Side: 猗窩座
「女に危害を加える気はない」
信じようと信じまいと勝手だが、俺は相手の目を見ながらそう答える。
その言葉に、珠世と呼ばれた和服の女性は踵を返した。
「では、交渉成立ですね。
立ち話もなんですから、中へお入り下さい」
彼女が愈史郎と呼ばれた男に耳打ちする。
彼は俺をひと睨みした後、先に洋館の中へと入っていった。
『この二人、人間の血の臭いがほとんどしない』
現時点で彼女に争う気がない事は分かるので、彼女の進む後をそのまま付いて歩いていく。
鬼が人間社会の中で財力を築く事は非常に難しい。
そもそも、人間を食べる本能をある程度抑える必要があり、その上で人間にとって価値ある物を売り込まないといけない。
例えば、上弦の陸。
堕姫は長年、遊郭のトップとして君臨し続けている。アイツ自身は弱いが、兄はなかなか強い。
その他にも上弦の伍のように、趣味の壺が高値で売れるようになった鬼もいる。あの壺の何が良いのか、俺にはさっぱり分からんが。
しかし、そのような鬼は稀である事に変わりはない。
この洋館は彼女たちの財力を端的に表している。
なるほどこれならば、俺が知らない鬼で、無惨様からある程度の自由裁量権を許されていたとしても頷ける話だ。
この時、猗窩座は珠世の事を勘違いしていたのだが、この事がお互いにとって最良の結果を生みだす事になる。
テーブルに向かい合って座り、カップに注がれた紅茶と呼ばれる薄紅色のお茶を飲む。
「・・・味がしない」
素直な感想を言うと、目の前の珠世は笑ってテーブル中央の容器をこちらに差し出してきた。
「はじめは皆さんそう言われます。
こちらの砂糖を入れて飲んでみてください」
彼女は美味そうに紅茶とやらを飲んでいる。
闘気は弱いが、弱者ではない。
少なくとも、俺の名を知りつつ対応できる者に、弱者はいない。
ならば信用しても良かろうと、砂糖をカップへ入れて飲んでみる。
「・・・これなら飲めるな」
そう言うと、それまで少なからず感じていた緊張感が薄れていくのを感じた。
ふぅ、とひと息吐き。
彼女がカップを置いた瞬間、その弛緩した空気は一気に張り詰めたものとなる。
「まずお聞きします。
あなたはこの一年、どれほど人間の血を食べましたか?」
「おかしな事を聞くものだ。
鬼の俺にそれを聞いてどうする?」
「それは、貴方の答え如何によります」
彼女の強い視線は、鬼であり、人間でもあった。
「・・・この一年は、山奥で人間の弟子を育てていた。
獣の肉を喰らいはしたが、人間は喰わなかった。
信じる信じないはお前の勝手だがな」
「なるほど、それで・・・
貴方の言葉を信じましょう。
何より、貴方からは血の臭いが薄い」
「物好きな鬼だ・・・
今度は俺の質問に答えて貰おう。
この辺りの地に無惨様が貿易商として住んでいる筈だが、どこに行かれたか知らないか?」
「この地に!?
・・・いえ、私たちはとある人間を治療するためにこの地に来ただけで、あの男の足取りは知りません」
今の驚きようは、真実に迫っていた。
どうやら彼女たちは、たまたま浅草に来ていただけのようだ。
「そうか・・・仕方ないな。
しかし、お前たちは医者なのか?」
「え?ええ。西洋の医術を少々嗜んでいます」
医者。
という単語に俺は苦い過去を思い出し、興味本位で尋ねた。
「ついでに聞くが、解毒の薬なども調合できるのか?」
「?ええ、もちろんです。
何の毒か分かればすぐ治せますよ」
「そうか・・・
もし俺が人間だった頃に、お前のような医者の知り合いがいれば、俺は二人を失わずに済んだのかもしれないと思ってな・・・
いや、これは忘れてくれ」
「・・・貴方の過去に何があったのかは知りませんが、もし貴方が助けたいと願う人がいれば、力になりますよ?」
「鬼は医者いらずだと思うがな」
「あら?
人間の弟子を取られていたのではないですか?」
「慶吾か、アイツはそれほど弱い人間ではないが。
そうだな。人間は怪我もするし簡単に死ぬからな。
もしかすると、その時は頼むかもしれん」
「ええ、その時は是非」
「・・・医者なんてのは、本当に治せるかどうかも分からない癖に、鼻持ちならないヤツらばかりだと思っていたが、そうでない人間もいるんだな。
ありがとう、珠世。礼を言う」
「構いません、私は鬼ですので」
この瞬間、俺は珠世を信用する事にした。
「しかしこれでは借りが出来てしまう。
何か俺にできることはないか?」
「えーと、そうですね・・・
私は今、鬼の血について研究しています。
本来、人間なら死ぬはずの病気も、鬼なら治せます。
この性質を上手く利用する事で、人間のまま、難しい病気も治せるようになる可能性があるのが鬼の血なのです。
貴方には、その研究のお手伝いをお願いしたい」
「・・・それは、俺の血で良いんだな?」
「はい。貴方の血をほんの少々頂ければ、それで十分です」
「分かった。それならば問題ない」
その研究にどれほどの血が必要なのかは分からないが、もしあの時、医者の知り合いがいたら、という思いのまま。
俺は立ち上がって右腕を切り落とし、おもむろに机の上へと置いた。
「これで頼む」
「・・・え?」
目が点になっている珠世の目の前で、直ぐに右腕を生やして元に戻す。
「もし、素木慶吾と名乗る男が怪我をしていたり、誰か人を助けたいと願っていたら、助けてやって欲しい。頼んだ」
それだけ伝えると、用は済んだとばかりに客間を後にした。
廊下を歩いていると、先ほどの男とすれ違う。
「猗窩座・・・
珠世さんに何もしてないだろうな?」
「愈史郎、と言ったか。
俺がその気なら、お前など2秒で無効化できる。
彼女の騎士を気取るなら、お前はもっと強くなれ」
「貴様に言われずとも分かっている!」
「そうか、それなら良い。
彼女は強い人だが、戦いには向かない。
いつの時代でも、医者は必要だ」
「猗窩座・・・
お前はどうやってこの場所を見つけた?」
「それくらい、自分で考えろ」
「・・・・・・」
「・・・じゃあな」
「貴様に頼むのは業腹だが・・・
珠世様のためにも俺は!
もっと強くならなければならない!」
「・・・桜の木だ。
外からは見えなかったが、塀の外に桜の花びらが散っていた。
それで違和感を感じた」
「・・・やはり、そうか」
「じゃあな、愈史郎」
「・・・ありがとう、猗窩座」
「・・・狛治だ」
愈史郎の、まるで敵に塩を送られたかのような、悔しそうな表情に興味が湧いた。
コイツはきっと、強くなる。
どこまで強くなるか、楽しみだ。
『慶吾とどちらが強くなるだろうか・・・』
月明かりに照らされた夜桜は、より儚さを感じる美しさだった。
幕間 夜桜に潜む鬼-終-
今回、愈史郎は珠世からの言いつけで、何かあった際に逃げ出す準備をしていました。
猗窩座は水以外だと緑茶とか飲んでそう。
そして珠世さんと言えば紅茶。
(↑2021/10/8 修正)