山あり谷ありウマ娘 〜気付いたら脱サラしてトレーナーになった話〜 作:ギノっち@カマタラル
「本日は長い道のりの中お越しいただき、誠にありがとうございます」
マック「こちらこそ、私のわがままを聞いて下さり有難く思います」
旅館の入口。そこに足を踏み入れると奥から知っている顔の女将と若い女性が緩やかに、そして上品な歩き方でこちらまで来て頭を下げました。
私も今回の無理を通して頂いた件にお礼を言い頭を下げます。そのワンテンポ遅れる形で彼もその頭を下げました。
「.........お嬢様。少々お耳を」
マック「?はい」
(本日お越しになるのは桜木トレーナー様だと伺っていたのですが、何か手違いがございましたでしょうか.........?)
マック「?.........ああ」
桜木「?」
耳打ちされた言葉を受け取り、その意味を探ろうと彼の姿を見ましたが、その瞬間に合点が行きました。
私は彼に髪をあげる様にジェスチャーをすると、彼も気付いた様子で慌てて髪を上げました。
「!こ、これは大変失礼いたしました!!」
桜木「いやいや。むしろメジロの人にもバレないくらい見た目が変わってる証拠になりますから。これからの安心が出来ました」
マック「ふふ、凄いでしょう?」
ハンバーガーを食べに行った時から下げられた髪のままでしたから、気付かなくても無理はありません。それにここで気付いてくださらなかったらもう暫く普段の彼とは会えないままでした。
ここはメジロの旅館。それに貸切の状態。私も変装する必要はありませんから、被っていたウィッグ着きの帽子を脱ぎ、伊達メガネを外しました。
「お部屋へ案内いたします。お荷物はこちらの者にお預けください」
二人「ありがとうございます」
私達二人は若い女性に持ってきた荷物を渡して女将の後を着いていきます。
久々の旅館.........来たのは幼い頃でしたが、その頃と違う事の無い雰囲気と清潔さがあります。
加工された木造の床と壁。シンプル故に落ち着く作りに対して施された存在を誇示しつつも、決して強すぎない主張の装飾が施されています。
縁側の廊下から見えるのは落ち着いた庭園。灯篭とわびさびの音を響かせるししおどし。何から何まで変わっていない所を見るに、やはり今でも人気である事を思わされます。
そして案内された再奥の部屋。女将が床に膝を着いて襖を開けると、目の前には大きな窓とそこから見える絶景の自然が広がっていました。
桜木「す、凄い.........」
マック「こ、こんな景色だったのですね.........」
部屋に入り窓に近付くと、入口の外で感じた物より強いエネルギーが感じ取れました。自然の力というのは偉大で、決して近くに無くとも目に触れるだけで癒されるのだと改めて知りました。
「お食事は午後の7時にお持ちいたします。それまではどうぞごゆっくりと」
二人「は、はい」
広大な自然に圧倒されてしまいつい吃ってしまいました。私もこの部屋で泊まった筈ですのに.........直ぐに寝てしまったあの日の事をやはり勿体ないことをしてしまったと思いました。
若い女性から荷物を受け取り、テーブルの傍の床へ移動させます。夕食まで時間はたっぷりとありますから、それまでの間.........
マック(ど、どう過ごせば良いのでしょう.........?)
普段であるならば.........そう。メジロ家で旅行に行った時はこういう時、大体ライアンやパーマー辺りが外に行く提案をしてくれました。それに着いていく形で私も外で掘り出し物を見つけたりする事もありましたが.........
トレーナーさんは長距離の運転で疲れているはずです。こ、こういう時の過ごし方は一体どのようにすれば.........
そんな事をずっと考えていると、彼はその場に胡座をかいて座りました。両手を後ろに着いて天井を見上げた後、疲れを吐き出す様に息を吐きました。
その様子は正にこの場に適応しようとする姿勢。行動でした。これが大人の対応力.........来た事の無い場所であろうと自ら落ち着く為の意識が出来る.........今の私には無い能力です。
彼の普段見せてくれないその一面に目を惹かれていると、不意に彼と目が合ってしまいました。慌てて逸らそうにも失礼に当たると思った私はあちらこちらと視線を動かしてしまいます。
しかし、そんな私の事を見て彼は優しく笑った後、その膝をポンポンと叩きました。
ここに座って欲しい。という事なのでしょう。最近の週末は殆ど彼のお家に行って過ごしています。そしていつも大体は彼の膝にお邪魔してしまうのです。
うぅ.........あ、あれは他の方の目が無いから出来るのであって、ここは旅先の宿。しかもメジロの管理下です。もし見つかりでもしたら.........
桜木「.........おいで、マックイーン」
マック「!.........〜〜〜///」
もう.........もうっ!!!そんな優しい声で囁かれたら抗う事なんて出来るはずがありません!!この人はそれを知っていてしてくるんですから!!本当っ、ずるい人です!!!
こうなったらもうとことんまで言いなりになって差し上げますっ!!!
.........そんな反抗的に見せかけた喜びの感情に任せて、私は彼の膝の上に座りました。
.........ぎゅ
マック「ぅ、あっ.........///」
桜木「.........」
背中側から優しく回された手。それは私の腹部で結ばれてしまい、彼と密着状態を作ってしまいます。
彼の呼吸と心臓の音が私の耳を支配して熱を昂らせます。こんなの.........お家でも恥ずかしいのに.........外でされてしまったら.........///
マック「.........玲皇さん」
桜木「ん〜.........?」
マック「ふふ.........可愛い♪」
桜木「ん〜ん.........」
不思議な感覚です。こうして彼に触れられて、力一杯抱きしめられて、心臓が壊れてしまいそうなくらいドキドキしているのに.........それと同じくらい安心してしまうんです。
きっと、私がソワソワしているのを見ていられなかったのでしょう。折角の旅行で、初めての場所で、恋人として来ているのに.........その相手が落ち着けなかったら、私も同じ様にしたはずです。
腹部に回された手に触れて、私の背中にうずくまっている彼の頭に手を乗せます。チクチクとした彼の髪質が愛おしさを更に増長させます。
マック「玲皇さん.........♡」
桜木「?」
マック「顔、上げてください.........♡」
心から溢れた[好き]という感情。そのままにしてしまえば身体が壊れてしまうくらい強い力を持っています。
それに身を任せ、視線を合わせてくれた彼に嬉しさを感じながらも私は身体を少しよじらせてその目を閉じました。
「―――」
言葉も無く、動きも無い。あるのは重なり合った心臓の鼓動とそれに合わせた秒針の音だけ。
唇と唇が触れる。それだけで腰から背中に掛けて甘く痺れるような感覚。恋人になった時の確かめる為のキスでは無く、精神世界でしてくれた勇気付ける為のキスでも無い。
ただ[好き]という事を伝えるだけのキス。何よりも甘くて、幸せになれる行為。そしてそれと同時に感じる切ない気持ち.........
マック「―――っ♡」
桜木「っ、かなりびっくりした.........」
マック「ふふ♪それにしてはなすがままでしたわよ?」
桜木「好きな子のキスはいつだって大歓迎だからね。拒みませんよ〜俺。有事以外は」
嬉しそうに、そして恥ずかしそうに笑う彼に釣られて私も頬を緩ませてしまいます。そのまま彼の身体にゆっくりと自分の身体を倒して行きます。
人を[好き]になる。家族を[好き]になる事。友人を[好き]になる事。世の中には沢山の好意が存在しています。
しかし、[恋人]を[好き]になると言うのは、現時点で考えてもとても不自然で歪な物だと思うのです。
安心してしまう。けれど、ドキドキしてしまう.........相反するはずのそれが同時に訪れて心が壊れそうになってしまう。きっともう、これが解消される日は来ないのでしょう。
けれど、だからこそ。この想いの赴くままに.........これからも彼と共に.........♡
マック「.........大好きです♡」
桜木「うん。俺も、マックイーンの事が大好きだ」
マック「.........ふふ♪」
お互いの背中に手を回し、優しくも力が籠ったその行為は存在を確かめ合う物でした。
誰のものでも無い自分自身。そしてその中でも譲れない[心]という概念。それをお互いの隣に抱き寄せて、触れ合わせる。
そんな無言の時間がしばらく続いた後、お互いの心が満たされた感覚を感じ取りました。
桜木「.........じゃあどうしよっか?」
マック「そうですわね。お夕飯まで時間がありますし、明日買うお土産を探します?」
桜木「良いね!そうしよっか!」
幸せな空間と時間。彼の手が離れても心は未だそこに取り残されている。延々と愛を享受し続けるそれに自分の事ながら呆れを感じつつも、私と彼は荷物を置いたまま外へと歩き出しました.........
ーーー
「お〜。流石観光地。お菓子も雑貨も沢山あるね」
「当たり前です。定番だけではなくメジロに関する物もありますわよ?」
「へ〜。例えば?」
「そうですわね。この[春の盾クッキー]とか、[メジロ饅頭]とか」
「うわ、地味に欲しい.........」
「ふふ♪では自分用にも幾つか買いましょうか♪」
「ほぇ〜.........木刀も置いてある。しかもかなり材質が良い.........[女城]って堀字も味があるね」
「.........ふふふ、それを手に取ったという事は、遂に覚悟を決めたのですね?」
「え?な、なんの.........?」
「映像化は次で三作目。安心して下さいまし。今度はちゃんと台本を作ってもらいますから」
「.........げっ!!?.........これはまたの機会に.........」
「すいませ〜ん!こちら七本ほど下さいませんか?」
「ちょまって!!絶対やらないからね[ゴルシウォーズ]は!!!」
「おっ、このアクセサリーってもしかして.........」
「あら.........[王冠のアクセサリー]ですわね」
「まさかこれ。俺達の影響なのかな?」
「まぁ普通に考えれば.........URAファイナルズも優勝しましたし、チームの成績もかなり良かったですから」
「う〜む。派手さの無い質素な感じが良いな.........」
「ふふ、新しく新調しますか?」
「いんや。壊れた訳じゃないんだし、コレでいいでしょ?それとも変えたい?」
「それこそ有り得ません。私達の証はこれだけですから」
「そうだね。じゃあ俺達はコイツらが誰かにとっての[証]になる事を願おうか」
「あ、あれは.........」
「?どしたのマックイーン.........ああ」
「っ、違います!決してお腹が空いたのでは無くて.........」
「すいません。コロッケ二つください」
「ってちょっと!!なんで二つも頼んでるんですの!!?私そんなに食いしん坊では.........」
「片方は俺の分。もう片方は君の分」
「だ、だから.........さっき見ていたのはその、食べたいからという訳では無く.........」
「何回来れるか分からない旅行。遠慮は後悔以外生まないよ?これも旅の醍醐味だからさ」
「!そ、そうですわよね.........一つくらい食べてもお夕飯には.........ふふ♪」
ーーー
彼とお土産を吟味した数時間。色々な人の顔を思い浮かべながら過ごした時間はとても幸福な物でした。
明日買う物の目星を付けた後、私と彼は宿に戻って用意されていた和服に着替えました。
部屋の長方形の食卓で彼と向かい合って待っていると、女将が料理を運んで来てくださいました。
「お待たせいたしました。ごゆっくりとおくつろぎください」
桜木「わっわっわっ.........」
テーブルの上に並べられていく料理。鯛の活け作りを中心に伊勢海老やフグの刺身。鮎の姿煮に旬の野菜を使った天ぷらや鍋などが並べられました。
その様子にたじたじとしながらも、とても楽しそうな表情を見せるトレーナーさん。そんな子供らしさがとても愛おしく、そして嬉しく思ってしまいます。
料理が全て並べられ、部屋には彼と二人っきり。私と彼は視線を合わせた後、ゆっくりと両手を合わせました。
二人「.........いただきます」
私は箸を手に取りましたが、すぐに何かを取り皿に乗せる事はしません。こういう時の楽しみ方は彼の表情を見る事です。
瞳をキラキラと輝かせつつも、行儀が悪いとかなんだ言いながらもどれから食べるべきか迷う彼。目の前に並べられた料理全てが初体験だと言いながら、彼はまずフグの刺身に手を伸ばしました。
桜木「あむ.........!え、すご.........!!」
マック「ふふ、どうでしょう?」
桜木「なんだろう。他の魚と全然違う。味が違う.........!!!」
その後も彼は未知への探求心に突き動かされる様に、食べた事の無い食材を口に入れていきました。その一つ一つを味わい尽くしながら、幸せそうな顔で堪能して行きます。
マック「喜んでいただけて何よりです」
桜木「うんっ!ありがとうマックイーン!」
マック「うふふ.........では私も.........」
一通り彼の反応を見終えた私も食事を初めて行きます。こう言った場所でこのような料理を食すのは初めてではありません。トレセン学園に入って最初の頃はまだ家の付き合いがありましたし、何より予定ではそう言った過程を踏んで担当トレーナーを決めるのが定石でしたから。
しかし、彼と出会ってからはめっきりとそんな機会は無くなり、むしろ余計にこの料理の有り難さをより感じられるようになりました。
彼と過ごして学んだ事。その恩を返して行く様に、会話と食事がどんどん進んで行きます。
あれだけ喋ったはずなのに、未だ尽きる事はなく.........家の者が見たらさぞ行儀の悪い姿だと思われてしまうでしょう。
チーム[レグルス]。はぐれ者の寄せ集めと言っても良い程、最初の頃は色々と言われました。
私自身、もっと良いチームがあると幾人かの人に言われた事もあります。
しかし.........誰かが壁を[乗り越える]度に、彼が[奇跡を超える]度に、そんな事を口に出す人は居なくなって行ったのです。
寄り添い合い、支え合う。良く言われる[依存]とは在り方の違う関係性。互いが互いの為に、自分に出来る限りの事をする。前に進む為に。[山]を、[谷]を、超える為に.........
[ひとり]で進もうとする者は周りを見始めました。
[ひとり]で立てない者は周りと共に成長しました。
チームとして、個人として成長してきた私達。ウマ娘もトレーナーも、あの頃から見れば大きくなったと思います。
そんな心情を彼と打ち明けながらも、食事は進んで行きました.........
ーーー
桜木「はぁぁぁ.........」
天にも登る極楽。と言うのはこういう事なのだろう。湯船に身体を沈めた途端に無意識に声が出てしまう。
思っていたより身体が疲れていたのかもしれない。両手でお湯をすくい顔を洗うようにするとすぐに温泉の温かさが脳に作用してふわふわとしてくる。
旅館の温泉。しかもメジロの運営する施設と来た。当然サービスも雰囲気も最上位クラス。温泉であってもそれは健在であり、木船風呂の上質さに驚きながらもどこか親しみやすさを感じていた。
身体を洗い、一つ一つの湯船を堪能して行く。それだけで日々の疲れが癒されて行くのが手に取る様に分かった。
桜木(最近、取材やらテレビやらで忙しかったからなぁ.........)
もう少し湯船に身体を沈める。肩まで浸かるようにして伸び伸びと足を伸ばす。人が居る場合は俺も遠慮してしまうが今回は貸切。何も気にせずに疲れを癒す事に専念出来る。
桜木「さぁてと.........ではメインディッシュの露天風呂にでも行きましょうかね」
最後の最後に取って置いた楽しみ。露天風呂。温泉に来た時は必ず最後に入ると勝手に決めているそこに目標を定め、今入っている白濁とした湯船に名残惜しさを感じつつも、俺は立ち上がって風呂から上がった。
風呂を巡っている間に外に出れるらしい扉に目星は着いていたため、湯冷めする前に外に出たかった。
.........だがしかし、一つの[疑問]を感じさせる物が露天風呂の入り口に置かれており、足止めを食らう羽目になる。
桜木「?[露天風呂に入る際は、バスタオルをご着用ください].........?なんで?マナー違反ちゃうのん?」
自分の知っている常識とは違うお願い文を目にして俺は混乱した。流石の俺でもバスタオルを巻いて風呂に入るのはマナー違反であると知っている。
.........けど、最近めっきり来てないし、何かが変わったのかもしれない。最近外国人さんの旅行客も多いし、外で真っ裸はちょっと.........という人の為の物かもしれない。
そう、言うなればこれはッ、メジロ家側からのッ
桜木(配慮ッッ!!!)
ならば致し方無し。日本の人が巻かずに入ってるのに自分達だけ巻くと言うのは疎外感を感じさせてしまうかもしれない。ならば自分達が率先して新ルールに乗っ取り温泉を楽しむ.........うむ。日本人らしい奥ゆかしき配慮だ。
ならば俺もそれに乗っからなければならない。そう結論付けた俺は早速バスタオルを腰に巻いて露天に続く外の扉を開いた。
濡れた身体に触れる外気。春が来たと言っても夜の外はまだ寒い。しかし、その寒さが不思議と心地好く感じる。冬場の北海道はもっと寒かったし、これくらいはどうって事ない。
それに、露天風呂は少し寒いくらいが丁度いい。そう感じながら冷たい地面を素足で進んで行く。
桜木「うお.........!!?」
木で出来た仕切りのドアに手を掛ける。そこを開けると、目の前には石を切り崩したタイプの露天風呂とヒラヒラと舞い散る桜。そして空には満天の星空と煌々と咲く満月があった。
幻想。正にそう言っても良いだろう。かつてこれ程までの景色を現実世界で見た事は無い。小さな風の音すら拾えてしまう程の静けさの中に絶え間なく流れる源泉がお湯に跳ねる音。どうやら俺は温泉という物をどこか舐めていたのかもしれない。
そんな景色に惚れながらも、寒さを感じ始めた身体は自然と湯船に伸びて行った。足先から感じる温かさが既に全身へと巡ってしまう。それほどまでに多幸感が大きかった。
やがて湯船の段差を降り切り、岩を背にして腰を下ろす。空を見上げれば満開の桜と満月が目を癒してくれる。
かつてこれほどまでに.........これほどまでに綺麗な景色は見た事あっただろうか.........
桜木「.........」
.........いや、ある。これに負けないくらい。俺に幸せと夢を与えていた景色がある事を、俺は知っている。
何度も何度も与えられて来た。苦難を乗り越える度に、苦痛を耐え抜いた度に.........その景色は俺の前に現れてくれた。
それをもたらしてくれたのは、いつもあの子達だった。あの子達が居てくれたから俺は.........今もこうしてトレーナーで居る事が出来る。
月と桜と湯けむりと。そんな贅沢な風情に囲まれながら浸る思い出は.........いつもより色鮮やかな物だった.........
「隣、よろしいでしょうか?」
桜木「.........あー」
.........薄々。どこかで理解していた。無意識下の奥の隅っこの方で。こうなってくれるんじゃないかって.........期待していた。
でも、その声が聞こえて来た途端期待は恐怖へと変わった。[幸せな健全男子の妄想世界]から、[苦しみ我慢全開の拷問現実]へと変貌を遂げてしまったのだ。
「.........あの、玲皇さん?」
桜木「.........良いよ。おいで」
―――優しい声。けれどどこか切羽詰まった様子を感じさせるトレーナーさん。私は申し訳ないと思いながらも、彼の隣に腰を下ろしました。
空を見上げれば舞い散る桜を照らす春の月。湯けむりが星空を霞かけさせて幻想的な雰囲気を生み出します。
隣を見れば、彼が.........って―――
マック(も、もしかして
一通り中のお風呂を堪能し終えて、楽しみに取っていた露天風呂の方へ来たんです。そしたらそこにこの人が居て.........思わず声を掛けてしまったのです.........
と、隣に、何もまとっていない上半身裸の彼が.........!!!こ、こんなの.........!!!
マック「ぶくぶくぶくぶく!!!」
マック(やっちゃった!やっちゃった〜.........!!!)
熱くなる身体。温泉のせいでは無いことを確かに感じながら、私はその全身を湯船の中へと沈み込ませました。
段々と苦しくなっていく感覚。当たり前です。息を吐きながらお風呂の中に入っているのですから。
次第に呼吸をしなければ行けない状態になり、ゆっくりと湯船から顔を出して彼の様子を伺うと、びっくりした表情で私の方を見ていました。
マック「!な、なんですかその顔は.........」
桜木「いや、別に.........」
マック「何も無いという事は無いでしょう!!?言いなさいっ!!!ほら!!!」
思った事を言い渋り顔を背ける彼。その姿が癪に障った私はその言葉を催促しました。
それでも彼は微妙な表情を見せ続けます。そんな事で引かない性格なのはこの[六年間]でよく分かっているでしょう?
私は言葉を発すること無くただ黙って彼の顔を見つめていました。すると私の諦めの悪さが通じたのか、彼は観念したように息を吐き出しました。
桜木「なんか、こう.........幸せだなぁって」
マック「.........え?」
桜木「いやさ。こんな何も身を守る物が無い状態で君と一緒に居るって事を考えると.........俺は相当な幸せもんだよ」
全世界の男に刺されるかも。と言いながら彼は笑って空を見上げました。
.........確かに、変な事をしてしまった。勢いだけで行動してしまったという事に関しての後悔は多大にありますが、私自身。ここでこうしている事には何ら不満はありません。むしろ、今まで以上に安心してしまうくらい.........
そんな自分の状態を気付かせたのはその彼の言葉です。それがなんだか.........ちょっと気に入りません。
マック「.........トレーナーさんのえっち」
桜木「へぇっ!!?自分から入ってきてそれはずるっちくないっっ!!?」
マック「別に良いではありませんか!!!今更不名誉な物が一つ増えたくらいで!!!」
マック「おたんこにんじん!!唐変木!!問題児!!おバカ!!!」
口からスラスラと今まで聞いてきた彼への周りからの評価が出てきます。その中には若干私の物も混ざっては居ますが.........それが彼の、私達が今まで耳を塞いで聞いてこなかった評価です。
でもそれも、気が付けば聞かなくなり、彼は一人のトレーナーとして.........それどころか今や若い人の憧れのトレーナーとして成長しました。
その成長を間近で見ていたからこそ.........私は.........
マック「.........そんな貴方も、私は好きなんです」
桜木「っ!ありがとう.........そう言ってくれると、凄く助かる」
私の言葉に驚きながらも、彼は微笑んで返事をしてくれました。それに釣られて私もつい頬が緩んでしまいます。
暫くの間、立ち昇る湯けむりに視線を合わせます。月が照らし、桜が彩る春の夜。静かな夜を二人で堪能します。
桜木「.........俺も、良いかな」
マック「?」
桜木「俺。自分の事好きじゃない。まだ、好きになれない」
淡々とした言葉で、けれど強い思いの籠った声で彼は言いました。それとなくそうなのではと思っていた事ではありましたが、彼の口から真剣に聞かされるのは.........初めてでした。
桜木「まだきっと、[強がり]でしか無いんだ。俺はまだまだ未熟で、[弱い]」
桜木「これから先、本当に[強く]なれるのか.........全く分からないんだ」
桜木「.........良いのかな。隣に居ても」
月を見上げて言い切りました。どこまでも淡々としていて、表情も真っ直ぐとしていて、感情が読み取れない。
.........でも、それでも私は、彼の泣きそうになってしまう位の[無力感]が痛い程に伝わりました。
結局どんなに頑張っても、レースで走るのはウマ娘です。トレーナーとして出来る事は事前準備と、信じることだけ.........それがどんなに歯痒い物なのか.........私には想像もつきません。
春風が頬に触れるように流れて行く。初めて自分の心の底を打ち明けてくださった彼に対して.........私も同じように、自然と口が開いて行きました。
マック「.........私は、貴方が[好き]です」
マック「貴方がどんなに、自分自身を好きになれなくても、その分私が貴方を好きになります。[愛します]」
マック「[強さ]なんて関係ありません。私はただ.........貴方の隣に居る時が、人生で一番幸せで、楽しい時間なんです」
人生と言うのは[戦い]の連続です。勝てば華やかになって行き、負ければ質素になって行く。それを避け続けるのは.........無理なんです。
人間誰しも、避けられない事がある。宿命や運命と言った確定された道。そこには必ず[戦い]があります。
私達はウマ娘ですから、人より[勝ち負け]を意識する機会は多いです。そんな世界で生きている内に、無意識に[強さ]を追い求めてしまう.........
もっと[強く]。もっと[速く]。その探求は永遠に続くでしょう。果てしない道のり。答えはきっと一生掛けても辿り着けない。だからこそ追い求め甲斐があるのです。
そしてその代償に.........[強さ]でしか物事を測れなくなる。視野が狭い私の様な人は特に.........[強さ]を人にも求める様になる。
そんな世界が全てだと思っていた私の腕を引っ張ってくれたのは他でも無い。トレーナーさんなんです。
強引なやり方じゃない。ただ行きたい場所に連れて行ってくれる途中で、色々な[寄り道]をしてくれただけ.........
それだけで、世界と言うのは[強さ]だけでは成り立たない事を教えてくれました。
桜木「.........そんな風に、思ってくれていたんだね」
マック「口にしたのは初めてですわ。トレーナーさんの本音の本音を聞いたのも」
桜木「そりゃそうさ。誰にも見せたことないマジのトップシークレットだもん」
マック「ふふ.........ではお互い。[はじめまして]。ですわね。[桜木 玲皇]さん」
桜木「!あはは!そうだね。[はじめまして]。[メジロマックイーン]」
彼の表情から感じていた悲しみは消え、二人で心の底から笑い合いました。
お互いの気持ちを言葉にして伝える。言葉にしてしまえば簡単ですが.........声にするだけで、本当に難しい物になってしまいます。
それでも私達はそれが出来るほどにお互い歩み寄り、そしてここまで来ました。
[六年間]というのは.........そんな道のりを思わせてくれる年月だったのです。
マック「.........!と、トレーナーさん?」
桜木「ありがとう。マックイーン」
桜木「これからも、よろしくね.........」
マック「!はい.........♪」
不意に頭に乗せられた彼の手。くすぐったくも幸せな感触が優しく私を刺激します。
そんな彼に身体を預けてしまいます。バスタオル一枚という無防備に等しい格好なのに.........彼に身体を寄せて、お互いの耳をくっつける程に密着します。
マック「.........♡」
月と桜と湯けむりと.........自分にとって[唯一無二の人]。幻想的な空間を更に酔いしれる物にしてくれる、大切な人。
そんな彼との[これから]を一人、心の中で[誓い]ながら.........二人っきりの温泉を心ゆくまで堪能したのでした.........
ーーー
桜木「.........んぁ.........?」
身体に感じる心地好い重さ。それがゆっくりと感じ取れて行く事で眠っていた意識が覚醒して行く。
体内時計ではまだ朝日は昇っていない。しかし身体が目覚めていくのを止めることは出来ずに居た。
顔だけ横向けになった状態で目を薄く開くと、障子の窓から差し込む光はやはりやや弱い。まだ小鳥達も起きる時間では無いだろう。
.........しかし、やけに重さを感じる。掛け布団のそれとは比にならない重量に恐怖を感じながら薄目を開けていくと、仰向けになった俺の身体の上にマックイーンが乗っかって寝ていた。
桜木(.........あ、これ俺の寝相のせいだな)
寝る直前。彼女を抱き締めていたのを思い出した。最初こそ興奮やらなんやらで目が冴えていたが、次第に彼女の居る安心感に眠気が掛け合わさってすぐさま寝落ちしてしまっていた。
きっとその状態のまま寝返りを打ってしまったのだろう。それならこの感覚も想像がつく。
桜木(.........可愛いな)
マック「.........ムニャムニャ」
俺の上で寝息を立てているマックイーン。普段は絶対見せない年相応の可愛らしさが寝顔に現れている。
なんせふにゃふにゃとした顔でよだれを垂らしているのだ。しかも俺の少しはだけた和服の隙間。胸にそれが垂れてしまっている。
桜木(.........こんな時にこう言うのも変だと思うけど)
桜木「.........これからも、よろしくね。マックイーン」
マック「Zzz.........♪」
彼女を起こす事ないように優しく頭を撫でる。きっとこの言葉は夢の世界の彼女にまで届く事は無いだろう。
それで良い。この言葉は俺にとっては[誓い]ではあるが、聞かれるにはまだ少々恥ずかしい[独り言]の域を出ていない。
それにも関わらず、彼女はふにゃりとした表情に笑みを上乗せする。その顔が何とも可愛らしくて、つい頬を優しく撫でてしまった。
まだまだ朝日が昇る時間には程遠い。このまま彼女の事を見るのも良いが、帰りの運転で事故を起こしたくはない。
若干の名残惜しさを感じつつも、俺はもう一度このまま目を閉じた.........
明日からまた、騒がしい日々が始まる。
トレーナーとして。担当としての日々が.........
今日見た姿は、お互いきっとしばらく見れないだろう。
なんせ、[初めまして]の連続だったから.........
だから、次に会うのを楽しみにする。
お互いに、心の底から[久しぶり]を言う為に.........
山あり谷ありウマ娘
第六部ㅤ夢駆け人編︎ㅤ―――完―――
ーーー
―――響き渡る蝉の声。生い茂る爽やかな緑色の隙間から差し込む強い日差しがこの星を今、気温上昇に導いていると言うのが分かる。
それでも世界は平常運転を続ける。こんな暑い中でも鳥達は囀り、先日の雨によって出来た水溜まりは青い空と入道雲を鏡のように反射して写す。
暑さが支配する世界で一人、汗を掻きながらも歩くウマ娘。トレセン学園の夏服に身を包み、手には水の入ったバケツとハンドタオルを持っていた。
「.........」
目的の場所に着いたのだろう。彼女は手に持ったバケツを地面へと下ろし、背負っていた鞄のチャックを開ける。
ジュース。お菓子。果物と言った物ではあるが、そのどれもが[子供]が喜びそうな品であった。
彼女はそれを.........[墓前]へと置く。
一息つく間も無く、彼女はバケツの水にタオルを浸し、水気を絞ってから墓石を拭き始める。
念入りに。丁寧に。まるで、今まで[来なかった]分を、埋め合わせるように.........
やがて拭き終えた墓石を見て、彼女はその場所で身体を少し引き、両手を合わせて目を閉じた.........
光が当たれば金色に見える程に綺麗な栗毛。
前髪は白く、祖母を思わせる。
その口元には.........一目見ればこの[世界]の誰もが分かる程に、特徴のある[マスク]が着けられていた.........
次回ㅤ山あり谷ありウマ娘
[外伝]
黄金達の行方
「.........お姉ちゃん。もう一回頑張るね」
coming soon.........