おい今何月だよ
生駒達人は悩んでいた。もう四ヶ月ほど続く悩みの延長線上であるが、ここ最近に始まった悩みである。
季節は八月も半ば。ご存知里都のことについて、それはもう大変に悩んでいる。
八月だった。
夏休み、である。
おめでたくも生駒の頭は終わったばかりのテストのことは忘れ、再テストの心配も忘れ、夏に思いを馳せている。後期の履修登録よりも、ランク戦の戦略よりも、この夏のことを考えていた。あとひと月半ほど続く夏休みは、しかし高校生とかぶっているのはあと半月ほどしかない。
生駒達人の考える夏は、ともかく里都のいる夏であった。
水着、浴衣、花火、パラソル、扇風機。
よく見る真剣な表情で考え込んでいる生駒の頭は様々なシチュエーションでいっぱいである。
全部みたい。
けれど今のところ里都と生駒はなんの関係にもなく──いや、師弟というものではあるが。
家族でも、その、あの、例のあの関係でもない男女が連れ立って夏祭りやら花火大会にやら行くものではないよな。花火大会での告白なんかには一抹の憧れがあるものの、それはそれ。一緒に行ったらもう告白するしかなくなるじゃないか。別にしなければならない法律はないけど、雰囲気。まだそんな準備はできていない。告白の言葉だって考えられてないし、やるならロマンチックに……それか正しく正々堂々と……雰囲気に流される感じではなく。というか、ほんとにまだ心の準備が整っていない。
でも浴衣のリツちゃん見たいなぁ。
しかし大切にしたいのだ。一回きりの機会というものに生駒は必要以上の夢を見ていた。決して、なぁなぁな感じではなく。決して雰囲気でポロッと言ってしまうとかではなく。
生駒は場の雰囲気に流されやすいタチだった。
三門の祭りに詳しいわけでもないし。大きな花火大会はどこでやってるのかを知るわけでもない。でも、何もしないのはもったいないなと思ったりするわけだ。
だって夏だ。
里都が高校3年の夏は一回きり。
それももう半分ほど終わってしまった。
夏休みだから見れるサンダルと袖や裾の短い服。制服にはロマンと夢が詰まっているけれど、夏休みの私服はもう、それはもう筆舌に尽くしがたい。ボーダーでは割と会うけど。せっかく夏休みなんだから、可愛く着飾ったリツちゃんとボーダーじゃない場所で。と思うのは不思議なことでもないだろう。
だとしても、何に、どうやって、どこに、誘えばいいのか。というかただの師匠が夏休みに誘ってもいいものだろうか。というかなんでまだただの師弟なんだ!
「どう思う?」
「実はおれ心は読めないんだよね」
見えるのは未来、と笑うのは今日もぼんち揚片手に生駒と里都の恋愛模様を観測しに来た迅悠一である。
今日もニコニコの迅は幸せな未来にご機嫌のようだが、迅の表情には気がついてもいないのか、生駒はやはり真剣な顔である。心が読めない迅には、どう思うかと聞かれたのは何についてのことやら判断がつかない。今目の前のモニタでやっているランク戦のことだろうか。里都が生駒以外とやっているのは珍しい。でもそんな相談を迅が生駒からされるのはまずなくて、おおよその予想はついているのだ。未来の自分はとてもいい笑顔をしている。
「夏祭りは早計やんなぁ」
青い浴衣を着て、髪を上げた里都を見た。とても楽しげで、今更ながら生駒の知らない里都を先に見てしまっていることに多少の罪悪感を覚える。だって、ドレスとか、着物とか、色々。言わないでおこうと決心する。
「モモちゃん? 誘うの」
「やって、ぜっっったいかわええやん。そんなん。見たいし。……見たいなぁ、浴衣、着てくれるかな」
着てくれるね。かわいいよ。と言ってやるのは簡単だ。そのあとの質問攻めと嫉妬の視線を計算にいれなければ。
「……さぁ。モモちゃんの好みじゃない?」
生駒が着てほしいなどと言えば喜んで浴衣を仕立ててくるだろうことは見ずとも迅にはわかったが、そこはやはり言うべきではない。
「や、やっぱりあかん。ハードル高すぎるわ、あかん。ホンマあかん。夏祭りとか絶対、ぜえったい誘われへん」
突然ふりふりと横に頭を振りながら生駒は嘆いた。頭を抱えて、両手で顔を押さえて真っ赤な耳を曝け出している。
およそ、浴衣の里都を想像したかなんかだろうなぁと迅は思ったが、やっぱり心が読めるわけではないので真実はわからない。
「だって、まだ、そんなんじゃないし」
迅が何も言わずとも、生駒はひとりで喋って話を進めている。夏祭りの未来はなくなったかなぁ、と考えてみたり。
あ、これはさすがに見たら悪いな。と思って視線を逸らした。
「お、モモちゃん。見てたよ、珍しいね?」
「迅さんこそ、珍しいですね。こんなとこおるん」
トリオン体ではなく、ショートパンツとTシャツ姿の里都は今日もかかとの高いサンダルを履いていて、鮮やかなピンクに塗られた足の爪が照明に光っている。
うーむ。可愛い。120点。と里都の声に顔を上げた生駒は思ったが、声に出さないと誰にも伝わらない。影浦はいないし。
「え、かわいい。どう? プールとかいかん?」
でも声に出したから全部伝わった。「え」と目を見開いたあとに頰を少し染めた里都と目を逸らすのをやめて目を瞑った迅。迅のそれは配慮である。
「たっ、たた隊のみんな誘ってな、せっかくやから、夏やし、な?」
あぁ、と迅は頭を抱えた。声に出したことに気がついた生駒が恥ずかしがって後付けをしてしまったから。見ていれば生駒隊と里都らがプールに行く未来に疑問を持って諭しでもしただろうが、生憎里都の水着姿を見ることに多少の罪悪感を抱いた迅はちゃんと未来をみていなかった。
さっきまで夏祭りの話だったのにプールもいいなぁなんて考え始めてしまったから、口をついたのは祭りではなくそっちの方だった。
「ええですね。いつ? 任務なかったらいつでも空けれるよ」
吃る生駒を見てクスクスと笑った里都は余裕そうに見えて焦っていた。急いで水着を買いに行かないといけない。スク水しか里都は持ってないし、ていうか生駒はどんな水着が好きなんだろう。水着に流行りとかあったっけ? 同じクラスの女子を思い出しても、どうも水着の流行を理解している人種ではない気がする。この際は男の子に男はどんな水着がいいか聞くべきかもしれない。荒船……はアクション映画脳だからダメ。カゲ……はプールとか行ったことなさそうだからやめ。北添……は何着ても褒めてくれそうだからだめ。村上……はなんか申し訳ないからやめ。王子……は話通じひんし。蔵内とかはあんま仲良くないし。犬飼……は普通にあれに頼るんはいややからだめ。穂刈? トーマ? 女の布に興味あるんかな? 水上……はなんでもいいとか言いそうやからだめ。あぁどうしよ。頼る人がおらん。こうなると、店員さんに頼る、しか。
なんだか最近は振り回されてばかりな気がしているから、今日は強気で初心でお淑やかに余裕のある女ムーブをしようと決意したばかりなのに。
全然日本語を喋れてないイコさん。かわいい。めっちゃかわいい。
生駒が最近には珍しく慌てているから、なんとか里都はその余裕を表面上は崩さずにいれた。そうじゃなきゃ。駆け引きしてるんだもん。
「み、んなの予定聞いてみんとあかん、けど」
「うん」
「ちょ、ちょっと聞きまわってくるわ!」
あわただしく駆けていった生駒の背が見えなくなり、ようやく里都は息を吐き、さっきまで生駒が座っていた椅子の隣に腰をおろした。
「あれ、イコさんわたしのこと可愛いって言うたよね?」
「言ってたね」
「幻聴じゃなく?」
「おれの副作用もそう言ってる」
「副作用過去視やっけ?」
「未来視だね」
えへえへとだらしなく弛む頰を指先で持ち上げてなんとか里都は人に見せられる顔を保つ。
別に、初めてじゃないけど。
かわいいなんて生駒の口からはよく出てくる言葉だけど。
思いがけずこぼれたように聞こえたあれは多分絶対間違いなく本音で、本音じゃなくても、言われれば嬉しい言葉に違いなく。
サンダル新しくしてよかった。昨日爪を塗り直しててよかった。髪おだんごにしてるからだったかも。変な服着てなくてよかった。
「なんでやねん」
里都はごきげん。
「お、本場だ」
迅もにっこりだった。
結局のところ、水着は真織と買いに行くことになった。へそが見えてるのと、首周りの露出が多いのを除けばいつものTシャツと短パンに見えないこともないような、あんまり攻めてないやつ。求められてるのとはちがうのかな、と何度か悩んだが、真織の「かわいい」とトレンドというやつを信頼した。あんまり攻めてもどうかと思うし。普通に恥ずかしいし。
終わったばかりの生理のことは気にせず組んだ日は、夏休みがあと半月しかないこともあってすぐ近いのだが、とりあえずその日は腹筋と腕立て伏せをしてみた。
一週間で痩せる! と謳う動画を見たりしてみたものの、始めてから一週間も経ってないのであまり痩せたかはわからない。どうせ落ちるから、とリップも何もせず、もう焼けてるし、と日焼け止めも持たずに外に出る。水着の上に大きめのTシャツを着て、夏用のカーディガンを羽織った。
なかなか、なかなか。まるで海かプールに行く女子高生みたいだ。タオル、着替え、財布、スマホ。お弁当とか、用意できたらよかったんだけど里都には生駒隊みんなと自分の分を朝に作る手腕はない。夏だし、プールだし、管理も難しいからない方がいい。それに、きっと、料理はイコさんの方が上手にできるんじゃないかなといつも思っている。彼はなんでも器用にこなすひとだ。
戸締り、確認。今日は晴天、暑くなるらしい。残暑にふさわしく、プール日和だ。いつもは玄関を開けた瞬間吹き込む熱気にすぐ帰りたくなるが、今日の里都はほとんど無敵。ご機嫌にアスファルトの上を歩いた。
待ち合わせは駅だが、だいたい、家の方向が同じなら同じところに行くのに道はかぶるわけで。
同じ時間に待ち合わせているんだから、同じくらいの時間に同じ道を通るかもしれないわけで。
里都が家を出るとちょっと前を生駒が歩いていた。
悩ましいことに、少し走らないと追いつかないくらいの距離がある。呼びかけるか、追いかけるか、しかしなんというか特にしめし合わせてもいないのに待ち合わせ場所の前で背中を見ると気まずいというか。見間違えるはずないけど、もしかしてもしかしたら人違いの可能性もある。けど何かの拍子に振り返られてすぐ後ろにいることを知られたときの気まずさの方が辛いか。
里都は足音を立てて走ることにした。
「イコさん、おはよ」
これ見よがしに足音を立てても、生駒は振り返らず、里都は生駒の隣に追いついたとき、その顔を覗き込まねばならなかった。少し悩ましげな表情の生駒は、大袈裟に肩をビクつかせて驚いて、それから目を見開いて「おはよう」と言った。
視線が里都の頭から足元をうろつく。
「今日もかわいいな。それ、着て泳ぐん?」
今日もかわいい、にやっぱり里都の心は跳ねる。前のかわいいより冷静で、ちょっとお世辞感があるけど、今日も嬉しい。
「いや、下に着てますよ? ほら」
「あー! あー! 見せんでいい! 見せんで!」
往来でなにしとんねん、と叱られて伸ばしかけた襟から手を離す。
「今日のために買ったんですよ? 一番最初にみてくれたら嬉しかったのに」
やっぱり最近は久しぶりに里都優位だ。
口を尖らせてちょっと拗ねたふりをすると、明らかに視界の端で生駒がオロオロとしている。なんでわかりやすいんだ。かわいい。
一番最初は真織だということは黙っておく。
「で、でもな、人目あるしやな」
必死に弁解しようとする生駒がやっぱりかわいくて里都は笑う。別に、言い訳しなくても生駒の方が道徳的にも正しいんだから堂々としたらいいのに。
「そんなん、ちゃーんとわかってますぅ」
にんまり笑って上目遣い。これは今朝鏡の前で練習したやつ。
悔しげに何かを堪える表情をした生駒は何かを言おうと何度か口をハクハクとさせたが、結局何も発さず閉口した。
「俺ら帰る?」
「別行動でもいいですよ? 全然」
「めっちゃ邪魔やない?」
「俺らがな」
先に駅に着いていた水上たちの言葉に反論するまで生駒は黙ったままだった。もうすぐそこの距離であったのだが。
「あかんて、ほんま、あかんて……ふたりにせんでよ! しぬ! しぬ!」
真織と話している里都は生駒の小声は聞こえていなかったみたいだったのが幸いだろうか。
「もしかして、体育いっしょ?」
「ああ、はい」
「プールあるよね」
「スね」
「いっしょ?」
「ですね」
「どう言う気持ち? いま」
「いや、仕方ないでしょ」
責められているのは水上で、責めているのは生駒だ。ちょっと離れて見守っているふたりは苦笑している。
責めるほどの口調でもないが、圧がすごい。怒っているわけでもないだろうが、不満はありそうだ。
「ずるい!」
水上もなにも反応しなかった。いや、大きな声に多少顔を顰めたか。
ほとんど脱ぐだけとはいえやっぱり男よりも時間のかかる女の子たちを更衣室の前で待っているのだが、そわそわとしているのを隠しもしない生駒はその少し手持ち無沙汰な時間、ふと思いついてしまったのだ。もしかして、里都は学校でプールの授業を受けたことがあるのではないかと。もしかして、体育の時間が同じヤツがここにいるのではないかと。
「おまたせ」
振り向く。
「中までイコさんの声聞こえてたわ」
「何がズルかったんです?」
里都、と真織が出てきていた。当然、着替えて。
「あ……」
気の利く男たちが真織を褒めそやす中、生駒はなにも言わない。里都もなにも言われない。
「リツちゃん」
ぽかんと、声が浮く。
「めっちゃかわいい。よぉ似合とるよ」
ぽっと
里都はくしゃりと顔を崩して笑った。