少女歌劇レヴュースタァライト バロック・ザ・ジャム 作:桜椛
突如全身を重力が襲う。また同時に浮力も感じていた。上を見れば真っ青な空、下は分厚い雲で何も見えない。風が吹き上げ臓物が本来の位置に定まらない……そう、彼女たちは今、落下していた。
純那は眼鏡を抑えながら辺りを見回すと、同じように皆が空から落下しているのを確認した。
さっきまで星光館のリビングでパーティーをしていたはずなのに、何処とも分からぬ空に放り出されている事実を誰も受け止められない。これは夢ですと言われた方がよっぽど信じるだろう。
「待って、一体どうなって……っきゃああ!?」
そしてそのまま雲に落下していく。風に強く煽られ天地の違いも分からない。目も開けられずただ身を任せる他なかった。やがて突き抜けて視界が開けると、またその下にも雲が見えていた。
「どこまで、落ちる、のよ……えっ?」
そこで目を見張る。違和感。身体に纒わり付く空気が変わった。
それもそのはず、純那は先程まで着ていた私服ではなく、オーディションの時に着ていた衣装に身を包んでいたのだ。ブレザーの制服にも似た衣装は文字通り彼女達の戦闘服だ。
そして純那だけでなく、一緒に落ちている皆も衣装を身に付けていた。
戸惑いの中また大きな雲へ。
息もまともに出来ないまま突き抜けると、今度は赤い上掛けが着けられていた。
また一つ雲を抜けると宝石がチラと煌めく武器を手にしていた。
誰もがこの格好をすることの意味を理解していた。いや、身体に覚えさせられていた。
「始まったんや……オーディションが!!」
落ち行く中、香子は自身の武器である薙刀を握りしめて、敵を探していた。
今までは1対1が常、タッグレヴューと呼ばれる2対2はあったがその宣言も無く突然始まった出来事に誰もが戸惑っている。そして何より終わらない落下、先の見えない地面、身動きもまともに取れず不安は増すばかりだ。
唯、一人を除いて……………
「な、なな……?」
皆が空中でもがいている中、大場ななだけは、重力に身を任せるように綺麗な姿勢のまま垂直に落下していた。その手には鞘に収められた武器を握り、そしてゆっくりと、冷たい視線を皆へ投げかけた。
言葉を発さずゆっくりと頭上で鞘を抜き始めると、真っ青な空を反射して刀身がキラリと光った。
そして彼女は刀を構え大きく身を屈めた。
ばななは空中に浮かんだキノコを足場に、思い切り蹴って距離を一気に詰める。その勢いのまま横凪に香子へ切りつけた。
「なっ……くっ!……」
激しく空を切り裂く音。遠慮も配慮も一切無い本気の一閃。咄嗟に薙刀を構えて防御すると、カンッと激しい音が響き火花が散る。お互いまだ空中だ、踏ん張りがきかずに香子はそのまま吹き飛ばされた。
「香子ぉっ!?」
香子は受け身も取れず落下速度だけを増していた。
ばななはお構い無しにそのまま身体の向きを変えた。それに合わせるようにキノコが現れ一気に跳躍、双葉の眼前まで迫る。
「っ……くそっ!」
真向に斧を振り下ろすが、ばななは刀を柄と斧の繋ぎ目に滑り込ませることで勢いを殺す。それだけでなく、そのまま突きを放った。双葉は紙一重で避けるもそこは刀身の範囲内、止まった的に過ぎない。ばななはすぐさま手を返して双葉を袈裟に斬り付けた。
そして次の狙いは天堂真矢、西條クロディーヌだった。
1個2個とキノコを踏みしめ肉薄していく。空中で徐々に迫る恐怖に流石の2人も剣を握る手に上手く力が入らない。
感情の読めぬ顔で刀を側面から振りかぶるばなな。真矢はそれを剣で受け止めると耳を劈く金属の音と火花が散る。ぐっと更にばななの腕に力が入るが、真矢も押されまいと腕の筋肉だけで耐えている。
「大場さん、これは一体……?」
「これはオーディションに非ず」
2人の鍔迫り合いが行われる中、その背後を狙うように矢が放たれた。あと数センチといったところで、ばななは見向きもせず鞘を後ろ手に持ち弾いてしまった。やけに物悲しく空虚で無力な矢はそのまま空に溶けた。
「っ……せめて、こっちを見なさいよ……!」
一射、二射、純那の攻撃は止まらない。
クロディーヌも負けじとばななへ斬りつける。
それを察知していたか、ばななは腰を深く落とし攻撃を避ける。それだけに留まらず、勢いをつけて宙返りをした。サマーソルトキックと呼ばれる攻撃でクロディーヌを蹴り上げ、その最中に刀で矢を撃ち落とし、そして鞘で真矢の側頭部を攻撃した。
為す術なく落ちる皆を睥睨したばななは、重力に身を投げていた。純那は震える手で弓を構えて狙うが、思うように指が引けなかった。怖い、今彼女を支配するのはその言葉に尽きる。
地なぞ見えなかった上空からの落下も、気付けば巨大なキノコがクッションとなり地上へ下ろしてくれた。
皆はそれぞれ態勢を整える。状況の把握、それが今の彼女らに必要だった。何が起きているのか、誰も分からないまま翻弄されている。
周りを見るがばななの姿はまだない。上空を見ると、先の見えない大きな木で囲まれていた。森だ。落ちてきた空すらも高く遠く見える。
その隙間からばななの姿を捉える。未だ落下に身を任せている。皆が着地をしたその瞬間を狙おうと緊張感を高めている中、不意に一匹のフラミンゴが現れた。
ゆったりのったり、細い脚を動かし1歩1歩と歩いている。そしてピタッと立ち止まった。フラミンゴの目の前には日本刀が突き刺さっている。じっと見つめたかと思うと突如鳴き声を挙げて身体をくの字に曲げ、そのまま頭を思い切り柄の部分へぶつけた。日本刀は弾かれ綺麗に回転をしながら宙を舞っている。
「お待たせ」
ばななは半身を翻して舞っている日本刀を掴むと、更に回転して地上にいる香子へ振り下ろす。
薙刀で受け止めようと踏ん張るが、ばななの一撃はとても重い、そのまま弾き飛ばされる。地面を滑る香子の眼前に、既にばななの刀が迫っていた。
「ひっ……!」
思わず目を瞑る。だが痛みも衝撃も何も無い、代わりに、上掛けがはらりと落とされていた。
ばななはスタスタと歩いていて余裕すら見せている。両側から挟むようにまひる、双葉が攻撃を仕掛けるが、ジャンプでそれを躱しゆっくりと着地する。それに合わせてパラパラッと二人の上掛け、ボタンが地面へ落ちた。一瞬の出来事、何をされたのかも分からないまま二人はただ落ちた上掛けを見つめることしかできなかった。
そしてばななは真矢、クロディーヌへ狙いを定める。その途中には純那もいるが目もくれようとしない。
震える手で矢を放とうとするが、一閃、歩を止めることなく、見ることもなく、その一撃で純那の上掛けは落とされた。
「こ、こんななな……知らない……っ」
恐怖から身を守るように自分の身体を抱きしめる純那。また、何も出来なかったと歯噛みする。
「ならないよ」
気づけばそこは書斎に変わっていた。ハードカバーばかりが収められたそこは、天高く何処までも伸びていた。右を見ても左を見ても本に囲まれている。その中でななは冷徹な、血の通っていない視線を皆へ投げた。
「物語は必ず終わりを告げる。では舞台は? 私達は?」
「何? 何を言っているのよなな?」
「…………物語を始める為に、幕を下ろす……」
「天堂真矢……? どういうことか、説明、しなさいよ!」
カンッッ……!
振り被ったクロディーヌの剣は宙を舞いながら地面へ突き刺さった。同時、ボタンと上掛けがばさりと落ちる。
真矢とばなな、両者激突する。目にも止まらぬ激しい剣戟が繰り広げられる。今のばななは彼女本来の戦い方である本差と脇差の二刀流だ、真矢も攻め切れていない。
力強い剣捌き、しなやかな身のこなし、そのどれをとっても天堂真矢は秀逸だった。ぶれない体幹溢れる気迫、99期生首席だけある。だが、だがそんな彼女すら簡単に勝たせてくれないのがこの大場ななだ。舞台に立っている時の彼女は普段とは全くの別人。役者には色々タイプがいるが、大場ななはまさしく憑依型役者と言えるだろう。
二人の剣に合わせて設えている本が宙へ舞う。まるで鼓舞するように、歌い、踊る。
真矢は上掛け目掛けて突きを繰り出す。ばななも刀を払う。両者交差する形に。
「…………」
すたすたと数歩歩くと、ゆっくりと刀を地面へ突き刺した。そこには『T』と書かれた本の切れ端が落ちていた。
舞台のセンターを示すバミリ、ポジションゼロ。舞台少女は、そこに立つべく日々切磋琢磨している。
そして同時、真矢の上掛けがはらりと地へ落ちた。
「なんだか、激しく抱かれた夜みたい……」
「え……?」
ぼそりとばななが何かを言ったが誰にも聞こえていなかった。
「なんだか、激しく抱かれた夜みたい」
「な、なな……?」
今度は辛うじて聞こえたが、その意味はまるで分らなかった。
「だーかーらー、なんだか、激しく抱かれた夜みたい」
更に声を張り上げ、ここにいる皆を、純那を見ていた。その表情からは何も受け取る事が出来ず、ただ意味が見出せない発言に戸惑う。
「は、激しくって……私達まだそんな経験……っへ?」
直後、純那の視界が赤く染まった。
溢れる液体、赤く、黒い液体。
「へっ……や、い……ぁあぁあっあああぁぁぁ!?」
膝から崩れ落ちる。眼鏡も赤く染めあがっている。手も……血に塗れていた。
純那だけではない、香子も、クロディーヌも皆、血塗れだった。
溢れ出る血を止めようと必死で押さえるが尚も溢れてくる。怖い、冷たい、暗い…………これが、死?
「目を凝らせっ!!」
直後真矢の怒声が場に響き渡る。その声にハッと気づかされる。死、ではない、誰も傷口からの出血なぞしていない。ではこれは……?
すると視界の端で手足の生えたトランプが、大きなバケツを持って歩いてきた。その中には並々と赤い液体が入っており、そしてそれをおもいきりぶちまけた。
血糊だ。舞台におけるギミック、アンダーグラウンドな劇場で多用される血に似せた液体。今それが皆にかけられていた。
「燃えるような情熱も、弾けるような感動も、まるで何処かに置き去って……私達もう────」
「釣れないなぁ君も! こんな楽しそうな事、混ぜてくれたっていいじゃないか!!」
「っ!?──だ、誰……?」
突如、明朗快活な声がばななの言葉を遮るように発せられた。皆が視線を向けるとそこには、聖翔の制服に身を包んだ有栖川無花果がいた。
「ひどいな忘れたのか? 僕だよ、あの日交わした熱は決して嘘ではないとこの身体が覚えているというのに!」
大きな身振り、溌溂とした発声、告げられる言葉のどれもが現実離れしていた。そう、まるで舞台に立っているかのように。
「…………もうやめて……もう戻れないの。貴方とは、一緒にいられない」
戸惑いながらもななから発せられた切なる声、大場ななとしてじゃない、有栖川と同じようにどこか現実離れしている。
「何……何なの……説明してよ、なな!」
起きている事態の何も把握できず血塗れのままの純那がたまらずに叫ぶ。それに合わせるかのようにパンッと短く手を叩くような音が聞こえた。虚構と現実を分かつこの音に、張りつめた空気が少し弛緩する。それに合わせて有栖川も有栖川無花果としてこの場に現れた。
「なーんだ、折角面白かったのにもう終わりか」
不貞腐れるように後ろ手に地を蹴る。遊びに誘われなかった子供のようであった。
「オーディション、とはまた違うみたいだけど、今度は私も混ぜてよ」
直後大地が大きく揺れる。奥の方で本棚が倒れ、ハードカバーが宙を舞っている。
有栖川は皆に背を向けると、そのまま歩いていく。
誰もが声を掛ける事が出来なかった。
本がバサりと落ちると有栖川の姿はもうそこになかった。
そして世界が崩れ始める。
合間合間のフォントが違う部分は所謂レヴュー曲です。頭の中にメロディはあるんですが想像で聴いていただけたら!レヴューシーンは毎回入れていきます。