山あり谷ありウマ娘 〜気付いたら脱サラしてトレーナーになった話〜 作:ギノっち@カマタラル
桜木「.........」
スズカ「.........」
時計の針が鳴り響く。刻一刻と時は進んでいると言うのに、未だ俺達は取り残されている気がしてならない。
場所はトレセン学園の増設病室。名医黒津木宗也。俺の親友の手腕を遺憾無く発揮する事ができるよう理事長が(無理して)建てた物だ。勿論たづなさんにはこっぴどく叱られていた。
そんな廊下で、俺達チーム[レグルス]。そして[スピカ]。果てには親友達とメジロの皆や俺の不在中俺の代わりをしてくれたシリウス達まで手術室の目の前の椅子に並んで座っている。
そんな中、俺とスズカは落ち着ける訳もなく、ウロウロと歩いて居るのだった。
桜木「心配だ.........もしも、もしもの事があったら.........」ブツブツ
スズカ「どうしましょう.........走りに行きたいわ.........でもそうしてる間に手術が終わったら.........」ブツブツ
「.........うお(ひゃ)!!?」
「ご、ごめん(なさい).........」
「.........あだ(ひん)!!?」
「ご、ごめん(なさい)!」
手術室の目の前を右から左、左から右へと行き来する俺。片や延々とグルグル左回りをし続けるスズカ。考え事に夢中になっている中、避け続ける筈もなく何度も何度もぶつかり、しまいには.........
「あぁぁ!!!もうッッ!!!」
「!!?」
ぐい。と袖を掴まれて引っ張られる。その方向を見ると、俺の方はテイオー。スズカの方は沖野さんが手を伸ばし、その隣に無理やり座らせて来た。
それでようやく先程までの事を思い出し、俺達は恥ずかしさのあまり顔を両手で覆った。
沖野「あのなぁ?心配なのは分かるが、こう言うのは信じて待つしかないんだよ。歯痒いかもしれないけど」
テイオー「もう!サブトレーナーもスズカも心配し過ぎだよ!ボクの時はもっと堂々としてたじゃん!!」
二人「ご、ごめんなさい.........」
悪い事をして叱られる子供のように、俺達は謝る。叱ってきた二人以外の溜め息が聞こえて来て、俺達はもっと恥ずかしくなった。
ルビィ「だ、大丈夫だよ!私の方は成功したんだから!メジロマックイーンさんの方も成功するよ!」
ジミー「そうだともマイブラザー!!強く信じれば奇跡は起こる!!」
パール「人が増えればそれすら超えられる。貴方はいつだってそう言ってきたじゃない。違う?」
心配で埋め尽くされている俺に気を使って、ルビィ達一家は俺を励ましてくれる。その言葉を聞いた俺は、ルビィの右足に巻かれた包帯に目を移した。
先程、ルビィが言った言葉。この手術は実は、先に彼女に施され、そして無事成功している。
黒津木曰く、発症段階は初期の初期。表だって現れていた訳では無い為、未来から送られたアイツの残した医学書に書かれていた物より幾分かは簡単な施術だったらしいが、流石に一日で二回もやれる程の手軽さは無く、後日の今日、改めてマックイーンに施術しているという事だ。
それでも、不安が無い訳じゃない。ルビィとは違い、マックイーンの足は既に[繋靱帯炎]の症状が強く出てしまっている。普通の治療でも完全には痛みが取れない。という程に.........
爺や「お嬢様.........何も出来ない私めをどうかお許し下さい.........」
ライアン「大丈夫だよ!爺や!桜木さんも!」
パーマー「そうそうっ、黒津木先生に安心沢先生。おまけにウチの主治医も居るんだから」
ドーベル「それに、あのエディって人、凄いんでしょ?私も、その。人体に興味があって本も買ってたけど、何冊かはあの人の物だし」
ブライト「ドーベル?なぜ恥ずかしがってるのでしょう〜?」
別に恥ずかしがってない。どこか慌てた様子でブライトの言葉を否定し、ドーベルはそっぽを向いた。その様子を見て、メジロの皆はクスクスと笑う。
アルダン「桜木トレーナーさん。もし手術の成功を信じられないのなら、代わりのものを信じませんか?」
桜木「代わりの、物.........?」
アルダン「何でもいいんです。例えば、これからこの子達と過ごす未来。貴方が願い望む未来。そして.........あの子が運命を、乗り越える未来」
アルダン「手術の成功は全部信じられないかもしれませんが、それなら信じられますよね?」
.........確かに、それなら信じられる。0か1かの結果なんかより、無限に広がる可能性の一つなら.........信じる事が出来る。おかしな話だ。こっちの方が確率的には低いのに、1/2よりかは信じられるなんて.........
シャカ「まァ、二つの選択肢より、四択の方が安心するって奴も中には居るしな」
オペ「おー!!シャカールくんはもしや既に次の定期テストの話をしているのかい!!?うむ!!流石はボクを補佐する軍師だ!!」
シリウス「.........おい。否定しねぇとマジで巻き込まれんぞ」
最初こそ気怠そうな口調で答えてくれていたが、オペラオーの最後の言葉にその瞳から光は失せ、どこか遠くへ見つめ始めていた。シリウスが助言をしてくれていたが、もう当の本人は諦めているのだろう。あの様子を見るに何度も否定をしたが聞く耳を持たれなかったようだ。
そんな彼女等のやり取りに苦笑いをしていると、不意に自分の中の不安が小さくなっている事に気が付いた。やっぱり、ここは相当居心地が良い。
そんな事を思い微笑むと、俺の肩を誰かがつついてくる。その方向を見ると、静かに微笑むタキオンがそこに居た。
タキオン「どうやら調子は戻ったようだね?トレーナーくん?」
桜木「うん、心配かけてごめんね。タキオン」
タキオン「別に構わないさ。君も私達と何ら変わらない、普通の感性を持った人間だからね」
そう言って、彼女はその視線を手術室へと戻した。俺もそれに釣られてその方向を見る。
本当に不思議だ。さっきまで吐きそうなくらいで、まともに見ることなんて出来やしなかったのに、今では普通に見る事が出来る。仲間の存在は偉大なのだと、やはり思い知らされる.........
ダスカ「お願いします神様.........!」
ウオッカ「俺のバイク貯金全部やるからマックイーンの足を治してやってくれ.........!」
ゴルシ「.........オメーら本当は仲良いだろ」
スペ「うぅ、心配し過ぎて何だかお腹の調子が変です.........」
フェスタ「は?さっき炊飯器三台分食っただろ?」
オルフェ「フェスタちゃんフェスタちゃん。多分お腹が痛いって事だと思うっス」
ウララ「ねぇライスちゃん。病院だから応援はダメなんだよね.........?」
ライス「そ、そうだよウララちゃん.........静かに、ね?」
ブルボン「.........頑張って下さい、マックイーンさん」
皆が祈りを捧げながら、ただその時を待つ。俺ももう慌てたり、騒いだり、うろちょろしたりせずに、その時を待っていた。
ただひたすらに手術室の扉を見つめ、その奥に居る彼等。そして彼女に、願いを込めていた。
そして.........
東「っ、点灯が消えたぞ.........!」
手術の最中である事を知らせるランプが消える。それを東さんの言葉で知った俺達は声を出せずに、ただ息を呑んだ。
時計の針は動かない。世界はここで止まった。シュレディンガーの猫がどうなっているのかなんて、誰も知らない。
だけど、蓋は開けなければ行けない。仮想実験は終わりを告げて、俺の夢の生死を判断する時が来てしまった。俺にはその猫がどうなっているのか.........その目で確かめる義務がある。
ゆっくりと立ち上がり、俺はその扉の前へ立つ。その手を躊躇しつつも、ドアノブの方へ手を伸ばしたが、それが届き切る前に、扉は奥側の誰かの手によって開かれた。
黒津木「.........」
神威「宗也.........」
白銀「.........どうだった?」
一人立ち尽くす黒津木。顔はあげず、ただその出来た影を俺達に見せる。声に反応を示しているのかも、定かでは無い。
その様子に全員が不安を煽られ、顔に汗を流し始める。誰も何も言えない中、タキオンが口を開きながら立ち上がったが、その言葉を発する前に黒津木が片手を上げ、親指で部屋の中を示した。
黒津木「お前らで判断してくれ。俺は疲れた。寝る」
デジ「っ、マックイーンさん!!」
黒津木の許可を得て、最初に動いたのはデジタルだった。そしてそれを皮切りに、全員が部屋の中に入ろうとして逆に堰き止められる状態に陥る。
俺も早く、早くあの子に会わないと.........その思いでその流れの中を行こうとすると、病院のベンチをベッド代わりにして眠りにつこうとした黒津木が口を開いた。
黒津木「一つ言って置く」
全員「.........?」
黒津木「世の中には、大門未知子先生も居ねーし、ブラックジャック先生も居やしねぇ。スーパードクターKなんざ以ての外だ」
黒津木「.........けどな」
「この俺が居る。それだけで十分だろうがよ」
.........その静かな一言で、俺達の不安は一切合切消え失せた。さっきまでの慌てぶりなんか無かったように、一人。また一人とその手術室の中へと入って行く。
エディ「.........一般人を招き入れるとは、あの男は本当に医者か?」
主治医「今回ばかりは.........先生に同意致します」
安心沢「そうね.........けど、彼が居なかったらルビィちゃんも。マックイーンちゃんも.........助かる事はなかったわ」
桜木「っ、それ.........て―――」
疲労困憊。もうこの場から動く程の体力など残って居ないと言う様に、三人はその場に似つかわしくない仮設式の椅子の上に座り、項垂れていた。
だが、その様子とは裏腹に、表情はどこかやりきった物を感じ、そしてその言葉を聞いた俺は静かに、ベッドの上に居るマックイーンの方を見た.........
「スゥ.........スゥ.........」
桜木「.........マックイーン」
寝息を静かにたて、穏やかな表情のまま眠っている。その姿を見て、 何故かは分からない。本当に何でそう思ったのか分からない.........
けれど俺はその時.........
ようやく、[夢から覚めた]のだと、実感する事が出来た.........
[???]のヒントLvが1上がった
[夢追い人]の進化条件を達成した
ーーー
あの日。俺達は彼女を救う為に旅立った。案外道のりは平坦で、目的は一つ。迷う事も複雑な事も何一つ無い。そう思っていた。
けれど蓋を開けてみれば、気が付けば昔結んだ縁を一生擦られて、やれクレセントダイヤがエディの妻だっただの、ルビィちゃんがパールさんとジミーの子供で実は[繋靭帯炎]を患う可能性があった。しかも試練にはもう挑戦して手術式は獲得。しかしエディの腕でもどうしようも無い程難解なため、元々警察官であったが医者探しの為に世界を飛び回れるICPOへと入った.........
全く、どこのとんでも超展開だ。今どきの奴らは大人含めてわかり易い物語を求めてんだよ.........
なーんて、俺の声が神様に通じたのか、あの後からびっくりするほど日常。まさにコーヒーブレイクの昼下がりって位には落ち着いた日々を過ごしている。
マック「.........あら?また爺やから」
タキオン「相変わらず心配性だね」
ブルボン「仕方ありません。未来の技術とは言っても、[繋靭帯炎]が現代で治る確率は、1.98%程です」
昼休みのチームルーム。それぞれが思い思いに過ごすこの部屋の空気は正に、日常そのものだった。
マックイーンとタキオンが紅茶を嗜み、ウララは今年の夏の為に昆虫図鑑を眺め、ライスは絵本を読み、ブルボンはプラモデルを組み立てる。
ウララ「あっ!!トレーナー!!デジタルちゃんは??」
ライス「そう言えば.........最近、お昼休みにここで会わないかも.........」
桜木「ああ、何でも芝とダートどっちでも走れるから、並走に引っ張りだこなんだってさ。困っちゃうよなー。デジタルもデビューするってぇのに」
はぁ、っと溜め息をつく。何ともまぁ平和な困り事だ。平和過ぎて困ってるのか困っていないのか逆に分からなくなってくる。
.........本当、生活にはメリハリが必要だとよく言われるが、こんなに付きすぎると逆に現実味が無くてふわふわしてくる。帰ってこようとした時はもっと感動するかと思っていたが、飯を食って寝たら日常に戻っていた。
タキオン「.........では、私はそろそろ失礼するよ。勉強が忙しくてねぇ」
桜木「あら珍しい。今そんな難しいことやってんの?」
マック「最近、トレセン学園に大学部が設立される様になるんです。授業態度は兎も角、成績トップの方々がどれほど勉強出来るのかの試験をやっていまして.........」
桜木「ほげぇ〜、すんげぇね〜。このままじゃ小学.........いや、幼稚園とか保育園とかまで出来ちゃうかもな〜」
タキオン「まぁ強ち、あの理事長の手に掛かってしまえばそれも時間の問題だろうねぇ」
クツクツと笑いながらも、彼女は俺達に背中を向けて面倒そうに溜め息を吐いた。あのタキオンが勉強.........正直実験している姿は思い浮かべど、教科書やら参考書やらとにらめっこしてワーク本に穴埋めしている姿なんて想像できやしない。
桜木「大学か〜、行った事ねぇや」
マック「ではトレーナーさんも大学部に入りませんこと?」
桜木「いやいや、トレセン学園なんて女子校みたいなもんだし、俺は無理っしょ。できるって言われても行かんしね〜」
今日のトレーニングの予定をデスクで建てていた俺は、ペンをクルクルとさせながらマックイーンにそう言った。復習も苦手だし、予習も嫌い。俺ってば他人ありきじゃなきゃ勉強出来ないのよね。
まぁそんな事はさておき、俺は組み立てたトレーニング予定を皆に配る。タキオンにも後で渡しとかないとなぁ.........
そんな事を考えて紙を差し出しているが、最後の一人が中々取らない。どうしたのかと思いその顔を伺うと、少し驚いている彼女がそこに居た。
マック「あの.........これは?」
桜木「トレーニングの予定。今日のだよ?」
マック「そ、そういう事ではなくて、走って良いんですの.........?」
彼女はその瞳の奥に嬉しさを隠しながら、俺を見上げてそう言った。俺は彼女のその感情に気付き、彼女の[足元]に視線を移した。
もう、彼女は車椅子に乗ってはいない。
その足で、自分の足で前へと歩ける。
だから、もう大丈夫。もう走れる。
そんな思いもあった。
桜木「.........一週間。アレから経ったろう?」
桜木「何も問題ないなら大丈夫。君はもう、自分で走れる」
自分で作りあげたメニューに再度目を通し、不備は無いことを確認した。これなら、なまった身体でもこなす事が出来る。
そしてまた、その紙を差し出す。怖気付くのならそれでも良い。彼女の心がまだ、走る準備が出来ていないだけの話だ。準備が終わるまで、待つだけだ。
瞳を揺らし、困惑しながら俺の目を見つめるマックイーン。この先、何が待っているのかは誰にも分からない。
[未来]なんて無い。
代わりに、[過去]も宛にならない。
[現在]だけが、俺達が生きる場所だ。
暫しの揺らぎの後、彼女は心を決めて手を伸ばした。俺の持つプリントを優しく掴み、引っ張って行く。俺の手からスルスルとそれは離れて行き、やがて彼女はそれを注意深く読み始めた。
.........もう大丈夫だ。
けれど、俺の[
確かに車椅子を押す事は無くなった。
それでも俺は.........
俺は、キミと[ㅤㅤㅤㅤ]―――
ーーー
マック「っはぁ、はぁ.........やはり体力が随分落ちていますわ.........」
彼からトレーニングメニューを貰った放課後、ミーティングを終えた後の私は直ぐに準備をしてグラウンドへと向かいました。
彼から課せられたのはまず、現状の自身の身体を把握する事。分かっていたことではありますが、やはり発症する前とでは比べられない程に、肉体はなまってしまっています。
.........分かっていたことです。ここでショックを真正面で受け止めてもなんの身にもなりません。そう思い、私は置いていたバッグの中からタオルとスポーツ飲料を取り出そうと振り向きました。
マック「?.........トレーナーさん」
桜木「あ、はは、どう?調子は」
プールのある方からやって来たのは、後で見に来ると先程ミーティングで言っていた彼ですが、アレから十分も経って居ません。
不思議に思い、何があったのかと見ていると、彼は恥ずかしそうに口を開きました。
桜木「その、あの子らがさ?マックイーンと一緒に居とけ.........って」
マック「え?」
桜木「いや!流石の俺も君達をほっとけ無いって反論したんだけどさ!」
桜木「.........タキオンが、結構頑固でさ」
困ったように笑っていながらも、その表情はどこか嬉しげな物も感じ取れました。それに釣られて、私もつい気を緩めてしまいます。
彼はその時の事を詳細に語りました。何でもプールに入って顔を見せた瞬間、チームの全員が驚いた表情を見せ、その中でいの一番にタキオンさんが怒りを顕にしたようで.........
「キミは一体何をしているんだい!!?」
「え?いや、トレーニングを.........」
「ただのスタミナトレーニングだろう!!?私達にキミは必要無い!!!早く彼女の元に行きたまえッッ!!!このおたんこニンジンッッ!!!」
.........と、凄い剣幕で迫られ、助け舟を求めようとした所、他の方も怒った様な表情を見せ、最終的にはデジタルさんから私が復帰するまでは見なくていいとまで言われたらしく.........
マック「.........その、言い難いことではありますが.........」
桜木「[レグルス]って感じがする?」
マック「ふふ、ええ.........」
普通であれば、トレーナーは要らないと言われて喜ぶと言うのも変な話です。けれど彼女達は、自分達で考え、そしてお互いの事を見る事が出来ます。
[一人]では出来ない。培われない物。強くなるという部分から遠回りしているかもしれません.........ですが.........
桜木「.........本当、変な子達だよ」
マック「まともなのは私だけでしょうね」
桜木「あはは、君もちゃんと含まれてるよ」
私が呆れた態度でそう言うと、彼は笑ってそれを否定しました。最初こそそれにムスッとした表情で返しましたが、結局。笑ってしまいました。
桜木「さっ、という訳でマックイーン。久々.........と言うより、初めての二人だけのトレーニングだな」
マック「!そうなりますわね、契約を結んでからは直ぐチームでしたから.........」
桜木「.........こんな事言うのも悪いんだけどさ」
マック「楽しみですか?」
桜木「.........うん」
私の言葉を聞き、彼は先程の笑顔とは違う微笑むような笑みで頷きました。それが心の底からの物だと直ぐに分かり、私の胸も暖かくなりました。
風が吹くグラウンドの上。ターフは緑の海の様に波を作り、私の髪と彼のコートの裾をなびかせます。
春一番。[桜]の予感を感じさせる風。そんな優しい風に包まれながら、私達はまた、二人で歩き出しました.........
ーーー
マック「ふぅ.........」
桜木「.........凄いな」
マック「え?」
時は夕暮れ。トレセン学園の最後のチャイムが鳴り響き始めます。
一通りのトレーニングを終え、私は一息つきました。すると途中から真剣に見始めていたトレーナーさんが口を開きました。
しかし、先程のトレーニングメニューは完全にリハビリ程度のもの。その上それに疲れを感じている状態.........どこにもそう言われる要素は無いと思っていました。
ですが.........
桜木「マックイーン」
マック「!はい.........?それは.........」
名前を呼ばれ、思考の渦の中から引き上げられるように返事を返しながら顔を上げると、彼はポケットの中に手を入れ、ある物を取り出しました。それは.........
マック「ストップウォッチ.........?」
桜木「うん。疲れてるところ悪いんだけどさ.........」
「久しぶりに計らない?3200m」
マック「―――.........」
3200m。それは、私にとっての特別であり、かつての夢であり、そして始まりの数字でした。それが無かったら、それが夢でなかったなら、きっと今の私はここに居なかったでしょう。
怪我からの病み上がり。普通だったら受けては行けないその誘い。けれど私はその誘いを断る事が出来ず.........いえ、断ることをせず、手に持ったドリンクとタオルを彼に持たせ、スタートラインに立ちました。
桜木「俺が合図送るから!聞こえたらスタートしてくれー!」
マック(.........普通だったら、不治の病が折角治ったのに、こんな長距離を走れる訳ないのでしょう)
マック(ですが、これが私の、私と彼の始まりの距離.........)
マック(そして.........またここから.........!!!)
右脚を引き、身体の姿勢を軽く前へ倒した後、私はコースの先を見つめます。身体の感覚が鈍っているなら、それを頭で補います。
幸い、レースの映像やタキオンさん達のトレーニングをマネージャーとして見学していました。知識だけならば、怪我をする前の私とは比べ物にならないはず.........
けれど、この誘いを受けたのは、そんな打算的な物ではありません。
今、これを走る事に意味を感じ取ったからです。
この距離を今.........走り切る事に.........
桜木「よーい―――」
「―――ドンッッ!!!」
「―――ッッッ!!!!!」
彼の合図と同時に、私はスタートラインから前へと進みました。立ち上がりは順調。やはりブランクからか速度は強く感じられないものの、今のコンディションは好調だと知ります。
最初のコーナーが見えてきた。ここの重心の運びは傾け過ぎず、そして傾け無さすぎない。その塩梅が難しく、私も未だに正しいコーナリングは数える程しか出来ません。
けれどだからと言って.........彼の前で醜態を晒す訳には行きません.........!!!
マック「くッッ」
桜木「!おいおいあんなのいつ覚えたんだよ.........!!!」
胴体だけでの重心移動が難しいのなら、腕の回転率で影響を与えるしかありません。決して脚のスピードを大幅に落とすこと無く、内ラチに1mmたりとて近づく事も、そして離れる事もせずに曲がり切ります。
そこで長い直線。上手く感覚は掴めました。この身体の状態での作戦だったので、完全に戻ったらまた回転率を練り直しましょう。
そんな事を考えつつも、スタミナ管理は怠らずに疲れないよう、しかし脳内の先行集団の先頭を走れる様にスピードを調整しながら走る事を続けます。
地面を脚で蹴る感覚。それを先程のコーナリングにフィードバックさせながら二回目のコーナー。
今度は腕の回転率を改変させることなく、私はコーナーを綺麗に回りました。比較的に私の得意なバ場状態だったので、思考を割かずに曲がり切ります。
既に距離は1800m。誰かと走っている本番はあれ程までに長く感じると言うのに、一人で走っている時は.........彼が私にだけ意識を向けているこの時だけは何故か、凄く早く感じます。
マック(.........トレーナーさん)
マック(今の私は、以前と比べてしまえば見るに堪えない程弱い存在でしょう)
マック(けれど.........それでも.........!!)
マック(私は.........!!![貴方と]ッッ!!!)
桜木「.........っ!!」
その瞬間。まるで一瞬だけ、力が湧き出し始めた様に地面を蹴り抜いて居ました。
その蹴り抜き一回で、たった一回で先程までの論理的な思考は完全に消え去り、まるで[本能]に従う獣の如く、私は前へ前へ、ゴールへと向かってしまいました。
いやです。
いやです。終わらせたくありません。
そんな気持ちなど知った事では無い。そう冷たく突き放す様に私の身体はグングン。ゴールへと向かって行きます。
呼吸の仕方も、腕の振り方も、地面の蹴り方、接地から最後に離れる足の場所。その全てが今までとは別物。それでいて、身体はまるでそう生きてきたかのように[自然]でした。
まさか.........これが.........
彼の.........言っていた―――
マック「―――あっ」
.........そこまで考え、そしてその答え辿り着きそうだった瞬間。目の端をゴールの目印にしていたハロン棒が過ぎ去り、私はその速度をゆっくりと緩めました。
完全にそこから止まり、私は自分の身体の状態をチェックする為に動かしたり、捻ったりを繰り返しましたが、病み上がりでしたことも無い動きをしたと言うのに何故か疲れは全くありません。
マック「.........!タイムっ!」
マック「トレーナーさんっ!いかがでし―――」
走りの事は今は分かりません。彼に聞けばもしかしたら何か。そこまで考え、先程の走りのタイムを取っていた事を思い出し、私は彼に声を掛けながらその方を向きました。
きっと大した数字では無いでしょう。それでも彼なら、一緒に歩いてくれる。その安心感と共に振り返りましたが、彼はその場で.........
「.........っ、くっ、ぁぁぁ.........」
マック「―――!!?トレーナーさん!!?」
両手を握り、彼はそれを額に当てながらうずくまり、そして泣いていました。その彼に近付けば近付くほど、泣いている声と震える身体が強く印象に残って行きます。
マック(.........もしかして)
マック(私は.........もう.........)
一つの可能性。それは、出たタイムが思った以上に酷く、復活の見込みが無いという事。それが脳裏に浮かんで、私は彼に駆け寄り側にいても、ただ顔を青くさせる事しか出来ませんでした.........
その時でした。彼はゆっくりと、私にストップウォッチを差し出して来たのです。私は恐れながらも、それに手を伸ばし、そのタイムを見る為にそれを裏に返しました.........
マック「.........これ、は」
桜木「マックイーン.........!!!!!」
マック「!トレ―――」
彼に強く呼ばれ、私は彼の方を見ようとしました。しかしそれは叶わず、目に映るのは空の風景と、彼の背中。身体に感じるのは彼の温かさと、耳元で聞こえる彼のすすりり泣く声だけでした。
一瞬、何が起こったのか分からない状態。けれどそれは直ぐに終わり、私は私を抱き締めて泣いている彼の背中に手を回し、強く抱き締めながら涙を流しました。
ストップウォッチに表示されたタイムは―――
―――[3.29.3]
桜木「.........戻ってきたんだ.........」
マック「はい.........」
桜木「俺達.........!ようやくここまで.........!!帰って来れたんだ.........!!!」
マック「っ、はいっ.........!!!」
失ったと思われていた物。それは強さ。日常。絆。決してもう、二度と同じ物は帰って来ず、ひびが入って居たり欠けていたりを覚悟して居ました。もう二度と、絶対的な安心は得られないのでしょう.........
けれど、それは確かに以前と同じ姿のまま取り戻す事が出来たのです。それが.........[3.29.3]というタイム.........
桜木「諦められなかったんだ.........!!!最初っからっっ」
桜木「けれど現実は甘くないってッッ.........必死に諦めようとして.........皆を傷付けて.........!!!」
マック「っ.........っ!!!」
桜木「俺は.........っ!!?」
彼の弱音が吐き出されて行く。ですがまだ、それを聞く段階ではありません。それは全てが終わってからです。
今ようやく、ようやくまた[始まった]のです。だから今必要なのは弱音を吐くことでは無く.........[強がる]事.........
私はそう思い、これ以上彼が自分を責める事が無いよう、彼の頭に手を添え、私の肩に乗せられた彼の顔を私の胸元まで持って行きました。
マック「私は何度だって言いますっっ!!!」
マック「例え貴方がどれほど他の人を傷つけようとッッ!!!」
マック「例えッッ、貴方自身がそうでないと言い続けたとしても.........ッッ!!!」
「貴方が[トレーナーさん]で.........本当に良かった.........!!!」
彼の頭を抱き締めながら、私は嗚咽を混じらせながら言いました。きっと顔も、ぐしゃぐしゃでみっともない事になっていると思います。
けれど、それで良い。この人の前でなら、それが[強がり]で、ハッタリだと分かり切っても、それでいいんです。
それがきっと.........いつかきっと、本当の事になるのですから.........
桜木「マックイーン.........」
桜木「マック、イーンっ.........!!!」
マック「トレーナーさん.........!!!」
風が凪いだターフの上。海は静けさを得て、まるであの日の夕焼けの様な夕日が境界線を沈んで行く。
[ふたりぼっち]のターフの上。二人で抱き合い、涙と声と温もりだけの世界。他のものは全て上書きされて、ここにはただ二人だけ、抱き合う私達だけを残して、ようやく[物語]が[始まる]のでした.........
[貴顕の使命を果たすべく]
Lv0→1
『.........』
―――まるでお互いを愛し、足りない部分を補う様に抱き合う二人を遠目に見ながら、私は空を見上げた。そこには空に溶ける山吹色と、薄くありつつも、確かに存在感を感じさせる月が空に居た。
(.........[メジロマックイーン])
心の中で、その名を呟く。ただ与えられただけのもの。本来受けたその者にとって意味は無く、理由も無く、そしてこだわりも無い名前。
けれどそれはいつしか、多くの人々にとっての意味となり、理由となり、そして[夢]へとなっていた。[メジロマックイーン]はいつしか、人々の中で[名優]となっていた。
けれど、今の彼女は[名優]などという柄じゃない。彼の前では自分をさらけ出して、夢を語り、そして涙を流す普通の少女。
終わってしまうかもしれない。そう思った時もあった。でもそれは、結局杞憂に終わってしまった。
(.........そうね。もう、殆ど[超えた]ものね)
(後は.........[奇跡]を[超えて].........)
(貴方達と[ㅤㅤㅤㅤ].........)
光を感じる。確かな光、夜明けにも似た、月の優しい包み込むような光にも似た物。それが自分の胸の内に広がって行くのが、手に取るように分かる.........
これからどんな物語が待ち受けているのかは分からない。
けれど、進むしかない。
そう、それが.........
[奇跡を超える]と言う事だから.........
―――だが、まだ誰も、この時は気付いていなかった。
[メジロマックイーン]が、彼女が長いブランクにより、以前よりも硬く、そして分厚い殻に再び覆われていた事に.........
チームメイトも、彼女の半身も、彼も彼女自身もまだ.........
気付いて居ないのであった.........
山あり谷ありウマ娘
第五部 夢覚め人編ㅤㅤ―――完―――
ーーー
多くの奇跡が起こった。
桜木「.........っ」
だがそれは、結局の所[奇跡]止まりの物だった。
ウララ「マックイーンちゃん.........!」
その先に到達するのは、人の手では無理なのだろう。
神が起こす[奇蹟]には、遠く及ばない。
だがそれでも.........
桜木(呼ぶんだ.........!!俺が叫ばなくてッッ、誰があの子の名前をここで呼ぶんだ.........!!!)
人という生き物は、大きく進化を遂げるのだ.........
「マックイィィィーンくぅぅぅんッッッ!!!!!」
桜木「.........タキ、オン.........?」
タキオン「.........っ」
桜木「お前.........泣いてるのか.........?」
神は運命を信じる。
機械は確率を信じる。
そして人間は.........[人間]を信じる。
それこそが、[奇跡]を超え、全てを覆す事になる。
これは、一人の男から始まり、やがて全てを巻き込んだ[物語].........
そして、一人の少女が立ち上がり、やがて一つに収束する[物語].........
それが―――
次回、山あり谷ありウマ娘
第六部
[夢駆け人編]
......coming soon