Side: 猗窩座
境内に辿り着く前から、様子がおかしいとは感じていた。
あれから更に時間が経っているというのに、
生き残った二人の闘気が消えていない。
それどころか、鬼の方の闘気が弱ってきている。
まさかとは思いながら、音がする寺の戸を開く。
「―――――――――」
骨を、肉を抉り、血が飛び散る音が室内に響いていたーーー
血溜まりの中に首から上がグシャグシャになった鬼が、馬乗りになった大きな人間の下でピクピクと痙攣している。
絶え間なく頭を潰され続け、今や再生する力もなく、闘気を大きく削ぎ落とされていた。
それを成した人間を見る。
目に光がない。
まさか、見えていないのかーーー
その光景を、なんと表現すれば良いだろうか。
全身の細胞が歓喜するのを抑えられない。
まさか人の身で、しかも目も見えぬというのに、己の拳のみで・・・
あの鬼はもはや生きてはいない。
死んでいないだけだ。
この男は強くなる。
それは予感などではなく、もはや確信だった。
ああ、だが、実に惜しい。
おそらくは今まで、自らを鍛えた事もないのだろう。
その拳は怒りに身を任せただけの、拙いものだった。
この出会いに感謝を述べたいが、今は落ち着こう。
今この男と拳を交えたとしたら、せっかくの才能を消す事になってしまう。
この男とはいずれ、お互いが最高の状態で、一対一で闘ってみたい。
しかし、それは今ではない。
「お前が悲鳴嶼行冥か?」
よほど鬼に集中していたのだろう。
血濡れの大男は自分の名を呼ばれ、初めてその顔をこちらへと向けた。
「私は悲鳴嶼行冥ですが、あなたは!?
いや、どなたかは存じませぬが、お願いがあります!
この子を連れて、今すぐここを離れて頂けませんか!?
コイツは恐ろしい人喰い鬼!
今は私が抑えていますが、顔が無くなっても死なないのです!」
今にも消え去りそうな、細い小さな闘気の持ち主が、彼の後ろに隠れている。
ここに来るまでに7人の子供の亡骸を見た。
あの子供が、最後の一人なのだろう。
『・・・・・・・・・』
「知っている。
獪岳、という少年に聞いて来た」
「獪岳が!?
彼は無事なのですか?」
「今は怪我を負っているが、生きている。
・・・失礼する」
目が見えない。というのは都合が良かった。
鬼としての力を解放し、ボロボロになっていた鬼を素早く奪い取る。
「弱い鬼など、あのお方には必要ない」
話の間に再生しかけていた、その耳にだけ聞こえるようにボソリと呟く。
その身体がビクリと恐怖に震えた瞬間―――
左手で手刀を放ち、一瞬で五体をバラバラにする。
落ちてきた首を掴み、開けっ放しの戸の外へ放り投げ、その眉間へ向けて包丁を真っすぐに飛ばす。
境内に立つ木の幹へ顔の串刺しが出来上がる。
と同時に、バラバラだった残る身体は全て簀巻きにし、身動きが取れないようにしていた。
この鬼は大事な血を流し過ぎている。
再生力も限界に近い。
もはや自力で助かる道は無いだろう。
『お膳立ては整えた。
あとは、好きにしろ』
「これでいい。
あとは朝日で自然消滅する」
「な!?
あなたは、一体・・・!?」
振り返り、大男を改めてみる。
着物の隙間から覗く素肌は全身に血管が浮き出ており、凄まじい拳打だった事が伺える。
限界を超えた打撃にも長時間耐え得る筋肉。
素晴らしい才能だ。
「俺は猗窩座。
行冥、台所から包丁と縄を借りたぞ。
それから、そこにあった筵も」
「え?ええ、それは構いませんが・・・
あの人喰い鬼は大丈夫なのですか?」
「問題ない。
お前の攻撃でアイツは血を流し過ぎている。
再生する力も、もう残ってはいない。
直に陽が昇り、消滅するだろう」
「そう、なのですか・・・
いえ、いきなりのことで頭が追い付かず・・・
失礼。危ないところを助けて頂き、ありがとうございます」
「感謝は不要だ。
あの鬼はお前が倒したようなもの。
俺は止めを刺しただけに過ぎない」
「私には鬼に対する知識が、殆どありません。
あのまま殴り続ける事に意味があるのかどうかさえ、分かりませんでした。
重ねて、御礼申し上げます」
着物を返り血に染めたまま、無骨に頭を下げる大男。
悲しみを怒りに代えて力戦奮闘する姿に、人間だった頃の最期を思い出す。
「・・・行冥、お前は強い。
俺は長く生きているが、目も見えぬ人間が素手で鬼を倒すところを初めてみた。
いつの日か、鍛え抜いたお前と一対一で戦ってみたいものだ」
「私は、強いのですか・・・?
私はただ、この子達を守りたかった。
せめて、最後に残った沙代だけは・・・
私には、それだけでした・・・」
「そうか・・・
実は、もう一つ話がある。
獪岳はここには戻って来ない。
強くなりたいという本人の希望だ」
「そうですか、獪岳が・・・分かりました。
彼の才能は、このような場所に収まるものではありませんでした。
お金と機会さえあれば、と何度考えた事か・・・
貴方のような強い人がいるなら安心です。
ところで、最後に彼と話すことはできますか?」
その言葉に、行冥の背後に隠れていた子供がビクッと震えた。
「・・・・・・」
「・・・だ、そうだ。
獪岳、話せるか?」
そう言うと、戸口の方から彼の声だけが聞こえてきた。
「・・・悲鳴嶼さん。
こんなに、強かったんだな・・・
目も見えないのに・・・」
「獪岳!怪我は無事なのか!?」
怪我を推して立ち上がろうとする行冥を、獪岳の声が制止する。
「来るな!・・・来ないでくれ。
俺は、もうここには戻らないと決めたんだ。
もう二度と、殺されるのを待つだけの弱者にはならない!
俺は、強くなると決めたんだ!」
去りゆく決意を前に、行冥は力なく腰を下ろした。
「・・・そうか。
すまない、私がもっと強ければ・・・」
「・・・悲鳴嶼さんは、俺を認めてくれた。
それだけで十分だ」
ぽろぽろと、行冥の瞳から涙がこぼれ落ちる。
「・・・そうか、元気でな。
最後に助けを呼んでくれて、ありがとう獪岳」
「ッ俺は!・・・俺が!!!
生き延びるために、みんなを・・・!!
この鬼を・・・」
胸の前で手を合わせながら、こぼれ落ちる涙を止めようともせず、行冥は泣き続けた。
「・・・知っている。
この鬼が楽しそうに喋っていた。
皆が殺された事は、腸が煮えくり返る思いだ・・・
しかし、私はお前一人が死ねば良かったとは思わない。
それにお前は戻って来た。心強い助っ人を連れて。
この鬼がなんと言おうと、私はお前を認める」
「ッ!!
悲鳴嶼さん・・・沙代・・・」
バタンーーー
そこが限界だったのだろう。
戸の向こうで獪岳の倒れる音がした。
「獪岳!?」
「待て、行冥。
獪岳は片腕を失い、大量の血を流している。
止血はしたが、危険な状態に変わりはない。
俺が医者に連れて行く」
「ッ!!
彼を、頼みます」
「心配するな。
生きる事に関しては油虫より図太い。
・・・また会おう、行冥」
戸口の外、壁にもたれ掛かるようにして倒れている獪岳を背負う。
『術式展開・羅針』
朝日が昇るまでの間、最短経路で街へと戻る。
悲鳴嶼行冥。
久しく見なかった強者の名前を心に刻みながら。
「・・・夜分にすまない、急患だ」
「貴様、どうやってここを見つけ出した!
とっとと帰れ!」
「まあ!大変な大怪我だわ!!
愈史郎!早く治療の準備を!!」
「はい!珠世様!!」
獪岳は、自分の行いを最後の最後まで謝りません。
しかし、自分を認めてくれた悲鳴嶼さんの事は認めています。
そして、例えどんな理不尽であっても、強者には従う習性を持っています。