渇いた空砲の音が、何処か空遠くで鳴った。
遅れて響くドドドドドという雪崩れの音に驚いて、木々の隙間から逃げるように鳥が飛び立っていく。
モニターには大勢の島男達が我先にと赤い鳥居をくぐって斜面を下りていく光景が映っており、壮観な光景にそれを観ていた人達の視線が釘付けになっていた。
その傍らで、あたしは特設された席に座っている。
隣には生徒会長藤宮先輩の姿が。マイクを手に自己紹介を始める。
「さぁ、始まりました崩来祭!実況は私、藤宮食堂の看板娘、藤宮紫苑」
チラッ、と隣の席を見る。
「そして、解説には稲荷島のアイドル湊智代子さん」
「ど、どうも……」
「そしてそして、ゲストには明日行われる巡礼祭の巫女役である鈴代琴音さんをお迎えしてお送りします!」
「今年もやるのね……」
二年連続、特設されたステージの特別席で、あたしはそんなことを言いながらじっとモニターを見つめた。
幅三メートルほどある巨大モニターが三つ設置されており、その一つには今しがたスタートした男達が我先にと鳥居を潜る姿が映っている。
他の一つには複数の視点が映されており、ちょこまかと動き回り映像にブレがある。
そして、最後の一つは優勝候補である最後尾の男達の姿が映っており、その中には圭の姿もあった。
「さて、続々と勇敢な男達が鳥居をくぐってスタートしていきます!が、ここで例年通り解説の智代子さんにこの祭の説明をしてもらいましょう!」
二年連続となれば慣れたもので、智代子は自分のマイクのスイッチを入れて解説を始める。
「“崩来祭”とは、島一番の男を決めるお祭りです。遥か昔、島一番の美少女との婚姻を懸けて男達が競い合ったのが起源とされており、今も残る伝統ですね。今では島一番の美少女との婚姻の代わりに、明日行われる巡礼祭の参加券等が懸けられています。副賞は祭の予算より、上位十名に物品が。優勝者はなんと五十万円相当までの物なら希望すれば後日贈呈されるそうです」
この島の歴史に詳しい智代子の説明に、伝統だ祭だと適当なことしか知らなかった島民達が聞き入る。それを補足するように、紫苑先輩が言葉を付け足した。
「巡礼祭への参加はこの島では栄誉あることですからね。副賞はともかく、一年はモテモテっすよ。本土の七海学園の男達も巡礼祭の参加券は欲しがりますから。ねぇ、原因の巫女さん?」
話の引き合いに出されて、あたしは素知らぬ顔をした。
「そうなのね。知らなかったわ」
「おやおや〜?許婚以外には興味ないと?」
「そうよ。悪い?」
「いやー、熱いっすねー。暑くてジュース美味いです」
わざとらしくジュースを飲み、コップを空にした紫苑先輩がモニターに視線を逸らす。揶揄いには慣れたもので、引き際もまた見極めるのが上手かった。
「おおっと、どうした優勝候補動かないぞ!?」
モニターでは最後尾の圭と青峰の姿があった。鳥居をくぐろうともせず、ただ立ち止まって前を見ている。既に参加者は殆どスタートしており、残った三人の漁師だけだ。
『ここから先は通さねえ!』
『少しでも時間稼がないと勝っちまうからな』
『悪いが邪魔させてもらうぜ!』
三人の漁師が赤い鳥居を塞ぐ。
正直、隙間だらけで隙だらけだが、圭と青峰は動く気配がない。
早くスタートしなければ、差がひらくだけなのに焦った様子もなく、二人は前を見ていた。
『また妙な手を使ってきやがったな……』
モニター横から聞こえたスピーカーからの声に、あたしは隣の実況者を見た。
「ねぇ、藤宮先輩。去年はスピーカーなんてついてなかったわよね」
「独断と偏見で優勝候補につけさせてもらうことにしました。何より、面白そうなんで」
「また勝手に……」
本人達は知っているのか問えば、当人達には説明していない模様。赤い紐に高性能な小型のマイクを仕込んでいるらしく、そこから音声が会場に流れているそうだ。
『まぁ、普通に通るが』
圭が一歩を踏み出すと、男達が身構えた。
ジリジリと距離を詰めるが、圭がひょいと首から白い狐を抱え上げて前に出すと三人はそれ以上近づかず、むしろ逆に道を譲るように左右に別れた。
『き、汚ねぇぞ小僧!』
『男なら正々堂々正面から来やがれ!』
『だから正面から突破したが?』
どっちが汚い手を使ったのかは置いておいて、圭は他の島民が白い狐に触らないことをいいことにハクアを盾にして赤い鳥居を潜る。その後ろに青峰も自然とついてきていた。
『ところでおまえはスタートしなくていいのか?』
『僕は正々堂々おまえを打ち負かしにきたんだ。そんなハンデをつけられて、勝ったなんて言えるか』
『まぁ、好きにしろよ。ついてこられるならな』
圭が軽く走り出す。そして、そのまま茂みの中に飛び込んだ。
酷い傾斜の木々の隙間を縫うように擦り抜けていく。
そんな圭の後を追って、青峰が必死についていっていた。
さらにその後ろをカメラが追う。
視点が低いのは、狐の背中に小型カメラを背負わせて走らせているからだ。そうでなければ崩来祭の様子をモニターに映すなどできるはずもない。各所に固定カメラも設置されているが、モニターに映る映像は狐達が追っているものであった。
『くそっ、あいつは獣か!?』
当然、マイクも付いているということは悪態もバッチリ会場に届く。
息の合間に漏れ出た悪態は、弱音とは違う焦りを帯びた青峰の心情そのものだ。
「いや、あれ本当に人間ですか?」
会場でも疑問の声が上がる。藤宮先輩は呆けたようにモニターを見つめ、軽々と木々の生える険しい山を駆けていく圭の姿を見つめて、そんな声を漏らしていた。
「なんていうかわかってましたけど、想像の斜め上を行きますね」
智代子でさえ呆れるほど、今の圭は凄いらしい。
なんていうか人間離れした動きに、彼女の視線は言わずとも惚れ直していると言っているようなものだった。
一瞬も目を離さずモニターを食い入るように見つめ、圭の姿を追っていく。
できればそこにいたいと思うくらい、智代子はそっとその指を伸ばしていた。
圭は何食わぬ顔で駆ける。
木々を擦り抜け、倒木を踏み、掻い潜って。
走り出すと止まらない傾斜を、迷うことなく前に進んでいく。
止まらず衝突しそうになった時は、足で蹴ったり、掌底を木の幹に叩き込んで正面衝突することなく躱していく。
険しい道の中でブレーキも踏まない時は、木に手を掛けて遠心力に任せて方向転換をしていた。
それについて行っている青峰は息も絶え絶え。
次第には悪態も吐けず、必死に食らい付いているだけになった。
何より酷いのは、挑んだはずの青峰が圭に見向きもされていないこと。
圭は気にした様子もなく、先頭を突き進んでいく。
『どうしてだ–––』
やがて、青峰は焦りからかぽつりと零した。
その声に反応したのは、その場にいた圭ではない。
会場で見ていた、智代子だ。
「……青峰先輩」
何か思うところがあったのか、憂いを帯びた表情をする智代子に、あたしはモニターに視線を戻す。
『どうして僕を見ない–––ッ』
零れた言葉には、感情が乗っていた。
焦燥感に満ち、怒りの混じった、まるで子供のような慟哭。
その理由がわかっているのか、智代子はよりいっそう悲しそうな顔をした。
青峰は圭の後を追いながら、手を伸ばす。
全力を絞り尽くすかのように加速した彼は、足がもつれるのにも構わず前に出た。
その手が、届く–––。
「きゃあっ!?」
もつれた足が転倒を引き起こし。
伸ばした手が、圭を押した。
バランスを崩した圭が弾かれたように地面を転がる。
派手にすっ転んだかと思うと、僅か一回転で持ち直した。
「ああっと青峰選手、若旦那を巻き込んで大転倒!大丈夫か!?」
「だ、大丈夫でしょうか。圭先輩」
思わず目を瞑った智代子が、指の隙間からモニターを覗く。そこには草や土に塗れたものの平気そうな圭の姿があった。
『いてて。……何するんだよ』
不機嫌そうな顔以外は、いつも通り。
圭は一度立ち止まって背中を押した犯人に向き直り、問い掛けるが大した理由などなかったのだろう。事故だとはわかっていたし、本人が倒れていることからもそれは理解したはずだ。
痛みに呻きながらも、立ち上がる青峰を見ながら土を払っていた。
『何故……』
『ん?』
『何故おまえは僕を見ない。鈴白も、おまえも、どうして……!』
『はぁ?俺が知るかよそんなこと』
圭は興味ないと切り捨て、肩の上に戻ってきたハクアを撫でた。
『それにおまえが見てるのは、俺じゃなくて琴音だろ。俺を散々敵視してるようだが、それも琴音が見ているのが俺なのが気に食わないからだ。違うか?』
『……』
俯いた青峰は、歯をきつく噛んだ。
『……そうだ。どうして、何故おまえなんだ!僕の方が彼女を幸せにできるのに!』
それが誰のことを指しているかは、あたしもよくわかっていた。
『おまえにわかるか?何をしても見向きもされない僕の気持ちが。何をしても届かない。誰かを想い続ける人を、想い続けた僕の気持ちが』
小さかった声が、大きくなっていく。
『……許婚がいるから。それなら諦めがついたさ。それで両想いだって言うなら、彼女のために身を引こうと思えた。でも、おまえはいつまでも彼女を弄んでばかりじゃないか!』
許さないとばかりに、青峰が圭を睨む。
『僕なら彼女を一途に愛せるのに、どうしておまえなんだよ!』
涙さえ見せた青峰に、圭も困った顔だ。
『どうしてって言われても、俺だってわからねぇよ。本当に俺なんかのどこがいいのか逆に教えて欲しいくらいだ』
『ふざけてるのか!?』
『いや、別に煽ってるわけじゃなくてな』
激昂する青峰に、圭は小さくため息を吐いた。
『……おまえにとってあいつが大事なように、俺にだって大切なものがあるんだ。俺にとってあいつらは皆大事で大切なんだ。そう簡単に決められることではないし、傷つけたくないんだ』
あたしは一字一句聞き逃しまいと全神経を集中させる。隣の智代子も一緒のようで、横目に目が合うとお互いに恥ずかしくて照れたような笑みを浮かべあった。
『そんなの逃げてるだけだろう!』
『そうかもな。いつか見限られる時が来て、誰か別の人のものになってしまうかもしれない。でも、それであいつらが幸せになるなら俺はそれでいい』
『……おまえバカだろう』
『そうだな。……俺は臆病で、バカなんだよ。あいつらが思うような人間じゃない』
自嘲気味に笑って、圭は反転する。
そうしてそのまま、走り去って行った。
◇
「ついに先頭が姿を現しました!」
崩来祭始まって三十分ほど。
ようやく港前に二人の走者が姿を現した。
二人揃って走るのは、見慣れた幼馴染。
亮介と真広の二人だ。
「ゴールテープが切られていないだとぉッ!?」
「ハハハハ、さらばだ亮介ェッ!!」
「あ、汚ねぇぞテメェ」
先に加速した真広を追うように亮介が加速する。
最後の直線を、二人して競いあっていた。
普段は仲のいい二人だが、こういう時だけは勝負に非情になる。
出遅れた亮介が、真広の足を文字通り引っ張った。
「ふべら!?」
「はははざまぁねぇな真広!優勝は俺が貰った!」
「させるかぁ!」
「ぐほぁっ!」
倒れ込んだ真広が、今度は亮介の足を引っ張る。
二人して硬いアスファルトの上に倒れながら、取っ組み合って喧嘩をする。
「離せバカ!」
「煩いそこで俺が優勝するところを見ていろ!」
その間にも、茂みの中から何かが飛び出す。
遠目に見ても、あたしは誰だかわかった。
「げっ、団長!」
「一時休戦だ亮介!」
「おうよ!」
茂みから飛び出した圭に続いて、青峰も飛び出す。
奇しくも最終決戦は四人となった。
有利なのはゴールに近い亮介と真広。次点で圭、青峰。
一番最初にゴールゲートをくぐったのは–––。