夜になり、フィリアは店を閉めて今日の売り上げを確認しながら、隣で椅子に座って窓の外を見ているエンティティを横目で見る。
エンティティは店の前を通る人々を目で追いかけ、獲物を見るような鋭い目つきで唸り声を上げていた。
「貴女、名前は?」
「うん?」
「名前。無いの?」
名前を聞かれ、エンティティは横に顔を向けてフィリアと顔を合わせる。顔を合わせたエンティティは微笑みをフィリアに見せると彼女の顔を黒い手で撫で始める。
「エンティティ。それが妾の名だ」
「エンティティ……手の指が蜘蛛の足みたいになってるけど…」
「うん?あぁ……人間に似せた体など作ったことがなかったからな。今まで試したことが無かったがゆえ、このような体ができてしまった」
エンティティはフィリアの顔から手を離すと自分の体を前、後ろと首を動かして確認する。そして、窓の近くに霧を出すと蜘蛛の足でカーテンを閉め、店内が外から見えないようにするとフードを取り、髪を分けてフィリアに顔を見せる。
「うっ……目が黒い……どうなってるの?」
エンティティの目は全体が黒く、人間とは異なる目だった。
「ふむ……そんな反応をされると今すぐにでも直したくなる。他にどこがおかしい?手足と目がおかしいのはわかるが……他はおかしくはないか?」
エンティティは身に纏っていた衣類を全て霧にして消すとフィリアは顔を赤くして持っていた紙で顔を隠した。
「ちょ、ちょっと!なんで裸になるの!?」
「ん?中途半端な体では不満だからだ。心配するな、店の外からは見えていない」
「そ、そういう問題じゃないでしょ!お風呂に入る時に見るから!」
「んん?……面倒な感性を持っているな。フィリアは」
エンティティは不満を言いつつ体を霧で覆い、服を着るとフィリアの頭を指で軽く叩く。頭を叩かれたフィリアは紙をゆっくり下げて片目を開き、エンティティが服を着ていることを確認するとため息をつく。
「はぁ……いきなり裸になるからビックリした…」
「同性の裸には鈍感な人間が多いと思っていたのだがな。そんなに驚くことだったか?」
「脱衣所でもないのに、目の前でいきなり服を脱がれたら誰だって驚くわよ…」
「そうか、覚えておこう」
「……素直ね」
フィリアは小さく呟いた後、売り上げの確認作業に戻り、一通り終えて店の棚を確認しようと思った時にエンティティが居なくなっていることに気が付いた。
「……なんでだろう。……なんで私、エンティティを怖いって思えないんだろう」
人間とは思えない体、仲間達を殺した森の怪物を従え、この前に店に出てきた透明になれる怪物を従えているようなエンティティに、恐怖心を抱いていないことにフィリアは違和感を覚えていた。
「アイク……本当は……本当は…!うぅ……」
ギルドに助けを求めるため、抜け出した森から聞こえてきた悲鳴を思い出し、フィリアは俯いて頭を抱え、ゆっくりと椅子に腰を下ろすと涙を流す。
あの後、ギルドに持っていった唯一の手がかり。血の着いた大きめのフックが調査されたことでギルドから捜索隊が出されたが、フィリアは調査隊には加えてもらえず、自分が営んでいる道具屋で仕事をしながらアイクの無事を祈っていた。
しかし、アイクの死体どころかフリックの死体すらなく、一回目の調査では何もわからなかった。ギルドの調べで、四人組以下の少人数で森へ入ると必ず行方がわからなくなることから、原因を確かめる為に四人組で森へ入り、ギルドの中でも腕利きの冒険者達によって調査が行われた。
しかし、ギルドから3回森へ送られた調査班は未だに帰ってきていない。
その後、調査班が帰還しないことから山の出入りが禁じられ、調査も中止となった。一人で探しに向かおうとしたフィリアだったが、多くの者に止められ、助けに行くことは叶わなかった。
「ごめんなさい……ごめんなさい…」
フィリアは誰もいない店の中で一人、謝罪の言葉を口にしながら涙を流し続けた。
彼女が一人で泣いていると、誰かが彼女の頭を撫でてきた。フィリアはゆっくりと目を開けると、涙のせいか目の前の空間が歪んでいるように見え、彼女は涙をローブで拭って顔を上げると、そこには借金取りを追い出した怪物が透明のまま彼女の前に立っていた。
「あ、あなたは……」
フィリアは体を震わせ、透明な怪物から距離を取ろうとして姿勢を崩し、椅子と共に後ろへと倒れていった。彼女は無意識に目を閉じて痛みに備えるが、体が途中で止まったことで彼女が痛みを感じることは無かった。
ゆっくりと目を開けた彼女が最初に見たのは、透明化が解けて浮遊しているように見える怪物の手だった。怪物の手は彼女の手を優しく握り、ゆっくりと彼女を引っ張り上げる。
「助けて…くれたの?」
彼女の問いに怪物は何も答えず、彼女の頭を撫でた。
「え、えっと……」
姿を表した時に見た印象から、心の無い怪物だと思っていた存在が頭を撫でてくれていることに彼女は困惑した。
心配してくれているのか、獲物に傷が付かなかったことが嬉しいのか、彼女は考えるがどう考えても撫で方が優しいことから、怪物が心配しているようにしか思えなかった。
(顔が見えないからどんな表情をしてるのかわからないし、心配してくれていたとしても、どうして心配してくれているの?)
彼女が考え事に夢中になっていると頭から手が離れ、それに気付いた彼女が顔を上げると目の前から怪物は消え、階段からゆっくりと二階へと上がっていく音が聞こえた。
「……今日は早く寝よう」
疲れを感じた彼女は棚の確認を忘れて、二階へと上がって行った。自分の部屋に入ったフィリアは、ローブを脱いでポールハンガーにかけるとベッドへ座り、倒れるようにして横になる。
「あ、棚の確認……はぁ…仕方ない。明日、早く起きて確認しよう……」
フィリアはベッドで横になったことで強い眠気に襲われ、すぐに夢の世界へと落ちていった。
「フィリア……おい!フィリア!」
「んん?」
彼女が目を開けるとベッドで寝ていたはずの彼女はいつの間にか、店のカウンターで椅子に座っていた。目をこすり、目を開けるとカウンター越しに見慣れた二人の若い男の姿があった。
「うぅん?……アイク?……フリック?」
「店で寝るなよ。お前、そんな奴だったのか?」
「そう言うな、フリック。最近は店の方が忙しいみたいなんだから、ゆっくり休ませてやれよ」
「……夢?」
「うん?どうしたんだ?フィリア」
彼女は森で別れた友人達の姿に自然と涙を流していた。
「お、おい…なんで泣くんだよ。なんか、嫌なこと言ったか?」
「ううん……そうじゃないの。私……二人を…守れなくて……」
「何を言ってるんだ?悪い夢でも見てたのか?」
「まだ寝ぼけてるのかも。夢かどうか、頬をつねって確認すればいい」
「ううん……そんなことをしなくても、わかって…痛たっ!?」
彼女の頬をアイクがつねると、彼女は頬に痛みを感じた。夢だと思っていた世界で痛みを感じた彼女は驚きを隠せず、目を見開いた。
「い、痛い?……じゃあ、あれは本当に?」
「やっぱり悪い夢を見てたのか。良かったな、悪い夢で」
「う、噓……でも、そんなはず……どうなってるの?」
彼女が困惑しているとアイクが彼女の頭に手を置き、軽く撫で始めると笑顔を見せた。
「あまり心配させるなよ。フィリアは、俺達の大切な仲間なんだからな」
「休める時には休めよ」
二人の温かい言葉にフィリアは困惑しながらも、段々と夢なのか現実なのか区別がつかなくなっていき、やがて考えることをやめた。
「二人が居なくなる夢を見たの……。私、とても悲しくて……寂しくて………本当に……本当に……」
フィリアは頭を撫でているアイクに抱きつき、アイクの体を強く抱きしめた。二度と離れないでとお願いするかの様に。
「夢で良かったな」
アイクの優しい声にフィリアは返事をせず、頷きだけ返す。
「うん……夢で良かった」
「ああ、本当に…」
夢だったと安心していた彼女の耳に金属の摩擦音が入ってくる。その音に背筋が凍る感覚を感じた彼女は、抱きつく際に閉じた目を開け、恐る恐る抱きしめていた男の顔を見上げる。
男は彼女が知るアイクではなく、横縞の赤と緑のセーターを着ていて、焼けただれた顔にソフト帽を被っている知らない男だった。
「夢で良かったな。フハハハ……」