Side:猗窩座
日本が誇る、三名瀑。
なかんずく、そのスケールの大きさ・水流の激しさ・力強さにおいて他の追随を許さぬものと言えば、おそらく大半の者が『華厳の滝』と答えるだろう。
約100メートルの高さから降り注ぐ滝の水量は、雨の日には毎秒10トンを超える。
古来、滝行は不可能と言われる所以である。
水と言うより、ただただ全身を貫くような轟音と、全身をバラバラに打ち砕くような凄まじい水圧を身に浴びながら、男は岩場に立ち構えた。
「術式展開ーーー」
「破壊殺・脚式・・・」
男には、超えるべき目標がいる。
今の実力では、確実に勝てないであろう、六ツ目の剣士。
幾度となく目に焼き付けた、その立ち姿を幻視する。
その剣士と相対した際の重圧に比べれば、こんな滝行など可愛いものだった。
記憶を取り戻しても、変わらずに追い求め続けたもの。
それは何者にも、何人たりとも侵されない強さ。
嘗ての守るべき者達は、既にない。
しかしそれでも、この命に意味があるとするならば、我が一身を賭してそれが何なのか見極めるのも一興。
所詮、死して地獄に落ちる身。
人殺しの鬼の身で、あの世で三人に会えるハズもなし。
この身は修羅。
ならば、至高の領域を目指すもまた良し。
「流閃群光!」
「飛遊星千輪!!」
連続で繰り出される絶技。
その脚技を前に尚、無傷で立てる者はおそらくこの国に5人といまい。
幻視の男は、中でも最強の技を持つ一人だった。
剣士の技。
触れれば身体が吹き飛ぶような斬撃が無数に襲いかかる。
その太刀筋に寄り添う。
夜闇に煌めく三日月のような、無数の月牙の追撃。
刀剣でありながら、まるで鞭のように襲いかかり、その鞭の至る所に月牙が生えてくる。
正しく、降り注ぐ滝の一粒一粒を全て避け続けるようなもの。
全ての斬撃を躱す事は不可能。
故に、全てを打ち落とす!
「終式・青銀乱残光!!」
散らす、散らす。
降り注ぐ全ての水飛沫が、男に当たる事なく散ってゆく。
「オオオオオオオオオオオオ!!!!」
もっと速く、もっと多くの打撃を!
足りない!
まだ足りない!
「オオオオオオオオオオオオ!!!!!!」
もっと!もっとだ!
この程度で至高の領域などと、笑わせるな!
時は遡る。
男は鬼を滅した後、その発端となった惨殺現場へと戻って来ていた。
何故、ここに戻って来たのかは、自分でも分からない。
ただ、なんとなく、足が向いた。
それだけの事。
そこは、山村の離れにポツンと建つ小さな一軒家だった。
ドアは開けっ放しのまま。
おそらく、他に家族はいないのだろう。
日光を避けながら、その家屋に素早く入り込む。
血の、むせかえるような臭いが辺りに漂う。
腕と内臓の無い大きな死体が1つ。
顔の無い小さな死体が1つ。
常であれば、湧き上がるような食欲が、その顔の無い死体を見てしまうと、不思議と消えていくのだった。
まだ死んでから、さほど経っていない。
今は午前、日が差している。
本格的な埋葬は夜になると決め、男はせめてもと、物言わぬ遺体となった二人を綺麗にしようと思い立った。
ふと、思えば、
男にとってその作業は、初めてでは無かった。
床の間に二つ布団を敷き、その中へ二人を静かに寝かせた。
顔の位置には、布きれを被せてある。
ついでに、血の匂いがしなくなるまで、部屋中の掃除も済ませた。
これには相当に時間も手間も掛かったが、
物言わぬ二人を眺めているより、身体を動かしていた方が、気が紛れた。
男は手を合わせて目を閉じる。
偽善、という言葉が頭を過ぎる。
それでも今だけは、こうしていたかった。
「・・・・・・・・・」
そこを通りがかったのは、偶然でしか無かった。
この二人の事など、男は全く知らない。
二人を殺した鬼の事も、男は知らない。
ついぞ忘れて久しい、死を悼む心が、そこにはあった。
腰元から、遺品となった簪を取り出して見つめる。
芯は真ん中から綺麗に折れ、雪の結晶のようなつまみ細工はバラバラに砕けていた。
見るものが見れば、小さな破片さえ欠けてはいない事が分かるだろう。
彼女とは違うと知りつつも、男の心は過去へと飛んでいた。
果てしなき強さを求めた、幾百星霜の過去へと。
そうして、どれだけの時が過ぎただろうか。
日没を迎える頃、玄関へ人の気配が立っていた。