「はあ、はあ……」
始業ギリギリで何とか校門にたどり着いた風太郎だが、日ごろの運動不足もたたって、ひどく息を切らしていて、できる限り多くの酸素を取り込むことに全神経を注いでいた。
別にいつもこんなギリギリに登校しているわけではない。こういう事態になるのは分かっているから、余裕を持って登校しているのだが、今日に限っては昨日色々あったせいで、気を失うように寝てしまい、ついでに日ごろの疲弊も相まって思いっきり起床予定時刻を大幅に過ぎて覚醒してしまった。
要は寝坊だ。
「上杉君?」
「ん?」
風太郎が地面と睨めっこをしていると、後ろから声をかけられた。ちらりと後ろに視線を遣ると、色んな視線が向けられていることに気づいた。
一人は眠そうで、一人は心底興味がないように、一人はよくわかっていない感じで、一人はこちらにあっかんべーをしてきている。
「大丈夫ですか?」
そして、最後の一人、五月は風太郎の傍に駆け寄ってきた。
「ああ、ちょっと疲れてるだけだ。心配しなくていい」
「そうですか。なら良かったです」
「あの奥に見える車で来たのか?」
「はい。今日は全員寝坊してしまって送ってもらったんです」
「奇遇だな。俺も寝坊したんだよ」
「ちょっと五月、そんなやつ置いといて行くわよ」
風太郎と五月がしばらく話をしていると、その様子が気に食わなかったのか、二乃も寄ってきて五月の手を引いた。
何か言い返そうとした五月だったが、始業が近かったため、予鈴が鳴ってしまい、断念した。
「早く行った方が良さそうだな」
辺に言い争っていると、遅刻扱いを受けてしまう。五つ子側がどう思っているかは知らないが、五人を卒業させなくてはならない風太郎にとってはマイナスでしかない。
まあ、そのもうマイナスがどうこう言っていられる状況ではないのだが。
「どうしたもんか」
五月たちの後ろをついていきながら、小さくそうぼやいた。
教室に着き、授業が始まってからも風太郎は心ここにあらずといった状態だった。昨日の電話で受けた実質的なクビ宣告に対して思考を飛ばしていたのだ。
「やはり、何とかして全員集めるしかないか」
結局、それが考え抜いた末の答えだった。クビの条件を緩和して貰えるように掛け合うのは怖すぎるし、それで何とか今回の危機を脱したとしても、また同じことが起こるだけだ。
いっそこのままクビになってしまえば、楽になれるなんて邪な考えが頭を過ったが、五月との約束もある。ここが踏ん張り時の様だ。
「よ、よう三玖」
昼休み、午前の最後の授業が終わると、誰よりも早く食堂に向かった。そして入口を張り、三玖を見つけた風太郎は果敢に話しかけのだ。
「三百九十円のサンドイッチに、何だその飲み物……」
「いじわるなフータローには教えてあげない」
「俺のどこがいじわるだ」
「勉強教えようとしてくる。人の嫌なこと」
「何で、そんな嫌いなんだ? なんならお前が一番点数良かっただろ」
「知らないよ」
先日風太郎が何とか取り組ませることに成功した小テストで五つ子の中で最も点数の良かったのが三玖だった。五月が一番高いと思っていたので、予想外の結果に疑問を覚えていたのだ。
「問一に置いた『厳島の戦いで毛利元就が破った武将を答えよ』なんて、勉強してないやつが解ける問題じゃない。案外好きなんじゃないか? 見た感じ日本史関連の問題は取れてるし、俺ならお前の知らない色んな事を教えてやれるぞ」
「……た、たまたまだよ」
風太郎がからかうつもりで、放った言葉に三玖の瞳が揺れた。言葉を濁して話題を避けようとしているのか、何かを隠している様に見える。
(本当は勉強したいが、二乃の圧力に屈している?)
三玖は見た感じ、主張の強い方では無いと思える。あまりに飛躍し過ぎな仮説かもしれいなが、今はどれだけ低確率であったとしても飛びつかなくてはならない。
「問二、『中国南北朝時代の南朝梁の昭明太子蕭統が編纂した詩文集は何か?』これはわかるか?」
「は?」
「そ、そうか」
勉強好きが向けてくる類の視線と声圧ではなかった。心底嫌っているのが否応なく伝わってくる。
急に汗が額を流れ始めた。こちらに対して明確な敵意、嫌悪感を持った相手にどんな応答をすればいいのかが孤独主義であった風太郎にはまだわからないのだ。
「上杉さん? ぼーっとしてどうしたんですか?」
「え? いや、俺は三玖と話してて……あれ、どこ行った?」
「三玖ならあっち行っちゃいましたよ」
「マジか」
「上杉さん何か言ったんですか?」
「ん?」
どうやら風太郎が困惑しているうちに、隙を見て逃げられてしまったらしい。遠くに見える三玖の背中にため息をついていると、四葉がそう尋ねてきた。
「実は勉強好きなんじゃないのかって聞いてみただけなんだが」
「本当にそれだけですか?」
「何が言いたい」
「姉妹の私にはわかります。三玖は恋する顔をしていました」
「恋? 馬鹿なこと言わないでくれ。勉強もしないで色恋に現を抜かされたらたまったもんじゃない」
「うーん。状況的に相手は一人しかいないんですけど……」
四葉が何か言っているが、この状況はよろしくない。もし四葉の言っている事が事実だったとしたら、風太郎の家庭教師は間違いなく終焉を迎えてしまうだろう。
「まあいい。四葉、一応聞くが一花と二乃はまだ俺に対して反抗的なのか?」
一日二日で何が変わる訳でもない。ましてや、大した行動もしていないのだから二人の気持ちが変わっていないのは分かっていても駄目元で聞いてみた。
「うーん、二乃はまだぷんぷんしてますけど、一花は上杉さんに興味があるらしいです」
「一花が?」
「五月ちゃんの彼氏候補として興味津々だって言ってました」
「まだそんなこと言ってるのか。五月とはなんでもないと伝えておけ」
「わかりました!」
聞きたいことも聞けたので、四葉と別れ、風太郎も昼食を食べることにした。三玖と四葉と話していて、多少出遅れ気味になったが、僅かにまだ席が空いていたので、急いでいつもの定食を注文して、昼休みを過ごした。
途中、完全に出遅れてしまった様子の五月がいたので、相席をした。偶然にも初めて会った時と逆の構図になったが、食事の後に勉強を教える構図は全く一緒だったのは言うまでもない。
「という訳で四葉の話では三玖は恋してしまっているらしい」
「三玖がですか。意外です。三玖はあまりそういったことに興味がないと思ってました」
昼休みギリギリまで五月に勉強を教えた後、授業が始まるまでの少しの時間で風太郎の席で先程の三玖についての話をした。
「だろ? それに四葉は相手が誰かもわかっているっぽくてな。さっきは聞き忘れたから聞いといてくれないか?」
「いいですけど、どうして三玖の好きな人が気になるんですか?」
五月はどうしてか少し怒ったようにそう訊いてきた。
「いや、恋愛なんて勉強の妨げになるもの妨害してやろうと思ってな」
「そ、そうですか。でも、そうなると困りますね。姉妹としては三玖の気持ちを優先したいです」
五月の気持ちは当然だろう。一般的に見れば、風太郎が圧倒的に悪者的立ち位置にいるのは間違いない。風太郎もうまく反論ができず、妨害に関しては行わないことを条件に四葉から情報を聞いてもらうことを依頼した。
「と、もう授業が始まるな。準備を……ん?」
「どうしました?」
「いや、なんか手紙が」
「手紙?」
用意をしようと机の中を見ると、風太郎のあずかり知らない手紙がポッと出てきた。
「これ、三玖からですよ」
五月の言う通り、手紙には三玖の名前が書かれている。
教室の入口に目を遣ると、まだ担任教師は来ていない。急いで手紙を開くと、奇麗な文字でこう記されていた。
『放課後に屋上に来て。フータローに伝えたいことがある。どうしてもこの気持ちが抑えられないの』
読み終えて、五月と視線が合った。お互いに意味もなく牽制をして、程なくして同時に言葉がこぼれた。
『俺(上杉君)かーい』
突然奇声を上げた二人に教室中の視線が集まったのも言うまではないだろう。
問二に関しては原作の答えが文選だったので、ウィキペディアを参考(コピー&ペースト)させて頂きました。