???「イタズラにカケラを集めて遊んでみたものよ。
前提として、祭囃し後から郷壊しまでの間の世界になるのかしらね。
登場人物は<東京>組である鷹野と富竹と小此木、友情出演として雲雀十三が出ているわよ。
名前だけなら、入江と悟史くんと沙都子ちゃんと詩音ちゃん、野村が出ているわね。
機関の【専属(性別不詳)】というモブが居るので注意しておくわね。
互いの名前の呼び方が変わる場面があるわ。これも注意しておくわね。
小此木の服装が指定されている箇所があるけれど、ただの広告宣伝だから気にしても無駄よ。
一部の酔狂な人たちにとっては面白いかもしれないわね。少なくとも私は楽しめたわ」
.
【01】
―― 何度目だろうかと数える事を放棄してから数ヶ月、定期検診をベッド脇に座って聞いている私が居た。少し……いえ、かなり前の事を思い出して、今こうして生かされている私が居る事を実感する。根気よく看病してくれたのは他でもないジロウさんと入江所長であった事は忘れてはならない。感謝すべきね。
―― 診療所に収容された当時であろう記憶の断片とこれまでの事を、整理という名目で頭の中に組み立てる。
“孤児院に居た頃”の事を想起させるような出来事だったものだから、ガクガク体を震わせ、怯えと気持ち悪さで胃の内容物が喉元にまで出掛かり、ものは出ないもののケホケホと喉を鳴らす。私のための専属が異変に気づいて栄養剤を施される。夢か現実か分からない日々を過ごしていた気がするわ。
ある時から質の良い睡眠を取るようにと勧められ、専属付きで所内を歩き回る事を許されたの。施設内の、私が把握できうる部屋の位置と数を覚えた頃に専属がジロウさんへと変わり、今度は施設周辺へと歩き回れる範囲を拡げてくれた。まだ遠出は出来なかったけれど目が覚めればいつも傍にジロウさんが居てくれたし、ジロウさんの代わりに診療所の所長である入江が付いてくれる事もあったわ。正真正銘の、入江京介所長よ。縮小はされたけれど私の代わりに飽きずに症候群の研究を継続してくれているの。
悟史という男の子を診ていたスタッフの一人が、私が患ったと聞いて早々私専属になってくれたのを知って驚いたわ。それまで私が疾患している事を誰も……私自身も気づかなかったのにね。機関内スタッフの中でも私に理解を示してくれた一人よ。悟史くんの妹である沙都子ちゃんにしていたテストを私が受ける事になるとは思わなかったわ。
そういえば、悟史くんはどうしているのかしら。確か私と一緒の場所に収容されているものだと思っていたのだけれど、地下区画でも診療所内でも見掛けなかったから……その辺りの記憶が抜け落ちているのよね。確か詩音ちゃんが様子を見に診療所に通って来ていたはずよね。私がここに居る間ちっとも見掛けなかったのは何故なのかしら。
聞きそびれているから所長に聞いたら答えてくれるかしら? それとも、患者のプライバシーだから答えられないかもしれないわね。
―― 『根絶とはいかないまでも寛解にまで回復しているので、一日、二日程度なら少し遠出をしても大丈夫ですよ』とのお墨付きと外出許可を、いましがた聞いたばかりなのよね。
席を外す専属を横目に『診療所の窓から外を眺める日々も、もうすぐ終わりですわね』と傍らのジロウさんに向けて呟く。
肝心のジロウさんは……聞いてはいなかったようね。丸椅子に座りながら窓際に背中を押し付けてスゥスゥと小気味いい寝息をたてて眠っている。
夢心地なジロウさんが私の傍に居てくれる事に安堵し、ふふっと笑って視線を窓に戻すと、見覚えのある背格好の人が診療所を去るのを目撃した。
えっ……? あっ。まさか、ねえ。違う? いや、違わない。オコノギ、よね、あの後ろ姿は。間違えるはず……ないわ。確かにあの後ろ姿は、間違いなく小此木だわ。でも、どうして? そんな……今更何をしに、この雛見沢へ? 誰かの差し金かしら?
雛見沢から離れても発症はしなかった彼ら、私の忠実な部下だった山狗部隊。と言っても、実働員は一部のみだったけれど。
私のこれまでの研究全てを台無しにされてもなお、あの人が私を庇ってくれた事、既に保釈されている事をジロウさんと所長から聞いて知ってはいるのに。
この胸騒ぎは、いったい何なのかしら。
―― ジロウさんが目の前に居て肩に手を置かれている事に気付かないままベッド脇から立ち上がってしまい、こつん、とジロウさんの額に自分の頭を当ててしまった。
「あ……あぁ、ごめんなさいジロウさん。気付かなくて……痛かったかしら?」
「いや、いいんだ。今のは僕が悪かったから。僕は大丈夫だよ。それより、窓の外をじっと眺めていたようだけど何かあったのかい?」
―― 定期検診の結果報告ついでに鷹野さんの様子を見に来ていたのにウトウトしてしまうとは情けない。ガクンとなったから目を覚ましたら彼女が心ここにあらずな様子で僕を見ていた。いや、その後ろの窓に……
一瞬ののち様子がおかしい事に気づくと背後の窓を睨み見る。誰か居たか来たのか、もしくは去っていったのかと診療所の入口や周辺を注視するも、いつもの風景と変わらない。適度な長さに刈り取られた脇道の雑草と踏み慣らされた小路がそこにあるだけで異変は感じられなかった。
窓から彼女のほうに向き直し、丸椅子をキィと鳴らして立ち上がり、固まって動かない彼女に近づく。目の前を僕の体で遮ってみても目の上の辺りで手のひらをかざしてみても、眼をパチクリさせるだけでこれといった変化は無い。両肩にそっと両手を置いて、ややしゃがむような格好になりながら彼女の目を見てゆっくりめに優しく『タカノサン、タカノサン……』と呼び掛けてみたところ、急に立ち上がった彼女におでこを強打されてしまった。うーん、ちょっと痛いかな。
「いえ……見覚えのある人を見掛けて焦燥に駆られてしまっただけよ。もう、居ないわ。私の見間違いだったのかもしれないから、気にしないで」
「たぶん診療スタッフの誰かと見違えたんだと思うよ。そうそう、鷹野さんに伝える話があるんだ。昨晩、小此木君から電話を貰ってね。鷹野さんに外出許可が出る事を伝えたら、早くて明日、遅くとも三日以内に雛見沢に戻って来れるって言っていたよ。命令を解かれても鷹野さんを気にかけているのが分かって、僕、嫉妬しちゃうなぁ……はははっ」
ええ、他人の空似ね。それに一瞬だったから何かと見間違えたのかもしれないわ。はははっと笑う目の前の彼に悟られないように落胆すると、元のベッドに座り直す。
まだ、完治ではないのね。確か、初期症状? 違うかしら。あれは、見間違いだった。そう思うしかないわね。
たった今ジロウさんから聞いた、とてもだいじな話。何かだいじな話をしていたようだけれどうまく聞き取れなかった。いえ、聞こうとしなかった。
また聞きそびれていた事に気づいたけれど、記憶の端に追いやってしまった。そのまま蓋をして忘れてしまうのだけれど、この時の私は既に“発症”しかけていた事に気付かないまま、あの人との再会を許してしまうの。
―― デジャヴを感じた僕は、はははっと笑って誤魔化す。心ここにあらずな様子は、この診療所に収容された当時の彼女にそっくりだったから。
“発症”が発覚してから数ヶ月間荒ぶっていた事は、彼女の記憶から抜け落ちている。実情を知るのは僕や入江所長や専属の一人のみで、外部の者には絶対に漏らせないし洩らす事は許されない。
その間に起こった出来事の記憶を無理に掘り起こす事も。だから僕らが、彼女が小此木君との再会を許してしまった事は後の祭りだった。今更知ったところで戻れないのだから。
【02】
―― 一時、上司<三佐>として。コードネーム<雛>として。時に<お姫さん>として、鷹野をそう呼んでいた頃があった。クライアントであった<東京>の<野村>に『<郭公>を実行せよ』との命を受けるも、俺は取り逃がした事に後悔はしていない。現に鷹野は“発症”していたのだから。度々掻きむしる様子に気づかない俺じゃあない。伊達に<雛>を監視してねぇからな。俺以外に気づけたのは富竹だけだった。
番犬部隊が間に合って良かったと心底思うぜ。そうでなけりゃあ夢見が悪ぃからな。あんなカオ見せられりゃあ誰だって‥‥いや、止めとくわ。
富竹と入江所長に連絡しといて何だが。鷹野の外出許可の話を聞いたら居ても立ってもいられず、告げた予定より早く帰って来ちまった。
ひとまず診療所に寄ろうかと近くまで行ったのだが、鷹野に会わすカオが無ぇと入口で引き返して結局、俺らが隠れ蓑として活動していた造園会社へ足を運ぶ事になった。
先に戻っていた雲雀十三に声を掛けられ鷹野の様子を聞かれたが‥‥答えられるわけが無かった。十三が何故ここに居るかは企業秘密‥‥ってぇよりは、身元は俺が保証しているが、実のところ俺にも分からんわけでな。
鷹野と俺と一緒に色々やってた頃からの相棒‥‥いや、腐れ縁と言うべきか。悪い気はせんから連れている訳だが、気づくと道を逸れて姿を眩ますんでヤンチャが過ぎるぜ。だいたいの行き場所は把握してっから問題は無ぇがな。ったく。俺も焼きが回ったか?
ッチ、思考が散乱しちまった。一日ほど余裕が出来ちまったが問題無ぇ。
雛見沢分校として貸していた事務所及び造園会社の残務整理を番犬部隊と富竹によって終わらせたのは知っていたが。来客用の珈琲紅茶セットだの趣味で購入した雑誌だの、会社の備品が幾つか残されていたのはありがてぇな。
乱雑に置いていた雑誌が年号毎に並べられてんのは富竹の仕業だろう。診療所のものだろう医薬品の印字が見えるように揃えて置いてあんのは所長か。
俺らが来ると知っていて少し前に事務所の鍵を開けたんだろうよ。埃を被った様子が無ぇのは、時々か定期的に会社に来ているって事か。鍵を持って居るのは‥‥いや、野暮か。
気をきかせた十三が湯を沸かしていたんでマグカップに珈琲を作る。鷹野の好む味と同じにした事に飲んでから気づいたが。甘いのもたまにはええんね。ハハッ、染み着いちまった癖は直らんな‥‥
今日のところは寝床をここにするかね。十三は‥‥と思ったところでまぁた居ねぇな。さっきチケットがどうとか言ってたエンジェルモートに行ったんだろうよ。
三四の人生を破滅へと導く悪魔の計画を、それと知られぬよう開始した。雛見沢及び興宮に再来した時点で工作は済んでいる。雲雀十三がトチらなけりゃあいいが。この村に永住して雛見沢と興宮でずっと暮らすという選択も悪くねぇ。さぁて、富竹と入江がどう出てくるかねぇ。
【03】
―― 出歩ける許可の降りた翌日の朝。『興宮まで出掛けたいの』とジロウさんに告げたら、いつものように微笑んで『小此木君のところに行きたいんだね』と返されたの。流石はジロウさん、分かってるじゃない。何も出来ない私の代わりに甲斐甲斐しく準備を整えるジロウさんが憎いわ。『独りにしてしまうけど、何かあったら呼んで』とトランシーバーを渡される。使い方は以前、あの人に教わっていたから分かるわ。
あの場所にあの人が居る……先日見掛けた背中は幻想なんかじゃないと。そんな気がして興宮にある造園会社を目指して歩いていく。『場所は変わっていないから安心して』と言われていたけれど、久し振りなのかとても遠くに感じる。もっと近くなかったかしら?
私は……あの人に逢ったらどうするべきかを考えていた。謝罪はもちろんだけれど感謝も伝えたい。あれからどうしていたか、積もる話をしたい。今後の事も、私自身の事もたくさん話をしたい。出来る範囲でになるけれど、したい事がたくさん出来たの。
視界に入りはじめた造園会社の看板を目指している途中、ショーウィンドウに映る自分を見てスキップをしている事にはたと気づく。気恥ずかしさを感じて一度立ち止まるも浮かれ気分な私を誰も見ていない事を確認すると、歩みを再開する。
造園会社から点々と続く花の咲く小道をソワソワと辺りを見渡しながら会社の玄関に向かう。『居るかどうかは分からないけれど鍵は開けておくから』と教えられていたのに呼び鈴を鳴らしてしまったものだから、扉の前に居る人影からの声に気づくのが一刻遅れてしまった。
「三佐‥‥いや、鷹野、だろう? 開いているから上がってくれ」
―― 先ほどまで寝惚けていた頭を振り動かし、お昼をどうしようかと玄関まで来て、誰かの影が近づいている事に気づく。この背格好は鷹野だろうな。分かりやすい。玄関を開けようとした所でジィーーと呼び鈴が押されたが、構わず扉を開けた。
ほぉう、ここまで回復しているとは驚きましたんね。一人で来れたのか、他に連れている誰かが居るかと鷹野の背後や周辺を見渡してみたが居ないようだった。
トランシーバーを腰に提げているのを見つけて、なるほどそうきたかと納得した。姿を隠しているつもりだろうが、そう遠くには居ないのが分かる。つまりは、一定距離の間隔でつけていたって事だ。何かあれば飛び出してくるに違いねぇ。俺が<雛>を監視していた頃のように。富竹も一緒に来りゃあ良かったんじゃねぇのかと思ったが、鷹野だけ来たって事は‥‥下手な事は出来んって事ですんね。そんなつもりは毛頭無ぇがな。
「あら、居たのね。小此木……久し振りね」
―― 間違いでは無かったと確信した。左胸に憲章を施した服装、やや後退した髪と落ち着いた髪色……変わっていたけれど確かに私の部下であったその人が目の前に居る。訪ねたのが今日で良かったと安心すると思わず抱きつく。存在を確かめるように。
「ちょっと待てやコラ。俺は富竹じゃねぇんだがな? あーったく、何やってんだか。へいへい、誤解生むからはよ中入れ」
「なぁにぃ、つれないわねぇ。はい、離してあげるわよ。久し振りなんだから少しくらい堪能しても良いじゃない。当時と違う格好だから、びっくりしちゃったわよ。でも、そういうところは変わってないわね」
―― いつもそうしていたように快く迎え入れてくれて、嬉しさでいっぱいの笑顔を向ける。これ以上の幸せったらないわね。私、幸せになってもいいのよね。不安が頭をもたげてくるけど、まだ大丈夫。ここに来るまでに歩きながら考えていた事を頭の中で整理してみたものの、まとまらないので辺りを見渡して気を紛らわす事にする。
社内の内装が以前とさほど変わっていない事に驚いたわ。というより、綺麗に掃除が行き届いていて、書籍は順序よく並べられ、医薬品のラベルがこちらを向いている事に少し奇妙な感じを受けたけれど、気にする程の事でも無かったので奥へと招かれる。
「元気そうで何よりですんね。おめでとう、って言えばいいか」
「ええ。色々あったけれど再会できて良かったわ。それよりも貴方、昨日、診療所に来なかったかしら? 姿が見えたものだから貴方だと思ったのだけれど、違っていたらごめんなさいね」
事務机備え付けの椅子を差し出して座って貰い、マグカップにポットの湯を注ぎ入れ珈琲を作る。鷹野好みの味に仕上げて差し出したところで、昨日の俺を見掛けたと当人に問われたんじゃ仕方ねぇ。鷹の目には俺が見えていたって事か。
「確かに診療所の入口までは行ったが、中には入ってねぇぜ?」
「やはり貴方だったのね。私の目に狂いが無くて良かったわ」
どうやら嘘ではないみたいね。そもそもその必要が無いのでしょうけど。いきなり来て驚いたかしら? それも、いつもの事だと理解して居るのだとしたら、慣れって怖いわね。差し出された珈琲を一口飲んだところで私好みの味だと分かったから。久し振り過ぎて忘れられているかと思っていたけれど、そんな事は無かったわね。
貴方に逢えてよかったと心底思うわ。私が見付けてきた逸材だもの。この男を手放したくはない。ジロウさんとは別に、ね。
もっとたくさん話したい事があったはずなのに、目の前にしたら話を切り出せないじゃない。私、いったいどうしたのかしらね。
「富竹が心配してんだろうから、早いとこ連絡しとけよ?」
「ええ、そうさせて貰うわね」
物持ちがいいのだろう、鷹野が持たされた型の古いトランシーバーから人の声らしき雑音が聞こえてくる。富竹のノーテンキな声を機械越しに聞きながら無事に到着している事と今日は会社に泊まりたい事を伝える鷹野を眺める。
ちょっと待てや。今、何て言いましたん? 泊まるって此処にか? 今日は流石にやめてくれませんかねえ。機械をぶんどって会話に割り込んでやる。
「悪いなァ、富竹。今日は診療所に寄りてぇんで、そっちに送らせますんね」
「あら、残念ね。今回は仕方ないわね……」
鷹野が少し寂しそうに言う。俺も残念だと思ったがこればかりは仕方ねぇんでな。病み上がりだって事忘れてねぇか?
念のため雲雀十三宛てに、昼間に鷹野が訪ねて来た事と鷹野を診療所に送ってくる旨の書き置きを残しておく。じゃねぇと俺の所在が分からなくなっちまうからな。
昨日来た時に確認はしたんだが、足が何も無ぇなぁ…仕方ねぇ、歩く事になるが送るか。
その前に昼飯を食ってねぇ事に気づかされる。ひと息ついたところで腹がグゥと鳴っちまった。そりゃそうか。腹に何か入れるつもりで外に出ようとした所だったからな。
ブルーマーメイドでも構わんのだが、財布事情的にエンジェルモートだな。もうちぃと安いといいんだが。
「鳴っちまったから分かると思うが、ちぃと腹が減っていてな。大したもてなし出来んで悪いんね」
「えっと、ごめんなさいね。実は私、お弁当を作って来ているの。私が持って歩くのは不安だからと代わりにジロウさんが持ってきてくれたのよ。おにぎりに合うおかずも入れてきたから、一緒にどうかしら? ちょっと玄関まで行って来るわね。直ぐ戻るから」
貴方の空腹の音を聞いてしまっては、後には退けない。私は一度玄関まで引き返してジロウさんに届けさせたお弁当箱を持って来ることにしたの。ちゃんと用意はしていたのよ? 今の私が貴方のために出来るのがこれくらいしかなくてごめんなさい。ジロウさんに手伝って貰って、海苔を巻いた上にラップやホイルで一個づつ包んだから二日は持つ事を見越して作ったのよ。食べてくれるかしら?
「ほぉう、俺の為に作ったって事ですかい?」
「ええ、そのつもりで今日訪ねたのよ。ちょうどお昼時分で良かったわ。お腹が鳴っているのだから空いているのでしょう? 食べてみてくれないかしら。お口に合うといいのだけれど」
何なんだ富竹の野郎はよォ。鷹野に尻に敷かれちまって使い走りみてぇな事してんなァ‥‥少し前の俺かよ。
弁当を受けとると包みを開けて何故か最下段を確認し、気まずさを払おうと、おにぎりを一個取ってかじってみせる。俺のおかしな行動に一瞬顔が強張ったが、美味そうに食う俺の様子に満足したのか少しだけ口元が緩んだのを見て、疑うのをやめた。まぁいいさ、今回ばかりはこの優しさに甘えてやろうじゃねぇか。おにぎりを食べる間も視線を感じつつ、ゆっくりと味わいながら二個三個と食った。『美味かったンね、ありがとよ』差し出されたお茶を飲み干すと自然と言葉が出た。
「テツロウ……貴方の名前、鉄郎だったわよね」
「そうだが‥‥あぁ、なるほどな。俺の二尉も鷹野の三佐という階級も剥奪されてンだったな。三四‥‥ふっ、柄じゃねぇ。ミヨって名前で呼ぶのは、むず痒いな‥‥んだが、嫌じゃ、ねぇよ」
いつまでも苗字呼びは他人行儀を感じてしまうから。いま、初めて名前で呼んでみたのだけれど。貴方の言うようにむず痒いわね。貴方に呼ばれる『三四』全然駄目じゃないわ。心地いいと気付いたから。これからは、こちらの名前で呼ぶのも悪くはないわね。
とうの昔に捨てたはずの私の名前。真名はあったのだけれど……『三四』と呼ばれて少しだけ照れくさくなる。きっと私の顔は赤く染まっているわ。こんなにも胸が高鳴るのは久しぶりね。貴方に……鉄郎に名前を呼ばれるだけで、こんなにも幸せな気持ちになるだなんて。本当に不思議よね……貴方との関係が一歩進んだ気がするわ。私はこの日から貴方を『鉄郎』と呼ぶようになったのよね。
「ジロウさんや入江所長には感謝しているわ。それ以上に……鉄郎、貴方にも感謝しているのよ。あの後、色々と大変だったでしょう? 私の悪事に荷担させたようなものだから……」
「いんや、三四が全部悪い訳じゃねぇって事は分かってますんね。俺にも悪い所はありましたん。三年目の件については、俺が焚き付けたようなもんだからな‥‥」
敢えて『三四』と呼んだが他意はない。鷹野三四は鷹野三四だからな。昔の名前を知らン訳じゃねぇ。
俺は‥‥誰かに執着はせん‥‥つもりだった。退屈を紛らわすためだけの相手で別にどうでも良かった。計画を企てるまでは、な。どういう訳か、三四の事になると心がざわついちまう。
この気持ちが何なのかよく分からんが一つだけ分かる事がある。それは、こんなにも無様な姿を晒すほど追い詰められた三四を放っておけねぇという事だ。俺が居る事で心の平穏を取り戻せるンなら居てやりてぇとさえ思う。
俺は自分の心をごまかすように、クックッと笑ってみせた。
「ジロウさんや入江所長や……鉄郎に、恩返しというのもおこがましいけれど。私のやってきた事を認めて背負ってこれからを生きる事を、約束するわ。そのための証が欲しいところだけれど、指切りでいいかしら」
「約束、ねぇ‥‥分かりましたんね。三四がそう言うンなら、俺も、やってやらン事も無ぇ。嘘吐いたら針千本か。代わりになるようなモンが思い浮かばんが」
そう言って鉄郎の手を取って、私の右手の小指と鉄郎の右手の小指とを絡ませた後、そっと自分の左手を上に添えたの。鉄郎の手は暖かくて震えていた私を落ち着かせてくれた。そうしていたら鉄郎も、もう片方の手を乗せてきてくれたのよね。『三四の手は柔らかいな』なんて言っちゃって。
「ねえ、鉄郎……聞いてもいいかしら? 私があんな風になっちゃって暫くは逢えなかったわけだけれど、寂しくはなかったかしら?」
「清々したとは思うが、あれだけ荒れちまってたら同情くらいはしましたんね。そんなもんよ」
三四を帰す訳にはいかなくなっちまったな。重ねられた手の冷たさと震える三四の手が、俺の心が、ざわめく。この手を離したら二度は無ぇだろう事も。富竹は‥‥俺がどう出るかで展開が変わるだろう。三四を‥‥何とも思わんわけじゃねぇのは確かだ。
「私は…あなたたちの“鷹野三四”になれるかしら…ここから巣立つ事を夢見てきたのよ。私があなたたちに何て呼ばれていたか知っているの。私を<雛>と呼んでいたでしょう?」
「ああ、なれるさ。もう、三四は<雛>じゃねぇんでな。三四は、三四、ですんね」
ジロウさんとは違う手の感触に、身体がじんわり暖まるのを感じてきたわ。先ほどから何度も名前を呼ばれて心地良さと少しの高揚感にフワフワしているの。今なら私のお願い、聞いてもらえるかしら?
「鉄郎に、お願いがあるのだけれど。私の護衛をしてくださらない?」
「急だなァ‥‥らしい、と言えばらしいが。了解。三四がしてぇようにしてくれりゃ、俺は従いますんね」
重ねられた手の甲に<お姫さま>のようにキスをして同意する。俺は三四と一緒に生きていく。今そう決めた。誤算はあったが計画通りに進んでいる。腹もいっぱいになったし、運動がてら三四を診療所に送りますかねえ。
.
鷹野に残る記憶のカケラの一部であり、富竹と入江の記憶の一部。小此木は、どうなのか分かりませんが。
鷹野や入江は幼少時代の話があるのに、富竹や小此木には前職が陸自や趣味趣向以外は今のところ無いので動かしづらさはありましたね。
惨劇が起きるか否かの瀬戸際ってところですんねえ。
富竹と鷹野は「…」で、入江と小此木は「‥」を使用していますが、理由は特にない。
命題として“In a world where Miyo Takano discovers Okonogi, Jirou Tomitake must reset Ciconia and save Hinamizawa.”を掲げていたのですが、達成出来ているのかな?
あくまで【ひぐらし】の世界であって【うみねこ】でも【キコニア】でもないので、ただの宣伝として、帰ってきた時の小此木の服装をああいう風に描いただけですっ。深い意味は無い、マジで。