山あり谷ありウマ娘 〜気付いたら脱サラしてトレーナーになった話〜 作:ギノっち@カマタラル
世界と言うのは酷く残酷だ。
桜木「っぐ.........ぁ!!!」
現実もそれと等しく残酷で。
桜木「ま、だ.........!」
けれどそれ以上に残酷なのは.........
桜木「っ.........ぅぐ.........!!?」
何も出来ない。俺自身の力の無さだった。
ーーー
ブっさんの試練を終えた翌日。俺達は最後の試練を受ける為にエディの家を訪問した。チャイムの音を鳴らすと、酷く眠そうな老人がドアを薄く開け、俺達のことを見てからいつもの溜息を吐いた。
桜木「.........んだよ。こっちの準備は万端だぜ?さっさと最後の試練を受けさせてくれよ」
エディ「.........そうだな。心変わりを期待したが、それしか頭に無いのなら仕方が無い」
全員「.........?」
渋々と言った様子でエディは玄関を開けてこちらの方へと来る。しかし俺達はそんな事より、先程の言葉の方が気になって仕方が無かった。
それでもそれをエディに聞けるような雰囲気では無く、何も聞くなと言う無言の前進で俺達はそれを聞く機会を逃してしまった。
そのまま話も無く、俺達は最後の試練の場へと向かって行くのであった.........
ーーー
エディの住処から歩いて少し経った。時間で言えば、今までの試練の場所からは全然近い所だったが、そこにはやはり、山奥には似つかわしく無い設備がそこにはあった。
エディ「この中だ。挑戦者はもちろん貴様だ。青年よ」
桜木「.........」
柱によって支えられた天井。壁は無く、通気性は抜群とかいうレベルのものでは無い。その下まで歩いて辿り着くと、その地面に何やら歪な突起があった。
桜木「.........なんだこれ?」
エディ「!!?やめろッッ!!!」
桜木「え―――ッッ!!?」
それを何も考えずに踏んでみると、それは少しの抵抗感を感じさせた後、機械的な音を鳴らしながら直ぐに沈んで行った。
そして次の瞬間には天井から突然、何かが俺に向かって突進して来る。
何とかそれを察知し、己の身を守る為に両腕でガードする。受け止め切ることは出来なかったが、背中を地面に擦り付けながらも何とか事なき事を得た。
桜木「っ.........!何だよこれ.........!!?」
エディ「.........最後の試練は、この[丸太]を止めてもらう」
突然の痛みに苦しみながらも、俺は何とか立ち上がることが出来た。先程ぶつかって来た物の正体は、丸太であった。
まさかここに来て、こんなあからさまな壁が立ちはだかってくるとは思わなかった。思わず膝を地面に付けると、先程までこの天井の外に居た三人が俺の方へと駆け寄ってきた。
爺や「桜木様っ!!お怪我はございませんか!!?」
主治医「腕を見せてください!!」
ナリブ「っ、おいっ!!これは明らかに[ウマ娘用のトレーニング]だろッッ!!!やるなら私が―――「良い」なに.........!!?」
俺の身体を心配してくれている爺やさん。怪我が無いかを見てくれていた主治医。そしてエディに食ってかかるブっさんを押しのけ、俺はもう一度スイッチの前へと立つ。
そんな俺の様子を黙って見ている三人。その表情はやはり、心配という物が目立っている。
俺はそんな三人の表情を嫌な汗をかきながらも、薄く笑って見せた。
桜木「へっ.........丁度いいや。ここに居る全員。何かしらの過去を乗り越えて来たんだ.........だったら俺も.........」
桜木「コイツに.........この痛みにお別れしねぇとな.........!!!」
右腕の付け根を左の手で強く掴み、そして握る。あの丸太が衝突してきた一瞬。未来で思い出す事の出来た大型自動車の姿がフラッシュバックした。
それはつまり、俺はまだあの出来事を振り切れていないという事だ。こんなチャンス。滅多にない。だからこの試練は譲れない。
息を整え、前を見る。今度はよそ見はしない。モテる全力を尽くして、目の前の丸太を止めてみせる.........!
桜木「.........ッッ!!!」
地面にあるスイッチを踏み抜き、丸太を受け止める体勢を取る。1秒もしない間にそれは俺の眼前へと迫ってきた。
.........なんだ。身構えてみれば大した物じゃない。さっきは油断しただけだ。こんなの意識していれば俺だったら簡単に―――
[キキィィィ―――ッッッ!!!!!]
桜木「―――ぐっぁ」
その丸太を受け止めようとしたその瞬間。今度は鮮明なイメージでそれが思い起こされる。映像として、音として、圧として、そして痛みとして.........俺の五感全てにその日の出来事を明確に思い出させてくる。
受け止めようとしたその手はまた、無意識にガードを張った。
そして俺は結局、またこの身体をその丸太によって大きく弾き飛ばされてしまった。
エディ「.........その丸太は10kgだ。加速もついてその威力は大男の突進と同じ威力を持っている」
桜木「.........チッ」
また弾き飛ばされた。今度はそうなると直前でわかった為、受身を取ることが出来たが、やはりダメージはある。これを続けていたらそれこそ帰る前に身体がダメになってしまう。
どうしたものか。そう思いながら立ち上がろうとすると、先程の時とは違い、よろよろとよろけて立ち上がる事が出来ず、もう一度地面に膝を着いてしまう。
桜木(っ、おいおい.........!)
そこでようやく、自分の身体に起こっている異変に気が付く。自分の手を見ると、そこには意識とは裏腹に小刻みに震え、まるで恐怖している様子が見て取れた。俺は今、確かにこの痛みに怯えている。
こんな所で足踏みをしている場合じゃない。俺の帰りを待っている子達が居る。こんなくだらないトラウマなんかに付き合っている暇は毛頭ない。
震える手を握りしめ、空いている手のひらに打ち付けて気合いを入れる。
大丈夫。二回もやった。恐怖はこれで薄れたはずだ。
桜木「さぁ!もう一回だ!!!」
そうして俺は丸太に挑戦する。けれどその日から数日間。特に進歩も無いままに、俺は長く苦しい、地獄の時間を過ごして行った.........
ーーー
エディ「.........辞めだ。それ以上は身体が持たん。今日はここで終わりだ」
桜木「っ.........くそ」
あれから二週間が経った。何とか受け止める意識は出来るようになったが、それでも身体に力が入り切らず、あの日抱いた恐れが枷として機能してしまっている。
いつもの溜息を聴きながら、俺はこの場を離れていくエディの背中を見送りながら考えに耽っていた。
桜木(.........どうしたらいいんだ)
桜木(こんな時.........[アイツら]だったら.........)
桜木(.........[あの子達]、だったら.........)
情けない話だ。意気揚々と出てきたというのに、出てきたとなったら壁にぶち当たってコレだ。最早俺は、俺の中にあるものではこれを乗り越える事が出来ないという意識が出来上がってしまっている。
そして、他人にすがる。白銀だったら。黒津木だったら。神威だったら。マックイーン達だったら.........どうこれを乗り越えるのかを、必死に考え始めてしまう。
『.........そんな事をしても、意味は無いわよ』
桜木(.........分かってるよ)
それを諭すように、不意に隣から声が聞こえてくる。その方向を見ると、マックイーンより少し大人びた姿をした存在が幽霊の様に佇んでいた。
彼女の言った正論に、不貞腐れを交えながら返事をする。そんなの、俺が一番分かっていると言うように、俺は視線を戻してから言った。
『力を貸して、くらい言えないの?』
桜木「.........」
『.........こんな所でカッコつけても、あの子も見ていないこんな場所じゃ、得になる所か損しかないじゃない』
.........カッコつけてる。か.........確かに、こんな試練をアドバイスも助力も無しに受けるのは、正面突破が過ぎたかもしれない。普段の俺だったらもう少し冷静になって抜け道を探していた筈だ。
だけどブっさん達に力を借りる訳にも行かない。身体の使い方自体はしっかりと把握している。そこに人や助言は必要無い.........必要だとするなら.........
桜木「.........ごめん」
桜木「力、貸してくれる.........?」
『!.........♪』
言い難い言葉を何とか振り絞り、彼女に助けを乞う。するとその顔は驚きから、待っていましたと言わんばかりの表情に打って変わり、俺の周りを嬉しそうに浮遊し始める。
『それを待っていたのよ♪私が力を貸すからにはあんなの、一時間で解決よ♪』
桜木「!ああもちろん.........なんてったって君は、俺の[知らない方]の―――」
「[メジロマックイーン]だからね.........!」
ーーー
桜木「すぅぅ.........ふぅぅぅ」
エディ「.........」
先日、試練を一旦止めた日から一日経って迎えた朝。その時の青年は既に、あの日々の姿をして居なかった。
落ち着いている.........と言うべきか、精神的な波を感じさせる事も無く、ただその時の為に意識を集中させている。
ナリブ「.........行けそうだな」
爺や「ええ。これなら.........」
主治医「.........先生」
エディ「ああ、君達の言う通り、突破出来るだろうな.........」
準備が整ったのだろう。吸い込んだ息が盛れでぬよう口をキッと結んだ青年は、流れる様にスイッチを踏んだ。
天井が開き、丸太が空から降って弧を描きながら彼の目の前へと迫って行く。それを取り乱す様子も無く、彼はこの試練で初めて、臆すること無くその両手で止めようとしていた.........
桜木「ッッ!!!よし―――」
―――だが。
「[一つ目]は、クリアだ」
桜木「―――がッ」
三人「―――ッッ!!?」
彼の手によって受け止められた丸太。その静止を持ってして[第二の関門]が作動する。
その丸太が括り付けられた紐の動きが受け止められる事によって発生する振動を感知し、その後ろから叩き付けるようにして[もう一つの丸太]が降り注いでくる。
重量は最初の丸太の倍。つまり[20kg]。これは自転車が全速力でぶつかってくる威力に相応しくなるよう設定されている。同じ要領でやれば受け止められる事はまず無い。
そして結果的に、彼はそれを受け止めきる事が出来ずにその後頭部を地面へとぶつける事になった。
桜木「―――ざ......け――て.........」
主治医「どなたか氷水を袋に入れてきて下さい!!桜木様っ!!吐き気等はございますか!!?」
爺や「私が持ってきます!!」
ナリブ「おいアンタ.........!!幾ら何でも性格が悪すぎるぞ.........ッッ!!!」
エディ「試練というのはそういう物だ。それと安心したまえ。音的に言えば脳震盪も起こしとらん。突然の事で頭が働いて居ないのだろう」
こうなる事を予想し、予めそれ用の用意はしていたが、彼は本能的な何かか、それとも他の要因なのかは分からないが、倒れる瞬間に地面への衝突を緩めていた。
先程の出来事を飲み込む事が出来た青年は執事の男に頭に乗せられた氷水の袋を手に持ちながらゆっくりと起き上がり、私の方を見た。
桜木「テメェ.........ッッ!!!」
エディ「なんだ?ネタバラシをご所望だったか?それは悪かった。聞かれなかったものでね」
桜木「っ、ああそうかよッ、次からはそうしとけクソジジイがッッ!!!」
エディ「分かった。では言おう」
「[丸太]は全部で[三つ]ある」
全員「―――.........」
目に映る顔が怒りや疑念の物から、絶望一色へと塗り替えられる。冷や汗を頬へと流しながら、全員が天井へと戻っていく丸太の方へと目を向けた。
三つ目の丸太。その重量は[40kg]。その衝撃を例えるならば[自動車並]だと言える。並大抵の人間では到底越えられる事の出来ない壁が、そこには存在している。
エディ「受け止める事が条件だ。正面突破も構わんが、頭を使わんと攻略は出来ないだろう」
エディ「では.........見せてもらおうか?[桜木トレーナー]」
「君の、[愛バに対する覚悟]とやらを.........」
桜木「.........クソッ、こんな試練受けてんの。円堂守くらいだぞ.........」
ーーー
ダーレー「.........ふむ」
草原が広がる世界。その世界で俺達三女神は下界の様子が見れる深穴を覗き込み、彼と彼女の様子を見守っていた。
ターク「どうやら一つ目の丸太は完全に攻略したようだな。名優が傍に居るお陰で精神的支えになっている様だ」
ゴド「二つ目もあの子と息を合わせる事が出来たら行けると思うわ.........だけど」
その言葉に続く物を想像し、俺とタークは顔を険しくさせた。
確かにそれならば二つ目も突破する事が出来るだろう。ゴドルフィンバルブ。彼女が名優に授けた[共有]は彼のお陰で目覚め、そして今も尚洗練され続けている。
だがそれでも、今はまだ見ぬ最後の試練を突破出来るかは定かでは無い。かくなる上は.........
ダーレー「少々早い気もするが、これを返す事になるかもしれないね.........」
二人「.........」
胸の内に宿る鼓動。かつて危険だと言って取り上げた彼の力。その在り処に俺達はそっと手を添える。自分達の中にある力とは別に、三つに分けられても尚溶けることなく存在し続ける強い力。それがハッキリと手に伝わってくる。
ゴド「.........ダメよ。確かにこれは強い力だけど、今渡してしまったら本当に彼が彼で無くなってしまうわ」
ダーレー「しかし.........っ!」
ターク「私も同感だ。歯痒いが、今は見守るしかあるまい.........」
二人の意見を受け止め、俺はもう一度穴の底を見る。今も必死になって丸太を止める為、手に傷をつけながら彼は頑張っている。
そんな彼に手を差し伸ばす事も出来ないだなんて、何が三女神だ。俺はそう思いながら、それを押し殺す様に奥歯を噛み締め、その様子をただひたすらに見守り続けた。
ーーー
ルビィ「お疲れ様」
桜木「?あ、ああ.........ありがとう」
試練が始まってかれこれ一ヶ月が経った。最初は焦っては居たが、今は少しずつ掴めてきた成功の輪郭を大事に、一歩一歩進んでいる様な状態だった。
今日は試練を切り上げ、いつもの場所で焚き火に火を起こしていると、あのエディの孫。ルビィと言うウマ娘が食事を持ってきてくれた。
桜木「.........良いのか?」
ルビィ「おじいちゃんには内緒だよ?私のお小遣いで買ったものだから言わなきゃバレないと思う」
桜木「お小遣いで.........?そんな、貰えないよ」
ルビィ「むっ、人からの好意はちゃんと受け取る事!!日本人ってそういう所有るよね!ママの言う通りだわ!!」
半ば無理やり食器を押し付けて俺にそれを渡してくる。慌てて落としそうになりながらもしっかりとそれを持ち、彼女の方を見ると、そこには食べ終わるまでここからどかないぞ。なんて意思が見て取れた。
こんな小さな子に奢られるなんて.........何だか情けなくなりつつも、このままでは平行線。俺はやるせないながらもフォークを持ち、魚をフライした料理を口に運んだ。
ルビィ「.........どう?」
桜木「ん、んまいねこれ。こっちの国来て初めてまともな飯食ったわ」
ルビィ「ほっ、良かった.........」
黙々とその料理を少女に見られながら食べ続ける。普段であればその目が気になる所ではあったが、久方ぶりの調味料で味付けされた物。そんな些細な事を気にする余裕も無かった。
そんな俺の姿を見て、少女はフッと微笑んでから、その口を開いた。
ルビィ「.........ねぇ。お兄さんってトレーナーなの?」
桜木「.........まぁ、ね。じゃなかったらこんな所に来る人なんて早々居ないよ」
ルビィ「そっか。ねぇねぇ、お兄さんが見てる子達ってどんな子なの?やっぱり強い?」
ぐいぐいと質問を被せてくる。だがその言葉の裏に、何か悲しげな。少ないながらもどこか諦めた様なニュアンスが含まれていた気がした。
そんな少女の質問にどう答えた物か.........なんて考えたのは本当に一瞬だけ。口が開いた瞬間には、あの子達の事を赤裸々に話していた。
面白い子が居た。その子は無類の実験好きで、良く俺の事を被検体にしてくる凄い倫理観の持ち主だけど、足の速さだけは一級品。他を寄せ付けない。その身を光にする事すら出来るくらい早い奴の話。
明るい子が居た。その子は底抜けの明るさで、いつもチーム全体を明るく朗らかにしてくれる。速さも強さも無いけれど、持ち前の明るさと根性で良く成長を見せてくれる話。
変わりたい子が居た。その子は最初会った時、草葉の陰でひっそりと泣いていたけれど、気が付けばチームの誰よりも大人びていて、強い上に誰かの為に泣ける子だったと言う話。
凄い子が居た。初めは違う人がトレーナーをしていたけれど、彼女はスプリンター適性が高い中、無敗でクラシック三冠を成し遂げたいと夢を真剣に語ってくれた。今では俺のチームの安心出来る中長距離の逃げウマの話。
変な子が居た。他の子達より時期は大分遅めに入った上に、マネージャーとしてだったけど、俺が挫けた時、俺を立ち直らせる為に走ってくれると言ってくれた。ダートもターフも走ってくれるから併走の時とっても助かったし、デビューはまだだけど経験は十分に積めているウマ娘の話。
.........そして
大切な子が居た。俺がトレーナーとして、一人の人間として支えたいと思ってずっと一緒に歩いてきた。その子はとても強くて、なのにその強さだけが中心になって居ない。その子の姿をいつまでも見たくて.........その子の[次]を、未だに見たくて.........俺は今、ここに居ると言う話。
気が付けば、延々と話してしまっていた。そんなつもりは一切無く、ただ本当に軽く話して終わりにするつもりだったのに、俺はそれを話してしまった。
桜木「.........みんな、良い子だよ」
桜木「本当.........っ、良い子、達っ......でさ.........っ?」
ルビィ「.........お兄さん」
話してしまった。それをすればどうなるかだなんて、分かり切っていた事なのに、俺は彼女達の姿を思い出し、そしてある日の情景を思い出してしまっていた。
次、あの日に立ち会えるのはいつになるだろう?俺は、俺達はあの日にまた、戻れるのだろうか?
あの日失った日常。それを取り戻す為に未来にまで行き、神様に啖呵を切って、向う見ずでここまで来た。もしここで何も出来ずに終わってしまったら、それこそ全てが水の泡になってしまう。水泡、泡に帰すなんて騒ぎじゃない。
桜木「ズズ.........ごめんね?こんな辛気臭い話しちゃってさ」
ルビィ「ううん。大丈夫だよ。そういうの、慣れてるから.........えへへ」
そう言って彼女は俺に笑いかけてくれた。けれどその裏側にはやはり、悲しみが隠れている。きっと彼女も、何かしらの事情があるのだろう。思えばここに来て一度もこの少女が走った姿を見ていない。
それを聞こうか聞くまいか悩んでいると、そんな俺の様子を察したのか、彼女は分かり易すぎると笑ってから、静かに口を開いた。
ルビィ「.........私。[繋靭帯炎]になりやすいんだって」
桜木「え.........!!?」
ルビィ「あっ、今は何ともないよ?普通に走ってる内は大丈夫なの」
ルビィ「.........でも、早くなる為にトレーニングしたり、長い間硬い芝の上で走る事があると、なっちゃうんだって.........おじいちゃんが言ってた」
空を見上げ、足を投げ出しながらその少女は言う。しかし、その脚と今までの歩き方を見て、そうと思わせる節は何処にも感じられなかった。
だがそれは恐らく、エディが医者としてデータを集めた結果から言える事なのだろう。俺も身体の動かし方に関する知識はあるが、医学に精通はして居ない。俺の至らない細部まであの男は見分ける事が出来るのだろう。
ルビィ「.........私も本当は、走りたいんだ」
ルビィ「.........ねぇ、私もいつか、強くなる為にトレーニングしたり、長く速く、走れるかな」
桜木「.........それは」
分からない。その一言を言えば、全てが解決する。実際問題これは俺が踏み込める問題じゃないし、現時点ではそれを何とかするためにここに来ている。答えはまだ受け取っていない。
そんな状態で肯定も否定も出来ないはずなのに、それをしてしまえば嘘になってしまうんじゃないかと思った。ここに居る自分を、見失ってしまうんじゃないか。そう思ってしまった。
桜木「.........[起きない奇跡]を待ち望む時間より、[奇跡を超える]為の時間の方が有意義だぞ」
ルビィ「.........え?」
桜木「人生[山あり谷あり]。上り坂かと思いきや断崖絶壁の崖だったり、緩い下り坂だと思いきや90度の壁もある。そんな一生だ」
桜木「だったらそこで手をこまねいて居たり後戻りをして今までを無駄にするくらいなら、それを[超える]くらいの覚悟を持った方が時間は短くていいぜ?」
今まで、まだ人間の生を全て語る程の時を生きている訳では無い中で、俺は言葉を紡いだ。先に何が起こるかなんて分からない。レースもそうだが、俺の人生はそれ以上に困難だらけだ。
それを言葉にして、目の前の少女.........そして、俺に言い聞かせる。そうだ。手をこまねいている暇は無い。そうしていればそうしている分だけ、時間だけが過ぎていって、心の火が比例する様に鎮火されて行く。
ルビィ「.........うん。そうだね。お兄さんの言う通りかも」
ルビィ「私!ちょっと走ってみるね!あっ!本当にちょっとだけだよ?」
桜木「え?あ、あぁ.........行ってらっしゃい」
ルビィ「何言ってるのさ!お兄さんちゃんと見ててよ!トレーナーなんでしょ?」
そう言って彼女は俺の手を無理やり掴んで立ち上がらせた。その強引さが、あの日の日常の誰かに重なり合って、懐かしくなる。
その日の夜は、ランニングの感覚で軽く流すルビィの走りを見て、久方振りに何の緊張も無く、ウマ娘の走りを見ていた。
ーーー
この試練が始まって一ヶ月が経った。日本を立った日から数えれば、[一ヶ月半]になる。
二つ目の丸太の手応えは十分になった。余力も残しながら受け止められるくらいの力量は付けられたはずだ。
エディ「.........随分余裕そうだな?青年よ」
桜木「ああ、足踏みしちまったが、次でこの段階は終わりだ。きっと[明日]にはクリアしちまうぜ?」
エディ「ふ、そう上手く行くとは思わんがな」
地面のスイッチを視認し、丸太が現れる場所に目線を合わせてからその目を瞑る。頭の中で必要な力加減を導き出し、なるべく最小限の出力で二つ目までを受け止める算段を作る。
だけど、明日[クリア出来る]と言う確証はそこでは無い。そこでは無い何処かで、俺は明日、これを乗り越える事が出来る予感がある。
桜木(.........だと、したら)
桜木(俺は.........[どうなっちまうんだろう]なぁ.........?)
トラウマを克服する。生半可な思いで出来るものじゃない。あの日失われた物を全て今、この手に取り戻すというのは容易じゃない。
けれどもし、[取り戻せたら]?
もしあの日[死んだ俺]が、帰ってきたら?
俺は.........どうなってしまうんだろうか.........?
予感がある。それは、これを乗り越えようとした時、あの日死んでしまった者が復活する。そんな予感。
向う見ずで楽観的な癖に、前向きでありながら起こる可能性を全て把握する。そしてその結末が幼いウマ娘をトラック衝突の危機から救い出し、死んでいく物語だった。
正に理想の存在。俺にとってのヒーロー。そして.........[誰もが求める桜木 玲皇]そのもの。俺が付けていた[仮面]のモデル.........
桜木(.........まぁ、いっか)
桜木([あの子]が助かるなら.........それで)
エディ(.........何かを[諦めた]な)
―――青年の顔つきが変わった。その顔は、幾度として見てきたものだからよく分かる。自分が何度もした物だから、痛い程、手に取るように分かる。
夜の森は静かだ。鳥のさえずりも無く、生き物達の息も聞こえない。そんな中でその森を静かに見渡し始めていた。
エディ(.........君が[走れなくなって]、私はトレーナーを辞めた)
『エディ。私ね?夢があるの』
『トレセン学園って夏合宿があるでしょ?私、世界に一つだけの合宿所を作りたいわ』
記憶の中の君はいつも笑顔で、明るくて、辛さや現実とはかけ離れた存在だった。私にとって、理想そのものの姿だった。
彼女を見たのは、入学当初の選抜レース。その時彼女は、他の子に大差を付けて一着になった。その姿を見て、誰もが才能だ。神から授かった物だともてはやし、そして自分と契約して欲しいと挙っていた。
だが、私はそうでは無かった。アレは緻密に計算し、それを鍛錬で作りあげたものだと、初めて見た時から分かっていた。
その走りがまるで自分で作り上げた物では無いと言う輩に対し、彼女は疲弊していたが、私が自分の思いの丈をぶつけると、酷く嬉しそうにしてくれた。
デビューまでの時間は、あっという間で、そして人生で一番濃い時間だった。
あのレースに出よう。三冠も狙えるんじゃないか?いつまで走る?もしかしたら一生現役かもしれないと.........彼女は笑ってそう言っていた。
.........だが
『今、なん......と.........?』
『彼女はこれ以上走れません。トレーニングも辞めなければ、日常生活も危ういでしょう』
皮肉な物だ。誰よりも強くなりたい。早くなりたい一心で自己鍛錬を積んでいた彼女が、それが原因でその強さを証明すること無く、デビューすらすること無く、その選手生命に終わりを迎えた。
誹謗中傷。根も葉もない噂。根拠の無い結果論。多くのトレーナーから言われた物だが、一番堪えたのは.........彼女の走りがもう、見る事が出来ないという事だった。
エディ(.........人生は諦めの連続だ)
エディ(それで人は前を歩ける。前へと進める)
エディ([アレ]を肯定する事は.........私の人生を[否定]する事になる)
諦めた物に目は向けない。それが私が生きていく上で大切な事だと知った事だ。そうしなければ一生、有り得もしない妄想に取り憑かれることになる。[アレ]を知り、信じる事はその生き方を否定する事になる。
エディ(.........それでも)
エディ(それでも尚、[奇跡]を望むのか.........青年よ)
桜木「.........よし」
―――覚悟を決めた。この先、何が起ころうとも、彼女が助かるのならそれでいい。胸騒ぎの酷さを見て見ぬふりし、俺はスイッチの場所に踵を浮かせる。
桜木(.........頼んだ)
『分かってるわよ。ちゃんと[動き]、合わせなさいよ?』
肩に手を置かれ、準備が整う。彼女のイメージが俺の頭の中へと流れ込み、それをしっかりと自分の身体に落とし込みながら意識を集中させる。
そしてそれが整った瞬間。俺は足の力を抜いてスイッチに踵を降ろした。
桜木「っ―――!!!」
一つ目の丸太が目の前に迫る。もう怖気付く事などは無い。両手を前に突き出してそれを何ともない感情で受け止める。問題は二つ目だ。ここは彼女と息を合わせなければ、止める事は出来ない。
『来るわよっ!!私のイメージと同じ様に力を入れてっ!!!』
桜木「分かってるってぇ.........のッッ!!!」
右脚を前にし、左脚の間の距離丁度に重心を置く。受け止める瞬間。その衝撃に耐えながらも足をひねらせて足裏で地面を抉る。
つまり、押し出す力と留まる力で二つ目の丸太が生み出す衝撃を相殺しようという話だ。完全に実践するのは初めてだったが、今までの期間はこの動きを身体に慣らす為の物だ。大きな違和感や不安は一切無い。
後は.........
桜木(次を.........三つ目を乗り越えてしまえば―――)
―――人間には、[予知能力]が備わっていると言う。
それは超能力的な物では無く、本能的な直感で次に来る危機的状況を、感覚で把握する事が出来る。
二つ目を受け止めた桜木は、その三つ目の丸太がぶつかる瞬間。それを本能で察した。そしてそれがまたもや、自分の[トラウマ]を呼び起こした。
大型車から聞こえる金切り音。轟音けたたましく耳に響いてくるその幻聴。桜木の試練はそれのせいで多くの月日を費やす事になった。
だが、今回は違った。
逃げなかった。
いや、敢えて逃げなかった。
桜木は[もう一度死ぬ事にした]のだ。
痛みを思い出し、苦しみで額を湿らせ、悲しみで瞳を濡らしながらも、それ以上に[大切な者]の為に、桜木は自分の事を[諦めた]。
桜木「―――.........ぁぐ」
―――痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
三つ目の丸太がぶつかる瞬間。嫌な予感がした。これを止める事は出来ないと。けれどここで逃げれば、[明日でクリア]する事は出来ないとも察した。
その衝撃全てを胸に受ける。呼吸が上手く行かない。二秒間宙に舞った後、重力によって背中から落とされ、慣性によって身体を転がせながらうつ伏せになった。
『――と―――な―――い』
声が聞こえない。耳鳴りがする。死の感覚が肌に触れる。そういえば、こんな終わり方をした気がする。痛みでどうにかなっている頭の中でぼんやりとその日を振り返る。
あぁ.........まただ.........また[背中]が見える.........俺の[背中]だ.........
結局.........俺は[桜木 玲皇]には成りきれなかった.........役者を諦めた俺じゃ.........何かになろうだなんて.........無理な話だったんだ.........
桜木(情けないや.........結局俺は.........抜け殻だったんだ.........)
桜木(.........でも、これでいいのかもなぁ.........)
桜木(次に起きた時には.........きっと皆が求める[桜木 玲皇]に―――)
『ちょっと!!しっかりしなさい!!!』
―――突然の事に動揺して、私は彼が吹っ飛ばされるのをただ見ている事しか出来なかった。意識を込めればこの身体は見えないまでも、実体に干渉できる力を持っている。けれど、それすら出来なかった。
普段の彼なら危ない時、必ず防御をしたり、避けようとするから身体への被害やダメージはある程度抑えることが出来る。だけど今回、まるで諦めた様にその衝撃全てを一身に受け止めた。
(っ!ふざけないでよ.........!!!何が[桜木 玲皇]よ.........ッッ!!!)
彼の手に触れた瞬間。その思考が流れ込んでくる。自分は抜け殻だと。中身の無い存在だと言って、かつての自分を求めている。
その考えが.........気に食わない。皆必死に今を生きている。過去がどうだとか未来がどうなるとか、そんなの考えて生きている人間や生物は少数だ。
その考え方に歯を食い縛らせ、強く手を握る。それでも彼からは一切握り返す事はしてくれない。その事実が余計、私の心を酷くざわつかせる。
『誰もそんなの[求めてない].........!!!皆が求めてるのは.........[アンタ]の帰りなのよ.........!!?』
『アンタにとってその過去がどんなに綺麗でッッ!!!輝いて見えていたとしてもッッ!!!皆が知ってるアンタはアンタしか居ないのよッッ!!!』
『どうして.........!!!皆の顔を真っ直ぐ見てくれないの.........?』
あの時の自分だったら。あの時のままだったら。それだけがグルグルと彼の中でループしている。そんなの、本当に有り得もしない妄想でしかない。あの時のままだったら絶対、彼は彼女達と顔を合わせる事すら無かったのに、ただひたすらにそれだけを想像している.........
悔しかった。苦しかった。悲しかった。彼はまだ今の自分を好んでない。そしてそうでは無いと伝える事が、私達にはまだ出来ていなかった。それは今この状況になっても.........同じ事だった。
『もう.........誰でもいい.........』
『誰でもいいから.........!!![助けて]よ.........!!!』
握った手の上に雫が落ちて行く。けれどそれは私の手に落ちることはなく、力無く握られている彼の手に落ちて行った。
.........けれど、もうダメなのかもしれない。
今の[私]は、彼女と彼の[想い]だけで、この場に存在を固定させている。
もし、彼が[消えてしまったら].........今の私も、消えてしまう.........
彼の目が微睡み、ゆっくりとその生気の無い目を閉じて行く。それに釣られて、私の身体も薄く、淡い光に包まれて行く。
(あぁ.........消えてしまう.........)
(ねぇ.........誰か、お願い.........)
(この人を.........どうか、助けて.........)
エディ「.........直撃したか」
―――威力を見誤ったのか、青年はその衝撃を殺す事無く受けてしまった。骨が折れた音は聞こえなかったが、相当のダメージを負っている事は確かだ。走マ灯を見るくらいの事にはなっているに違いない。
若さとは、残酷な物だ。自分の無力さを誤魔化し、勢いを付けさせてしまう。圧倒的な力の差には到底勝つ事など出来ないと言うのに、勝てるかもしれないと勘違いすら起こしてしまう。
私は溜息を吐きながら、準備をしていた応急キットを手に持ち、彼を手当する準備を始めた。
エディ「.........[人間]には無理だ」
エディ「それでも.........[奇跡]を望むか?青年よ.........?」
小さく呟いた。誰にも聞かれない独り言だ。だがそれを呟いた時、一瞬だが森がざわついた。もうそんな時間帯では無い。野生の生物達は寝静まり、夜行性の者達はそれを起こさないよう狩りをする筈だ。
そんな中、私の目の前を[青く白い光]が横切った。虫と言うには小さく、そして幻覚と言うには余りに多く、そして強く光っている。
何が起こっているのかと想い、辺りを見渡した瞬間。その原因が分かった。
エディ「な―――」
それは[炎]だった。
倒れた青年を覆う、[蒼い炎]。人間にとっては最早劣化していると言っても過言では無い本能。私のそれを刺激してきている。
だがそれはやがて、[紅く染まった]。
何が起きている?何が彼の中で[始まろうとしている]?箱から取り出した応急手当の道具を地面に落とし、私は彼に近付いた。
エディ(―――なんだ、これは.........?)
倒れ伏した彼に近付くと、直ぐに違和感を感じた。それは彼の手の上には無いはずの物がある。という事だ。
私は不思議に思いながらも、見間違いかどうかを確かめるべく、その手の上で存在を示している物を見定めた。
そしてそれは、紛れも無く―――
―――彼が首から下げている筈の、[王冠のアクセサリー]であった.........
ーーー
鈴の音が耳に入ってくる。まるで心を浄化する様な神聖さで、規則的な間隔を持って聞こえて来る。
その音を何度か聞いて、目に見える情報を頭が処理し始めた。ここはどこだろう?
辺りは真っ暗で息苦しいけど、何だか心地良さもある。自分は何だかここから動けない。一歩も踏み出せない。
目の前には大きな[桜の木]が立っている。あそこに行きたい。あそこに行ったら、きっと楽しい気持ちになれる。
それでも、この足は一向に歩いてくれない。地面に縛り付けられているのだろうか?こんなにもあの[桜]に恋焦がれているのに.........
結局、自分はそこには行けない。目指した場所に行こうとしても、こうして動けないんだ。そう思うと酷くやるせなくなって、もう、何もかもを見たくなくなって.........自分の目を閉じた.........
「[ヒーロー]ってのは遅れて登場するもんだ」
「けどよ。[ヒーロー]はいつだって全速力で駆け付けるもんなんだぜ?」
鈴の音が鳴った。痛いくらいに強く、耳元で鳴り響いた。
余りの響きに目を見開いた。目の前には人が立っている。さっきまではそこに居なかったのに。
「よう」
いつも通りの抑揚で、いつも通りの表情で、聞き慣れたその声が聞こえて来た.........
......To be continued