孤独な世界に響く夜天の調べ   作:国産茶葉

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第一話 魔法との邂逅(前編)

 

 それは不思議な夢だった。

 

 鬱蒼(うっそう)とした森の中の開けた場所で、腕に負った傷を押さえている見覚えのない男の子。

 

 鮮血が指の間から絶えず溢れ、垂れ下がる腕の指先から血の雫となって地面へと落ちる姿は痛々しく、夢と自覚していながらも思わず顔を(しか)めてしまう。例え自身が激しい練習で怪我をする事に多少は慣れていたとしてもだ。

 

 短く整えられた淡い栗色の髪に優しく大人しげな顔立ちは、図書室で机に座り本を読んでいる姿の方がよっぽど似合っていると、そんな事も脳裏に(よぎ)った。

 

 着ている物は見たこともない民族衣装――というよりも、ファンタジー小説で登場する冒険者のような格好に見える。緑の刻印が描かれた服に、上に纏う外套(マント)が使い込まれてぼろぼろなのがその印象をより与えている。

 

 男の子が顔を緊張感に強張らせながら仕切りに周囲へと視線を動かしていると、離れた草むらを掻き分けて黒い大きな塊が姿を現した。

 

 瞳孔が縦に割れた一対の瞳は赤く輝き、大きな毛玉の生物。体躯は2m近く、輪郭を炎のように揺らめかせる生物は地球上にはいない。

 

 その獣の存在に気づいたのだろう。男の子は身体を正面に対峙させ懐から赤い宝石を取り出し、獣に向かって構え言葉を紡ぐ。

 

「――――――――」

 

 言葉を聞き取ることは出来なかったが、何をしたのはすぐに分かった。緑色に輝く魔法陣が空中に現れたからだ。半径の違う二重の輪の中にはアルファベットに似た文字が所々に描かれ、円の中心を基点にして回転方向が違う二つの正方形が緩やかに回転している。

 

 それを警戒したのか獣は草むらから飛び出し、足のない体とは思えない速さで地面を駆けると大きく飛翔するように高く飛び上がる。その高さは木々の頂点に届く程で、最高点に達した後は少年のいる手前へ着地し一気に襲いかかった。

 

 だが僅差で少年の方が早い。

 

 出来上がった魔法陣と獣は衝突し辺りに光を放出。やがて獣はトラックに衝突されたかの様に撥ね飛ばされ、周囲に泥のような体の一部を撒き散らして地面に落下する。

 

 しかし獣はそれでも横だえた身体を弱々しく起こし戦う姿勢を崩さない。荒い息を付きながら油断なく構えていた男の子は赤い宝石を構えていた逆の手を突き出して何かを出現させる。

 

 それは一見とてもシンプルな自動小銃にも見える。銃床から銃口にあたる部分までが半メートルもある長方形の形をしており、銃床の三分の一当たりに銃把(じゅうは)があるのだから。だが引き金や銃口が存在しないことから、武器に相当しても一般的な銃とは違うのだろう。

 

 獣に向かって構えた所で、男の子は何時の間にか自分の頭上だけ月明かりが遮られている事に気付く。慌てて上を見上げると大型の鳥が空から襲いかかろうとしていた。

 

 鳥と獣は形こそ違えど、瞳や輪郭が炎の様に揺らめかせており同種の生物だとすぐに分かる。鷲などの猛禽類によく似ており、大きさは胴体のみを見れば獣よりは小さいが、翼開長は四メートル近い。鋭い鉤爪を向けて急降下してくる視覚的威圧感は毛玉の獣の比ではなかった。

 

 表情に焦りが生まれ、慌てて武器を鳥に向けて叫ぶ男の子。

 

「《――》――!」

 

 声に撃発され、武器の先端から少し空間を空けて黒い光の奔流が放たれる。狙いも良くつけずに撃たれた一撃だが、距離が数メートルもないほどに近づかれていた事が幸いだった。

 

 黒い濁流に避ける事も抗う事も出来ずに鳥は飲み込まれる。そして流れが途切れたそこには鳥の残骸と分かるような物は一欠けらもなく、ただ蒼い菱形の宝石が浮いているだけだった。

 

 窮地を抜けて安堵の息を出していたが、獣と対峙していた事を思い出す。隙を見せた事で襲撃されるのを警戒し、すぐに周りに気を配るが獣が襲っては来なかった。

 

 男の子が怪訝そうに顔を歪め、獣が今まで居た所に視線を移動させるがそこには獣の姿はない。そこで漸く獣が逃げ出しと悟り、悔しそうにする。

 

 それも溜息一つ吐く事で気分を入れ替えたのか、手品のように武器を消すと、浮いている蒼い宝石に向かって赤い宝石を向け呪文を唱える。

 

 赤い宝石から伸ばされた幾本もの碧の帯が宝石を包み込み、仕上げとばかりに大きく光を放ち闇夜を切り裂く。光が収まると蒼い宝石はゆっくり落ちてきて男の子の手の中に着地し、近づけた赤い宝石に吸収されるように消えてしまった。

 

 赤い宝石を懐に仕舞った男の子は歩き出そうとするが、身体がふらつき傍にあった木に手を着いてしまう。自分でも事態を把握出来ないのか困惑に表情を染めても、そんな事は知らないとばかりに身体はそのまま木にもたれ掛かりずるずると地面にしゃがみ込んでしまった。

 

 戦闘の緊張感から身体の不調に気付かなかったようだが、解放された事で身体が言う事を聞かなくなったのだろう。意志は立ち上がろうとしているのに身体は地面に倒れこんでしまった。そして緑の光が彼の体を包み、男の子はフェレットに似た小動物に変化する。

 

 それが人化が解けた結果なのか。それとも何らかの理由で獣化した結果なのか。そんな事が頭の片隅に引っかかりながらも夢の続きが気になった。けれども身体を揺する動きで夢は唐突に終わる。

 

「おはよう。はやて」

 

 瞼を開けた瞳に映るのは、優しい笑みを浮かべた男性の姿だった。

 

 

          ●         ●         ●

 

 

 男性が部屋から退出し、自室に一人となった少女はベッドから出ると、ベッドの脇に用意していた運動着に着替え姿見の前に立つ。そこに映っているのは今年で九歳になる少女の姿――八神はやての全身像だった。

 

 肩の上辺りで整えられた柔らかく濃い茶髪に、南国の海のような蒼海の瞳。雰囲気として子供らしくない落ち着きもあるが、笑顔を浮かべると周りを自然と笑顔にさせる様な朗らかさを感じさせる少女――と言ったところか。

 

 軽く付いた寝ぐせを手櫛(てぐし)で直したはやては、こめかみ辺りの髪の一房に黄色の髪留めを二つ交差するように付けると、運動用のジャージに着替えてスポーツバッグと聖祥大学付属小学校指定の学生鞄の二つを持って部屋を出る。

 

 二階から木目の階段を下りてリビングに顔を出せばソファーでテレビを見ている先程の男性――八神玲(やがみれい)の姿があった。

 

 透き通るような碧眼に緩やかに下がる目尻は優しげな印象を与え、男性らしい無骨さがない顔立ち。まっすぐに垂らせば腰まで届く丁寧に編みこまれたで茶色の髪と、はやてを中性的に成長させたような面立ちが初対面の人間に女性とよく間違えられる原因だとはやては知っている。

 

「おまたせ。玲兄ぃ」

 

 ちなみにはやては彼の事を『玲兄ぃ』と呼んでいるが、実際は母親の弟で叔父に当たると聞いている。両親を事故で亡くしてからの彼女の保護者であり、一緒に暮らすようになって4年が経過していた。

 

 玲がはやての顔を見た後、テレビのニュースが示す時刻を確認する。

 

 時計は五時三十分過ぎを示しており、小学三年生の起床時間としてはかなり早いが、小学校に入学する前からの習慣なのではやては苦にしない――もちろん、最初の頃は起きるのに苦労していたが。

 

「それじゃ行こうか」

「うん」

 

 はやては頷くとジョギングをするには邪魔な荷物を、テレビを消して立ち上がった玲に渡し一緒に家を出る。はやての物とは別に荷物を持っている玲がゆっくり走り出すのに合わせ、はやても走り出した。

 

 まだ陽も上がって間もない時間だ。電気が点いてる家が散見できるとはいえ、多くは窓のカーテンが閉じられており、住宅街はまだ静けさが支配している。どこからともなく音が聞こえる日中の喧騒と比べれば侘しい。

 

 だがはやてはこの時間が好きだった。

 

 玲と共有する二人だけの時間。響くのは二つの足音と息遣い。まるで世界が二人の為だけに存在するかのように錯覚してしまう。時折思い出したように会話が生まれ、それ以外は沈黙が包むとしても。

 

 そんな時間も表札に『高町』とある一軒家に到着することで終わりを迎える。

 

 呼び鈴も押さずに木製の門扉(もんぴ)を開け中に入る玲に、はやても迷わず後に続く。

 

 知らない家なら無作法に慌てたかもしれないが、はやてにとって勝手知ったる幼馴染の家。毎日のように訪れていれば我が家のように振る舞う事はなくとも、多少の遠慮はなくなる。それに二人が来る事を高町家の人間も承知していた。

 

 母屋には向かわずに庭に建てられた離れ家へと足を向け、扉を開けて中に入るはやて達。

 

 使い込まれ磨かれた床の板張りに、漆喰の壁に飾られているは幾つもの木刀。奥の天井付近の壁には神棚も設置されている。

 

 そこは小さいながらも立派な練武場だった。

 

 はやてが練武場内を見渡せば四つの姿が確認でき、壁際にてはやての同年代の少女の型稽古を見ている男性が、はやて達の存在に気づき声を掛けてくる。

 

「おはよう。玲君。はやてちゃん」

 

 挨拶をしてきたのは高町家の大黒柱である高町士郎。濡羽色の髪に高い身長と鼻筋の通った顔立ちをしており、夫婦で経営している喫茶『翠屋』のマスターである。

 

 稽古に集中していて二人が入って来たことに気づいていなかった少女も、彼の声で二人が来た事に気が付いた。素振りを止めてはやて達に顔を向けて声を掛けてくる。

 

「あっ。はやてちゃん。玲さん。おはよう」

 

 挨拶をしてきたのははやての幼馴染である高町なのはだ。

 

 ツインテールに結われた栗色の髪に陽が上る直前の鮮やかな青に少しだけ紫を溶かし込んだような瞳。はやてと色違いのジャージを着ており、今までしっかりと素振りをして身体が温まっているのか、うっすらと汗を掻いた額に前髪が張り付いていた。

 

「おはよう。士郎さん。なのはちゃん。また後でな」

「うん」

 

 挨拶を返したはやてはなのはが素振りを再開するのを見届けると玲に近寄る。

 

「はいどうぞ」

「ありがとう」

 

 スポーツバッグを部屋の隅に置いた玲が竹刀袋から取り出した物をはやては受け取る。

 

 樫の木刀で刃の長さは子供用であったが、刀剣の分類として野太刀と呼ばれる物である。ただしその木刀には一般的でない特徴があった。柄が異様に長いのだ。どれほど長いかというと、刃と柄の比率がほぼ等しいのだから異様さが分かるだろう。それは長大な野太刀をより扱い易く振るい易いように、柄を長く伸ばされた『長巻野太刀』である。

 

 はやては長巻を戸惑うことなく水平に構えると、一振り一振り丁寧に素振りをして型稽古を始めるのだった。

 

 

          ●         ●         ●

 

 

「将来かぁ」

 

 なのはの溢した呟きに、はやては弁当を突いていた箸を止めて彼女へと視線を向ける。朝稽古を終えたはやてとなのはが九歳という年齢に相応しい聖祥小学校に登校し、午前の授業を終えて屋上で昼食を取っている最中のことだ。

 

「午前中の授業の事?」

 

 いの一番に反応したのは、はやて達と和を囲んでいた親友である月村すずかであった。腰まである菫色(すみれいろ)の髪にカチューシャを付け、穏やかな桔梗の瞳をぱちくりとしている。

 

「うん。わたしは将来何をやってるんだろうって思ったの」

 

 深刻さはないが今まで考えもしなかった事を急に突き付けられたかのように、困惑する雰囲気をなのはは漏らす。

 

「パティシエで翠屋二号店の店長じゃないの?」

 

 そんななのはに答えたのは同じく和を囲んでいたアリサ・バニングスだ。陽を鮮やかに反射する金髪にエメラルドの瞳を持つ少女は、なのはの言う事が理解出来ないと顔を怪訝そうにしている。

 

 というのもパティシエの母親が居り、連日賑わいをみせる翠屋の娘なのだ。本人もお菓子作りを趣味にしており、なのはの作った物をここにいる三人は何度も口にしている。本職には劣るが、大量生産の市販品よりは断然美味しいと思っていた。アリサが出場を勧めた事もある小学生パティシエコンテストに出ていたら、優勝するかどうかは分からないが高評価を得るだろうというのがみんなの評価だ。

 

「わたしもそうなふうに今までは思ってたんだけど、改めて考えてみる他にやりたい事があるんじゃないかっておもっちゃったの。アリサちゃんとすずかちゃんは、もう結構きまってるんだよね?」

「まぁ、パパもママも会社経営をしているから、一杯勉強して後を継ごうとは思ってるわよ」

「わたしはお姉ちゃんが家や会社は継ぐから好きな道に進んで良いって言ってくれるけど、機械系が好きだから工学系に進んで技術者になってお手伝いしたいなって」

「そっか~。はやてちゃんはお医者さんだっけ?」

 

 話を振られたはやては口の中のご飯を飲み込み頷く。

 

「そうや。昔はようお世話になったから、お医者さんは本当に有難(ありがた)かったんや。だから病気で苦しんでいる人を助けてあげられる、石田先生みたいなお医者さんになりたいんよ」

 

 そう言って無意識に足を(さす)るはやてに三人の視線が集中し、アリサが白い目で言葉を口にしてくる。

 

「何よはやて。何時の時代の人間かって言いたくなるくらいに、なのはとちゃんばらしてる健康優良児のあんたが医者の世話になるなんて、昔は病弱だったわけ?」

 

 アリサのその物言いに苦笑するはやて。

 

 はやて達が古武道を習っていると知ってアリサがすずかを連れて、なのはとの相対稽古を見学した事があるのだ。小学生が行うには激し過ぎる剣戟にアリサは度胆を抜かれた事を未だに根に持っているらしい。

 

「病弱ではなかったなぁ。ただ、なのはちゃんにも詳しくは言っとらんと思うんやけどね。物心ついた時には既に足が動かんかったから、ずっと車椅子で生活してお医者の世話になってたんやで」

「「「…………ええ~~~~!?」」」

 

 はやての衝撃の告白に三人は大声を上げてしまい、屋上にいた他の生徒の注目を浴びた事に気づいて頬を染める。

 

「わたし、はやてちゃんが車椅子に乗ってる所なんて見た事ないんだけど……」

「車椅子はなくても、なのはちゃんと知り合ったぐらいに松葉杖を使ってる姿は見た事あるやろ」

 

 具体的な時期を示されなのはは、幼い記憶を掘り起して思い出す。

 

 はやてと知り合ったのはなのはが四歳の時だ。当時、翠屋はオープンしたばかりであり、父親である士郎はマスターの仕事が副業で、本業はボディーガードであった。

 

 と言うのもなのはの習う古流武術『小太刀二刀御神流』の源流は忍で、かつては大名などの護衛や不穏組織の殲滅などを担っていた。時代は流れ権力との関わりは薄れていっても、護衛の腕は必要とされ、御神流の分家筋である士郎がボディーガードという仕事に就くのも可笑しな話ではない。

 

 ただ士郎もなのはが生まれ、翠屋が開店した事で引退への段取りを立てていた。そんな折りに不幸が起こる――士郎が仕事中にテロに巻き込まれ意識不明の重体となったのだ。

 

 母親である桃子は家事に、店に、見舞いに追われ、兄姉達も母親を支える為に彼らなりに頑張った。そうなると幼少であるなのはが出来る事は少ない。故に彼らの手を煩わせないようする事が最善と思い込み、淋しさを押し殺して大人しく自室に引きこもっていた。

 

 それでも甘えたい時期に一人で過ごす事は辛く、ある時気分転換に公園で寂しさを紛らわしている時に出会ったのが、松葉杖を突いているはやてであった。

 

「ああ、そうだったかも。あの時は色々と大変だったから、忘れてたみたい」

 

 昔を思い出した事で湧き上がる寂寥感を誤魔化すように、なのはは照れ隠しに頬を掻く。

 そんななのはの心情を何となく察し、はやては忘れていた事を責めもせずに穏やかに見つめる。

 

「それで、足のほうはもう大丈夫なの?」

 

 元気に生活しているので完治していると想像できるのだが、若干不安そうに聞いてくるすずか。

 はやては安心させるように微笑む。

 

「もちろんや。詳しいことはよう分からんけど、治ってるって太鼓判を押してもろうとるから」

 

 その言葉を聞きすずかが安心すると、はやて達は会話を何気ない明るい話題に変えて昼食を続けるのだった。

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