「う、上杉君!」
放課後になり、担任が教室から出ると、五月が風太郎の席に駆け寄ってきた。それに大きな声で風太郎の名前を呼ぶものだから、教室内の視線が二人に集中した。
しかし、五月には余裕がないようで、その視線が全く気になっていないようだった。
「一回落ち着け。……で、どうした?」
風太郎の指示に従い、大きく肩を動かして深呼吸をして、心を落ち着かせた五月は要件を切り出した。
「今日、上杉君が私の家に来る件なのですが……」
と、五月の口からそこまで出た所で、風太郎は教室中が動揺しているのを肌で感じ取った。
「上杉が中野さんの家に!?」
「嘘、信じらんない……」
小さな声の呟きが耳に入ってくる。五月には聞こえていないようだが、普段陰口を言われなれている風太郎の耳にはそれらがしっかりと届いていた。
「……中野さん、一回出ようか」
「え? わ、わかりました」
このままここで話を続けると、五月に対して好意を向けている男子が暴動を起こしかねない。
こんなことを五月に伝えても、そんなことないと軽く流されるかもしれないが、彼女は自分がそんな風に見られているなんて微塵も感じていないだけで、風太郎から見ても容姿は整っていて、誰にでも平等に接する姿勢は男子受けするのだろう。
「それで、今日の家庭教師のことだよな? 何か都合が悪くなったとかか?」
「いえ。ただ、上杉君には言っておきたいことがありまして……」
五月の表情が曇った。しかし、五月の言葉が止まることなく、話は続く。
「家庭教師は上杉君の前にもいたのです」
「まあ、そりゃそうだろうな」
一学生である風太郎に大金を積んで、仕事を依頼するくらいだ。相当自分の娘の学力を心配しているのだろう。風太郎なんかに頼る前にもっと選択肢はあっただろう。
だが、そうなると一つの疑問が生まれる。
「何で、その人たちは辞めたんだ? 俺が思うに中野さんに教えるのは少し大変かもしれないが、勉強への姿勢は熱心だし、問題は無いと思うが」
「あ、ありがとうございます」
褒められ慣れていないのか、この程度の言葉でも照れてしまう五月に苦笑する。
「……すみません、また話が止まってしまいました。それでお話なのですが、大前提に私は上杉君が家庭教師をしてくれることには賛成してることはわかっていてください」
「お、おう」
「ですが、家の中に反対派もいて……。それが今まで他の先生方が辞めてしまった原因なんです」
「お母さんが反対してるのか?」
風太郎の依頼主は五月の父親だ。となると、残るは母親くらいと当たりをつけてそう尋ねた。
「いえ、お母さんはもういません。反対してるのは私の姉です」
「……悪い」
「大丈夫ですよ。頭をあげてください」
意図せずにデリカシーの無いことを言ってしまっていたのだと後悔した風太郎は頭を下げた。
五月の許しが出てもしばらくの間、頭を下げ続けた風太郎だったが、背後から穏やかでない物音が聞こえて、顔を上げて、背後を見やった。
「遅かったようです……」
「遅かった? それに、誰だこいつら?」
風太郎が指した方には、四人の女子が立っていた。
「ヤッホー、昨日ぶりだね」
「ん?」
その中の一人が一歩前に出てきて、風太郎に軽く手を振る。その顔には見覚えがあった。彼女が言っている通り、昨日五月を連れて行った女子生徒だ。あの時の態度を見るに、五月とは仲が良いようだが、他の三人に関しては全くの初対面である。
五月の反応を見るに、残り三人も知り合いなのだろう。
「ホントに五月ちゃんと仲いいんだね」
「一花!」
一花の言葉に昨日と同様に反応する五月。声を荒げる五月に慣れていない風太郎がただ、呆然とそれを眺めているのに対して、残りの三人は何も動じていなかった。
「なぁ、あんたらって中野さんと仲いいのか?」
その様子が気になって、そう尋ねると、三人の内の一人が答えてくれた。
「はい! 私たちはとっても仲良しです!」
答えてくれてくれたのは頭に大きなリボンをつけた少女だった。勢いよく答えたせいか、姿勢が前のめりになってしまっている。
「あなたが上杉さんですよね?」
「そうだが、誰だ? 何で俺のことを知ってるんだ?」
「おっと、失礼しました。私は四葉という名前です。五月から家で、たくさん上杉さんの話を聞いてます!」
「家?」
五月は転入してきてまだ日が浅い。それなのに、もう家に友達を呼んでいるのか。
「いつ仲良くなったんだ? あまり中野さんがクラスのやつ以外と喋ってるのは見たことが無いんだが」
風太郎が休み時間にも教室から出ないのが原因かもしれないが、五月は基本的にクラスの女子と喋っている。
「は? あんた五月のことそんなに見てるわけ?」
「ち、違う! たまたま視界に入るだけだ!」
「変態ってこと?」
「違う!」
喋っていなかった残り二人が風太郎にかけた言葉は中々の暴言に近しいものだった。特に長髪で、頭に蝶のリボンをつけている少女は明確に敵意を持っている様に感じた。
いつも陰からの悪意にさらされている風太郎にとってはあまりにも新鮮な悪意に驚いてしまう。
「何変な顔してんのよ」
「こらこら、二乃も三玖もフータロー君をいじめちゃダメだよ」
「そうです! 仲良くしましょう。上杉さんは私たちの家庭教師になるんですから!」
いつの間にか、五月との言い争いが終わったのか、一花が二乃、三玖というらしい少女をなだめた。五月の方は疲れたのか少し息が荒くなっている。
「ちょっと待て」
何となく、場の雰囲気が落ち着きそうになっていたが、風太郎は四葉の発言の違和感に気づいた。
彼女は「五月の」ではなく、「私たちの」と言ったことだ。その言葉が言い間違いである確率はほとんどない。つまり、そのことは限りなく正しい情報ということだ。
改めて、目の前の五人の女子の顔を見遣る。雰囲気は違う。しかし、意識してみると、不思議なくらいに五通りの顔が一通りに見えてきた。
「ん? あんた、まさか知らないの?」
「五月ちゃーん? もしかして、二人っきりで教えてもらおうとしてたのかな?」
「ち、違います! 私は伝えようとしてたのに、一花たちが早く来てしまったから……」
「もー、五月ったらおっちょこちょいだなー」
「四葉に言われたら終わりだね」
まるで一人が五役演じているのかというくらいの声の一致。風太郎の頭の中に信じられない仮説が過ぎる。
風太郎が狼狽していると、五月が前に出てきた。どうやら、答えを教えてくれるらしい。
「実は、私たちは五つ子なんです。だから、上杉君の生徒は私の他に、一花、二乃、三玖、四葉の四人。つまり五人いるんです」
「そ、そうか」
「伝えるのが遅くなってごめんなさい」
「い、いや大丈夫だ。ただ、ちょっと頭の整理をさせてくれ」
「あ、ちなみにあたしたちはあんたが家庭教師になるの認めてないから」
「は?」
あっかんべー、といった様に舌を出して混乱する風太郎に追い討ちをかけてきた。
少しして、落ち着いた風太郎は二乃の言葉をしっかりと飲み込んで、大きなため息をした。その様子を見た五月が不安そうな表情をしている。
「
五月は言っていた。今までの家庭教師はすぐにやめてしまったと。
まだ一度も授業をしたわけではないが、風太郎にも何となくこの仕事がかなり辛いものになると直感的に悟った。
けれど、それは風太郎がこの仕事を断ることにはつながらない。
「えっと、二乃だったか?」
「何? 気安く呼ばないで。大体、五月と仲良くするのも認めないから。あんたみたいな変態が妹に近づくって考えるだけで寒気がするわ」
「二乃! 上杉君に謝ってください!」
「良いのよ、どうせこいつもすぐに辞めるんだから」
二乃はそう言って、不敵に笑う。
それに対して、今度は臆することなく、風太郎も笑みで返した。寧ろ、宣戦布告ををするくらいの気持ちで五人に向けて言葉を放った。
「俺は絶対に家庭教師として、お前らに勉強を教えてやるよ!」
「は? 生意気」
バチバチと風太郎と二乃の間に火花が散った。
「まあいい。とりあえず、今日から五月の家庭教師として家に行かせてもらう」
有無を言わせずに風太郎は言う。そして、風太郎の心に変な火がついた瞬間である。その燃料となるのは、二乃の生意気な態度に対する反発心、五月の期待に応えること、そして五人に教えるのだから相場の五倍の給料をもらうのは当たり前だろうという依頼主への小さな怒りだった。
まだ原作一話に追いつけないことに驚きと恐怖を感じています。