きっちり二時間後に加賀は起こされた。
体はもう少し寝ていたいと言っていたが、頭ではもう移動しないといけない時間なのはわかっている。
空を飛んだところでアルヌスまでは二日かかるだろう。今から飛んで、明日の夕方頃には着くだろうか。
現在の時刻は午後三時。今からとんでもせいぜい三時間ほどしか飛べない。夜通し飛ぶわけにはいかないから、まぁ今すぐ出たほうがいいだろう。
早く戻ってみんなに無事を知らせなければと言う思いもある。何も言わずに拉致されてしまって、このようなことになっているのだから。
それにしても日本の料理か。何を食わせれば神様は満足するだろうか。
考えてもそうすぐには思いつかない。アルヌスについてから考えても遅くはないだろう。
部屋を出て、ジゼルの後をついていく。ジゼルはハーディに言われたとおり依代の石を持っているらしく、大きな皮袋を肩から下げていた。
「荷物、持ってもいいわよ」
「あぁ?」
「その姿のまま飛ぶんでしょ? 石なんて持ってたら重たくて飛べないんじゃないのかしら」
「うるっせぇ。飛べるわ。でもまぁ確かに重てぇからよ。落とすんじゃねぇぞ」
「落とさないわよ」
神殿から出て、零戦を弓に番える。神殿の前は土を踏み固めた道がまっすぐに伸びている。ちょうど良い滑走路になる。
飛ばした零戦を実機サイズにして展開、加賀の前で止めさせる。妖精さんを格納して、加賀は零戦に飛び乗った。
ジゼルが物珍しそうに見ている。
「飛行機を見るのは初めてかしら」
エンジンがついているのでやや大きめに声を張る。ジゼルはうなづきながら、
「こんな便利な機械があるなら俺も乗りてぇぜ」
「あいにく一人乗りなの。ごめんなさいね」
キャノピーを閉じてエンジンのスロットを徐々に開ける。
ゆっくりと走り出す零戦の後を、ジゼルは追うようにして飛んでいった。
「そういえば、あの新生龍はついてこないのね」
どこにいるのか知ったこっちゃないが、赤龍はお留守番のようだった。
◯
地図上の位置と方角を合わせて飛ぶこと三時間。
空は日も落ちる頃になり、そろそろどこかに着陸したいと加賀は下を眺めていた。
ちょうどよくまっすぐな道がある。あそこに降りよう。
ジゼルは飛んでいる間こちらを気にするようにチラチラと見ていた。加賀も、零戦のスロットルを全開にしてはジゼルがついてこれないと思い、全開の半分ほどの速度で飛んでいた。半分ほどであればジゼルは難なくついて来た。
高度を落とす。着陸しようとしているのがジゼルにも伝わったのか、合わせてジゼルも高度を落として地上に降り立った。
零戦を止めてサイズを変換。格納庫へと収容する。
「すげぇ魔法だな」
ジゼルは腕を組みながら近づいて来てそうひとりごちた。
「魔法じゃないわよ。これが艦娘の力なの」
「そのカンムスってのはお前のことなのか。戦士の通り名みたいなもんか」
「ちょっと違うけどまぁ大体合ってるわ」
加賀はいちいち答えるのがめんどくさくなって生返事を返した。零戦から下ろした依代の石をジゼルに放って、野営の準備に入る。
手頃な小枝を近くの森から拾って来て、道端に組み上げて火を付ける。やはり特に理由はないとはいえ野営には焚き火が必要だろう。
ジゼルも焚き火のそばに座って、神殿から持って来た皮袋の中身をごそごそと探している。
しばらくすると干し肉が出てきた。一つを加賀に放る。
「食え」
「いいの? お返しなんて特に持ってないわよ」
「別にいい。亜神といえども腹は減るからな」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
なんの肉かはよくわからない。なんの肉なのか聞いたところ「マ・ヌガ」とだけ返って来た。異世界の牛みたいな動物の肉なので、一般的といえば一般的な食料である。加賀はもそもそと塩気のする干し肉を齧った。
「お前、どうして亜神になんかなったんだ?」
唐突に、干し肉を齧っているとジゼルが問いかけた。加賀は咀嚼して飲み込むと、質問に答えた。
「死ぬほど大きな傷を負って、エムロイのところに行ったの。冥界は今いっぱいで死なれては困るから使徒になれって言われて、亜神になったのよ」
「死ぬほどの傷って? 戦争か?」
「炎龍よ。アルヌスの街が炎龍に襲われて、私だけが戦ったの」
「なるほどな。しかしまぁそんな経緯で亜神になったやつなんてこの世にはいないだろうよ。運命にずいぶん味方されている気がするぜ」
「あなたでも運命なんて信じるのね」
「まぁな。これでも神に仕えている身だ。自分じゃどうしようもできない大きな力や流れに出くわしたら、どこかの神のせいだと思うようにはしている」
「そんなものなのね」
加賀は特に興味なさげに、再び干し肉にかじりついた。
美味しくはないが腹の足しにはなる、そんな夕飯だった。
◯
翌朝。
まだ太陽も顔を出していない頃、ジゼルと加賀は起きて出発の準備を整えていた。
空は東の方が明るくなって、西の方にはまだ星が瞬いている。あたりの様子は明るくなって来たので見える。朝靄がしっとりと二人の頬を濡らした。
「ここからアルヌスまではどのくらいかしら」
「さぁな。昼すぎて夕方になるくらいには着くんじゃねぇか?」
「もう少し速度を上げることもできるけど。付いてこられないかしら」
「無理だ。これでもかなりの速度で飛んでんだぜ。勘弁してくれよ」
加賀は一つ頷いて、昨日と同じように半分の速度で飛ぶことにした。
出発してから約12時間後。
二人はようやくアルヌスの丘に到着した。休憩もせずにぶっ飛ばしてのフライトだったので、少々疲れた様子である。零戦の燃料はもうそろそろ底を尽きそうなくらいだった。
通信を飛ばして自衛隊の飛行場に着陸する。零戦を格納して、避難民居住地区まで送ってもらえるように手配。ジゼルと加賀は車に乗って居住地区にまで戻って来た。
戻って早々にロゥリィが出迎えてくれた。ジゼルも一緒と見るやハルバードを構えたが、事情を説明して今は争わないでほしい旨を告げると、「ジゼルが暴れないっていうなら私も暴れないわぁ」と了承してくれた。
レレイ、テュカにもすぐに顔を合わせて無事を伝える。どこにも怪我はないか、本当に無事なのかと散々心配されたが、加賀は大丈夫だと胸を張って答えた。
赤龍はどうしたのかとロゥリィがジゼルに聞いていたが、「戦いに来たわけではないので置いて来た」との答えを聞いて、ロゥリィは満足そうに頷いていた。
さて、ハーディとの約束通り飯にしようと考えた加賀である。とはいえ何にするかが問題であった。
居住区の冷蔵庫には特に良い食材が入っていない。今から日本へ買い出しに行っても良いがそうすると調理は夜になる。あまり暗い中で料理をするのも気がひけるので、何かいい案はないかと考えた。
レレイとテュカも一緒にいる。どうせなら帰還祝いにみんなと食事がしたい。何かいい案はないかとレレイに聞いてみた。
すると、
「日本の外交官からもらったギュウニクとやらが大量にある。一人じゃ食べきれないのでみんなで食べようと思っていた」
と、冷蔵庫の中身を見せてくれた。
サシがいい感じに入った高級和牛がそこにはどっさりと詰まっていた。これだ。これにしよう。加賀は速攻である料理を思いついた。
「これですき焼きにしましょう」
提案するやいなや早速準備に取り掛かった。
◯
野菜はみんなが持っていた特地の野菜と日本の野菜を半々ずつ。生卵は加賀の冷蔵庫から、調味料は自衛隊の糧食班から借りて来た。
すき焼きといえばそう難しくない料理である。どちらかといえば素材で勝負する料理ゆえ、今回のメインディッシュである和牛は相当に質がいいものだった。
鍋を用意して具材を煮込んでいく。鍋を囲むのはレレイ、テュカ、ロゥリィ、ジゼル、加賀、そして依代の石だった。
具材をセットできたのでいざ煮込む段になって、加賀がジゼルへと質問を投げる。
「どうやってハーディを私に憑依させるの?」
「そりゃあ一回出て来てもらって、そっから乗り移ってもらう。もう出してもいいのか?」
「ええ、あとはもう煮込むだけだから。乗り移っている間私はどうなるの?」
「意識はあるが体は自由に動かせないって感じだな。主上さんの思うがままだぜ」
「変なことされないようにだけ見張ってて欲しいわ」
「あいよ」
そう言うとジゼルは石を取り出して呪文を唱えた。すると光の玉のようなものが現れて、瞬く間に輝くと加賀の頭へと吸い込まれていった。
「うーん! 久しぶりの肉の体ね! なんだかワクワクするわ」
加賀口から声がもれる。心なしかいつもの二割り増しのテンションである。
テュカが訝しげな顔で、
「あの……今はもう、ハーディになってるのかしら」
と誰にでもなく聞く。加賀、もといハーディはうなづいて。
「いまこの娘の体は私が完全に支配しているわ。いまならロゥリィと婚姻行為だって行えるわよ♡」
「絶対にするもんですか」
ロゥリィはそっぽを向くも、加賀の体を使ってハーディはくねくねとロゥリィに迫った。
レレイが鍋の様子を見て、
「そろそろ食べれる。あまり長く憑依しているのも加賀に悪い。早く食べて」
と皿を渡して促す。皿には生卵が落とされていた。
「これにつけて食べるの?」
「加賀はそう言っていた。これが“すきやき”という料理らしい」
「ふーん」
適当に卵をかき混ぜて、ハーディはすき焼きの肉を掬い取る。卵に潜らせて、「それじゃあいただくわね」と一口、口に運んだ。
その瞬間。
ハーディは目を見開いた。一瞬固まって、それから手元の皿を見て、次に鍋を見る。
そうした後、全員の視線がハーディに集まっていることに気づき、ハーディはモグモグと口の中の肉を噛んでからごくんと飲み下し。
「————すっごくおいしいほっぺた落ちそうぅぅぅぅぅっっ!」
加賀の体で、手を頬に当てながら絶叫した。
それを見習って、みんなここぞとばかりに肉を取り、卵に潜らせて一口食べる。その甘じょっぱいなんともいえない旨味、肉の油、ツユの塩気、卵の濃厚さが口の中で踊り出す。皆一様にして目を丸くさせ、その料理の美味しさに舌鼓を打った。
ジゼルも、初めて食べる料理のうまさに感動したのか目に涙を浮かべながら肉を貪っている。
「野菜も食べてみるといい。肉との相性がすごい」
レレイの言葉に一同野菜にも群がり始める。ネギ、にんじん、きのこ、大根、そのほか特地の野菜。
そのどれもに味が染み渡り、卵に潜らせて食べると濃厚な味わいが舌の上でこの上なく上品に広がっていく。
テュカがおかわりの肉を持って来て、鍋に入れる。野菜も足す。煮込むのを待って、皆一同にして鍋に群がる。
一通り舌鼓を打って食べ終えると、今度はレレイが冷蔵庫からうどんを持って来た。
「これを日本人は“しめ”というらしい」
残った出汁にうどんを投入して、卵も落とす。いい感じに火が通ったところでみんな皿についで食べてみる。
初めて食べるうどんの味、喉越しに皆頬を抱えて喜んだ。
「こんなにうまい食事をしたのは数百年ぶりよ! 最高だわ!」
ハーディも、満足した様子であった。
◯
食事を終えて片付けをしている間に、ハーディはロゥリィのところへと歩み寄った。まだ加賀の体に憑依しているので、外見上は加賀が歩み寄ったように見える。
「なぁに?」
「ねぇロゥリィ。私と結婚してくれないかしら」
「絶対に嫌よ」
「んもう……まぁいいわ。いつ気が変わってもいいからね。待ってるわ」
「私は男がいいのよぉ。あんたとなんて絶対結婚しないからぁ」
くすくすとハーディは笑って、そういえばと思い出したように手を差し出した。何かを握っている。
「これ、加賀に渡しておいて」
「なぁにこれ?」
「門を開くアイテムよ。美味しい食事だったから、約束通りお望みの場所に追放してあげようってわけ」
「そう」
ロゥリィはアイテムを受け取った。サイコロのような四角い石だった。
「開きたい世界のことを強く念じて投げれば、落ちた場所に門が顕現するわ。願い通りの場所に行けるかどうかは、そのものの念じる強さに依存するの。思った通りの場所に行けなくても恨まず追放されてちょうだいね」
「そう伝えておくわぁ」
それじゃあまた、と言い残した直後、加賀の頭から光が伸びて、依代の石へと吸い込まれていった。
加賀の体は一瞬ぐらりと揺れた、ロゥリィが慌てて手を貸してなんとか転ぶのを阻止すると、加賀は手で頭を押さえながら顔を上げた。
「意識はあるのに他人に操られている気分だったわ。できればもう二度と体験したくないわね」
加賀は苦笑しながらそう述べた。口の中には、すき焼きの味が残っていた。
◯
「いつ開くつもりぃ?」
ロゥリィの問いに、加賀は少し考えたあと、
「明日にでも。やっぱり、私は早く鎮守府に帰りたいわ」
そう告げた。帰る前にみんなにお礼を言いに行かないとなと考える加賀だった。
手には、小さなサイコロ状の石が一つ。門を開くアイテムを、加賀は手のひらの上で転がした。