Side:雑魚人間
ダンッッッ!!
地面を踏みしめる音と共に、人間の拳が男の顔面へと迫る。
しかし、その拳は空を切る。
「お前は弱い」
その声は人間の背後から聞こえた。
『いつの間に!?』
ゾワリと背筋が凍るような悪寒を感じ取り、咄嗟に男と距離を取る。
「ちょうど日も暮れたか」
そう言って男は家の外へと出て行く。
しかし、その所作は自然体でありながら、隙のないもの。
チラ、と家の中を見る。
人間にとっても、今ここで暴れるのは本意ではない。
油断せず外に出ると、魔法のような薄明の空が広がっていた。
その色が、ひどく血と死を連想させる。
見殺しにしたーーー
自然体で立つ男へ向かい、
躊躇わず、全力の拳を振り抜く。
「どうして見殺しにした!!」
振り抜いた拳が、男の掌に収まっていた。
しかも、どれだけ力を込めてもピクリとも動かない。
対する男は無表情だった。
大人でも倒した事のある拳が、全く効いていない。
しかし、そんな事は関係ない。
二人を見殺しにしたこの男は許せない!
ならばもっと強い攻撃を!
もっと体重を乗せた一撃を!
「ガアッ!」
最高のスピードとタイミングで繰り出した裏拳。
それが男の顔面に当たると思った瞬間、視界がブレた。
「弱いな、人間」
気付けば地面に転がっていた。
お腹が焼けるように痛む。
殴り飛ばされた、と気付いたのは、痛みを自覚してからだった。
「弱者に教える事など何もない。
知りたければ、俺に一撃でも入れてみろ」
歯噛みする。
男にとって、これは戯れでしかなかった。
侮辱だった。屈辱だった。
これだけ許せないと思える存在が、歯牙にも掛けていないという事実が許せなかった。
何よりも、弱い自分が許せなかった。
「クソ、がぁッッッ!!!」
立ち上がる。
殴る。
当たらない。
「クソ!」
振り返りながら、回し蹴り。
受け止められて、投げられる。
「クソ!!」
立ち上がる。
拳を振り上げる。
当たらない。
「ガアッ!!」
無我夢中で両の拳打を放つ。
当たらない。
払われる。払われる。
当たらない。
「ぐぅッ!」
視界がグルンと反転する。
また何も見えなかった。
痛む腹部を押さえながら立ち上がる。
「クソッ!クソッ!クソガァ!」
立ち上がる。
殴る。殴る。殴る。
払われ、避けられ、
当たらない。
「グッッ!」
三度目に空を見上げた時、男は此方に背を向けていた。
「そこまでだな。
お前なような弱者には、何も守れない・・・」
そう言って去りゆく男。
必死に起きあがろうとする。
しかし、もはや体が言う事を聞かなかった。
力が足りない事への悔しさで視界が霞んでいく。
「くそッ!くそッ!畜生!!
逃げるな!卑怯者!
いつか必ずお前に一撃入れてやる!
必ずだ!だから逃げるな!」
次の日が暮れた頃。
精一杯、二人を埋葬した場所。
盛り土に板が立っているだけの、名も無い墓。
その墓前に、何故か昨日の男が立っていた。
「は?」
意味が分からない。
ひと晩経って落ち着いてみると、
『ひょっとして父さんの昔の知り合いだったのか?』
という疑問も浮かんでくる。
しかし、今まで見た事も聞いた事も無い相手。
そんな縁も薄い男が、今更何の用だ!という思いもあり。
理屈では無い部分で、男の姿を見ていると、沸々と昨日の怒りが湧き上がって来てしまう。
「ここに何のようだ!?」
「・・・忘れ物だ。
安心しろ。すぐに去る。
お前とも、二度と会う事はないだろう」
そう言って、男は踵を返す。
『忘れ物?』
見れば、板の前に小さな白い包みが置かれていた。
それが何なのか考えるより先に、怒りが勝ってしまう。
「ふざけるな!こんなもの!」
気付けば白い包みを男に向かって投げていた。
その包みは男の背に当たると、結び目が解けて落ちる。
バラバラと、その中身が散らばっていく。
大小様々な破片には見覚えがあった。
あゆみがいつも好んで付けていた、簪だった。
「そうか」
何故か、男は怒らなかった。
それどころか、地面に落ちた破片を一つ一つ拾い上げると、包みごと目の前へと差し出してきた。
まるで「お前が墓前に供えろ」と言わんばかりの態度だった。
その時見えた男の瞳が、印象的だった。
まるで澄み切った水晶のような、深い青色をしていた。
優しい色だった。
少なくとも悪い心を抱いてここに来たのではないのだと、分かってしまう。
素直に受け取ると同時に、ひと晩考え抜いて、一番気になっていた疑問が口から出た。
「父さんとあゆみを殺した鬼は、どこへ行ったんだ?」
「・・・俺が殺した」
何となく、そう何となく朧げに察していた事。
目の前の男の強さ。
乾いた血痕。
綺麗にされていた屋内。
『見殺しにした』
その真意。
その全てのパーツがハマり、ストンと納得出来てしまった。
この男と比べて、自分は一体何なのだ。
何も守れなかったどころか、気付きすらしなかった愚か者だ。
『変わりたい!
何よりも弱い自分を変えたい!!』
気付けば、頭を下げていた。
「オレの名はけいごだ!
頼む!
オレを強くしてくれ!!」
ただただ沈黙。
無言の間がしばらく流れる。
不安に押しつぶされそうになりながら、恐る恐る顔を上げてみる。
と、
この世の物とは思えない生き物でも見るかのような、
とてもとても嫌そうな男の顔が、そこにはあった。
カッコよく去ったつもりが、大事な遺品を持ったままだった事に気付く、うっかり狛治さん。
けいご君の問いに正直に答えたのは、投げた包みが当たったから。