シンプルに五月ルート   作:アイルライル

5 / 7
第5話

「で、これはこの公式を使うんだ。ただ、どちらも正であることの確認だけはする必要がある」

「なるほど。上杉君は本当に教え上手ですね」

「褒めても何も出ないぞ」

「思ったことを言っただけですよ」

 

 放課後、風太郎は図書館の一番入口に近い席で、五月に勉強を教えていた。

 二乃の件があって、昨日の自分が迂闊だったと痛感した。今まで、多くの家庭教師を辞めさせたことを考慮して、もっと注意する必要があったのだ。

 昨日、タクシーの中で覚醒し、五月に事情を聞いた時には思わず頭を抱えてしまったくらいだ。

 

「それにしても、他の奴ら来ないな」

「一応、皆には伝えておいたのですが」

「まあ、昨日の感じで全員揃われても逆に怖いがな」

 

 学校とはいえ、手段を選ばないやつだ。もしかしたら、社会的に殺される可能性だってある。学校でのカーストの低い風太郎にとって、二乃の様な頂点に立っているやつのきまぐれで終わる可能性がある。

 

「あ、元々二乃には声をかけてないですよ」

「そうなのか?」

「昨日、帰った後に少し口喧嘩をしてしまって。上杉君に謝ってほしいといったのですが……」

「まあ、それで素直に謝るやつじゃないだろうな」

 

 風太郎の推測に、五月は頷きを返した。自分の予想通りだったが、それに風太郎はうかない顔で返した。それだけ面相臭いやつが自分に敵対していると考えると、改めて先が思いやられたからだ。

 

「まあいい。とりあえず普通に勉強するか。五月の成績が上がれば、羨ましくて出てくるかもしれないしな」

「が、頑張ります」

 

 風太郎の言葉に五月の身体が強張るのが見える。本当に気負いやすいやつの様だ。

 そのまま、二人で昨日の小テストの復習をした。

 小テストの問題には初めて風太郎が五月に勉強を教えた時の問題も入れておいた。五月はそれを見事に正解しており、教えたことがしっかりと記憶に残っていたことに安堵し、教え方は間違っていないことを確認できたことが昨日の唯一の成果だ。

 と、順調に解説をしていると、ガラガラ、と図書館の入口のドアが開けられた。

 

「あ、五月! 来ました! まだやってますか?」

 

 図書館内とは思えないほどの元気溌剌な声が二人にかけられた。

 急いで来たのか、来訪者の額には薄らと汗が見え、少女は体操着を着ていた。頭には大きなリボンをつけ、軽快なステップで二人の方に寄ってきた。

 

「確か、四葉だったか」

「はい! 部活動の助っ人をしていたら、遅刻しました!」

「それは構わないが、よく来たな。疲れてるだろ」

「疲れてはないですよ。バスケの試合を一試合フルで出ただけなので」

「四葉は体力お化けなので、大丈夫ですよ」

 

 五月の言葉通り、風太郎の目の前の少女は息切れの一つも起こしていない。服と額の汗が無ければ、四葉の言葉が虚言であると思えるくらいだ。風太郎なんて、階段を上るだけで息切れしてしまうというのに……

 

「何をしていたんですか?」

「昨日の小テストの復習です」

「おお! 私もお願いします。昨日のテスト全く分からなかったので!」

「その姿勢は助かるが、自信満々にそう言うなよ」

 

 カバンの中から、四葉のテスト用紙を取り出す。得点の欄には堂々の「8」の数字が書かれており、悲惨な解答の一つ一つを思い出した。

 

「……とりあえず、名前くらいは漢字で書け。そもそもの答えも間違ってるが、漢字の間違いが多すぎる」

「わかりました。やってみます!」

 

 二乃とは真逆の、素直な性格の様で、四葉はノートに自分の名前を書きなぐり始めた。

 それを見て、風太郎はため息をついた。

 

「『葉』は竹かんむりじゃなくて草かんむりだからな」

「え!?」

「五月……全員が言うことを聞いてくれても、無理かもしれない」

「そ、そんなことないですよ! 上杉君の教え方は完璧ですから!」

 

 静かであるはずの図書館に三人の声が響き渡る。一人は落ち込み、一人はそれを励まし、一人は自分の名前の正しい漢字で書く練習をするという地獄絵図が出来上がった。

 他に利用者がいなかったのが救いであったが、司書の先生にはうるさいとこっぴどく怒られてしまった。

 

「今日はこれで、お開きにするか。教えた分は復習しといてくれ」

「お疲れさまでした」

「楽しかったです! また明日もやりましょう!」

「ああ……」

 

 別れの挨拶を交わし、風太郎は先に図書館を出た。その顔からは生気が抜けており、覚束ない足取りであった。

 

「なんだか、上杉さん疲れてましたね」

「教える側も疲れるのでしょうね。明日は軽食でも持って来ましょうか」

「五月、それ食べちゃダメだよ?」

「食べませんよ……お腹がすいてなければ」

「いつもそう言って、食べちゃうよね」

「うっ……大丈夫です! 上杉君の為なら、我慢できます!」

 

 そんな宣言と同時に、五月のお腹からキュー、と音が鳴る。顔を真っ赤にしてお腹を押さえる五月に、四葉はバスケ部の人にお礼で貰ったクッキーをかざしてみると、何も言わずに五月は食べ始めた。

 クッキーはものの一瞬でその存在を無くし……

 

「おかわりはありますか?」

 

 罪悪感など微塵も感じていない様子に、苦笑しつつ残り一枚のクッキーを五月に与えた四葉は確信した。

 

(上杉さんの分、私が持ってきた方が良さそうですね)

 

 結局、その後も五月はコンビニで肉まんを二つ購入し、家に着く前に食べきったのであった。

 

 

 

 

 

 

 四葉と五月に勉強を教えた帰り道、風太郎は酷く困憊していた。

 慣れない人との会話、四葉の想像以上の学力、家庭教師に関する問題が山積みで残ってること。これらの要素が体力の風太郎を襲った。

 

「……どうしたものか、自分の勉強も危ういな」

 

 特にこれが問題だった。自分の勉強と家庭教師としての勉強は全くベクトルが異なっていて、新鮮な反面、言い知れぬ辛さがあった。

 とにかく、今日は疲れをとることに集中しようと思った時、風太郎の携帯に着信があった。

 

「ん? 知らない番号だな。何かの勧誘か?」

 

 友達の少ない風太郎の携帯には父と妹の二人のアドレスしか登録されていない。その為、連絡が来ること自体が稀であるのに、それが知らない番号となると怪しさが拭いきれない。

 

「もしもし?」

『上杉君の携帯であってるかな?』

「あ、はい。そうですが」

 

 間違い電話か何かと思っていたが、どうやら風太郎宛の電話であった様だ。ただ、電話越しの声とはいえ、その声は風太郎の記憶にはないものだ。

 

『おっと、失礼。君の雇用主の中野だ。一応、話を聞いておこうと思って、かけさせてもらったよ』

「中野さん!?」

 

 名前が聞こえた瞬間に、風太郎の背筋はピンと伸び、声も上擦った。すれ違ったおばさんに変な目を向けられたが、許してほしい。

 それだけこの電話は予想外で、とても危険なものだからだ。

 

『どうだい? 家庭教師は順調かい?』

 

 いきなり核心をついた問いかけに、ゴクリと唾を飲み込んだ。特にそういう意図がある訳ではないのかもしれないが、「ここで返答を間違えれば終わる」という確信があった。

 

「も、もちろんです! 今日も意欲的に取り組んでくれました!」

『そうか。なら良かったよ。やはり歳の近い方が良いのかな』

 

 嘘は言っていない。ただ、五人中二人にしか当てはまらないだけだ。

 この後も、いくつかの質問をされる。その度に風太郎の心臓を撫でられる様な感触がして、とてもじゃないが生きた心地がしなかった。

 

『では、これで失礼するよ』

 

 漸くか、とホッと息をついたその瞬間……

 

『そうだ、明確な目標があった方が頑張れるだろう。次の中間試験までに、五教科の赤点回避。それが叶わなければ、クビでどうだい?』

「はい?」

『君の話を聞く限り、どうやら順調な様だ。僕もその成果を見てみたいと思ってね』

「え、その……」

『さっきの言葉が嘘であったとしても、結果さえ出せば問題ないよ』

(バ、バレてたか……)

 

 一介の高校生に大事な娘を預けることがやはり不安なのか、電話越しの声の裏に「風太郎を辞めさせたい」という感情が見え隠れしている。

 話を聞いた限りでは、風太郎の父と中野は付き合いがあるらしく、この仕事も風太郎の父が風太郎を売り込んだのがきっかけらしい。

 風太郎の父は性格が少しアレなので、もしかしたら何か恨みを買っているのかもしれない。

 

『では、頑張ってくれたまえ』

「は、はい」

 

 プツー、と電話はそこで切られた。

 しかし、風太郎は携帯を耳に当てたまま、しばらく動けなかった。疲れ切っていたところに新たに積み上げられた問題は、今までのものと何倍も大きさが異なっていて、風太郎の頭がショートするのには十分だった。

 覚束ない足取りで、そのまま家に向かった。

 結果、夕食を食べ終えると風太郎は電池が切れたかの様に机に突っ伏して気を失ったのであった。

 

 




 そろそろ書く速度上げないと終わらない気がしてきました。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。