なぜアルヌスに炎龍が現れたのか。その問いに答えるのはいとも簡単だった。
アルヌスに向かう人の往来が急激に増えすぎたのである。
炎龍は餌場を探して各地を飛び回っていた。加賀が小耳に挟んだ噂通り、炎龍はフォルマル伯爵領まで接近していた。
あとは行列を成した蟻の巣を見つけるが如し。職人、行商人、傭兵が列をなして訪れている場所を、たまたま炎龍が嗅ぎつけた。
それだけの話である。そして、それが全てゆえに移動災厄とも恐れられる炎龍が平和なアルヌスを地獄へと変えた。
加賀は炎龍から距離を取るように走りながら、零式艦戦52型を発艦させる。瞬時に実機サイズにして炎龍へと機首を向けさせる。
20mm機銃弾は大して効果がない。それとわかっていながらも、目に向けて牽制射撃すれば少しは怯んでくれる。加賀はそう読んで六機の零戦を炎龍に張り付かせた。
炎龍は暴れ回っている。尻尾で家屋を倒壊させ、ブレスで倒壊した家屋諸共あたりを焼き尽くしている。
逃げ遅れた人が巻き込まれている。すでに犠牲者は大勢出ている。
加賀は振り返り、99艦爆を発艦させた。三機が連なって上空へと駆け抜ける。高高度で水平飛行になり、爆撃開始の合図を待つ。
加賀はまだ指示しなかった。今爆撃を開始したら逃げ惑う人も巻き込んでしまう。
「早く! 炎龍から離れて! 逃げて!!」
張り裂けんばかりの声で避難誘導をする。傷を負いながらも這うようにして人々が逃げていく。
酒場から転げ回りながら逃げてきた顔見知りの傭兵が加賀に叫ぶ。
「加賀の嬢ちゃんは! 逃げねぇとやられちまう!」
「私は戦います。動ける人は怪我をした人を担いででも逃げてください」
「無茶だ! 炎龍になんか敵いっこねぇ!」
「それでもやらなきゃ死人が増えるだけなんです!」
加賀は再び99艦爆を発艦させた。いつでも爆撃できる態勢の艦載機がこれで六機になる。
六発。当たるかどうかはわからない。ロチの丘では当たらなかった。
ただ幸いなことにこの場所は街の中である。炎龍も倒壊した家屋に動きが制限されている。これなら当たるかもしれないと、一縷の望みに賭けるしかない。
人がはけた。生きている人で、動ける人間はもうあらかた避難できたようである。
機銃攻撃を目に向けられて、激しく暴れ回る炎龍を睨みつけながら、加賀は通信機に命令した。
「爆撃を開始してください!」
上空を飛んでいた艦爆が一斉に翻る。急降下爆撃。レシプロ機のエンジン音が連なって上空から聞こえてくる。ダイブブレーキを効かせて狙いを定めながら降りてきた六機は、次々に爆弾を投下していった。
立て続けに六発。250kgの爆弾が炎龍目掛けて飛来する。直後に空気を張り裂きながら爆風が走る。当たったか、それとも外れたか。
連続した6回の爆発音と炸薬の煙。炎龍のブレスで燃やされた家屋から登る黒煙で辺りは一気に視界が悪くなった。
直後、風が吹き荒れた。炎龍が羽ばたいた。あたりに立ち込めていた黒煙や砂煙が一気に晴れる。爆弾は————。
「有効弾なし。次発攻撃用意!」
加賀は炎龍が健在と見るや、再び99艦爆を発艦させる。なぜ当たらないのか。炎龍は地上にいる。よもや、爆弾を見てから避けているのか。
その可能性は大いにあり得た。そして、そうであれば何発落とそうが当たるわけがない。自由落下に任せたただの飛来物に過ぎない。それにしても至近弾でもノーダメージとは。
「硬すぎますね……」
加賀の額に冷や汗が流れる。そう何度も爆弾は落とせない。爆装が残っている艦爆が二十機を下回っている。
そして今、炎龍は地上から飛び立っている。二十メートルほどの位置でホバリングしてブレスを吐いている。自由に飛び、避ける相手に爆弾は当たらない。どうすればいいのか。
あと何分か。何分経ったかわからない。体感ではもう十五分も三十分も経った気がしてくる。
爆弾は当たらない。機銃も効かない。どうすれば————。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!!」
突如、凛とした気勢があたりに響いた。直後に鉄と鉄がぶつかり合うような衝撃の音。
加賀は炎龍の方を見上げた。そこには、
「あぁん! 硬いわよぉ!」
ロゥリィがハルバードを振り回していた。飛んでいる炎龍の頭部までジャンプし、空中で殴りつける。炎龍には流石にダメージが通ったのか、ホバリングしながらよろりとバランスを崩した。
あれなら。
あの調子でロゥリィが止めてくれていたら、艦爆の爆撃が当たるかもしれない。
「ロゥリィ! そのまま殴り続けて!」
「わかってるわよぉ!」
しかし炎龍もただ中に飛ぶだけではロゥリィに殴られると学習したのか、羽で頭を庇いながら地面に降りると、再び激しく回りながら暴れ出した。
火のついた木材があたりに吹き飛ばされる。加賀はすんでのところで避けながら、様子を見た。ロゥリィも攻めあぐねている。しかしロゥリィは無理矢理間合いを詰めた。
回転する炎龍の懐に入り込む。そのままハルバードの柄の部分を炎龍に突き立てた。硬いのか、先が刺さることはない。しかし衝撃が炎龍の腹部に伝わり、炎龍がくの字になって動きが止まった。
「今です! 爆撃開始!」
ロゥリィを巻き添えにするかもしれないが、彼女は亜神。自ら死なないと言っていた。それを信じて爆弾の投下を命令する。
飛翔した三機の99艦爆が中空で爆弾を放す。音もなく飛来した爆弾は、
「当たれぇ!」
加賀叫ぶ声と同時に炸裂。三発が立て続けに爆風を発し、あたりにある木材もろとも吹き飛ばした。
炸薬の匂いに鼻腔をくすぶられながら加賀は目視で確認する。
爆弾は————、
「一発命中! 効果あり!」
炎龍はその場に身を縮めている。背中に目をやると、鱗が爆ぜたのか肉が丸見えになっていた。
硬い鱗が一部とはいえ剥がれた。そこは必然的に弱点になる。これなら勝機が見える。零戦の機銃弾で追い込んで、再び爆撃を当てれば。
そう、やっと見えてきた一縷の勝機に胸を躍らせた加賀は、次の瞬間目に飛び込んできた光景に、まるで氷水をかけられたかのように頭が冷えていくのを感じた。
テュカが、炎龍の足元で倒れている。艦爆の攻撃に巻き込まれたのか、それとも炎龍にやられたのかはわからない。わからないが、意識を失っているのか、ピクリとも動かずに炎龍のすぐそばで倒れている。
考えるよりも先に体が動いた。弓を背中に回し、全速力で炎龍の足元へと滑り込む。幸い炎龍はまだ硬直している。今なら、今のうちに、テュカを救出できる。
横たわるテュカの体に手を差し込み、一息で持ち上げる。肩に抱えて離脱しようと足に力を入れる、そのときだった。
炎龍は、誰の差金で自分が怪我を負うことになったのか、まるでわかっているかのように加賀に腕を振った。右の鋭い爪が、加賀の横腹を裂きながら食い込んだ。膂力は人の何倍もある。食い込んだ爪をそのままに、炎龍は右腕を振り抜き、加賀を吹き飛ばした。
空中に血液を撒き散らしながら加賀はテュカと共に倒壊した家屋へと落下した。
そして、加賀は背中からどすんと何かに押されるような感覚があった。
視界が揺れる。頭がぼーっとする。周囲の音が耳鳴りと共に遠くなっていく。
自分の腹部を見た。炎龍に突き立てられた右の脇腹が大きく裂けている。そして。
背中から腹部にかけて、木の柱が、貫通していた。折れて先の尖った柱が、加賀の腹部を貫いている。血液で赤く染まった先端から、滴るように血が流れている。
あぁ……これは、死ぬかもしれない。
他人事のように、これは死ぬだろうなと加賀は思った。
これまでどこか死は遠い存在だった。自分は死ぬことはないと心のどこかで迷信していた。
なんてことはない。死ぬときは死ぬのだ。友の命を救おうと考えなしに突っ込んだ結果がこのザマだ。
加賀は炎龍の方を見た。もう視界が霞んで焦点が合わない。遠くの方で、耳鳴りの音にかき消されてよく聴こえないが、ロゥリィが名前を呼んでいる気がした。そのロゥリィは炎龍と今も戦っている。炎龍が飛び立とうとしているのか、逃げようとしているのか。それを、ロゥリィは押し留めようと頭にハルバードを叩きつけている。
加賀は声にならないような声で、無線機に話しかけた。
「全機……通達。自衛……隊の、飛行場、に、着陸…………する、ように…………」
艦載機たちの行き先だけでも示しておかなければならない。最後の力を振り絞って、加賀は無線機に吹き込んだ。
「よく……頑張りました…………」
遠くの方で航空自衛隊のファントムの音が聞こえる。ヘリのローター音も聞こえる。
加賀は霞む視界でテュカを見た。その頬にかかっている髪の毛を手で掬う。すると、「うぅ……うん……」と呻き声をあげて、テュカは意識を取り戻した。
よかった。生きていた。無事だった。
それがわかれば、もういい。自衛隊も来た。炎龍は、もしかしたら取り逃すかもしれないけど。
呼吸が苦しい。全身から寒気がする。
貫かれた腹部だけが熱を帯びたように熱くなる。
意識が手元を離れそうになる。ひどく眠たい。目を開けていられない。
瞼が重い。手が痺れてきた。
音が聞こえない。耳鳴りが激しい。
視界が暗転する。
すぐそばで、だれかが、よんでいる。
だれかが、かたを、ゆすっている。
なまえを、よばれた。ろぅりぃの……こえ……。
こたえ……られ……。