巨神聖戦記 作:芹沢亀吉
「もうすぐ東京五輪開催ですよね。世界中から大勢の人達が東京に集まって金銀銅のメダルを巡って戦うって凄いですよね。」
TV番組「世界が仰天する国NIPPON」では人気アイドルの百川麻美(ももかわあさみ)が能天気なことを言っているが、日本以外の国は経済破綻で五輪どころではなく、日本だけが五輪に浮かれているせいで諸外国から余計に恨まれている現実が全く見えていないようだ。
そして台所で茫然と佇む楠木の耳に居間の TV から流れる百川ら番組出演者達の陳腐な笑い声は全く届いていない。
台所の床で仰向け状態の楠木久代は両目を見開いたままで、首に延長コードが巻き付いている。青木ヶ原樹海から戻った楠木は 10 日の間毎晩ヤケ酒を飲んで家庭内暴力を以前よりも激化させ、とうとう配偶者を手にかけてしまったのである。
「くそったれ!楠木正成公の末裔で精鋭自衛官でもある俺様が何故2 時間ドラマの殺人犯みたいな真似をせねばならんのだ!」
毛布でくるんだ遺体を乗せた自家用車を運転しながら楠木は悪態をついている。勿論この殺人犯に自首する気は全く無い。裏山に遺体を埋め帰宅した殺人犯楠木は目の前の野良猫に石を投げつけたが、石は猫に当たらず楠木の自宅の窓ガラスが割れた。
「正義(まさよし)、俺だ、父親の武だ。実は俺が留守の間に久代が置き手紙を残して出て行った。今度お前が帰ってきたら 3 人でどこか美味しい店に行こうと思っていたのに困ったものだ。ではそろそろ電話を切る。じゃあな、正義、立派な帝国軍人になるんだぞ。」
大分の陸自駐屯地で留守電の録音を聞く楠木正義 1 等陸曹は怪訝な表情である。母に暴力を振るう父の姿を幼い頃から何度も見てきた正義は、直感的に父が嘘をついていることに気付いたようだ。
家庭内暴力の被害者は暴力を振るわれる自分が悪いと言い加害者を庇うことがあるが、楠木からの暴行を見かねて密かに離婚を勧めた正義の申し出を断った久代がまさにその典型である。
それから間もなくして轟天号が完成し、楠木は轟天号完成の立役者として謹慎を解かれ寺内亡き後門長が臨時代理を務め続けていた防衛相に就任した。
当然だが現役自衛官の大臣就任は正真正銘の憲法違反だ。楠木の防衛相就任に「皇国義勇軍」の団員達は狂喜乱舞し、ホテル椿山荘の宴会場を貸し切って祝賀会を開催することにした。
「楠木武から祝賀会の招待状が届いたよ。正直気が進まないが、彼の息子も参加するとのことだから、どのような人物か見ておくために参加することにした。ヨヴェル、君にも招待状が来ているが参加は、しないだろうな。」
ヨヴェルは手渡された招待状を開封もせずその場で破り捨て、怒りをあらわにしながらこう叫んだ。
「当然です!楠木武が強引に設計図を書き換えたせいで本人が謹慎した後も轟天号完成まで色々苦労があったんですよ!ルクス様も物好きですね。楠木武の息子なら父親同様に声がデカい自分勝手な暴力主義者に決まっていますよ!」
ヨヴェルを宥めたホシェルは 1 人でホテル椿山荘の会場へと向かう。会場にいる参加者の大多数は自衛官で「皇国義勇軍」を裏で支援する防衛族議員も複数いる。酒は苦手なホシェルがオレンジジュースのグラスを手にした途端に会場出入口付近で怒鳴り声が響いた。
やはりと言うべきか怒鳴り声の主は楠木で、身体検査担当者の胸ぐらを掴みながら激しくがなり立てている。
演台に立った楠木は数分前とは違い上機嫌である。会場裏ではこの外道に「軍人精神注入棒」で全身をめった打ちにされた身体検査担当者がぐったりしている。他の参加者達が一斉に拍手する中、冷たい目で楠木を一睨みしたホシェルがさりげなく周囲を見回すと会場の隅に佇む正義の姿が視界に入った。
正義は演台に立つ父親を睨んでいて、ホシェル同様に全く拍手していない。
「諸君、本日はこの楠木のため集まってもらいありがたい限り。この楠木が汗をかき完成に導いた轟天号により、この国は世界に輝く国となる。そしてこの楠木の防衛相就任でこの国の将来は安泰だ。本日は諸君も目一杯楽しんでくれ。グハハハハ!」
相変わらず楠木の笑い声は下品極まりない。続いて鶴真理恵(つるまりえ)3 等陸曹が演台に立ち、「君が代」を独唱し始めた。鶴は初の声楽要員として陸自に採用され広報を担当している。毎日人を殺す訓練を行い内部でいじめや暴行が絶えない自衛隊の実態とは程遠い清廉さを演出、鶴の清楚さを前面に出した自衛隊の印象操作は至って単純で、余りにも露骨過ぎる。
正義は楠木に話があると言いプライベートテラスに呼び出した。ホシェルはテラスに向かう 2 人の後を追う。
「正義、今日は来てくれてありがとう。俺の防衛相就任は大々的に報じられているから久代もどこかで見てくれているだろう。で、話というのは何だ?轟天号に試乗したいと言うなら大歓迎だぞ。実は既に来週行われる轟天号試乗会の参加者名簿にお前の名前を書いておいたんだ。何しろ俺は自他共に認める轟天号完成の立役者だからな。それくらい簡単だよ。」
楠木は夜風を浴びながら酔いに任せて 1 人でペラペラ喋っている。
「お前が俺の身を案じて拳銃を携帯し会場に来てくれたのには感動したよ。薄汚い反日左翼共は有能な愛国者である俺を暗殺したいだろうし、轟天号を完成させた俺の才能と名声を妬む輩は自衛隊内部にも数多い。孝行息子を持てて俺は幸せだ。身体検査でお前から銃を没収しようとしたあの馬鹿にはきちんと軍人精神を注入しておいたぞ。全く!親を想う息子の気持ちも知らんで!」
すると楠木の酒臭い吐息を浴びながら全く浮かない表情で黙り込んでいた正義が突然口を開いた。
「母さん出て行ったって嘘だよね。あの置き手紙は父さんの字だ。ひょっとして父さんは母さんを殺して遺体をどこかに隠したの?」
直後に楠木が右手に持っていたワイングラスが床に落下し粉々に砕け散る。会場で鶴が独唱する「Time to Say Goodbye」がテラス出入り口付近にいる 2 人の周囲にも響き、違う意味で場の雰囲気を盛り上げている。
「な、な、何を言う!久代は確かに出て行ったんだ!お、俺は久代が自宅から出て行く瞬間をこの目で見たんだ!間違いない!」
突然息子から配偶者殺害を糾弾され、楠木はほろ酔い気分が吹き飛び必死で嘘をついた。
「嘘をつくとボロが出るね。この前は帰ったら置き手紙だけあったと言ってたよ。身内殺しを隠蔽する殺人犯が出世する組織とか最低過ぎて陸自に入った僕自身を呪いたい気分だ。あれ?僕の在日認定まだ?この前も一ノ瀬由衣は在日とか言っていたし、自分が気に入らない人を在日認定するのは父さんの趣味だよね。だから父親に刃向かう生意気な僕を在日認定してよ!さあ早く!」
息子の剣幕に圧倒された楠木は逃げるように会場に駆け込んだ。正義は一部始終を遠巻きに見ていたホシェルに声をかける。
「先程僕はパンを食べワインを飲みました。イエス・キリストが最後の晩餐で弟子達に分け与えたものと同じです。轟天号を完成させたのは父ではなく貴方達金星人なのは存じております。貴方達はこの国を滅ぼすおつもりですよね。滅ぼすのはなるべくお早めにお願いします。あんな野郎が防衛相としてふんぞり返ることが出来る国なんて早く滅ぶべきです。ではまず僕自身が滅びます。」
ホシェルは正義の悲壮な決意と父親の比ではない洞察力の鋭さに驚愕し言葉が出ない。会場に戻った正義は演台に立ち 9mm 拳銃で自分の頭を撃ち抜いた。当然会場は悲鳴に包まれ最早祝賀会どころではない。
「正義お前、酔った勢いで俺を罵倒したことを死ぬほど悔やんでいたのか。だけどな正義、本当に死ぬことはなかったんだぞ。」
体中の血液を抜き取られたような表情で佇む楠木は、自ら死を選んだ息子正義の本心に全く気付いていない。楠木の目線の先には一人息子が両目を見開いたまま仰向けに横たわっていて、お洒落な模様の絨毯が赤黒く染まっている。
拠点に戻ったホシェルは祝賀会での出来事を心底怯えた表情でヨヴェルに話す。
「彼は楠木武を射殺する機会がいくらでもあった筈なのに最期まで撃たなかった。我々金星人の本心とこれからすることを承知の上で母親の仇である楠木武に究極の絶望を味わわせるためだ。我々の計画を母親の復讐に利用する本当に恐ろしい青年だよ。」
「彼は本当に純真で聡明で、あのクズ親父とは真逆ですが、それが本当に恐ろしいです。やはり祝賀会に行かなくて正解でした。」