山あり谷ありウマ娘 〜気付いたら脱サラしてトレーナーになった話〜 作:ギノっち@カマタラル
寒さが身に染みる12月の初め。身の回りの整理やいらない物の断捨離などを皆し始める季節。
寒さと身を清める時期の中、今日もウマ娘は己の肉体の鍛錬を怠る事は無い。
桜木「.........よしっ、ウララ!休憩しよう!」
ウララ「!はーいっ!!」
芝のコースを走りながら、両手を振って返事をしてくれるウララ。休み休みの長距離を三本ほど走らせていたが、最初の頃より息は乱れて居ない。
疲れながらも笑顔を見せる彼女にスポーツ飲料とタオルを手渡した。
嬉しそうにストローを口に運び、その中身を吸っていくウララ。そんな彼女の可愛らしさに癒されながらも、俺は視線を少し下にずらし、今の状態について考えた。
桜木(ウララの身体は頑丈だ。怪我をしやすい状態でもそれをものともしない)
桜木(けれど、その頑丈さが.........もしかしたら成長の妨げになっているのかもしれない.........)
着実に実力を伸ばしていくウララ。普通であるならばそれに比例して怪我の確率は大きくなって行く。自分の身体で使われるエネルギーが大きくなっていくからだ。普通であるならばそれが必然。
だが彼女に関してはその頑丈さを持ってして、以前までと同じ様に怪我の心配を一切させてくれない。[無事是名馬]。それを体現しながら彼女は力を付けて行っている。
.........でもこれでは多分―――ナー」
ウララ「トレーナー!!」
桜木「!ごめんウララ。どうしたの?」
ウララ「ウララ休憩バッチリだよ!!早くトレーニングしよ?!」
どうやら結構俺の事を呼んでいたらしい。思考し始めると周りの声が一切聞こえなくなるのは昔からの悪い癖だ。どう頑張っても治りそうには無い。
彼女の回復力も並外れた物だ。先程までの疲れを完全にとは言わないが、普通よりも早い速度で回復してしまっている。
肉体の成長速度は遅いが、そんな彼女のレースを支えるのは[経験]だ。この回復力と頑丈さによって多くのレースを走り、その感覚を持って彼女は強くなる。
言うなれば、彼女は[感覚型の論理派]だ。ウララは言葉にする際はその殆どが擬音語とオノマトペの連続になり、説明される時もそうされる方が理解出来るが、彼女の中には確かにその経験があり、それを元にレースを構築している節が明らかにある。
桜木(.........だけど)
勝てるか勝てないか。そうとなれば話は別になってくる。いくら多くの経験を積み、それを活かせたとしても有馬記念は超大物揃い。うちのタキオンを筆頭に、その名を挙げれば誰が勝てるか。という問いに人々はしばらく頭を悩ませるだろう。
結論を言ってしまえば、ハルウララに[有馬記念]を勝つ見込みは.........
.........確かに[ある]。
桜木(.........でもこれは)
桜木(嘘吐きだって言われても、仕方無い中身だけどな.........)
ーーー
翌日の昼休みのチームルーム。
その日は集まりが悪く、ほとんどのメンバーが顔を出さなかった。
そろそろ年末だ。帰省する子も居るだろう。その子と遊んだり話したりして、今年一年の心残りを少なくすると言うのは至極当たり前の事だ。
そんな中、昼休みの途中でマックイーンが二人。来客を連れてきた。
マック「トレーナーさん。ウララさんの事でお話がしたいという方が.........」
桜木「?」
俺と同じ様に困惑した表情で部屋の中に入ってくるマックイーン。そしてその後ろからは二人のウマ娘。片方はハルウララの同室である[キングヘイロー]。そしてもう片方は.........確か、ウララの同級生の子だ。
桜木「えと、どうしたんだい?」
キング「ウララさんの事で話があるわ」
「.........[有馬記念]。本当に出るんですか?」
やや不服そうな視線を俺にぶつけて来る少女。俺はそれをぶつけられて、やはり来てしまったか.........と、かつて自分が思考した一つの可能性をもう一度構築した。
桜木「.........気に入らない?」
「っ、私はっ!!」
キング「シエルさん。言い争いはしないって約束したでしょう?」
シエル「っ.........ごめんなさい」
口に出した言葉。図星か完全な的外れか。反応だけでは分からない。だがどちらがこの話の主体になるかはハッキリと分かった。
シエルと呼ばれた子だ。彼女は明らかに俺の言葉に強く反応した。対してキングはその仲介、或いは仲裁役としてこの場に立っている。
それだけ分かれば十分だ。
桜木「.........とは言っても、ファン投票の結果は結果だし、ウララ本人のやる気もある。そこに俺の意思は介入してないよ」
シエル「ふざけないで!![有馬記念]はお遊びで出るような軽いレースじゃないっ!!!貴方にだってそれくらい分かるでしょっ!!?」
桜木「さぁねぇ。遊びかどうかは本人にしか分からないんじゃない?俺達には分からない事だよ」
[有馬記念]。確かに大きいレースである事には違いない。その規模、お祭り感はやはり一年の締めくくりに相応しい物だ。そこに出るのはやはり、実力のあるウマ娘で無ければいけない。
だが、彼女は一つ勘違いをしている。それは[遊び]で出れる公式レースなんか何一つも無い。という事だ。
ウララはJBCクラシック。G1のダートレースを制している。そこにお遊びなんかは存在しない。彼女には確かに[有馬記念]に出るという目標を掲げ、そこを目指し日々努力をしている。それを遊びなどと言われた日には、俺も反論せざるを得ない。
それに対して彼女は歯を食いしばり、より一層俺を憎むように睨んでくる。だがそこに正当性は無い。
そんな俺達の間に挟まれ、不安そうな顔をするマックイーン。そして動じないキングヘイロー。部屋の空気は異質な物へと変容していく。
シエル「信じられない.........っ、ただ走りたいってだけで[有馬記念]に出走するなんて.........!!!」
桜木「今のあの子にはそれしかない。それ以外を得る為の[有馬記念]だ。誰がなんと言おうと、口出しする事は出来ないよ」
キング「.........その言い方だと、[勝ち負け]は関係の無いように思えるけど?」
おおう.........とんでもなく痛い指摘が飛んできた。しかも、寄りにもよって事実だ。悲しい事に反論する事は出来ない。
桜木「.........まぁ、勝てる勝てないは置いといて、あの子は[出たい]って言った。だからそこまで連れて行く。それが俺の仕事じゃない?」
シエル「.........呆れました。桜木トレーナーさんって、そんな人だったんですね」
桜木「お生憎様。誰かの夢を潰す様な事はしたくないんでね。見ると決めた面倒は意地でも見ますよ。桜木さんは」
どうにもならない。そんな感じで両手を広げて自分の考えを口にした。シエルという少女はそれっきり口を開く事無く、チームルームを怒りを感じさせる足取りで後にして行った。
夢。改めて考えると酷い存在だ。誰のものでもあり、誰かの物でもあり、そして誰のものでも無くなる。別れを告げた夢を思い出しても、俺の右肩は痛みすら思い出しちゃくれない。
マック「トレーナーさん.........」
そんな俺を心配したマックイーンの声が聞こえる。やはり心配をいっぱいに乗せた表情で俺を見て、片手はギュッと握った状態で胸元に置いている。
そんな顔は見せなくてもいい。俺は笑顔を見せて彼女を安心させようと思ったが、少しも効果は無かった。
桜木「.........それで?お連れの子は帰ったけど?」
キング「そうね。けれど個人的に聞きたい事もあるわ」
終始落ち着いた態度のキング。彼女は先程まで居たシエルの居た位置に移動し、今度は彼女が俺と対面する形で立ちはだかる。
重苦しい空気は、まだ変わらない。
キング「夢はステキな物。けれど追い続ける訳にも行かない。それをやんわりと伝えるのが優しさだと思うけど?」
桜木「ご忠告ありがとう。けど悪いね。今その優しい人役の人は募集してないんだ。必要なのは一緒に歩く人」
キング「貴方にしか出来ない事よ」
桜木「だったら尚更やらない。優しさが夢を終わらせるなら、俺達には不必要だ」
話は平行線。だけどお互いの言い分は分かり合っている。流石キングヘイロー。G1レースを何度も走り抜けている。そこら辺は他より断然大人びている。
けれどそれは俺の仕事じゃない。俺に出来るはずが無い。夢を失う痛みは誰よりも知っている。誰かや自分の選択じゃなく、突然降って湧いた不幸によって訪れた夢との別れ。これは、体験していない人には一生分からない苦しみだ。
もう話す事は無い。おかえり頂こうかと思った時、口を閉じて大人しくしていたマックイーンが口を開いた。
マック「.........キングさん。ウララさんは強い人です」
キング「?いきなり何を言っているのかしら.........?」
マック「きっと貴女は、有馬記念でウララさんが走れば、周りとの実力差に怖気付いてしまう。そう思ったのでしょう?」
キング「.........」
マック「.........その気持ち、良く分かりますわ」
先程までの空気が少し変わる。彼女は俺とキングの間の位置から移動し、キングの片手を両手で握った。
そしてその顔を俺に見せ、任せて欲しいと言うように微笑んで見せた。
マック「私も最初は不安でした。もし有馬記念に出走して、今のウララさんが居なくなってしまったら.........」
マック「.........でも、それを危惧して彼女の夢を諦めさせればそれこそ、変わってしまう。きっと悪い方向に.........」
マック「私達に出来る事は、信じて見守る事だけです。そうでしょう?」
桜木「うん。俺は夢を追う子に諦めさせる事はしない。結果がどうあれ、俺はその子の意思を尊重するだけだよ」
椅子に座っている所からマックイーンの隣に移動して俺の考えを口に出す。キングは俺の目を見て、その言葉に嘘が無いかを探り始める。
やがてそれが終わり、彼女がホッとした様子で微笑みを俺達に向けた。
キング「.........分かったわ。信用する」
キング「けれどっ、ウララさんは一流であるキングの大切な友人よっ!!何かあったらただでは済まさないわっ!!!」
桜木「俺だってウララのトレーナーだ。何かが起こる前に何とかしてみせるさ」
部屋の空気がようやく元に戻る。目の前に居る彼女はいつもの高飛車な雰囲気を見せつつも、俺の言葉に満足を得て、チームルームから高笑いを挙げながら帰って行った。
その背中をマックイーンと二人で見送る。一難が去ったと言っていいだろう。お互いの顔を見合せてホッと一安心する。
桜木「ありがとうマックイーン。君が居なかったら多分、キングも怒らせてたと思う」
マック「貴方も頭に血が登っていたのは分かりましたから.........お陰で冷静になれました」
桜木「ありゃ、バレてた?」
マック「ええ。こめかみの部分に怒りマークがハッキリと見えていましたわよ?」
クスクスと笑うマックイーン。どうやら俺は一本取られていた訳だ。実際もっと上手い言い回しが出来た筈なのに、それが出来なかった。
桜木「.........それにしても、遊んでる。か」
マック「ウララさんの良い部分でもあり、悪く見えてしまう部分ですわね.........」
レースを楽しむ。全ウマ娘が持っているその心意気だが、ウララに関しては最早才能と言ってもいい。彼女にはレースを最大限にまで楽しむ才能を持っている。
だが傍から見ればそれは、緊張感が無い。真面目にやっていないと思われるかも知れない。それは.........残念ながらその通りだ。
それでも変化は生まれつつある。ウララにもレース前の心境の変化がようやく分かりつつある。誰かの言葉や強制的な訓練より、感覚的に分かる方が彼女の為なのは間違いない。
マック「.........トレーナーさん。一つ宜しいでしょうか?」
もう一度椅子に座り直し、トレーニング資料の作成に戻ろうとしていた所に、マックイーンが声を掛ける。
何かと思い彼女の方を見ると、そこには先程程とは行かないが、心配そうな顔をしている彼女が居た。
マック「.........有馬記念。ウララさんは勝てますか?」
桜木「.........どうして?」
突然彼女の方から踏み込んだ質問が出てくる。それは先程の二人の物よりも鋭い物だ。正直、一番聞きたくなかったまである。
そしてそんな質問を、どこか答えが分かっている様な悲しい表情で彼女は口にしていた。
桜木「.........結論としては、[勝てる]よ」
マック「!では.........」
桜木「マックイーン。[結論]だ」
「過程論としては、[負ける]」
「それも確実に.........」
マック「―――.........」
一気に明るくなった表情が俺の言葉によって徐々に沈んで行く。そんな顔は見たくなかった。けれどそれ以上に、俺にはもう誰かに.........ウマ娘に嘘を吐く事は出来なかった。
マック「.........やはり、あの密着番組の違和感は、正しかったのですね」
桜木「.........ごめん。嘘吐きだよね。これじゃあ」
マック「いいえ。貴方はウララさんを支えているだけです。それに、[勝ち負け]は置いておくのでしょう?」
桜木「っ、でも担当の勝ちを信じるのはトレーナーとして.........」
マック「有馬にはタキオンさん。カフェさん。それに多くの実力のあるウマ娘が出走します。無闇に勝ちを信じられても、重荷になるだけかも知れません」
切羽詰まった俺とは対照的に、彼女は優しい笑みを浮かべている。それに釣られるように俺の心も穏やかさを取り戻し始めて行く。
その時、そっと柔らかい感触が手に触れる。気付けば彼女は俺の手を取り、優しく握ってくれていた。
マック「相手の気持ちを鎮める時は手を握る。お母様から教わりました」
桜木「ティターンさんから.........」
マック「それでも貴方は、ウララさんが[勝てる]と信じているのでしょう?」
マック「.........[今]ではない、[いつか]に」
.........参ったな。本当、心を見透かされているみたいだ。
いや、俺の心は彼女の心の隣に置いている。きっと向き合ってくれただけだ。
そう思うだけで嬉しくなる。恋心って言うのは単純な物で、相手の意識が自分に向いているだけで気持ち良く感じてしまう。
桜木「.........ありがとう。マックイーン、落ち着いたよ」
マック「ふふ、貴方も頑張り屋さんなんですから、もっと頼ってくださいまし」
桜木「あはは、そうだね。そうしてるつもりではあったけど、もう少し比率を増やしてみようかな」
気恥ずかしさはあるものの、そこに今までのような自分に対する嫌悪感は無い。出来る事と出来ない事の判別がようやく付きつつある。とでも言うべきか。
彼女の頬をそっと撫でる。すると少し驚きながらも、徐々にそれを受け入れるマックイーン。そんな姿が愛おしくて、その瞳に視線が吸い込まれて行く。
言葉は無い。けれどお互いそれを意識しているのが何となくわかる。それを察した時、彼女は静かに瞳を閉じ、そして俺はその顔を近付けて
「トレーナー!!!」
二人「!!!??」ドンガラガッシャーン!!!
突如開いたチームルームの扉。それに反応して俺とマックイーンはお互いの身体を突き放したが、彼女の方の力が強く、俺は資料を置いてある棚の方へとぶつかって行った。
痛みと混乱によって気を失いそうになったが、その扉の方へ誰が入ってきたのかを確認する。そこには今回の件の中心人物であるウララ。そしてタキオンが立っていた。
ウララ「わわわ!!どうしたのトレーナー!!?大丈夫?!!」
桜木「う、うん.........ちょっとアクロバットの練習をね.........」
マック「そ、そう!そうなんです!!私は危ないと言ったのですが聞いてくれなくて.........」
タキオン「.........ふぅン?」
二人「あ、はは.........」
訝しげな目で俺達を見つめるタキオン。いや、睨んでいるという表現の方が近いか。いずれにしろこのチームルームでイチャイチャするな。という視線を投げかけてくる。前まで早くくっつけってけしかけてきたじゃねぇか。
桜木「そ、それでどうしたの?二人して」
タキオン「いや。ウララくんの同室がチームルームに来たと聞いてね」
ウララ「キングちゃんもチームに入るかもって思ったんだー!!ウララがチームの良い所いーっぱい教えて入ってもらおうって!!だから来たんだよ!!」
ピカーっとした笑顔でウララは言った。その笑顔によって先程までの殺伐とした空気に晒された俺の心は癒されて行く。
そうだ。一軒家を建てたら隣にウララに住んでもらおう。そうして毎日夕飯を一緒に食べるんだ。そうしたら日々の疲れも絶対に取れる。必ずだ。
.........な〜んて思ってたらマックイーンに横腹に肘を喰らわせられる。お見通しですよと言わんばかりにキッとした睨みをぶつけられ、俺は取り敢えずウララの発言に対する言い訳を口にした
桜木「あ〜.........それは聞いてみたけど、今はあまり興味無いんだってさ」
ウララ「そっか〜。残念.........」
マック「今は皆さん大変な時期ですし、来年になったら聞いてみましょう?」
ウララ「うん!!そうするね!!」
屈託の無い笑顔でそう言って彼女はもう一度部屋から出て行った。
それに着いていくようにタキオンも出て行ったが、疑う様な目で扉の窓から俺達の様子をじーっと凝視する。そんな事せんでももうせんて.........雰囲気もへったくれも無くなったのに.........
マック「.........私達、そんなに信用無いんでしょうか?」
桜木「まぁ.........タガは外れてるとは思うよ。今までの分」
マック「うぅ.........私だって頑張って我慢してますのよ.........?」
桜木「今そんな目で見ないでよ.........」
せっかく我慢出来たというのに、そんな物欲しそうな目をされると気が気でなくなってしまう。しっかり自制するんだ桜木。この前デジタルに詰められただろ。
そして、その日は何とかお互いに抑える事が出来たのだった.........
ーーー
桜木(.........あの子、エメロードシエルって言うのか)
放課後のトレーニングを終え、自宅に帰った俺は今日チームルームに来たウマ娘の事を調べていた。
彼女はウララと同じダートを走るウマ娘ではあるが、最近はあまり良い戦績では無い。重賞を好走しては居るが、まだG1には挑戦できて居ない。
はてさてどうした物か.........俺としてはウララにもあの子にも素敵な学生生活を送って欲しい。喧嘩の思い出は良い物になりやすいが、それは仲直りする事が前提条件だ。
桜木「.........俺の出る幕じゃないよなぁ」
溜息を吐いて仰向けになったまま目を瞑る。こうしてるだけで時間は過ぎて行く。解決は出来ないままに。
悲しい事に学生間の問題は当人達で解決するしか無い。そうでなければ少しでもわだかまりが残ってしまう。本当に難しい時期なのだ。当人達にとっても、俺達大人にとっても.........
何が正しいか。何が間違っているか。そんな物差しは既に存在していない。何をして満足するか、何をして後悔するか。今の俺には最早それしか残って居ない。
桜木(.........やべ。眠くなってきたな)
唐突な睡魔が俺を襲い始める。おかしい、いつもだったらまだ余裕の筈だが、何故か瞼が突然重くなった。
無理をしていたのだろう。幸い向こう二、 三日のトレーニングデータは作ってある。このまま寝てしまってもなんの支障も来さない。
俺は結局睡魔に抗う事はせずに、そのまま眠りに着いたのだった.........
ーーー
緑色の風が吹き抜ける。地面の芝が波のように模様を立てる。ハッとした時にはもう、俺はそこに立っていた。
桜木「こ、ここって.........」
「久しぶりだな」
久々に聞いたその声。その方向に振り返ると、想像の通り三色のそれぞれのトレードカラーの服を着たウマ娘の女性。[三女神]様がそこに立っていた。
何が何やらもう分からん。一体、どういう事なのだろう.........?
突然の展開に呆然としていると、彼女達の後ろから二人の存在が現れる。[名も無き女神]と[白バの王子様]。三人の柔らかい表情とは真逆の真剣な眼差しで俺を見てきている。
シロ「今の貴方は[安定]している。だから預かった力を返して上げる。それだけの事よ」
レックス「君は今、純粋な気持ちで他人の事を思いやれている。自分に対する心配はもうどこにも無いだろ?」
桜木「いや、まぁ.........そうだけどさ」
確かに二人の言う通り、今俺の心にあまり波は無い。自己評価も定まり、できる事とできない事。その二つをしっかりと明確に分ける事ができている。
それにしてもやり方が雑過ぎる。もう少し前持って連絡をしておくとか、前触れを用意しておくとかしてくれても良いだろう。これだから神様って奴は自分勝手だと思われるんだ。
「もしかして、怒ってる?」
桜木「!いえいえっ、三女神様には怒ってないですよ!」
「だから言っただろうダーレー。前持って連絡して置いた方が良いと」
ダーレー「サプライズだよターク。ゴドルフィンも賛成していたじゃないか」
ゴド「その、ごめんなさいね?」
うわ。気まずい。まさかサプライズのつもりだっただなんて.........これは行けないぞ桜木少年。余裕が無い人間そのものでは無いか情けない。これだから人間は.........
などと責任転嫁を全人類にして、俺は何とか精神を安定させた。女神様の好意を無駄にするだなんて万死に値するぞ。
それにしてもここに来てようやく三女神様の内訳がようやくわかった。赤い服の人がダーレーアラビアンさん。青い服がゴドルフィンバルブさん。黄色い服がバイアリータークさんだ。皆さんそれぞれ違うけど、神様らしい物を感じる。
シロ「.........私の時とは反応が違うわね」
桜木「いやー。第一印象がね?」
レックス「それなりの事しちゃったからね。君も僕も」
それは本当にそう。初っ端諦めろだの、俺が傷付かない為とはいえ担当を傷付けたりと、まぁそれなりに悪逆非道を尽くしてこの対応なんだからまだ俺は優しい方だろう。
そんな二人を見て俺も変わったもんだと思っていると、三女神様が俺の前に並び、右手を俺にかざし始めた。
ダーレー「君の力は[変質]してしまったが、暫く俺達の中で眠っていた分浄化はできている筈だよ」
ターク「どうなるかはまだ分からん。つまり、お前次第という事だ」
ゴド「貴方の愛ならきっと、この力を正しい方向に導けるはずよ」
三女神様がそれぞれの笑顔を俺に向けてくれる。希望。信頼。愛情。その三つを均等に受けて、俺は覚悟を決める。
三人のかざした手からほのかな光が俺の身体の中へと入って行く。肌から直接心に届いて行くのが容易に分かった。
そしてそれが心に触れた瞬間。俺はそれが何なのかを直ぐに理解する事が出来た.........
[強制共鳴]が発動している。
「.........あれぇ?」
―――瞬間。身体の底から激しい負の感情が湧き始める。腸が煮えくり、声にならない声が喉から出そうになり、頭の中は後悔でいっぱいになり始めた。
それと同時に、身体から[青白い炎]が発現し始める。これは紛れもない[ヘル化]のオーラ。それを今初めて、俺は身にまとっている。
「「「くっ!!?」」」
自分の身体を中心とした気流が発生する。その風に三女神様は押されながらも、俺の傍に居ようと手でガードしながら何とか踏ん張ってくれている。
そこですかさず名も無き女神が杖の先端で地面を軽く叩いた。すると魔法のバリアの様な物が三女神様達と自分達を包み込み、俺のこのオーラから守ってくれた。
ダーレー「どういう事だ.........確かにあの力は俺達によって浄化したはず.........!!!」
シロ「.........恐らく、彼の身体に戻った事で本来の形を思い出してしまったのかもしれないわ」
ターク「そんな事有り得るのか.........!!?」
レックス「そもそも、力が[変質]する事自体が異常事態なんだ。見誤っていたのは.........僕達の方だ」
ゴド「.........桜木トレーナーさん」
心配そうな瞳が幾つもある。それを気にしつつも、俺は突然自分の中に生まれたそれと改めて向き合う事にした。
力が無い。何をやっても上手くいかない。俺だけ期待に応えられない。手を伸ばしても届かない。自分一人で助けられない。自分が情けない。判断力が無い。運が無い。みっともない。
負けたくない。失いたくない。離れたくない。消えたくない。忘れられたくない。嫌われたくない。手放したくない。
そんな単純な思いの連続が心で溢れかえって全身に巡って行く。だが単純なものほど簡単に力を付けていく。思いっていうのはそういう物だ。
だけど.........
「[ぬるい]ねぇ.........」
そう呟きながら自分の手のひらを見る。少し意識すればそこに、いや身体全身に[鎖]が巻かれているのがよく分かった。
状態は分かった。けれど解決策には程遠い情報。せめてこの[ヘル化]という現象の正体が知りたい。それさえ掴めれば後はどうとでもなる.........
桜木「あのさ。これってどういう力なの?結構俺ら見る感じなんだけど」
シロ「.........[人]が[人]である為の物よ」
シロ「取捨選択が出来るのが人間の強み。それをする為には、自分に[無い物]を判断するしかない」
シロ「私は[ウマ娘]という存在を作る際、その要素を人より多く入れたわ」
シロ「貴方のその力は貴方一人の物だけど、明らかに[ウマ娘]に強く関わっていたからそう変質してしまった。それだけははっきり言えるわ」
桜木「ふーん.........」
身体を動かして[鎖]の拘束具合を確認する。行動する分にはどうやら邪魔にはならないらしい。
[ヘル化]の力。自分に無い物を強く渇望する事で発現する現象。現実を捻じ曲げてしまう程の力を持っている。
.........だが詳細を聞いてしまえば、自分には要らない力だ。無い無い尽くしの無い物ねだり。心の貧しさを感じてため息すら出ない。
桜木「.........なぁ、ガキじゃねぇんだ。そんなわがままに心を昂らせても、もう誰も甘やかしてくれる歳じゃねぇんだよ」
桜木「羨むのも良い。無い物を探すのも良い。けどその先はダメだ。そんな事してたらお前.........」
「いつか[あの子]すら嫌いになるぞ?」
自分の胸に手を当てながら子供に諭すように話し掛ける。心はそれに反応する様に煮えた感情を噴出するが、[あの子]を引き合いに出した時点で俺が負けるはずが無い。
マックイーンは俺に無いもの全てを持っている。叶えた夢。名誉ある生まれ。誇り高い歴史。高貴なる精神。際限の無い向上心。数え上げればキリがない。
そんな一つ一つを欲しい欲しいと言うだけならば良い。彼女に嫌われるだけだ。結末は俺が悪かったというだけで終わる。
だがそれが嫉妬に変わってしまえば話も変わる。俺が彼女を[嫌いになる]。俺に無いものばっかり持っているあの子が羨ましい。妬ましい。そんな攻撃的な思いに変わって行って、今まで時間を掛けて作り上げたこの関係を終わらせる事になる。
嫌いになる。という最悪の形で.........
桜木「.........分かるよ。俺だって少し前までこんな自分が嫌いだったんだ」
桜木「けれど、そんな俺でもあの子は.........マックイーンは好きだって言ってくれた。好きな子が好きな物を否定するなんざ、男として三流以下だ」
桜木「それが嫌なら、少しづつでもカッコよくなって好きになるしかねぇだろ.........?」
―――荒々しい感情の気流。それが彼の中に渦巻いているのは明らかに見える。
しかし、そんな中でも彼は子供を諭すような口調で自分自身の心に語り掛けている。その異様な光景をバリアの中から私達は見守っていた。
ターク「あんな事が、出来るものなのか.........?」
シロ「普通なら無理でしょうね。けれど彼は元々[何者かになる]為の修練を積んできた。それを出来るだけの器量はあるはずよ」
ダーレー「あれが俺達だったら.........考えたくも無いな」
[青い炎]はそれでも反発する様に燃え盛り、嵐の様な苛烈さを見せている。私のバリアも貼り直し続けなければ壊れそうな程の感情。人が人である為の要素。それが暴力的なまでに力を増している。
それでも、変化は起こりつつあった.........
ゴド「.........!炎の色が.........」
レックス「.........[日色]が、混ざり始めた」
痛々しい蒼。その色に若干ではあるものの、[恒星]の色が混ざり始めている。不安定だった身体と心の差が、徐々に縮まりを見せ始めている。
桜木「.........お?」
―――不意に頬に暖かさのある線を感じた。そこに触れると指先が濡れる感覚を感じる。
色々とごちゃ混ぜになった感情がようやく、一つのハッキリとした[答え]になる。それは.........[悔しさ]だった。
桜木「.........そっか、そういや。テイオーの有馬記念見て、何で悔しかったのか分かんなかった時に預けたもんな。お前は答えを知らないのか」
桜木「.........[負けたくない]。大切な気持ちだ。けれどそれじゃあ、戦う相手も、追い求める背中も.........いつか全部傷付けちまう」
桜木「だから[勝ちたい]。周りを見ることなく、常に前を向いて.........最後に自分が一番前を歩く。それを目指せばいいんだ」
桜木「[悔しさ]ってのは.........全部自分に向けてバネにする為の追い込み燃料なんだよ」
心臓が痛い程に鼓動を打つ。身体は反応しない。それに連動しているのは、涙だけだった。
俺は[負けず嫌い]だ。誰かと同じやり方や同じ道を辿るのを良しとしない。自分なりのやり方で、自分の道を進みたがる。
だからこそ、道の先に歩く人に出会うと羨ましいと思って、嫉妬もする。けれど今更自分のやり方なんてそう変えれない。俺は死ぬまで、この性分と付き合って行かなくちゃいけない。
だから歩けるんだろう。ゆっくりでも、寄り道してでも、誰かが[拾わなかった何か]を拾い集めながら、誰も見た事のない場所に行こうとする。
俺を含めた親友四人には[鉄の掟]の様なものがある。[負けたくない]と思うな。常に[勝ちたい]と思え。
思いの一つで行動が変わる。負けが込んで来た時、[負けたくない]という一心でやり続ければいつか相手を殺してしまう程の感情に呑まれて行く。
逆に[勝ちたい]と思えば、自分に足りない物に目を向けられ、今この時の勝負は糧とし、その先に行く為の燃料とする事だって出来る.........
つまり、[良い負けず嫌い]と[悪い負けず嫌い]がこの世に存在しているという事だ。自分が一番強いと言い張るために、努力する者と相手を無くす者。どちらがいいかなんて明白だ。相手さえ居なければ、負ける事なんて有り得ない。
そしてその歪んだ気持ちの行く末はいつだって、[ひとりぼっち]なんだ.........
桜木「自分が寂しがり屋なのはよく分かるよ。だから、誰かと何かしたいんだ」
桜木「大丈夫。お前が心を穏やかにすりゃ、きっと人は寄ってくるさ」
心は俺の言葉に反応して、静かに感情を穏やかにさせていく。気流は徐々に規模を小さくしていき、焼けるような感情も次第に熱を下げて行く。
周りの女神達もその様子を見て安心した様に一息ついていた。確かに、この分なら成功したと言っても良いだろう。
だが.........
桜木(.........遅せぇ)
先程の[悔しさ]とは違う感情が生まれる。しかもそれは力による物ではなく、自分によって出てきている物だと直ぐに分かった。
その理由は明白。まだこの炎が収まっていないからだ。それはつまり、まだ俺の言葉を受け入れ切れずに居るということ。
そしてその状態から少し待った時、それは答えを飲み込めたのだろう。飲み込めた上で、もう一度その炎の圧を上げようとしていた。
つまり。この俺に対して[屁理屈]捏ねて逆ギレを仕掛けて来たという事だ。そうなったら後はもう簡単。怒りのまま自由に身体を動かしてしまえば良い。
桜木「.........いつまでも」
桜木「不貞腐れてんじゃ―――ッッ!!!」
「―――ねェェェェェェッッッ!!!!!」
―――振り上げられた拳。その勢いを決して殺す事はなく、彼は全力で自分の心臓がある場所を叩き伏せた。
その瞬間に可視化された青い炎は完全に消え去り、がんじがらめにしていた[鎖]は[糸]となって舞い散って行った。
そして彼は自分の一撃によって前へと倒れて行く。それを見届けた後、私は自分達を守るバリアを解除した。
シロ「.........なんて滅茶苦茶なの」
ターク「しかし、彼の中から既に異質さは消えています。あの一撃で決着を着けたのでしょう.........」
レックス「.........うん。大丈夫。もう悪さはしないよ」
気絶した彼に触れ、その中身を探るレックス。その表情からどうやら、変質した力は元の本来あるべき形に戻れたらしい。
ダーレー「それにしても、中々乱暴だったな。アレがゴドルフィンの言っていた愛なのかい?」
ゴド「!ち、違うわ!!私はもっとこう、友人と接する様な.........」
シロ「あら、だったらアレもれっきとした愛でしょうね」
暴力的ではあれど、本当に親しい間でしかそんな事はしない。それに、怪我はしないように手加減もされている。そんな彼の姿を何度も見てきた。だからきっと、これが彼なりの友人に対する愛情表現なのだろう。
シロ「.........さ、用も済んだし。送り返すわよ」
レックス「う、うん.........唐突に連れてきたり返したり.........振り回しちゃってるなぁ、彼の事」
シロ「神様だから仕方ないわ。そういう物よ」
「[誰だって].........ね」
ーーー
桜木「.........んん」
ベッドの上で体を伸ばして意識を覚醒させる。陽の光はまだ差し込んでは来ていない。どうやら長い間寝ていたみたいだ。身体の疲れも残って居ない。
桜木(うーん.........特に変化は無いか)
桜木(.........あ、そういや前。物の声が聞こえてたよな?もしかして、制御出来る様になったとか.........?)
働かない頭を必死に動かし、飛躍した考えを発現させる。俺は眠たいままで身体を起こし、ベッドの横にある目覚まし時計にとりあえず話しかける事にしてみた。
桜木「お、おはようございます」
時計「あっ、おはようございます〜。早起きさんですね〜」
時計「私まだ眠いんで、あと三時間寝ててもらいます〜?」
桜木「あっはい」
一方的に会話を打ち切られた。だがこれでまた物の声が聞こえると再認識し、更にあっちから一方的に話しかけて来るという事も早々無くなったと言える。
目覚まし時計には寝ろと言われたが、俺は一度ベッドから起き上がり、カレンダーの日付に注目した。
[有馬記念]まで、残り二週間。そこまで一体どこまでウララを成長させる事が出来るのか.........それは計り知れない。
けれど、成長させるだけではそれで終わってしまう。大切なのは、ウララにその[先]がある事を実感させる事.........難しい問題だ。
桜木(.........まっ、考えても仕方ねぇか)
桜木(今はただ、やるだけやってみるしか.........)
ベッドに戻り、もう一度目を瞑る。
いつまで続くかは分からない。けれど歩けるならばどこまでもこの道を歩いて行きたい。
[走りの中に答えはある]。これまでトレーナーとして生きてきた中で見つけた、ただ一つの答えを導くための計算式。それを見れるのはやはり、本番のレースだけだ。
そんな思いを抱きながら、俺はまた、[夢]を見る為に眠りについたのだった.........
......To be continued