飛子マジックの威力はすさまじかった。
飛車を立て続けに2度動かすことができた。どのような作用なのかはわからないが、相手はそれに対して何の違和感も覚えていなかった。
将は最初ドッキリか何かかと思っていたが、どうもそうではないようだった。
飛子はとんでもない能力を持った妖精だった。
飛子マジックが使えれば、おそらく誰が相手でも負けることはないだろう。
必勝のマジック。
毎局飛子マジックを使うことができれば、名人も竜王も棋聖も王位も、すべてのタイトルを確実の取ることができるだろう。それどころか無敗神話を築くこともできる。
しかし、飛子マジックには1つだけ大きな副作用があった。
「お腹空いた。空いた空いた空いた空いた」
マジックは莫大なエネルギーを消費するようであり、対局後、突然飛子が悲鳴のような声を上げて膨大な食事を要求した。
「お腹が空いて死んでしまいますー。早くヒレカツ定食とふぐちりと煮込みハンバーグ定食とうな重肝吸い付きを持ってきてください」
死にそうと言いながら、食べたいものを明確に読み上げた。
将はすぐに近くの定食屋に向かって、10000円分のメニューを注文した。
飛子はその10000円をものの10分ほどで腹に収めてしまった。
「ふう、おいしかったですね。ようやく飢餓の苦しみから解放されました。では、デザートにぜんざいとみたらし団子と水ようかんを」
「もう金がねえよ」
飛子と出会って3時間半。将はすでに2万円を使い果たしていた。2万円は普段の将の1か月分の食費にあたる。飛子はそれを3時間半で使い果たしてしまった。
「困りますよ、将さん。このあと、夕飯もご馳走になる予定なんですよ。そんな貧乏では妖精を飼いならすことはとうていできません」
飛子は食べることに目がなかった。
「大丈夫です、将さん。私がいればタイトルの1つや2つ簡単に獲得できます。その賞金でおいしいうな重を食べればいいのです。将さんがタイトルを100期獲得すれば、晴れて私は立派な妖精として認められます」
「飛子マジックを使えば、素人だって勝てる。何もおれである必要はないんじゃないのか?」
「わかってないですね、将さん。いいですか、妖精は誰でもいいなんていう見境ない野蛮な生き物とは一線を画すのです。運命の赤い糸で結ばれた運命の殿方にだけ清く美しい力を授けるのです」
飛子は上品ぶったが、これまでに重ねた食事量を見れば下品なベヒーモスのようにしか見えなかった。
「ですので、飛子マジックは将さんだけのもの。わたくしたち二人だけのシークレットラブパワーなのですよ」
「そうか……」
将はお茶を飲んだ。将は食べ物を一口も食べることなく、すべて飛子に献上したため、今になって空腹感がこみあげて来た。
「マジックを使うには、最低でも2万キロカロリーは必要です。美しい力には食べ物の犠牲が必要不可欠なのです」
「よくそんな体でそんなに食えたもんだな」
飛子は見た目とても華奢である。先ほど山ほど食べたにも関わらず、腹が膨れているそぶりもなく、時空の彼方に消え去ったようであった。
色々あったが、飛子マジックを使えば、本当にタイトルの1つや2つを簡単に取ることができる。
将は自分が手に入れたこの不思議な力をどのように使うのが良いのかを思案した。
正直、こんなインチキで勝ちたくはない。将もこれまで夢中で将棋を指してきた身。いまは一応引退した身だが、棋士としてのプライドがあった。
飛子マジックの正しい使い方とは何か?
将はそんなことを自問しながらアパートに戻ってきた。
将のアパートは学校近くの1DKのオンボロアパートだ。
家賃は42000円。東京郊外とはいえ、かなり安いアパートだった。家賃と光熱費は師匠の時田の口座から引き落とされることになっている。
将棋を引退した後も、師匠の世話になっているのはどこか申し訳ない気持ちだった。
しかし、飛子と出会ってから、将はもう一度将棋の世界に戻ろうという気持ちを強くしていた。
王花の恐怖を振り払い、将棋界へもう一度戻してくれたのは紛れもなく、飛車の妖精飛子だった。
飛子は将の冷たい心に火をつけてくれた恩師だった。
「狭い部屋ですね。タイトルを取った暁にはもっと広い部屋に移りましょう。そして、お部屋で焼肉パーティーを開きましょう」
飛子はそんなことを言った。
こんなバカっぽいテンションの妖精が恩師というのは悲しくなるが、それでもこの飛子が将に将棋を指す勇気を授けてくれた。
一人では怖くて将棋を指せなかった。駒を見るだけで手が震えた。ましてや、王花の姿を目に映せば、尋常でいられる自信がなかった。
しかし、飛子と一緒ならば、もう一度王花に挑戦できるような気がした。
「将さんの部屋には本当に何もございませんね。将棋盤がなければ将棋を指すこともできませんよ」
「そうだな。将棋盤を買わなければならないな」
将は王花に負けたあと、将棋盤を捨ててしまった。師匠からもらった将棋盤だったが、あのときは感情的になっていた。
「しかし、地球にはコンピュータ将棋というのがあると聞きました。コンピュータというものもないのですか?」
「パソコンならあるが……」
将は机の引き出しを開いた。パソコンだけは捨てずに置いてあった。将棋を指していたころは、このパソコンを使って研究していた。
史上最強の将棋ソフト「マングース」がインストールされている。
マングースは去年のコンピュータ選手権で優勝した最強のソフトで、1秒間に100億と3手を読むことができるという性能だった。
すでにプロを凌駕する性能を持つソフトを使えば、誰でも最強の将棋士になることができる。
ここで、将は1つ疑問に思ったことがあった。
「飛子、コンピュータ将棋に対しても飛子マジックは使えるのか?」
「本将棋、歩回り、挟み将棋ならば、どんな形式にも対応できますよ」
将はコンピュータ将棋でも飛子マジックを試してみたいと思い、パソコンを立ち上げた。
「まあ、すごいですね。こんな箱の中に色々なものが入っているのですね。地球は不思議なものばかりです」
「おれたちからすれば、妖精なるものが一番珍しい存在だがな」
世界広しと言えど、要請を飼っている人間は将を除いていないだろう。
将はインターネットに接続して、暇なときによく遊んでいた将棋ゲーム「将棋コロシアムX」にアカウント名「show time」でログインした。
将棋コロシアムXは全世界2800万人のユーザーを持つ世界最高の将棋ゲームだった。
将は本格的にはやっていないが、一応将棋連盟は、将棋コロシアムXの世界大会優勝者には、四段昇段の権限を与えており、硬式も認める将棋ゲームだった。
奨励会所属のガチ勢からアマチュアまで色々な者が参加できる。もしかしたら、プロ棋士も紛れているかもしれない。
将はとりあえず、フリークラスに入って適当な相手を探した。
将棋コロシアムXは段位制で、九段になった者だけが世界大会に参加できる。
その段位のランク対局で七番勝負を4度制すると、次の段位に上がることができる。
フリークラスは段位に関係なく誰でも参加できるカジュアル向けのクラスだった。
そこで、将は適当なアカウント名のものとマッチングした。
アカウント名「花子さん」
完全匿名制なので断言できないが、アカウント名からすると女性らしかった。
「まあ、花子さんですって。成仏できない幽霊でしょうか」
「よく知ってるな」
飛子は思いがけず地球の文化に対する造詣が深かった。
「まあ、適当に飛子マジックを使ってみるかな」
「了解。今なら飛び切りすごいマジックが使えると思います」
将は適当に指した。相手はどうせ素人だろうから、普段は指さない四間飛車の戦型を選択した。
「おっ、定跡に詳しいな。素人じゃないのか?」
将が四間飛車を選択すると、相手は36手目まで、最先端の定跡でついてきた。
「けっこうな熟練者か、あるいはソフト指しか」
将棋コロシアムXでは、ソフトを使った指し手を禁じていない。世界大会では、メーカーが用意したコンピュータで対戦するので不正は難しいが、カジュアルでは自由にソフトの手を指すことができる。
フリークラスは持ち時間もフリーなので、自由にソフトを使うことができる。
「将さん、飛子マジックチャージできました。いつでもいけますよ」
「もうちょっと待ってくれ」
将は自分の実力だけでしばらく指した。
将は途中で相手がソフト指しだということを断言した。
相手の手はすべてプロ級で、将は劣勢に追い込まれていった。将は腐っても、もと奨励会3段だ。こんなゲームのフリークラスに将より強い人はいないはず。
そんな将が手も足も出ないのだから、相手はコンピュータソフトが推奨する手を指しているということになる。
「しかし、ソフト指しってのはどういう神経してるんだろうか。こんなところでソフトで勝ったって、何のメリットもないのにな」
将はこんなゲームごときでソフトを使ってまで勝とうとする人の気が知れなかった。
「ま、かく言うおれはインチキマジックを使うわけだから人のことは言えんが。せいぜい泡吹いて倒れるんだな、ソフト指しめ」
将はそう言うと、振り返った。
「飛子、飛子マジックだ。いま必死をかけられているが、ここから逆転させてくれ」
「了解しました。では行きます」
飛子はメガネを外した。メガネを外すと、飛子はドジっ子から女王様のような風格に変化する。その風格から飛子マジックは繰り出される。
「主、飛子マジック「火竜降臨」が解放された」
「火竜降臨? 前回の飛車の覚醒とは違うのか?」
「聞け、主。火竜をいま主の駒台に発生させる。火竜は打つと同時に、竜の利きの範囲内にある相手の駒1つを取ることができる」
「……」
将は自分の駒台に目をやった。
駒台は将棋コロシアムXのプログラムである。そんなものにどうやって干渉するのかと思ったら、将のあたりが赤いもやに包まれた。
すると、たしかに駒台に赤く輝く謎の駒が出現した。たしかにプログラムされた駒台の中に駒が出現した。
「主、それが火竜だ。それを打てば、その利きの範囲内にある相手の駒を取ることができ、火竜はその場にとどまることができる」
「つまり、動かさず駒を取れるということか?」
それは飛車の覚醒に負けない大きなアドバンテージであり、相手からするとめちゃくちゃなインチキだった。
「火竜はその後、竜と同じ動きができ、また火竜が取られても、相手の駒台に移動することはなく消滅する」
「それは至れり尽くせりのインチキだな」
将は現れた火竜をマウスでクリックしてみた。すると、それを打つことができた。
将はいま必死の要となっている相手の角を取るために、4九に火竜を打った。
打ったら手番を相手に渡すことなく、利きの範囲内にある相手の駒を取れる。そこで、将は相手の打った角を取った。
これで必死は逃れ、逆に相手の玉に詰めろがかかった。
詰めろ逃れの詰めろというのはあるが、必死逃れの詰めろは飛子マジックならではの造語だった。
本来、相手からすると必死だからこそ、受けを無視して攻めに来ていた。しかし、飛子マジックでそのはしごが外された。
相手は長考に入った。
将は火竜が棋譜にどのように書き込まれたか気になって、棋譜を確認してみた。すると、「△4九火、△7九火(角)」という見たこともない表記で表されていた。
この世の概念をすべて覆す謎の棋譜が誕生した瞬間だった。
長考の末、相手は受けの手を指してきたが、将は手に入れた角を使い、詰めろ詰めろで相手の玉を追い詰めていった。すると、相手は投了した。
「見事な勝利だ、主」
「まあ、飛子マジックを使えば誰でも勝てるからな」
正直、嬉しさはない。ソフト級の相手に勝ったとはいえ、それは飛子マジックという超ソフトの力によるものでしかないからだ。
「ところで、飛子。メガネを取るとなぜ性格が変わるんだ?」
「飛車は成ると竜になる。角は馬に、歩はと金となる、そういうことである」
「わかったようなわからなかったような」
将はそう言って、将棋ウォーズを閉じた。
その後、マジックで疲弊した飛子の夜食のために1万円を使うことになった。