将は定食屋に入り、案内された席についた。
後ろをついてくるのは飛車の妖精。飛子と名乗ったその妖精は宙を浮いたまま、将の後ろをついてきた。
明らかに普通の存在でないことはたしか。将はちらちらと後ろを確認した。
「将さん、それではオーダーさせていただきます」
飛子はそう言うと、メニューに載っていたものを順番に読み上げて行った。
「ヒレカツ定食、親子丼、きつねうどん、うな重、カツ丼、ざるそば、餃子、からあげ、五目中華そば、みたらし団子、いちごパフェ。食後にバニラアイスクリームをお願いします」
「……」
将はどこから突っ込もうと少しの間考えた。
「飛子さんと言ったか?」
「はい。どうぞ、わたくしのことは飛子とお呼びください。これから将さんに尽くすことになる飛車の妖精でございます」
「妖精ねぇ……」
どこまで信じていいものかわからないが、飛子は時代錯誤な格好をしていて宙に浮いているにも関わらず、周囲の者は飛子のことを気にも留めなかった。飛子の姿が見えていないのかもしれない。
「あんたは一体何者なんだ?」
「それは順を追って説明させていただきます。とりあえず、オーダーをお願いします。このままでは、私お腹が空いて存在が消えてしまいます」
「ヒレカツ定食で良かったか?」
「いいえ。ヒレカツ定食、親子丼、きつねうどん、うな重、カツ丼、ざるそば、餃子、からあげ、五目中華そば、みたらし団子、いちごパフェ。食後にバニラアイスクリームです」
「そんなに食えるわけないだろ」
「なに言ってるんですか、それがわたくしの一人前ですよ。地球人は違うのですか?」
「違うな」
「地球人というのは食が細いと聞いたことがありましたが、そんなに少食なのですか。そんなだから、地球の食品ロスはたくさん出てしまうんですよ」
飛子はペラペラとしゃべった。
「ご注文はお決まりですか?」
店員がオーダーの確認に来た。
「さあさあ、将さん。ヒレカツ定食、親子丼、きつねうどん、うな重、カツ丼、ざるそば、餃子、からあげ、五目中華そば、みたらし団子、いちごパフェ。食後にバニラアイスクリーム」
「えー、ヒレカツ定食と親子丼ときつねうどんと……」
将は次々と注文していったので、店員は将をフードファイターだと思ったらしい。
「ひょっとして、テレビに出られている方ですか?」
「いえ」
「そ、そうでしたか。失礼しました。えーっと、オーダーの確認をします……ヒレカツ定食がお1つ、親子丼がお1つ……」
注文量が多すぎたので、店員も読み上げに苦労した。
「改めてお話させていただきます。わたくしは飛車の妖精の飛子です」
「飛車の妖精っていうのは何者なんだ?」
将はお茶を一口飲んだ。
「わたくしたち将棋の妖精は棋界の住民です。この地球の第8の次元には棋界という世界があるのですが、わけあって第3の次元へと降りてまいったのです」
飛子は余計に謎めいたことを言った。
「理由はただ1つ。立派な飛車の妖精として修行を積み、竜になるためです。飛車の妖精は修行を積み認められた暁に竜の姿が与えられるのです。わたくしはそのために第3の次元に参りました」
「余計に話がわからなくなったが、細かいところは抜きにして聞く。修行とはいったい何をするんだ?」
「はい、運命の赤い糸でつながれた殿方を立派な棋士に育て上げることです。そうすれば、わたくしは竜の姿を手に入れることができるのです」
飛子はそう言うと、将に顔を近づけた。透き通った美しい顔立ちだった。
「赤い糸でつながれたお方だけがわたくしの姿を認識することができます。そう、つまり将さんがわたくしの運命の殿方なのです」
「おれ以外は見えないのか、やはり」
将はあたりを確認した。隣の一人客も黙々と食事を取るだけで、飛子のことを目には留めていなかった。
「そうです。将さんとわたくしは運命の赤い糸で結ばれているのです。ですから、わたくしは将さんを立派な棋士に育て上げます。前人未踏の8冠王に育て上げてみせます。ぜひ、この飛車の妖精飛子におかませください」
将はお茶を飲みながら、飛子の話を聞いていた。
信じられないことだが、飛子はこの世界とはまったく別の世界からやってきた存在と見て間違いなかった。
そして、聞くところによると、将棋に関係する存在らしかった。
将棋。
将にとっては特別な存在。しかし、二度と戻らぬと決めた世界でもあった。
もう二度と将棋を指さないと決めたばかりなだけに、こんな謎の妖精と出会うのは神の導きなのかもしれない。
「将さんは将棋の道を志されているのでしょう? わたくしの運命の殿方なのですから、さぞお強いに決まっています」
「いや、おれは将棋なんてやってねえよ」
「え? ええ? どういうことですか?」
「やめたんだよ、将棋」
将はそう言って飛子から目を背けてお茶を一口飲んだ。
「ちょっと待ってください、将さん。それ困りますよ。わたくしは将さんを立派な棋士に育て上げる仕事をまっとうするために、ここに降りて来たのですよ。将棋をやめてしまわれてはわたくしの仕事ができなくなってしまうじゃないですか」
「と言われても困る」
「わたくし、このお仕事を終わらせるまで、棋界に戻れないのですよ。どうしてくれるのですか?」
飛子は困った様子で訴えてきた。
「だから困るっての」
「おまたせしました。ヒレカツ定食ときつねうどんです」
そのとき、店員が注文の品を持ってきた。
大きなヒレカツとたっぷりのキャベツのヒレカツ定食だった。
「まあ、なんておいしそうなのでしょう。地球のヒレカツは世界一おいしくて、歴代の立派な棋士たちも愛してやまなかったと聞きます。それにふさわしい姿をしていますね」
飛子は話を中断して、ヒレカツ定食に釘付けになった。
「それではいただきます」
「……」
それから、飛子はすさまじい勢いで食べ始めた。
お箸を使って上品に食べているが、その速度はすさまじく、ヒレカツを1口で半分を喰らいつくしてしまった。
「とってもおいしいです。このために生きているのですね。そうです。これが生きる喜びなのです」
飛子はそう言ってヒレカツ定食を1分強で食べつくして、きつねうどんに移った。
「このきつねうどんもおいしいですね」
やはり、飛子はすさまじい勢いでうどんをかき込んだ。将があっけに取られている間に飛子は運ばれてきた料理をすべて食べきってしまった。
「さあ、ジャンジャン持ってきてください」
「おまたせしました。右のほうから親子丼、カツ丼です」
「カツです、カツ。将棋を制する者にカツありです」
飛子はそう言うと、次から次へと運ばれてくる料理をかき込んでいった。
見えざる存在が食事を取る光景がはたからどう見えているのだろうかとか、そんなツッコミを入れる暇もなかった。
とても大切な話をしていたはずだったが、しばらくは飛子の食事の鑑賞会になった。その食いっぷりは大食い早食い大会があれば、優勝間違いなしというほどだった。
◇◇◇
飛子は大量にあった料理を20分ほどで完食してしまった。
「将さん、わかりました。将さんがどうしてもと言うなら、わたくし、飛車の妖精からうな重の妖精に転職します」
「なんだよ、うな重の妖精って」
「うな重を食べる妖精です。それはそれで幸せですよね」
店を出て歩き始めると、飛子は将の隣を宙に浮いてついてきた。
「一応聞くが、妖精は何ができるんだ?」
「わたくしは飛車の妖精です。飛車の潜在能力を引き出す「飛子マジック」を使うことができます」
「飛子マジック?」
「百聞は一見に如かずなのですが、将さんが将棋をやめてしまわれたならお見せできません。残念です」
「……」
飛子マジック。
将は強い好奇心を覚えた。飛車の妖精というだけで、規格外の存在なのだが、それが使う魔法というのはいったいどんなものなのだろうか。
将棋をやめると決めた。二度と駒を手に持たないと決めた。
しかし、飛子マジックを見たいという強い衝動があった。
将は自分の右手のひらを見つめた。
「将棋をやれば見られるのか? 飛子マジックとやらを」
「え、将棋、やる気になってくれたのですか?」
「いや、マジックとやらがどんなものか気になってな」
「飛子マジックは一応本将棋と歩廻りと挟み将棋に対応しております。今ならお見せできると思います」
「そうか。ならば……」
将は足を止めた。そして、もう一度自分の手を見た。
将棋をやることに抵抗はあった。将棋の駒を見ると、胸が苦しくなるのをわかっているから、それを想像すると辛かった。
しかし、飛車の妖精が自分のもとにやってきた。その運命は将にもう一度将棋の世界に引きずり込もうとした。
将は飛子と向かい合った。
飛子はきょとんとした表情をしていた。運命の赤い糸で結ばれた相手。
飛子を見ていると、自分の中に眠っていた棋士道の精神が呼び覚まされてくるかのようだった。将はその運命に導かれようとしていた。
「行くか」
将は帰り道の逆のほうを向いた。天照学園の将棋部。今すぐ将棋をするなら、そこが一番手っ取り早い場所だった。