彼氏いない歴は18年である   作:kab3

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百瀬里都 1

 

 

 

 本部の廊下はしんと静まりかえっていて、足音だけがやたらに響く。沈黙が耐え難いわけではないが持て余し、何か話さなければならないことがあったかな、などと頭の中を捜索してみるとちょうど、今、思い至ることがあった。

 

「イコさん」

「ん? なんやモモちゃん」

 

 普段通り。ゴーグルは額に上げられていて、深い緑の目が里都の方を向く。

 なるたけ、平然と。人を笑わすにも脅かすにも、気取ってポーカーフェイスをするのが一番いい。ボケるときに自分が笑わないようにするのは基本、つまり今だっていつも通りの声音で。

 

「もしかしたらわたし、イコさん好きかもしらん」

「ん? 誰が好きって?」

「イコさん」

「誰が?」

「わたし」

「好き?」

「好き、やと思うで」

「恋ってこと?」

「多分?」

 

 成功だ。まるで感情なんてなくいつも通りのたわいない言葉と同じ音程。

 上目に横目に伺えば、いつの間にか立ち止まったらしい生駒はまあ大きくその目を開いて情けなく口を開け。

 

「お、わ、わゎ……み……隠岐ぃ!!!!!」

 

 水上と言おうとしたその口で隠岐の名前を叫んで逃げ出した生駒達人の背中をひとしきり笑ってから、モモちゃんこと百瀬里都はこれからどうするかを考えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 百瀬里都(モモセリツ)は女の子である。残念ながら百人が百人振り返るような美少女ではなかったが、百人が百人「まぁかわいい方じゃないかな」と言うほどには可愛らしい少女であった。

 

 今年で18歳、彼氏いない歴も18年、成績は上の下、運動神経は中の上で身長は下の上のありふれた少女でもある。

 昨今、恋愛経験のないことだって珍しいものでもない。

 

 

 

 百瀬里都は両親の不仲で関西から三門まで母と共に引っ越して来た。そのひと月ほど後に近界民の侵攻があり、近界民なんかがそこかしこから見えるようになった三門市に嫌気がさしたのか里都の中学卒業とあわせて侵攻のゴタゴタで出会った新しい恋人と三門から出ようとする母に別れを告げて一人暮らしを謳歌している。

 つまるところボーダーへの入隊は気軽にせびることができなくなったお小遣いを手に入れるためだ。

 

 しかし隊を組むと抜けたい時に抜けると言う気まずさがあるから、とB級ソロ隊員としてほどほどのお遊びができるくらいに稼いでいたのだが、今思いかえしても恐ろしい────中学生女子に「働け」と締められ、同級生のリーゼントと同じ隊室に放り込まれて馬車馬……は言い過ぎの気があるがその如く働いている次第であった。

 リーゼントとはお互いダラダラと働いていて面識はあったと言うよりもそこそこ仲良しで、すぐさまマキリサ怖いと意気投合したのは余談である。

 

 

 

 仕方なく弧月を持って働いてみると、他の隊員はどうも自分より数段強かった。

 里都はやる気というものは人の五分の一ほどしか持ち合わせていなかったが、他人の足を引っ張ることを許せないほどにはプライドがあった。それにトリオン体でさえなければ成績も運動神経も残念で仕方がない当真勇に弱いとは。冗談であったとしてもそう馬鹿にされるのは心底嫌だったのである。

 

 

 そういうわけで里都は頑張ってみることにした。当真勇に馬鹿にされる前から馬鹿にされることを恐れて少しばかり真面目に取り組んでみることにした。実際今のところ面と向かって馬鹿にされたことはない。

 幸にして、才能がないわけではなかった。むしろある方だったとも言える。

 しかしこのままではチームメイトには一段及ばないだろうということも早々に理解ができた。

 

 困った百瀬里都は師匠をとることにした。

 

 

 それが、生駒達人だったわけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 生駒達人を選んだわけはそう深くない。戦闘狂で餅狂の攻撃手(アタッカー)一位は師匠と仰ぐには阿保に見えたし、更にその師匠(本部長)に教えを請うのはハードルが高すぎる。その他で弧月の実力者を上から考えて、断られる時の気まずさなども考えていったならば、生駒達人はお願いするのに都合が良すぎた。

 

 なにせ、百瀬里都は女の子であった。

 

 生駒達人が女の子に弱いというのも、ボーダーでは知れた話であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 肩甲骨をすぎるあたりまでの長い黒髪を高い位置でひとつに結うのが里都の常の髪型で、今日も今日とてそうするべく鏡に向かった。寝癖にひょこひょこ跳ねる髪をブラシで撫でる。

 自分で思うのもなんだが悪くない。サラサラな方だと思うし。ポニーテールは男の浪漫だと生駒に聞いた。生駒の浪漫は多すぎてよくわからないが。

 

 

 遊んでいる髪束がおさまったら中学生の頃の校則のまま付けている茶のゴムを手に取る。

 昨日生駒に告白のようなものをしたわけだが、教えを請うにあたって散々な姿を見せてきたわけでいまさら取り繕うのもアレだ。意識しているみたいで嫌だった。

 意識なんかしなくても、里都の鏡の前にあるのは黒と茶のゴムが数本と黒のピンが箱に半分とだし。何も変わらない。色気付いてもない。いつも通り。いつも通り。

 

 そんなことを考えている時点で意識しているのであって、学校に生駒がいるわけでもないのに考えてるのも馬鹿らしくって。朝で鈍い上にのぼせている頭では何が何だかわからなくなったが、里都は焼いた五枚切りトーストを食べながらめいっぱい悩んだ末に、高校に行く前に色付きリップをひとつカバンに押し込むことにした。

 

 

 

 

「どした〜? 鏡見て悩み事かね?」

 

「実はイコさんに好きって言うてもたんよね」

 

 早々に教室の席について鏡を見ては悩みに悩んでいれば国近が入ってきた。平然を装う。いかにもな雰囲気でまんまの言葉は良くない。エンターテイメント的に。それにキャラもちょっと違う。

 三門に来てから、里都は自分のキャラを意識してクール系に寄せようとしていた。カッコいい女の子だと女の子に思われたかったのである。

 

 そうしていつものように表情は抑えめで国近の側頭部にひょこっと立ち上がっている寝癖を撫でながら実は、と切り出せば今日もおそらくゲーム漬けの徹夜上がりで眠たげだった女子高生の目は輝き出した。

 

 

「え! ちょっと待って……今ちゃん! ちょっと!」

 

 

 国近が呼べば静かに本を読んでいた今も里都の席に近づいてくる。割に気安く、ノリが良い二人は同じクラスだということを差し引いても仲のいい部類の友人だ。

 

「モモちゃんイコさんに告ったんだって!」

「声大きいわよ」

 

 前に新作ゲームの開発が決まったと喜んでいた時と同じくらいのはしゃぎ具合に少し嬉しくなる。確かに声は大きいけれど。

 

「別にええよ隠してへんし」

「里都、それマジ!?」

「ほら当真が釣れたわ」

 

 自席で船を漕いでいたと思った当真も里都の話だと気が付いたのかノコノコふらふらと寄ってくる。

 そんな風に隙だらけじゃ首とられるぞ、とは訓練中ではないのでさすがに言わなかった。

 

 

「別におもろいことなんもないで?」

「いや恋バナは聞かにゃ損」

「チームメイトじゃん」

「私も聞きたいわ」

 

 

 まだ始業時間には遠いとはいえ周りの席を占領してしまっては迷惑な気がする。関西人としては笑いどころのない面白くない話はしたくないのだが、これだと意固地になるより話してしまった方が早いかと考えて里都は概要を口にした。話は伸ばせば伸ばすほど面白さのハードルが上がる。タイミングというかスピードが大事なのだ。何より意固地に話さないとなると余計に好きみたいだし。とはいえ、本当になんの面白みもない。

 

 

「イコさんと()っとって、ほんでうちの隊室まで送ってくれよったからその帰りにな、なんていうか、なんか話さなあかんことあったよなて思って、好きかもって言うてもてん」

「それだけ?」

「うん。そう。やから面白ない言うたやろ」

 

 ここで面白ないやん、と言われれば里都の心は傷ついて仕方がなかっただろうが生憎そんなことを言う人はいない。

 そも、会話が面白くないと文句を言うことを里都の恋バナによって集る彼女らはしたことがない。

 

「で、イコさんは?」

 

「逃げてもた。隠岐くんの名前叫んで。

 隠岐くんシュッとしててカッコええからイコさん隠岐くんのこと恋愛強者やとでもおもとんねんで」

 

「返事は?」

「ない。逃げぱっぱ」

「それはいかんな」

「そんな男だとは思ってなかったわ」

「意外、イコさんだったすぐオッケーしそうだと思ってたけどな」

 

 

 少しの憤りを見せる今を諌めながら里都は意外だと言ってのけた当真を見やる。机に肘をついて、顎を乗せて、昨日を思い返しながら。

 

 

「すぐ女の子カワイイカワイイ言うけど実際好きやって言われたらパニクるんめっちゃかわいいと思わん? わたしはキュンときた」

 

 実際、可愛かった。耳は赤かったし。脱兎の如く逃げ出す姿は情けなくて。

 かわいかったと、思う。

 

 

「お前ヤバ」

「なんだ惚気か」

「それで鏡見てたのはなんで?」

「自信持っていい顔はしてんぜ」

「最低ね」

「ま、でもカワイイよモモちゃんは」

「国近が言う?」

 

 ダメかも、と思った。ちょっと崩れそうだけど。でも出しかけた言葉を戻すのはもっと無理だ。

 

「……リップ、色付きの付けてったらかわいいかな?」

「ッカワイイ!」

「じゃあ、今日本部行くしイコさんに会う前に付けてく」

 

 

 最後は少し早口になってしまった。なんかちょっと暑いし。

 色付きは校則で一応禁止されているから、と鏡といっしょにカバンの奥にしまい直した。

 

 

「あれ、今日ウチ任務入ってたか?」

「入ってへんよ、ランク戦しに行くねん。あ! トーマは狙撃手訓練あんねんからな」

 

 入ってたかもな、と少し不安になっているらしい同チームの馬鹿に今日は感謝する。わざとらしく話を変えてもよかったけど。

 

 

 

 

 

 当真にやる気を求めるわけではないが、仮にもトップが訓練にでないのは良くない。とはいえめったに引きずっていくなんてことはしないのだが今日は本部までの道のりに道連れがほしい気分だった。

 

 サボろうと思っていたのに、と嘆く当真を引きずり本部まで行きつくと、里都は狙撃手の後輩に当真を引き渡して手洗い場に向かった。鏡を見るためである。

 薬用以外のリップをあまり塗った経験は多くなく、慣れない色に気恥ずかしくなったもののまぁ可愛いんじゃないかなと思いはした。少なくとも、初めて化粧をしたガキンチョみたいにはなっていないと思う。まさに、意識し始めた高校生って感じ……という言葉が頭によぎって一人で焦って頭を横に振った。

 

 

 

 ともかく気を取り直し、生駒隊室を前に名乗れば十何秒か空いた後に中にいたらしい水上が扉を開け、里都の顔を見て困ったように笑った。

 その奥には生駒が脛を押さえて蹲っているのが見えるから、きっと慌てて机か椅子の角で打ちでもしたのだろう。私服だし、今はトリオン体でないということだ。当然里都も生身だった。制服のままである。

 

「やほ、水上。入ってもええ?」

 

 生駒を師匠に仰いでいた以上、この隊室には何度も入ったことはあるが、お伺いを立てるのは最初のとき以来であった。

 

「ええよ、俺ら邪魔?」

「いや、むしろおってほしいな。イコさん逃げへんように。昨日は走っていっちゃったし」

 

 部屋には水上と、隠岐がいた。相談でもしていたのだろうか。あぁ、と納得したように二人が頷いたから、昨日逃げた先には隠岐と水上二人ともがいたのだろうか。

 深く考えていなかったが、生駒が二人に起こったことを相談したのなら思っているより里都の告白を知っている人は多いのかもしれない。誰も言いふらす口ではないがなにせ声はデカい。

 

 そんなことはさておき、いつものように椅子を借り、生駒の前に座る。当然気恥ずかしさはおくびにも出さなかった。

 

 

 

 ピンクに色付いているはずの唇は少し落ち着かないが、ゴーグルに隠されていない生駒の目線を見る限り気づいてもらえてはいるようでトンと気分が上がる。

 

「モモちゃん、えっと、その……昨日は」

 

 真剣に、何かを言おうとしているがハッキリしない生駒相手に先手を打つ。今日は返事をもらいに来たのではないのだ。

 

 

 

「あ、苗字変わりそうなんでモモちゃんって呼ばんといてほしいです」

「えっ」

「親が離婚するらしくて」

「えっ……」

「あ、全然かまへんのですよ? それよりわたし、下の名前里都っていうんですけど。知っとりました?」

「そ、そりゃあ弟子の名前くらい知っとるけど」

「へへ、めっちゃ嬉しいわぁ」

「そ、そうなん」

「モモセじゃなくなるからさ、それに、イコさんにはわたし、リツって呼んでもらいたいねん」

「ひょえっ」

 

 水上と隠岐が後ろでこそこそなんか言っとるのはあとでしばくとして、かわいい悲鳴をあげたイコさんを追い詰めるべく詰め寄って、今朝鏡の前で練習したイコさんを追い詰める笑顔十選のひとつを披露した。

 ポイントは上目を使うこと。

 生駒達人は小さな女の子にめっぽう弱い。

 

 

「里都」

「そんなん、あかんて嫁入り前の娘が」

「いつの時代の話ですか?」

「モモちゃんあかん。あかんホンマあかん」

「リツですって、ほら」

「ヤバいやん」

「名前呼ぶだけやないですか」

「お付き合いもしてへんのに!」

「ほんなら付き合いますか? わたしいつでも準備できとるんで」

「いやいやいやそれはちょっと、もうちょっと待ってや、よう考えて返事するから」

「じゃあ名前呼んでくれはるだけでええですよ。それで今日は我慢します」

「……え、ええん?」

 

 

 生駒には引け目があった。軽く、ほんの軽くなんでもない雰囲気でとはいえ告白なるものを女子からさせた挙句返事もまともにできていない引け目だ。

 それを見逃してくれるなら、名前を呼ぶくらいわけないように思えた。

 

 

「ええですよ。里都って呼んでくれたら、今んとこはわたし」

「じゃあ、いくで。あ、待ってその前に深呼吸させて」

「いくらでもしてください」

「ほんま、ほんまに呼ぶで。ええな? ええんやな? 呼んだ後でやっぱキモいんでやめてとか言われたら俺泣くで? ガチ泣きやわ」

「言うわけないやないですか」

「……せやったな、よし、よし。オッケー、じゃあ、いくから」

「はい」

「あっ待ってやっぱ待ってまだ心の準備足らへん」

「よぉ深呼吸してくださいね。名前呼ぶくらいで心臓止まられたら困るんで。長生きしてもらわんと」

「……うん」

「気合いですよ気合い」

「ええよ、もういける。今度はほんま。マジ」

「じゃあどうぞ」

 

 数十秒間しっかり呼吸をして、生駒は里都から目を逸らした。

 

「……リ、リツちゃん」

 

 里都が微笑む。これは今朝練習したものではない方だ。ほんの少し顔が熱くなった気がして、やっぱりトリオン体でくるべきだったかと思うなどした。

 こんなの、ホントに“っぽい”じゃんか。

 

「……はい」

 

 思った以上に嬉しいものだ。好きだと自覚したから尚更。緩む口元を隠さずにいればそっぽを向いた生駒の耳が真っ赤に染まっているのが見えて、引き締める気もなかったものが更に緩む。

 

「っ急用思い出したわ! また今度な!」

 

 ドタドタと忙しなく飛び出した扉の方から生駒が弓場を叫ぶ声が聞こえた。今度の相談相手は同級生らしい。

 昨日と同じような展開に赤い顔を隠す意味も込めて腹を抱えて笑っているとおずおずと水上の声がした。

 

 すっかり忘れていたが、生駒隊の隊室には生駒と里都の二人きりではなかったのだ。

 

 

「んーと、俺らもリツちゃんって呼んだほうがええか?」

「いや、モモでええわ。今ちょっとさぶいぼ立ったで」

「キショイってか」

「そこまで言うとらんけどな」

「否定してほしかったわ」

「……苗字変わるんとちゃうんですか」

「苗字変わりそうなんは確かやねんけどモモセはトモモトになんねんな、これが。モモは抜けとらんからモモでええやろ? 他の人にも離婚や再婚やの面倒な話言うつもりないし」

「……自分やっぱええ性格してはるわ」

 

 

 水上は生駒にモモちゃん呼びをやめさせたことを言っているのだろうか。しかし百瀬でなくなるのは事実だ。

 

 

「褒めてんの?」

「褒めてへん」

「でも別にわたしウソ言うてへんし!」

 

 

 

 

 もうすぐ友本になる百瀬里都はこの次生駒に会う時はどうしようかを考えることにした。

 

 

 

 

 

 

 




今はまだモモセのリツ:浮気されて別居したくせに離婚前に浮気して三門を出ようとする母に嫌気がさして一人暮らし宣言をした。生活費は支給のため本当にお小遣い稼ぎのつもりだった。
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