エンティティ様はお怒りのようです
エンティティ、霧の世界で殺人鬼と生存者に目的不明の儀式をさせ続ける女神。一日に一度は必ず行われるこの儀式だが、この儀式の目的はエンティティ以外に知る者は居ない。
謎に包まれているこの儀式の謎を解こうとする者もいたが、永遠とも思える儀式で心は汚され、正気を保てず、僅かな人間性を守る為に精一杯である彼らに、儀式のことを考える余裕などなかった。
ある日、殺人鬼の調子が悪くなった為か。連続で生存者の魂をお預けにされていたエンティティは限界を迎え、これまでに無いほど不機嫌だった。焚き火近くでエンティティの声、声というよりも木の軋むような音に近い音に殺人鬼のレイスは耳を傾けていた。
荒々しく軋む音に首を傾げながら聞き続けるレイス。
彼にも彼女が怒っていることくらいのことはわかるが、生存者の巧みな隠密行動や逃走術によって、レイスでも一人か二人を捧げることで精一杯だった。彼女が怒っている時、殺人鬼である彼らができることといえば、黙って聞いていることだけである。
長い時間、軋む音を鳴らし続けていたエンティティは唐突に音を止め、焚き火の燃える音だけが聞こえるほど静かになった。
その時、エンティティは殺人鬼に囁いた。
うめき声のような声を聞いたレイスは、反応を返す前に霧に包まれていき、霧が消えるとレイスの居た場所にトラッパーが現れる。
トラッパーはいつも通り、儀式を始める準備を終えて出番を待っていた。しかし、いつもと空気が違うことに気が付いた彼の体は霧に包まれていき、霧が消えた時には儀式で使われる場所とは違う。見たことの無い森へと送られていた。
周りを見渡すトラッパーの近くで枝の折れる音が鳴り響き、トラッパーはゆっくりと音がなった背後に視線を向ける。
そこには見慣れない服装に鞘に収めた剣を腰からぶら下げている男がいた。
「だ、誰だ?」
男の問いかけにトラッパーは答えず、振り返って男と向き合うと男は剣を鞘から抜いてトラッパーに向けた。
『殺せ』
トラッパーは聞こえてきた女の声をすぐにエンティティの声だと理解し、目の前にいる獲物を仕留める為にトラッパーが一歩前へ進むと男が怯んで一歩下がる。
もう一歩、また一歩と進んでいくと男が同じように後ろへと下がっていく。
『殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ』
急かすような女の声がトラッパーの頭の中に響き渡ると、トラッパーは背中をムチで打たれているかのように歩を進め、歩を進める足が徐々に早くなっていくと男は大きめの石に足を取られて尻餅をついた。
男は怯えた顔でトラッパーの顔を見上げると、トラッパーは男に躊躇うことなく、肉切り包丁を振り下ろした。
〜数日後〜
とある街のギルドから行方不明になった男の捜索を頼まれた冒険者達が山の森へと入ってきていた。
森は穏やかで、凶暴な魔物も居ないような場所だった為、山菜狩りから帰らない男を心配したギルドが調査をするように手の空いている冒険者達に頼んだのだ。
「はぁ……まったく、山菜狩りに慣れてる人だから迷子とは思えないなんて言われたけどよ。この森、なんだか気味悪くねぇか?」
「フリックもそう思うか?実は俺もなんだ。前に来た時より、霧が多いし、昼間のはずなのになんだか薄暗い」
「もしかして、魔物の仕業?」
3人の冒険者達は一度足を止め、周りを見渡す。
「もし、魔物だとしてもなんだかおかしい。一度戻って、この森のことを話した方がいいんじゃないか?」
青年の冒険者が一度街に戻る提案をすると、耳が尖っている男が首を横に振った。
「もし山菜狩りの人が迷って怪我でもしてたら大変だ。それにただ薄気味悪いってだけで帰るのはどうなんだよ?」
「アイク、もう少し調べてみましょう?フリックの言う通り、怪我でもしてたら大変だと思うから」
杖を持った少女が耳の尖った男の意見に賛成して、もう少し調べることを求めると青年は少し悩んでから頷いて調査を続行することを決める。
更に森の奥へと進んでいく冒険者達は進めば進むほど霧が濃くなっていることに気が付き、剣を抜いて臨戦態勢で森の奥へと慎重に進んでいく。
「お、おい…何かあるぞ」
冒険者達は森の中で不自然に置かれている鉄でできた置物を見つけた。
冒険者達が近付くと地面に鉄製の大きいフックが落ちており、地面に落ちていたフックの先端部分には乾いた血がベッタリと着いていた。それを見た冒険者達の顔が青ざめる。
「な、なんだよ。これ…」
「わ、分からない。一体、こんなものを何処から…」
「ねぇ…もしかして、この血は…」
「おい!冗談はやめろよ!フィリア!」
「そうだ。この血が人の血とは限らない。と、とにかく……この一部だけ持って帰れば、ギルドが調べてくれるはずだ」
青年が剣を鞘に収めてフックを拾おうとした時、2人は青年がフックを拾おうとしているところを見ていて、耳の尖った男の背後にいた存在に気付くのが遅れた。
耳の尖った男が背後から聞こえる呼吸音に気が付き、恐る恐る振り返ると自分より頭一つ分ほど身長が高く、骨で作られたような笑った表情のマスクをしている大柄の男が、自分に向けて肉切り包丁を振り下ろそうとしていた。
「なっ?!…ぐぁぁっ!!」
耳の尖った男の叫びを聞き、フックを拾った青年と近くにいた少女が同時に男を踏みつける大柄の男に視線を向けると、ゆっくりと後ずさりをして男から離れる。
マスクをした大柄の男は男を踏みつけたまま二人に顔を向け、二人が怯えて何もしてこないと判断したのか。ゆっくりと踏みつけている男に視線を戻す。
「た、助けて…」
男が助けを求めようとした時、大柄の男は手に持っている肉切り包丁で男の背中を何度も切り始める。
「や、止めて!!」
それを見た少女が杖を男に向けて何かをしようとするも、何も起こらず、少女は困惑しながらもう一度杖を振るう。
「ファイア!……どうして!?魔法が使えない!?」
もう一度、更にもう一度と詠唱して試しても結果は同じだった。
少女が魔法を使おうとしている間、悲鳴を上げていた男は血塗れになって動かなくなり、動かなくなった男を見た大柄の男は顔を上げて再び二人に視線を向けた。
「に、逃げるんだ……早く逃げよう!」
青年はフックを持って少女の手を引き、その場から少女と共に逃げ出した。冒険者達は無我夢中で自分たちがどこに居るかもわからず、とにかく距離を離すことだけを考えて二人は走り続けた。
しかし、彼らは予想していなかった。あの大男が森に罠を仕掛けているとは。
無我夢中で森の中を走る青年の足を大男が仕掛けた罠が捕らえ、青年の足に食らいついて青年を地面に転ばせた。
「うっ!?ああぁぁぁっ!!」
「アイク!」
少女は青年に駆け寄り、すぐさま罠の解除を試みるが青年が暴れることで解除に手間取っていた。
「大丈夫!大丈夫だから!」
少女は暴れる青年を落ち着かせようと抱きしめて背中を撫でる。あの男が青年の声で近付いてきているだろうと不安を感じながら、涙をこらえて青年を必死に落ち着かせようとする。
少女の働きによって落ち着きを取り戻した青年は涙を流しながら暴れるのを止めると、少女は杖を置いて両手で再び罠の解除を試みた。
何とか罠を解除した少女は杖を置いたまま青年を立ち上がらせると、青年に肩を貸して歩き始める。少女は後ろを気にしながら前へ進んでいると、誰かの視線に気が付いて鼓動が速くなった。
視線を感じる方を見ることも無く、少女はあの男が近くまで迫っていることを確信し、うまく歩けない青年と共に歩くペースを早める。
青年も背後から聞こえてきた枝の折れる音で大男が近付いてきていることに気が付き、二人の鼓動は徐々に速くなっていった。
「もう……いい……」
「何言ってるの!諦めないで!」
「俺が……囮になる……だから、これを頼む……」
青年は少女の手を振り解くと唯一の手がかりであるフックを少女に渡して背中を押した。
「この足じゃ二人共アイツに殺られる。それさえ持っていけば!ギルドが助けに来てくれる!」
「で、でも…!」
「行くんだ!!お願いだ…フィリア。もう君しか居ない」
青年は腰に下げていた剣を取り出し、大男に剣を向ける。青年の覚悟を見た少女は、フックを抱えて少しずつ後ろに下がっていく。
「必ず……必ず助けに来るから!」
少女は泣きながら大声で青年に言った後、青年に背を向けて走り出す。青年は少女に助けを求めようとする気持ちを抑えながら、震える手で剣を握り続け、深呼吸を繰り返す。
「必ず、この森の異変を伝えてくれ。……神よ、彼女をお守りください」
青年は剣を握り締め、大男へと足を引きずりながら向かっていった。少しでも時間を稼ぐ為、青年は雄叫びを上げながら剣を振るい、雄叫びが悲鳴に変わるまで戦い続けた。
異世界に来た時はノーワンで、数日後にはデボア。一体、何人捧げたのか…。