が入っているかかき回して確認した。ごぼう、里芋、人参、大根、油揚げの五種類の具材が入った味噌汁。そこから里芋を駆逐するべく口に放り込み、咀嚼していると顔色を変えた智代子と目があった。
「やっぱり……」
「どうしたんだ智代子?」
「先輩ってもしかして里芋嫌いですか?」
一瞬箸が止まる。–––それを見逃す智代子ではなかった。
「なんで言ってくれないんですか!里芋が嫌いって!」
突然、怒り出す智代子に場が騒然となる。後輩のただならぬ様子に逸早く反応したのは、知っていながら黙っていた二人である。
「ち、智代子。どうしたの?」
「そ、そうだよ」
「琴音先輩も美咲先輩もなんで黙ってたんですか!お二人なら、圭先輩の嫌いな食べ物も知っていましたよね!」
「「うっ……」」
「どうせ黙っている方が自分に有利に働くからって、黙ってたんでしょ」
「「…………」」
美桜の指摘に琴音と美咲は揃って顔を逸らした。
呆れや、怒り、その他様々な感情に智代子は涙目に。
よっぽどショックだったらしく、肩を震わせて俯く。
「どこで気づいたんだ?」
「……夢を見たんです。小さいちょこが先輩と会った頃の」
「あぁ、それがきっかけか。そりゃ隠せないわな」
–––不思議なことに俺と智代子は同じ日に、同じ夢を見ていたらしい。
思わぬ偶然に、俺は苦笑して認めるしかなかった。
「確かにあの頃は嫌いだったけどな、今はそれほど嫌いじゃないぞ。苦手なだけだ」
「それを嫌いって言うんですよ」
慰めたつもりが、智代子はまだ涙目。
幼い頃の智代子に、今の智代子が重なる。
「おまえ本当に泣き虫だな」
「え……?」
「最初に会った時も、泣いてただろ」
「え、あの、え……なんで……?」
智代子の目が白黒とする。
見開かれた眼は、しっかりと俺を見ていた。
チョコレートのような茶色の髪。
サイドテールに結われた髪は、とても彼女に似合っている。
「……思い出しちゃったんですか?」
「あぁ。おまえと最初に会った頃の夢を見てな。思い出したよ」
「そ、それってつまり……」
智代子の頬が赤く染まる。彼女はサイドテールを手に取ると、顔に巻きつけるようにして口元を覆い隠した。
「–––先輩はちょこの気持ちにも、気づいちゃったってことですか……?」
恥ずかしそうに智代子は確認する言葉を呟いて、じっとこちらを見てくる。思い当たる節に気づかぬふりを続けてきたが、どうやらそれも限界らしい。
「うぅ、先輩のばか、あほぅ……!」
精一杯の罵倒を叩きつけて、智代子は居間を出て逃げる。
「えぇ……」
「追いかけなさいよ」
琴音に言われて立ち上がる。俺は居間を出て探した。少なくとも玄関を開けるような音は聞こえなかったため、家の中にはいるはずだ。名前を呼びながら各部屋を探していくと、唯一鍵のかけられた部屋を見つけた。俺の部屋だ。この家には鍵をかけられる部屋が二つあり、もう一つが琴音の部屋だったりするが、俺の部屋に逃げ込んだらしい。
「おーい、智代子」
「……」
「開けないと扉をぶっ壊すぞ」
「……」
確かに人の気配がある。智代子は間違いなくここにいるだろう。さすがに扉をぶっ壊すのは修理費がかかるため、他の方法がないか考えてみることにする。
天岩戸はやはりあちら側から開くべきだろう。
そう考えて、最終手段を初手で使う。
「……昨日、おまえが脱いだ下着がどうなってもいいのか」
「ちょこの下着で何をするつもりですか!?」
慌ててベッドから飛び降りる音がして、ドタバタと近寄ってくると鍵が開いた音がした。そして、ゆっくりと音を立てて扉が開かれた。親指分にしか開かれていない扉の隙間から、智代子の眼がこちらを見つめる。
「先輩のえっち」
「いきなり逃げ出すおまえが悪い」
「今は先輩と顔を合わせたくありません。お引き取りください」
「俺はおまえの顔が見たいんだが」
「……いやです」
問答を繰り広げるが、智代子はそれ以上引く様子がない。
再度扉を閉めることもせず、扉の隙間から覗いていた。
「なんでダメなんだ?」
言いたくないような、言ってしまいたいような、そんな顔。いじらしい姿を見せて悩んだあと、
「……だって、先輩に思い出してもらえて嬉しくて、だらしないくらいに頬が緩んじゃって、そんな顔見せられませんから」
そう告白する彼女の顔が、今までで一番可愛かった。
気がついたら一番ヒロインっぽいのが智代子なのよ。