シンプルに五月ルート   作:アイルライル

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第2話

「ただいま」

「あ、おかえりー。早かったね!」

「ああ。急にシフトを代わってほしいって言われたんだよ」

 

 家に帰ると、妹のらいはが出迎えてくれた。片手にお玉を持っていたので、夕食の調理中だったのだろう。愛らしく寄ってくる妹に対して、感動的な何かをおぼえていると、らいはは何かを言いたそうな顔をしていた。

 

「なんか良いことでもあったのか?」

「うん! あのね、うちの借金が無くなるかもなんだって!」

「は?」

 

 風太郎の家には借金がある。悪徳金融から借りたものではないから、着実に減ってはいるのだが、そんなすぐに返済完了できる様な額ではない。

 しかし、心の底から嬉しそうに微笑むらいはを見ると嘘ではないらしい。

 

「親父が宝くじでも当てた、とか?」

「ううん。何かね、お兄ちゃんにすごいバイトを見つけてきたんだって!」

「俺に?」

「家庭教師のお仕事なんだけど、最近引っ越してきた娘さんの成績が悪くて困ってるんだって! お給料は相場の5倍! アットホームな職場なんだって!」

「裏の仕事の匂いしかしないぞ」

 

 怪しさしか感じられない誘い文句に軽いツッコミを入れたが、ふと最近聞いたワードが頭に引っかかった。しかも、その職業について話していたのは……。

 

「なあ、その娘さんって、中野って人じゃないか?」

「あれ? 何で知ってるの?」

「……偶然が過ぎるだろ」

 

 風太郎はまさかの出来事にそうぼやいた。一体どんな確率なのか。

 頭を軽く押さえる兄の様子を不思議に思ったらいはは小首を傾げた。

 

「まあ、とにかく良かったね!」

「でもまだ受けるかどうかは……いや、やるよ」

「ほんと? やった! これでお腹いっぱいご飯を食べられるね!」

「そうだな」

 

 そんな風にはしゃぐらいはの頭を軽く撫でて、風太郎も頷く。いつもの風太郎なら断っていたかもしれない。しかし、らいはの言う様に借金が無くなるのなら断る理由はない。それだけ借金は生活を蝕む。

 

「借金の為だからな……」

 

 自分に言い聞かせるように、それを言葉にした。

 決して、五月が生徒だからという訳ではない。出会って数十分話した程度の仲だ。個人的な感情はない。風太郎も勉強に関わりながら、お金を得られる一番合理的な手段だからやるのだ。

 

「あ、じゃあ今のバイト辞めないとかもだな」

 

 五月に一度、教えてみてわかったことだが、彼女の理解の感じでは風太郎はそれなりに五月用の教材だったり、勉強法を考えるのに頭を費やさなくてはならない。

 それを今のバイトを続けながらとなると、明らかにオーバーワークになってしまう。

 

「あ、店長さんにはごめんなさいって言っといたよ!」

「おい」

「大丈夫、お勉強の為って言っといたから!」

「間違ってはないが、俺の返事を聞く前に電話したのか?」

「うん!」

「……」

 

 どうやららいはの手によって、風太郎が家庭教師を断るという選択肢は元々奪われていたらしい。

 策士というか、行き過ぎているというか……。とにかく風太郎はらいはに頭が上がらなかった。

 

「あ、そうだ。今日の晩ご飯はお兄ちゃんの大好きなカレーだよ!」

「そうか。楽しみだ」

 

 お詫びのつもりなのか、家族全員が大好きなカレーを夕食に選んだらいはに苦笑して、風太郎はいつものように過ごすことにした。

 片手に単語帳を持ち、もう一方の手にペンを持つ。少しの時間も無駄にはしない。食事中に勉強をすると、らいはが拗ねることがあったから家ではしないが、できるだけ頭のリソースを勉強に割き続ける。

 これが今の風太郎を形作る全てだ。

 

 

 

 翌日、風太郎は自席で頭を抱えていた。

 視線の先には五月がクラスメイトと仲良く談笑している姿があった。五月は転入生ということもあるし、人の良さから常に周りに人が集まる。その結果、クラス内カーストというものがあるのならば、間違いなく最下位に位置する風太郎が話しかける隙などないのだ。

 

「どうしたものか」

 

 悩んだ結果、五月の周りに人がいる状態では、風太郎がアクションを起こすことはできず、ただじっと狩りをする獣の様に標的に視線を送り続け、機会を待つしかなかった。

 それからどれくらいの時間が経ったかはわからない。五月の周りには数分おきに違う人が現れては消えていく。

 

(何か視線を感じる……)

 

 風太郎は決して隠し事が上手い人間じゃない。本人はこっそり覗いているつもりなのかもしれないが、見られている側はその存在に気づいていた。

 

「中野さんどうしたの?」

「あ、いえ何でもありません」

 

 しかし、転入生の立場はどうしても視線を集める。そのせいで、一際強烈な視線の所在自体はわかっていなかった。

 そんな悶々とした状況が続いていく中で、授業開始数秒前、遂にその時は訪れた。

 

「上杉君?」

 

 授業開始に合わせて、他の生徒が着席するため五月の席を離れた。その一瞬の隙に風太郎は立ち上がり、五月の席に近づいていった。

 そして、そのまま五月の耳元に顔を持っていった。

 

「ど、どうしたんですか?」

 

 急な接近に、転入前は女子校に通っていたため免疫の少ない五月はそのは頬を朱色に染めながら、そう訊いた。

 風太郎はやっと掴んだこの機会に話しかけただけなので、羞恥というものを全く感じておらず、淡々と伝えるべきことだけを耳打ちした。

 

「俺、あんたの家庭教師になった」

「え?」

 

 そう伝えた瞬間、始業のチャイムがなった。風太郎はすぐに自席に戻った。その表情は清々しいものだった。しかし、対象的に五月は風太郎の奇行と発言の内容に困惑して、今にも目が回りそうになった。

 今度は五月の方が風太郎に視線を送ることになるのだが、授業に集中する風太郎がその視線に気づくことはなかった。

 

 

 

 

 放課後、風太郎は五月と一緒に図書館に来ていた。休み時間に話をできればよかったのだが、五月の周りには朝同様多くのクラスメイトが集まっていたので、放課後にこっそりと五月を呼び出した。

 

「それで、上杉君が家庭教師に……」

「ああ、偶然だよな」

「ええ、とても驚きました。もしかしたら、私預言者の才能があるかもしれません。同じクラスになれたらいいと思っていましたし、家庭教師もあなたならいいのにって言ってましたからね」

「それは願望で、預言じゃないだろ」

「ふふ、そうですね」

 

 クスクスと笑う五月は心底おかしそうだった。その柔らかい表情を見て、風太郎も安堵した。内心、あの時の言葉は建前で、本当はプロの家庭教師の方がよかったなんて思っているかもしれないと思っていたからだ。

 

「あ、言っておくと、上杉君にとっては大変な仕事になるかもしれません」

「そんなに心配しなくていいぞ。中野さんは確かに勉強できないかもしれないが、やる気はあるから大丈夫だろ」

 

 素直な感想だった。五月が要領が悪いだけというのはわかっていたが、とにかくやる気さえあれば何とかなるというのが風太郎の経験に基づいた考えだ。

 

「あはは、私だけならそうかもなんですが……」

「ん? どういうことだ?」

 

 どこか遠い目をする五月に風太郎は首を傾げた。一体彼女は何を杞憂しているのだろう。

 

「あ、五月ちゃーん!」

 

 五月の名前が唐突に呼ばれた。静かな空間である図書館の中で、その声はよく響き、その声の張本人は司書の先生に注意されていた。

 

「知り合いか?」

「ええ、その……」

「あれ? 君もしかして……あ、お姉さん邪魔しちゃった? なるほどねぇ、君が五月ちゃんの言ってた……」

「一花!!」

「ほら、図書館では静かにね」

「あんたが言うなよ」

 

 今の会話のやり取りを聞くに、親しい間柄ではあるようだ。体格も声音もなんなら顔すらも姉妹の様に似ている。付き合う人間に似るものなのだろうか。

 

「ち、違いますからね!? 上杉君のことは良い人がいたっていうだけで……別に他意があったわけじゃ……」

「お、おう。よくわからんが一旦落ち着け」

 

 何かの要因で取り乱す五月に事情がわからない風太郎はそう言うしかなく、その様子を一花がにやにやとほほ笑んでいた。

 

「これじゃ、話の続きは無理そうだな」

「話? どんな話してたの?」

「あんたに関係あるのか?」

「まあ、この子のことは大事だからね」

 

 おどけた雰囲気だったのが、急に真剣な面持ちになっ。それに対して風太郎も答えることにした。

 

「俺が中野さんの家庭教師をすることになったんだ。で、その話をしてただけだ」

「家庭教師……へぇ」

「なんだよ」

「ううん、何でもないよ。フータロー君だっけ? またね。ほら五月ちゃん帰るよー」

 

 一花はそうして、五月の手を引いて図書館を後にした。

 

「またね、って俺とあんたが関わることはないだろ」

 

 その呟きは誰にも届くことはなく、風太郎の口の中で転がった。最後の含み笑いは気になったが、ああいう人種もいるのだろうと結論付けた風太郎は手持ち無沙汰になったので、そのまま図書館で自習して帰ることにした。

 

 




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