崩来祭当日の朝。
自然と目を覚まして上体を起こす。
眠気のない、こんな気分のいい目覚めはいつぶりだろうか。
そんなことを考えながら、ベッドの上に座り直す。
また胸の上に乗っていたのか、ころころと転がり落ちる白狐は仰向けにこてんと転がりながら目を覚まして、身を捻るとそのまま「おはよう」と尻尾を振る。そんな姿が可愛くて、自然と笑みを溢しながら俺はハクアの頭を撫でた。
「おはよう、ハクア」
「クゥ〜ン」
甘えるように頭を擦り付けたり、頰を寄せてくるハクアに強請られるまま撫で回し、脇に手を差し入れて抱っこする。今日はこのまま抱いていたい気分だったので、そのままハクアを抱っこしながらベッドを降りた。
部屋を出ると魚の焼けるいい匂いがして、ふらふらと向かうと台所に美咲と智代子の姿があった。二人で朝食の準備をしているらしく、忙しそうに二人で六人分の朝食を作っていた。
「あ、先輩おはようございます」
「圭君おはよう」
「おはよう。なんかいつも悪いな。それに智代子も」
「別に好きでやっていることだしね」
「そうですよ。こういう時は、ありがとうです」
「あー、その……ありがとう」
「はい。どういたしまして。もうすぐできるので、先輩は居間の方で待っていてください。琴音先輩も起きているはずですから」
そう言われて台所を後にして居間に行くと、琴音が一人で天気予報を見ていた。
稲荷島の天気は晴れ。今日から夏休みの終わりまで、雨のマーク一つない。
「おはよう圭。昨日はよく眠れた?」
「まぁ、な」
いつも通りの席に座って、膝にハクアを下ろす。
手持ち無沙汰にハクアの肉球をぷにぷにと弄んでいると、居間に九条妹が一人で居間に現れた。定位置になりつつある場所に腰を下ろして同じくテレビを眺める。
「圭さん、おはようございます」
「あぁ、おはよう」
美桜は挨拶もそこそこに近寄ってくると、腕に触れてスキンシップを図ってきた。
「昨日は素敵な夜でしたね」
「……誤解を生むようなことを言うな」
ほら、琴音が訝しげに睨んでくる。
「はーい、席戻ってください。そこちょこの席ですから」
タイミングよく料理を運んできた智代子に見つかり、美桜は渋々自分の席へと戻る。
白米、味噌汁、鮭の塩焼き、漬物、卵焼き、狐揚げ。
程なく並べられた料理は、俺のだけ量が多く盛られている。男だからというのもあるが、崩来祭があるからというのも理由だろう。
開催時間は正午。祭前に食べ物を詰めると苦しいため、参加者は朝食を多く摂る傾向にあるのだ。
「–––で、晶は?」
朝食を食べ始めてから、思い出したように親友の名前を口にする。
その妹といえば、申し訳なさそうに眉を下げる。
「ごめんなさい。まだ寝てます」
「そうか」
惰眠を貪る親友の姿が脳裏に浮かび、俺は苦笑した。
俺が泊まった時だって、そうだったのだ。
休日は昼まで寝ていることが多く、むしろ起きている方が珍しいのである。
今更驚くことでもない。
「圭先輩」
「ん?」
「体調は大丈夫ですか?」
「まぁ、普通かな」
心配というよりは、祭前の最終確認だろう。
智代子にそう答えて、朝食に舌鼓を打つ。
二人の作った朝食はこう言ってはなんだが、琴音の作ったものとは味付けが違って美味しく、卵焼き一つ個性が出てくる。智代子の作った卵焼きはだしが効いていて、実に美味しかった。
「問題は祭りの後は腹が減るんだよな」
「そうですね。やっぱり圭先輩も、ご飯は食べない派ですか?」
「胃袋に余計なもん詰めてるとキツいからな」
「そういう時のために、ゼリーをご用意しておきました」
「そりゃいいな。ありがとう」
「いえいえ、圭先輩のためですから」
ゼリーなら腹も膨れず、また空腹は抑えられるだろう。
準備のいい智代子に感謝していると、美桜が面白くなさそうに呟いた。
「さらっとアピールしてるわね、この女」
言わんとしていることはわからなくもないので、全員がスルーする。
智代子にそういう意図があったのかはともかく、助かったのは事実だ。
「それで先輩、やっぱり狙うのは優勝ですか?」
「そりゃあ、やるからには狙うが。それがどうかしたか?」
「……いえ、先輩が本気を出したら他の人は大変だなぁと思って」
何やら他人の心配をして同情する智代子に、俺は意味が分からず首を傾げるのだった。
◇
午前九時から参加者の受付が始まる。
参加者は一度、海水浴場に設置されたゴール前にある受付で当日の参加報告をしてから、昼の十二時前までに山上の赤い鳥居近くに設置された受付で、再度到着報告を行わなければならない。
最初の受付をするために琴音達と海水浴場に訪れた俺は、海水浴場に特設された中継用のモニターとステージを横目に、受付のテントで参加登録を行う。
時刻は十時過ぎ、俺は受付で参加証の赤い紐を受け取って腕に括り付けた。
「それを失くしますと、参加資格が失われてしまいますので気をつけてくださいね」
そんな注意を受けて、しっかりと結び直す。
それをやってくれたのは、琴音だった。
「はい、頑張りなさいよ」
「善処する」
祭前の独特な雰囲気に当てられて、少し胸がざわついている。
年甲斐もなくはしゃいでいるようで、久しぶりの祭の雰囲気に心が躍るようであった。
そんな姿を見て安心したのか、琴音と美咲はクスクスと微笑む。
まるで祭りにはしゃぐ子供を温かい目で見守る姉のようで、少しだけ居心地が悪かった。
「なんだよ」
「別に。……そういうところ、まだ直ってなかったんだと思って」
「でも、ボクはそういう圭君も好きだよ。なんだか圭君が帰ってきたみたいで」
「俺はいるだろ。ここに」
要領を得ない美咲の主張に首を傾げると、彼女は思い出すように空を見上げる。
「んー、圭君は圭君なんだけど。圭君らしくていいなって」
「意味がわからん」
「大人っぽい圭君もいいけど、そうやって笑ってる圭君も好きなんだ」
真正面からそう言われて、俺は少したじろいだ。
「そうか。それはよかった……?」
「それより先輩、時間いいんですか?そろそろ準備して行かないと」
「そうだな。行ってくる」
「ちょこ達はゴールで待ってますから」
「おう」
智代子に急かされて、海水浴場を後にする。
途中、家でトイレを済ませて裏から山を登り獣道を進む。
いつも一緒と言わんばかりのハクアを肩に乗せて、一人山を登っていく。
スタート地点に到着したのが、十一時半くらい。
受付で到着の報告を終えると、それを見計らってか二つの影が近寄ってきた。
「だーんちょ」
「リーダー」
亮介と真広のコンビである。二人揃ってここにいて、手首に赤い紐をくくりつけているということは崩来祭の参加者なのだろう。野暮なことは聞くまでもなかった。
「そういえばおまえらの名前も参加リストにあったな」
「当然、やるからには優勝狙ってくからな。団長相手でも容赦しないぞ」
「むしろ、手加減してくれたらありがたいんだがな」
真広がそんなことを言うが、優勝賞品まであるとあっては勝ちを譲るわけにはいかない。どちらかといえばそれは副賞だが、譲ってやるつもりを持って祭に参加する気はなかった。
「残念ながら、俺はさっさとゴールしたいんでな」
「こりゃ手強そうだな。でも、そう簡単に団長でも優勝は厳しいんじゃないか」
「と、言うと?」
答えずに二人は去っていく。なんだったんだあいつら。
そんなことを考えていると、二人が去った隙を見計らうように別の人影が近づいてきた。
「ふん。来たようだな」
高圧的な態度は相変わらず。もう顔を見るまでもなく、名前を思い出せた。
「青信号か」
「誰が青信号だ!青峰だ!」
惜しい、青峰だったか。
改めて、激昂する龍之介に向き合う。
「それでわざわざ何のようだ?俺は祭前に集中したいから、一人になりたいんだが……」
「……特に用があった、というわけではないが」
ふと冷静になると、龍之介はギラギラとした視線をぶつけてくる。
「僕はおまえに勝つ。それで……」
一拍、息を呑むように呼吸が遅れる。
僅かに唇を震わせて、堂々と龍之介は言い放った。
「–––もう一度、鈴白琴音に告白する」
その言葉を聞いた瞬間、妙に胸がざわついた。
やっぱり文字の大きさがバラついている気がする。