王将ファンタジスタ   作:やまもとやま

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2、飛車の妖精現る

 将は入学式に参加するため、部屋を出た。

 将は孤児であり、孤児院で暮らしていたが、師匠の時田の支援を受けて、アパートを借りていた。時田に連帯保証人になってもらったほか家賃や生活費も全額払ってもらっている。

 将はいずれプロ棋士になり、時田に恩返しするつもりだった。

 しかし、恩を仇で返すことになりそうだった。

 

 将は将棋をやめ、普通に高校に進学することになった。プロ棋士の卵だったからこそ、時田も将を支援していた。

 しかし、時田は将が将棋をやめた後も支援すると言ってくれていた。

 

 将は受験を頑張って、東大にでも合格することで時田に恩返ししようと思った。いまさら将棋に戻るつもりはなかった。つもりというか、もう戻れる状態ではなかった。

 

 将は普通の高校生として、東京天照学園に通った。

 ここは関東でもかなり有名な進学校として知られ、各種部活動も強い。男女共に野球部が強いことも有名で、何度も甲子園に出場している。

 

 将は中学時代、成績が優秀だったので、推薦で合格していた。

 

 高校生活がスタートするというのに、将の気分は上がらなかった。

 高校生活にたくさんの期待を詰め込んだ同級生らが、輝かしい目つきで天照学園の門をくぐっていくのに、将の周りだけ闇がかかっていた。

 

 入学式中も、将はぼんやりと時を過ごしていた。どんな人と同じクラスになるのかなんてまったく気にすることもなかった。

 入学式が終わると、将は担任の後について1年D組の教室に入った。

 

 自席に座ってからも、上の空は変わらない。机の上には、「ご入学おめでとうございます」と書かれた天照学園の案内書や学生証があったが、それには目も留めなかった。

 

「あのー、すみません。あなたは、羽生将君ですよね?」

 

 不意に声をかけられた。将はめんどくさそうにその方角に顔を向けた。

 そこにはメガネをかけた童顔の少年が口元を緩めて立っていた。どこかで見たことがあるような気がしたが思い出せなかった。

 

「覚えてますか? 桂慶大(かつらけいだい)です。奨励会で2度対局したことありますよね。1試合目は相矢倉、2戦目は角換わりでした。どちらも僕の完敗でした。いやー、自信のある戦法、しかもどちらも先手だったのに、羽生君は本当に強かったよ」

 

 桂はおとなしそうな顔をしながら、フレンドリーに言葉を紡いだ。

 将は桂のことを一応覚えていたが、将棋のことは何もかも忘れてしまいたかったから、桂のことも忘れてしまいたかった。

 

「羽生君、奨励会をやめたって聞いたけど、どうしてなの? 中学生プロ棋士誕生の期待がかかっていたのに」

「……」

「ごめん、あまり詮索しちゃ悪いよね。僕は才能がないから高1で奨励会はやめちゃったけど、いまは将棋部の部長をしているんです。と言っても、部員は実質僕だけ。あと一人不登校の糸谷君がいるんだけど、学校にも部活にも来てくれなくて、ほとんど幽霊部員状態なんだけど」

 

 桂はそう言ったあと、将を将棋部に勧誘した。

 

「奨励会を抜けたら、将棋部に所属できるんだけど、羽生君、どうかな? 将棋部に入らない? 羽生君が入れば百萬力間違いなしなんだけど?」

「悪いけど、もう将棋はやめたので」

 

 将は暗い顔でそう言うと、顔を窓の外に向けた。

 もう将棋を彷彿とさせるものは何もかも忘れてしまいたかった。

 

「そ、そっか。ごめん。そうだよね、羽生君には羽生君の事情があるもんね。あ、でも部室の場所だけ教えとくね。2号館2階の囲碁部の隣だから、いつでも来て」

「……」

 

 将は行く気がなかった。

 

「あとは真龍王花様に一度でいいから将棋部の始動をしてもらえないかしら」

 

 桂はそう言うと、天井を見上げた。

 

 真龍王花。

 

 将に引導を渡した天敵の名前が聞こえて来たので、不意に反応した。

 

「真龍王花?」

「え、羽生君、知らないの? 真龍王花様は天照学園にご入学されたのですよ。そう、僕のあこがれの女神様が同じ学校に」

 

 桂は2年生だが、まるで新入生のように目を輝かせた。相当、王花にはまっているようだった。「様」をつけるほどだから、もはや宗教のレベルだった。

 実際、将棋を知る者なら、誰だって憧れる。将棋男子がこぞって注目する将棋界のアイドルだった。

 

 しかし、将には、王花の姿はアイドルとしてではなく、デーモンのように映った。

 

「王花様はすでにプロ、高みの存在。将棋部には入れないけど、でも指導将棋をしたい。僕の一生の夢なんだよね」

 

 桂はささやかな夢を胸に込めた。

 

「なんでまたそいつが高校なんかに?」

「インタビューでは、師匠の助言だったそうだよ。白河5段。フリークラスのマイナープロ棋士だけど、でも王花様の師匠というだけでうらやましい。うらやましいぞ!」

 

 桂は嫉妬するように目に火を灯していた。おとなしい性格なのか情熱的な性格なのかいまいちわからなかった。

 

「まあ、ともかく機会があったら、いつでも将棋部に来てください。歓迎しますので」

 

 桂はそう言うと、ルンルン気分で去って行った。王花と同じ学校に通えるようになったのがよほどうれしいようだった。

 

 ◇◇◇

 

 放課後、将は結局将棋部には顔を出さず直帰することにした。

 将は繁華街を歩きながら、将来のだいたいの見通しをつけた。

 

 とりあえず、そこそこに勉強を頑張ろうと思った。いい大学に入れることが師匠の時田への恩返しになる。

 部活は、子供のころに少しだけやっていた短距離走がある陸上部にでも入ろうかと検討していた。将は一応100mを12秒台前半で走ることができた。

 

 いずれにしても、突出したもののない生活。成績は良かったが、全国レベルでは凡人に過ぎない。陸上も宣告レベルでは凡人。

 唯一将棋だけが、将の長所だったが、もうやめると決めた。もう引き返すわけにはいかない。

 

 将はそんな虚しい人生設計にため息をもらした。

 このまま、虚しい人生が続くのだろうか。

 恋人の一人でも出来れば刺激が出てくるかもしれない。しかし……王花の影響か、将は女子に対して畏怖の念を感じずにはいられなかった。いつだって、王花のあの目を思い出すと体が震えた。

 

「ヒレカツ定食、親子丼、きつねうどん、うな重、カツ丼、ざるそば、餃子、からあげ、五目中華そば……」

「……」

 

 将はいま奇妙なものを眼前に捉えていた。

 

「食べたい。食べたいです。食べたいですよぉ!」

 

 妙な格好をした髪の長い女が定食屋のサンプルに張り付いて、そんなことを言っていた。メガネをかけていて目元はわからないが、かなりの美人に見えた。

 1000年以上前の古風な雰囲気の漂う女性だった。ただ、これまでに見たことのない和服に身を包んでいた。

 

 思わず見とれてしまった。

 

 そうしていると、女性のほうが将の目線に気づいた。

 

「むむ? むむむ?」

 

 女性は怪しいものを見るように将に近づいてきた。女性は歩きにくそうな藁草履をはいているが、その女性は驚くことに宙を浮いていた。

 

「あなた、私が見えるんですか?」

「え、そりゃあ……」

「まああああああ、なんということでしょう。このようなところで運命の殿方にお会いすることになるなんて」

 

 女性はそう言うと、両手を合わせてときめいた。何が何だかわからない。

 女性は将の両手を取った。女性の手は透き通るような白さでとてもきれいだった。

 

「運命の人、お名前をお聞かせください」

「えーっと、君はいったい?」

「これは失礼しました。わたくしのほうから名乗るのが礼儀でした。わたくし、飛車の妖精を務めております飛子(とびこ)と申します」

「……飛車? 妖精?」

 

 ますますわけがわからなかった。

 

「はい、飛車の妖精でございます。運命の殿方を探して棋界より降りてまいりました。下界をうろとくのは初めてゆえ、迷子になって困っておりました。お腹もすいてしまい、このままでは死んでしまう思いです。助けを求めたくとも、わたくしの姿は運命の殿方にしか映らないゆえ、もう生きるのをあきらめようとしておりました」

 

 飛子と名乗った女性は悲壮感のある思いを言葉にした。しかし、まったく悲壮感は伝わってこなかった。

 

「ですが、ここで運命の殿方にお会いできるなんて僥倖、運命のいたずらです。殿方、ふつつか者ですが、飛車の妖精としての責務まっとうさせていただきますゆえ、ヒレカツ定食と親子丼ときつねうどんとうな重とカツ丼とざるそばと餃子とからあげと五目中華そばをご馳走していただけませんか。わたくし、このままでは力尽きてしまいます」

「……」

 

 さっぱりわからなかったが、要はお腹を空かしている。そのことだけはわかった。

 一応、将の財布には2万円が入っていた。

 

「話がよくわからないが、おなかが空いているということか?」

「そのとおりでございます。どうか、おにぎりの1つでもよろしいので恵んでください。よろしくお願いします」

 

 新手の乞食だろうか。将はそんなふうに考えながら、飛子に食事をおごることにした。

 将のもとに謎の飛車の妖精がやってきた。すべてが謎に包まれた存在だった。

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