山あり谷ありウマ娘 〜気付いたら脱サラしてトレーナーになった話〜 作:ギノっち@カマタラル
「ごゆっくりおくつろぎください」
着物を着た女将さんが三本指を立てて頭を下げた後、整った所作で部屋から身体を出して襖を締める。
広かったテーブルには隙間なく料理が敷きつめられているが、あいにく今の俺にそれを見て喉を鳴らす気持ちは無い。
水の流れる音。ししおどしが石を叩く音。ただの世界を形成するだけのオブジェクトにすら思えてきてしまう。
それくらい、今目の前に居る人の雰囲気が何か異質的な物だった。
桜木(ね、やっぱ知り合いだった.........?)
『.........瓜二つ。っていう言葉を使うのもおこがましい位には同じね』
『身体も雰囲気も、その動作もね.........』
先程までほぼ暴れる気満々だった彼女が今、冷や汗を垂らしながら彼を見ている。
俺の背後に居る彼女の表情に目配せしていると、ふと彼の視線が俺に向いている事に気が付いた。
武「見ましたよ。有馬記念。良いレースでしたね」
桜木「!は、はい。見て頂けていたなんて.........恐縮です」
武「自分もトレーナーですからレースは見ますよ。なるべく現地の方で」
落ち着いた声で有馬記念を見たという武さん。まさか多忙なプロの方が見ていただなんて.........
そんな驚きを胸の内に秘めていると、桐生院さんが嬉しそうな表情で口を開いた。
桐生院「結構プロの方々の間でも話題なんですよ?桜木さんの事」
桜木「へ?そ、そうなんです?」
武「やはり僕達プロも元はトレセントレーナーでしたから、ウマ娘以外もトレーナーは見ていますよ」
武「あー、面白い人が来たなぁと」
それは褒められてるんだろうか?若干関西弁混じりのイントネーションがそうさせているのか分からないが、皮肉やら嫌味的にも聞こえてきてしまう。
いやいや桜木。ここはポジティブシンキング。 嫌な気持ちは後でで良いじゃないか。今は前向きに捉えて楽しんで行こう。
桐生院「改めまして、この度はわざわざ来てくださってありがとうございます」
武「いえいえ。プロトレーナーは僕含めて若さの無い人達ばっかりで、君達の様な若い人と触れ合えるのは仕事にも良い影響がでるますから」
桜木「あ、やっぱりプロの方って特別なトレーニングってしてあげたりするんですか?」
普段からふと気になっていることを聞いてみた。プロと言うからにはやはり、学園とは明らかに環境や設備の違いがある。それらを使ったトレーニングはやはり、俺達とは全く違うトレーニング方法を実践しているのかもしれない。
桐生院さんも俺の質問に乗り気で頷き、武さんの表情を凝視しているが、肝心の本人は困った様に笑って腕を組み始めた。
武「いや〜.........僕はレースプランナーだから、今はトレーニング方面を専門にしてる人ほど詳しくないんですよ」
武「でもやっぱり、アイディアを大事にしている所は感じますね」
二人「あ、アイディアを?」
武「ええ、例えば街で会話しているウマ娘とか、何かが起きて行動を起こす彼女達を見てふっ、と閃く人が居るんですよ」
武「僕自身はそれ、役にたつのかな〜って思ったりしますけど、やっぱりする前と後じゃ出来る事が違ってくるんですよね。頭が上がりませんよ」
笑って話してくれてはいるが、それを聞いた俺達は驚くどころか、少し恐怖を感じた。会話や出来事までもウマ娘への成長材にしてくるだなんて.........本当に手の届かない所に居る人達なんだと思い知らされる。
[レースプランナー]。プロのウマ娘がレースを走る際に最も信頼を置く役職。その存在がレースの展開全てを作り上げていると言っても良いとされるくらい、プロの世界では花形に位置する人達だ。
桜木「やっぱり、プロになったら学園に居た時より大変ですか?」
武「それはもう。自分の時間なんてのは殆ど取れませんし、日常生活がほぼウマ娘が居る空間ですから.........妻には寂しい思いさせてしまっていますね」
桐生院「家族との時間も大切ですからね。その点私達は満遍なく出走管理やトレーニングもしますけど、自分の時間自体は取れます」
桜木「そうだね。でもまぁ、結局帰っても考える事はあの子達の事ばっかりだからさ.........結婚かぁ.........」
学園トレーナーはプロと比較すれば断然時間は取れやすい。担当は学生だから、もちろん勉学の時間も必要だし、不安定な成長期もあって休息も必要。親元から離れている子が大半だから、帰省する時もある。
プロと立場は違うけれど、もちろん結婚している人も中にはいる。やはりその多くは以前見ていた担当と籍を入れる人も居るが、一般女性と結婚する人も居る。そういう人には結構、寂しい思いをさせてしまう事もあるだろう。
しかしながら、まさかここに来て結婚という物を意識する事になるとは思わなかった。そしてそれは意識した今でも、全く実感が湧いてこない。
このままあの子との関係性が続けば勿論、俺と彼女はそういう夫婦関係になるやもしれないが、その時俺がまだ学園のトレーナーなのか。はたまたプロのトレーナーなのか。それとも.........別の何かになっているのか。
なんて言っても、結局その時になって見なければ分からない事だらけだ。
桐生院「武トレーナーは確か、女優さんとご結婚なされていましたよね」
武「いやはや、お恥ずかしい」
『何よデレデレして』
桜木(君は本当武さんのなんなんだよ.........)
恥ずかしさを隠すように笑う彼を見て、やはり変な茶々を入れるマックイーンと瓜二つの彼女。知っている顔でも普段から不機嫌気味に見える表情がより一層強く出ているのが見て取れる。
思わずため息を吐きそうになると、不意に彼女に肩を叩かれる。びっくりして声を上げそうになるが何とか堪えると、彼女が周りに聞こえもしないのにひそりと耳打ちしてきた。
『私の事聞きなさいよ』
桜木(.........マジで何言っちゃってんの!!?)
『良いから。メジロマックイーンについてはどう思いますかって、早く聞きなさい』
桜木(聞けるわけないじゃんそんな急に!!!小学生だったら良いよ!!?)
『.........ふぅ〜ん?じゃああの子に似たウマ娘のそういう本を持ってたって今から言いに行くわ。残念だけど』
桜木(でも喋っちゃうじゃんねぇ!!!小学生だからねぇ!!!)
クソァッッ!!!なんでそんな事知られてんだよ!!!絶対あの子来てる時に暇だから俺ん部屋に勝手に漁ったんだろこの人!!!マックイーンは変に部屋の中漁らないから普通の所に隠してたわ!!!今度から電子にしよ!!!
桜木「あの、突然で申し訳ないんですけど、武さんから見てウチのチームはどんな感じですか.........?」
武「どんな感じ?う〜ん.........難しいなぁ」
武「正直に一言で言うんだったら.........統一性が無いですよね」
桜木「で、ですよねー.........」
全くごもっともである。俺自身が抱いている感想を代弁してくれるように武さんは苦笑いを浮かべながら言ってくれた。そこに関しては俺も完全に同意見だし、桐生院さんも愛想笑いを浮かべて居た。
そんな俺に対して背後の彼女は睨み付けてくる。だってしょうがないじゃないか。いきなり
「どうですか?ウチのマックイーンは」
なんて聞いたらうわコイツマックイーンの事好きすぎだろって思われるだろ。嫌だよ事実そうだとしても、この場では責めて大人のトレーナーでありたいよ俺は。大好きなんだけどさ?
桐生院「でも本当に個性派揃いですよね。桜木さんのチームって」
武「本当ですよね。まさかあんな子達を一纏めにしてチームにするなんてって、最初聞いた時はビックリしましたよ」
桜木「あはは.........でもどうです?武さんから見てうちの子達は」
よし。これで自然とチームメンバーの話になった。これである程度彼女の要望に添えられる答えが聞けるだろう。
その証拠にほら。ちょっと期待した顔してる。新しいスイーツのお店を見つけたマックイーンみたいな顔してる。可愛いな.........やっぱ今日行きたかったな実家.........
武「それぞれ武器というか、持ち味が違いすぎますよね。プロでもやっぱり、自分の得意な分野で力を発揮出来る子を見るものなんですよ」
武「そこら辺桜木さんは、やっぱりオールラウンダーと言いますか、器用さを感じますよね」
桜木「あはは、何だか照れちゃいますね.........」
器用だと褒められてしまった。俺自身はどう頑張っても不器用寄りなのだが、どんな事でもとことん頑張っているとそういう風に見られるのかもしれない。
とはいえ、聞きたい事はそれでは無い。俺と彼女が聞きたいのはそれぞれの事。武さんが俺のチームメンバーをどういう風に見ているかだ。
桜木「タキオンはどうです?かなりのスピードでしょう?」
武「そうですね。あのトップスピードとそこに至るまでの加速力は目を見張る物があります。クラシックでは序盤以降はレースに出ていなかったので、これから楽しみですね」
桜木「良いですよね!!あのスピード感!!あの子は本当に強い子ですよ!!他の子はどうです?ウララとか?」
武「.........最初は素直で良い子だと思ってただけなんですけど、本当に驚きました。まさかあの子がここまで強くなるだなんて.........」
桜木(.........ん?)
先程のタキオンの時とは打って変わって、ウララの事を話す武さんはどこか嬉しそうな顔を浮かべてしみじみと語った。あの子に何か思う所があったのだろうか?
もしかしたら昔、ウララみたいな子を担当にしたのかもしれない。それでもしかしたら、適正外のレースに出たいとか.........なんて、可能性の低い想像をしてみるが、結局は想像の域を超えて出る事は無かった。
武「それとライスシャワー。あの宝塚は度肝を抜かれましたね。あのミホノブルボンも出てきましたし.........途中は肝を冷やしましたけど」
桜木「ああ!アレはスピカに居るサイレンススズカのお陰なんですよ!!あの子の安定感のある走りを参考にしたんです」
武「あぁ〜!通りで!!俺あの子に教えたっけな〜って記憶を探りましたから」
桜木「え?お、教えたって.........?」
武「サイレンススズカにその走り方を教えたの、僕なんですよ」
驚愕の言葉が武さんの口から出てきた。まさかまさかの事実で、俺は声すら出す事が出来なかったが、後ろに居る彼女はやっぱりと言ってどこか納得した様子だった。
話を聞けば学園トレーナーを志した若い頃、公園で走るスズカを見てその走り方の危険性につい声を掛けてしまったらしい。
本人にしてみればその一回だけらしいが、スズカにとっては未だにその言葉が心の中に刻まれているらしく、スピードと共に安全性を求めた走りを追求し今の形に落ち着いたのだ。
そしてそれが今、まだ未完全ながらもライスに受け継がれている.........あの子が今普通の学園生活を送れているのは過言でもなんでもなく、武トレーナーのお陰だったのだ。
武「そう考えると、世の中は狭いですね」
桜木「.........そうですね」
武「復帰を果たしたミホノブルボン。そしてこれからクラシックを走るアグネスデジタル.........この先、桜木さんのチームがどうなるか楽しみですよ」
にこりと微笑みながら優しい声で話す武さんに、俺達もつい頬を緩めてしまう。桐生院さんも俺の方を見て良かったですねと声を掛けてくれた。
ついつい気持ちが良くなってしまった俺はつい、その次を催促してしまった。
桜木「マックイーンについてはどうでしょう?」
武「.........」
桜木「.........」
桜木(.........あれ?)
彼女の事を聞いた瞬間。先程までの満面の笑みに少し陰りが現れた。少し目を泳がせてから、今まで手に着けていなかったおちょこを掴み、注がれていた日本酒をゆっくりと煽る。
言い難いことだったろうか。いや、そもそも彼はプロトレーナーだ。ただ一人の一般トレーナーである俺が踏み込みすぎたのだ。コンプライアンス的に考えれば、ここまで言ってくれただけでも異例の事だ。
そんな事も知らずに俺はこの人の優しさに甘えてしまった。それに気付いて謝ろうとした時、先に口を開いたのは武さんだった。
武「驚いたんですよ。本当に」
桜木「え?」
武「[繋靭帯炎]は不治の病。それは僕達プロにとってもそうで、一度なってしまえば完全復活する事は出来ない」
武「彼女がそうなったと聞いた時、僕は胸が張り裂けそうだった」
武「こんなにも、こんなにも無慈悲なんだなと.........」
.........世界は残酷で無慈悲だと人は言う。大人になれば誰しもがその言葉を胸に、日々を生きてく為に前を歩く。
けれどそのほとんどがその本質を知らない。それがどれほどまでの残酷さで、どれほどまでに無慈悲なのか、その深さを知る由は無い。
あの日までの俺と今の俺で変わった事。それはきっと、世界がどれだけ深い海にあるかを知れた事だ。前と今とじゃ、太陽の陽の光がどこまで届くのか.........その想像力が大きく違ってくる。
その深さをこの人は知っている。俺なんかよりもよっぽど、深い所に行った事があるのかもしれない。
そう思わせるくらいには、彼の発言にはとんでもない重みが感じる事が出来た。
武「.........桜木さんは、あの子とどこまで行くつもりなんです?」
桜木「.........[どこまでも]。道の続く限り。道が途切れたなら、[空]の続く限り。あの子の行きたい場所に、俺は連れて行きます」
武「!.........楽しみにしてるよ。君達の活躍を」
ーーー
あれから数時間の時が経って、彼等にとって有意義な時間は終わりを告げた。武はタクシーを呼んで二人のこれからに応援をしていると言って車に乗り込んだ。
(本当、食えない男ね。こっそり付けたら化けの皮でも剥がれないかしら?)
私は桜木に彼女の元に戻ると言っておきながら、実際は走るタクシーの後ろを付けていた。ここで運転手に威圧的な態度でも取ったなら私の溜飲も下がったけれど、やっぱりどこまで行ってもその紳士の[仮面]は剥がれ無かった。
武「ここで大丈夫です」
「はい。代金は4000円ね」
武「お願いします」
「.........あと、サインもお願いしても大丈夫ですか?」
武「構いませんよ」
やっぱり、こういう時でも嫌な顔せずに対応している。本当嫌になるわ。私の気も知らないで.........
手際よくサインを書き終えた彼は車から降りて、運転手に礼を言って見送った。暫くの間立ち止まっていたけれど、不意にポケットから携帯を取りだしてどこかへ電話をかけ始めた。
(全く。こんな所で電話?家に帰ってからしたらどうなのよ)
武「.........久しぶりだね」
(?やけに優しい声ね.........まさか、そういう相手じゃ.........っ!!?)
こちらを見ている。明らかに、彼は私の目を見て話し掛けてきている.........
武「.........はは、面白い顔やなぁ」
『.........分かるの?私の事が.........?』
武「そりゃあんだけマックイーンマックイーン言ってたら誰でも気付くわ」
さっきまでとは違う砕けた口調。昔、言葉が通じないながらも話しかけてきた記憶がそっと蘇ってくる。
そうだった。確かこの人間はこういう話し方をするんだ。その時はなんでかは知らなかったけれど、今となってはそれが生まれ育った地域の喋り方なんだと直ぐに分かる。
武「偉い綺麗になったなぁ。正にクイーンって感じ」
『ふん、昔からそうだったでしょ?』
武「いやいや、綺麗だったのはレースの仕方だけやったで」
『な!なんですって〜.........!!!』
そ、そういう人間だったのね!武っていう奴は!!やっぱり私の睨んだ通りじゃないっ!!!紳士には程遠いわ!!!
全く.........油断も隙もありゃしないわ。やっぱり背中に乗せていた時からいけ好かない奴だとは思っていたけれど、まさか本当にその通りだったなんて.........
『.........でも本当に、私の背中に乗っていた[武豊]なのね』
武「そうやなぁ。俺もまさか全部終わらせてこっち側に来るなんて思わなかったわ」
『それにしても、貴方の事だから自分の乗った馬達全員を見ると思ってたけれど、早々にプロに行ってただなんて驚きだわ』
武「いやぁ、最初こそそのつもりやったけど、案外この仕事も楽しくてなぁ。気付いたらこうなってた」
ほんのりと顔を赤くさせて笑う彼。お酒が入ってるのもあるかもしれないけれど、そんな表情を見たのは初めてだった。
話を聞けばこっちでの生活も悪くなく、むしろあっちよりも規則が厳しくない分色々と出来るらしい。そりゃ選手とトレーナーとでは時間の使い方に違いが出るのは必然よね。
『.........どうだった?私の新しい[相棒]は?』
武「面白い人やな。[空]の続く限りなんて、早々口にしないやろ?」
『あら、貴方も言ってたじゃない』
武「はは、そうやったな。けどそんな言葉を、自分じゃない口から聞けるなんて思わなかったんだ」
嬉しそうにしながらも、それでも私の目にはどこか悲しげに見える彼の姿が映っていた。
その理由が気になって、でもなんて聞けばいいのか分からなかった私は、ただ彼の言葉を待ち続けていた。
武「.........君はここで、一体どこまで行くんだろうなぁ」
『.........[あの子]が行ける所まで。[彼]が連れて行ってくれる所まで。[私達]が.........届かなかった場所まで.........』
彼のその短い疑問だけで、何を考え、何を惜しんで居るのかが何となく分かった。
彼もまた[夢]見ている。あの日の続き。有り得なかった物語。そこに何が待ち受けているのか。その期待。
寂しげな目はきっと、あの日あの時にそうなりたかったから。今この世界ではなく、あの時あの世界でそうあったなら.........そんな惜しむ気持ちが、伝わってきた。
『.........思えば貴方も期待されていた物ね。どう?結局、世界の頂きは見れたのかしら?』
武「そうやなぁ、もう随分こっちで過ごしてきたし、話す相手もいないから思い出す事も無くてなぁ」
武「.........でもまぁ、俺の[物語]はちゃんと、あっちで終わらせてきたから」
『そう。こっちの予想通りの回答どうもありがとう』
アスリートらしい切り替え方。終わってしまえばもう何も無い。あるのは次だけ。その次にどれだけ意識を向けられるか。それが勝負を決する要因になる。
この男は長い間それをしてきた。例えスランプに陥っても、例え多くの人に批判されても、例え.........自らの相棒が世界を去ったとしても.........悲しむだけ悲しんで、後は進むだけ。それをしてきた人生だったろう。
だからその生き方が染み付いていて、どんな結果になろうともそれは過去の物として扱い、人々がそれを語る間は自分もそれを覚えていられる。そんな人間が、常に勝ち続ける事が出来る。
『.........心配かしら?』
武「まさか。少なくとも、俺みたいな[退屈な相棒]よりは楽しそうや。安心したわ」
『そうね。でも[退屈]だからこそ、[落ち着いた日々]を過ごせたとも思うわ』
誰よりも強かった。自他共に認めるその実力がレースへの緊張感を生み、それと同時に安心感も生んでいた。この子ならきっと大丈夫だろう。勝ってくれるだろう。そう思われるくらいには、私は強かった。
そうする事が出来たのは他でも無い。背中に乗っていた彼のお陰でもある。元々得意だった先行策を完成させれたのは、彼が乗っていてくれたからだ。
武「その割には会いに行った時嫌な顔してピューって走ってったやろ」
『そうね。話の通じない相手の顔を見るのは嫌なのよ。それに通じた所で、受け入れて貰えないと思っていたし』
武「なんや。お願い事でもあったんか」
『私のじゃないわ。皆のよ』
『.........あの日本に住む、皆のね』
そこまで言ってしまえば、彼は直ぐに察する。きっとあの事だろう。自らもいつかの時に口に出した、あの言葉.........
私自身、その言葉は肉体という檻から抜け出して自由を満喫していた頃に聞いていた事だった。だからこそ余計に、自分と同じ思いだったが故に、私の言葉が分からない事に腹が立った。
それでも、目の前に居る男は笑っている。まるで面白い物を見たと言うように.........
『な、なによ』
武「いや、やっぱ[メジロマックイーン]やなぁって。そんな責任感強い[馬]、君しかおらんで」
『悪い事かしら?私としては走る理由なんてそれしか無かったのだけれど?』
武「そんな[君]だからこそ見たいんや。これから先、何を見るのか。そして―――」
桜木「.........」
桐生院「.........考え事ですか?」
桜木「!うん。武さんに聞いた事を、ちょっとね」
―――寒空の下、肌を裂く様な冷たさを帯びた風に当たって頭を冷やす。今日の話は本当に有意義なものばかりだったが、その中でも自分の心に課題を残した物を、今思い返している。
[武さんは、ウマ娘の何を信じてレースに臨んでいるんですか?]
[.........う〜ん、偉く曖昧ですね]
[すみません。俺自身、最近ちょっと見えなくなってきちゃっていて.........]
最近、ぐらついていた。何を信じたらいいのか。分からなくなってきていたんだ。
ライスとブルボンの宝塚。ウララとタキオンの有馬。予想外の事が起きて俺自身が興奮した。
それを裏返すように、俺は自信を失っていた。こんな事が起こるなら、俺は一体何を信じられる?あの子達の可能性か?それともこれまでの努力か?
.........そんなもの、皆持っている。あの子達だけの物なんて、数える程しかない。そしてそれだけで勝てるほど、レースは単純じゃない。
[僕自身はいつも、自分の見ている子が一番強いと信じていますよ]
[.........それは、それまで勝ててなくても、ですか?]
[強いです。誰がなんと言おうと]
確固たる信念。真っ直ぐな目でそういう武さんに、俺はなんて自分が最低な男なんだと自責の念を抱いていた。そんなの、当たり前じゃないか。と.........
その当たり前が出来ていないのに、何がトレーナーだ。自分の子を一番に信じてやれないなんて、そんなんじゃ勝てる勝てない以前の問題じゃないか。
[.........でも、チームメンバーと一緒に走るとなると違ってきますね。難しい物だと思いますよ]
[!やっぱり武さんも、難しいと.........?]
[プロになると基本は一人に集中出来ますけど、学園トレーナーの時はそれはもう]
[.........そんな時は、どうされていましたか?]
[あの子達も僕達と同じ人間ですから、近くて遠い物を信じれば良いんです]
近くて遠い物。それがなんなのかはその時には分からなかった。けれど、今はなんとなくそれかもしれない。というのが見えて来た。
何に一番近くて、そして何に一番遠い物.........それは―――
「「[勝ち負け]に対する思い(.........か)」」
武「.........そんな姿にまでなったんや。勿論あるやろ」
『.........本当、食えない男ね』
―――人間と動物。それらを同じ生き物の括りにする事は出来る。けれどそれらを同じにするには、その内側に渦巻く物が余りにも違いすぎる。
動物は今日を生きる為に。明日を生きる為に生存競争を勝ち続けなければいけない。そうしなければ種は死滅し、やがて絶滅の一途を辿ることになる。
人間はその真逆。今日勝てるから。明日勝てるならもう死んでもいい。そう思う存在がイレギュラーとは思えない程に無数に居る。
.........この世界は、彼と彼の周りにいた人間に優しいのかも知れない。口も聞けない。性質も違った相棒が同じ志を持ち、そして言葉を交わせる。
そんな事が有り得ないとされていた。有り得ないとされていた事が.........この世界では起きている.........
武「君が.........君の名を冠する[ウマ娘]がどこまで行くのか。楽しみにしてる」
『そうね。それこそ、どこまでも行くと思うわ』
『[空の果て]まで.........ね』
桜木「.........んんん〜!はぁっ、ようやく緊張が抜けてきたなぁ」
桐生院「そうですね。やっぱりプロの方となると色々感じますからね」
―――料亭を出て二人並んで歩く夜の街並み。街頭は灯り、月は朧な雲に紛れて俺達を照らしている。
身体を伸ばして固まった腕やら肩やらを伸ばしてようやく、心と身体の調子を普段の物へと戻して行く。確かに有意義な時間ではあったが、暫くは遠慮したいくらいには緊張してしまった。
桜木「それにしてもプロかぁ。桐生院さんはなるの?」
桐生院「う〜ん。私の家は確かにトレーナーとしては名家ですけれど、どちらかと言えば伸び盛りのウマ娘を伸ばす事を重点にして居ますから.........なりたいなぁとは思いますけれど」
桜木「そっか。まぁ俺もそこまでかなぁ。こっちの方が[夢]がハッキリしてるし」
夢を追うのは[子供]の特権だ。勿論大人が夢を追っては行けないという訳では無いが、色々なしがらみが生まれ、それを管理しなければ行けないというのは中々骨が折れる。そんなのはもう懲り懲りだと会社を辞めた時に思った。
それに、俺は挫折を知っている。それも立ち直る事の出来なかった挫折を.........これを知っているのと知っていないのとでは大きく違ってくる。それを上手く活かしてやれるのはきっと、挫折を[まだ知らない]子達だ。
桜木(.........信じる事。それが[強さ]に繋がるなら.........)
(俺は、あの日の[挫折]を信じてみるさ)
ピースはどんどん埋まっていく。いつかの自分に言われた言葉。信じる事が出来るのなら、神やAIですら超えられる。
そして武さんの言っていた近くて遠い物を信じる事。夢と挫折は切っても切れない関係でありながら、その位置は一番対極的な場所にある。
それが一歩になるのなら、踏むしかない。
あの子を.........あの子達の夢を[共に走る]のなら.........何だって出来る。
そんな決意を抱き、夜空に浮かぶ月から視線を外して前を見る。
桐生院さんと歩く夜はなんだか、感じた事の無い楽しさを感じる事が出来たのであった.........
[夢追い人]
進化条件
[異世界の者]に触れる 1/1
[奇跡]を超える 0/1
......To be continued