夜の首都高速を照らす橙色の明かりは、ウイニングライブの照明を思い出させる。その光が窓からわずかに差し込む車内は、まるで薄暗がりの舞台袖。そんなトレーナーが運転する車の後部座席で、あたしたちは襲い来る睡魔と戦っていた。正確に言えば、二列目に座った二人はすでに負けている。クラウンセボンと、レイアクレセント。ついさっきまでウイニングライブの曲を楽しそうに口ずさんでいたはずの二人が、いまはもうそろって眠りの中にいる。かくいうあたしも、瞼が重い。渋滞でなかなか動かない車から伝わってくるエンジンの微妙な揺れは、最後列でまどろむあたしの眠気を加速させてくる。
「ルピナス、眠いなら無理しないで、寝てていいよ。着いたら起こしてあげるから」
トレーナーはそう言ってくれるけど、なんとなく、もう少し寝ないで、このぼんやりした時間を過ごしていたい気分だった。
本当に、色々なことがあった一日だった。初めて同級生と一緒に来たレース場。次々と予想を的中させていく友達。いままでのあたしでは気付けなかったようなことをたくさん発見できた皐月賞。そして、圧巻のウイニングライブ。こんなに充実した日曜日なんて、久しくなかった。
「ホープ、今日はどうだった?」
眠くて仕方がないのを紛らわそうと、あたしは隣の席のルームメイトに話しかけた。どうせ大した感想は返ってこないだろうけれど、それでも彼女にとって初めての現地観戦。話しかけていい理由にはなるだろう。そう思った。
「うん。まあ、面白かったよ」
ほんとかよ、と言いたくなるくらい、淡々とした答え。窓の外を眺めたまま、こちらに見向きもしない。けれどあたしの身体にはもう、それを咎めるだけのエネルギーは残っていなかった。
「よかった。ボンが喜ぶ」
それだけ言って、反対側の窓へと視線を逸らして、またぼんやりとした時間に戻ろうとした。
「トゥインクル・シリーズってさ」
「え?」
声がしたので振り向くと、ホープアンドプレイは相変わらず窓の外へ顔を向けている。そしてそのままの姿勢で、独り言のように言葉を続けた。
「人によって全然違うんだね。当たり前だけど」
そのセリフには聞き覚えがあった。そう、たしか皐月賞のレースが終わった直後。あのときも、同じような言葉を呟いていた。
「何の話?」
あたしのその質問には答えず、彼女はやっぱり独り言みたいに続けた。
「あの第5レースの子にとっては、今日は皐月賞の日じゃなかったんだ」
第5レース? そう言われても、あたしはもう、第5レースが何だったかなんて覚えていない。車内の小さなライトをつけて、今日のパンフレットを見返す。第5Rと書かれた欄には「クラシック級1勝クラス」の文字が並んでいた。
「あ……」
そこであたしはようやく、その言葉の意味が分かった。
「そう、だね」
息が詰まった。皐月賞を走るチャンスは、一生に一度しか訪れない。クラシック級の四月、その一日だけ。何百人といる同期たちの中で、そこへ出走できるのは、出走登録した者の中で成績上位のわずか18人。そのタイミングを逃せば、皐月賞への出走は永久に叶わない夢となる。そんなことは制度的には常識の話で、もちろんあたしだって理解していたはず。でも、改めてそう言われてみると、疲れたあたしの頭の中に、色々な考えが巡りだした。
もう名前も覚えていないあの第5レースの勝者は、そのわずか四時間後に自分とは比べ物にならないほどの大喝采を浴びる同期の姿を見て、何を感じただろう。自分たちが歌えなかった『winning the soul』を歌う同期たちを、袖からどんな思いで見つめていたんだろう。……その先を考えるのはもうやめにした。これ以上は、いまのあたしには耐えられそうもない。肉体的にも、精神的にも。
そんなあたしとは違って、ホープアンドプレイの横顔には、うっすらと笑みが浮かんでいた。
「わかりやすくって、いいよ。余計なことを考えなくて済む」
確かにそうだ。勝ち上がればスター、勝ち上がれなければ日陰者。スターは愛され、あるいは貶され、良くも悪くも話題を集める。そうでない者たちは、話題に上ることすらない。輝きたければ、勝てばいいんだ。レースの世界の評価は、それがすべて。実にわかりやすいじゃないか……なんて、簡単に割り切れたらいいのだけれど。
「あたしはむしろ、余計なことを考えて、怖くなっちゃうよ」
勝ちたい。勝ち上がりたい。その欲の炎はあたしの中にいつも燃えている。それは応援してくれた両親のため。ヒト生まれだからとあたしを軽んじたやつらを見返すため。だからこそ怖い。レースの世界で、自分はいったいどうなっていくのか。
「ホープは、怖くならないの?」
「ちっとも。先のことを不安がるなんて、ボクには何の意味もないことだから」
それは強がりでもなんでもなく、本心から出た言葉に聞こえた。あたしは反論しなかった。あたしだって、ホープアンドプレイの言うことが正しいってことくらい、わかっている。わかっていても考えてしまう。それがあたしの弱いところだ。
本当に、あたしたちはまるで違う。選抜レースのときもそうだった。ホープアンドプレイは余計なことを考えない。くよくよ悩んだり、あれこれ文句をつけたりもしない。全部、あたしとはまるで正反対だ。同じヒト生まれなのに、どうしてここまで違うのか。
「強いね。ホープは」
思ったことが、つい口から出た。言ってしまってから、あまりにも子供じみたセリフだったと思って、恥ずかしくなった。なにか言い直した方がいいかも、と思っていると、クックッと喉を鳴らすような声が聞こえてきた。見ると、ホープアンドプレイがおかしくてたまらないという風に声を押し殺して笑っている。あまり感情を露わにしない彼女のこんな姿を見たのは、はじめてだった。
「クラウンセボンが言ったとおりだね」
「どういうこと?」
「キミは
どこか小バカにしたような物言い。でも、どうしてか気分は悪くなかった。見ているものは全然違うあたしたちだけれど、その心の距離は少しだけ近づいたような気がしたから。
その日、そこから先のことはあまり覚えていない。
春のトレセン学園は、時間の進みが早い。皐月賞が終わったと思ったら、すぐに春のファン感謝祭や新入生歓迎会といった学内イベントがやってくる。そして、落ち着く暇もないまま、すぐに天皇賞が始まる。そのあとには、トゥインクル・シリーズ最大のイベント、日本ダービーも控えている。おかげで学園は毎日がスプリント
「ところで、そろそろ五人目のメンバーは見つからないものでしょうか」
ある日のトレーニング後、チームのロッカールームでレイアクレセントがぽつりとそう漏らした。
「いやあ、厳しいよ。あたしも色々声掛けはしてるんだけど、やっぱり例の事件のせいで、みんな引いちゃうんだよね」
あたしの返事に、クラウンセボンも頷いた。
チームプルートのメンバーは、現在あたしを入れて四人。トゥインクル・シリーズへ正式に出走登録するには、最低でもあとひとり、メンバーが必要になる。あたしたちは全員まだデビュー期を迎えていないとはいえ、そろそろ頭数を揃えておきたいところだった。でも、それは簡単なことじゃない。実際、あたしたちがアタックした限りでは、ただのひとりもまともに話を聞いてくれない状況だった。
「トレーナーさんはどう考えてるんだろう」
クラウンセボンは不安そうに言った。確かに、チームに加入して以来、トレーナーからはこの問題について話を聞いたことがない。あのトレーナーのことだから、なにか考えはあるんだろうとは思うけれど、ここまで何の
「今日この後、聞きに行ってみるか」
「じゃあ、私も行くよ。クレセントさんは?」
「私もご一緒します」
「ホープちゃんは?」
「ん、行く」
そういうことになった。着替えを済ませた後、あたしたちはぞろぞろと連れ立ってトレーナー室へと向かう。皐月賞以来、こういう時の結束が強まったような気がする。
「トレーナー? ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
気が急いていたあたしは、トレーナー室に着くなりノックもせずに勢い良く扉を開けた。いつもなら、入口の正面にある大きなデスクにトレーナーの姿が見えるはずだった。
「……あれ?」
ところが、今日は様子が違った。
部屋の中にはトレーナーは見当たらず、代わりに来客用のソファに、初めて見る若い男の人が座っていた。部屋を間違えたかと思って、扉に貼ってあるネームプレートを確認するも、そこにはちゃんとうちのトレーナーの名前が「河沼ナギサ」と印字されている。
「あ、アンタたち、誰!?」
予想外のことに、つい乱暴な言い方になってしまった。他のみんなも戸惑っている。
男の人の方は慌てた様子もなく、すっと立ち上がり、穏やかな声で言った。
「もしかして、ナギ……河沼さんが担当している子たちですか?」
あたしがそうだと答えると、男の人は丁寧に会釈をしながら、挨拶してきた。
「僕は岡島といいます。河沼さんの同期で、いまはチーム〈デネブ〉でサブトレーナーをしているんですけど……」
岡島と名乗った男の人の胸には、トレーナーバッジがついている。どうやらトレセン学園のトレーナーであることは間違いないようだ。
「私たちのトレーナーさんは、あなた様がここへいらしていること、ご存じなのですか」
レイアクレセントが一歩前に出て、落ち着いた調子で尋ねる。さすがはレイア家のお嬢様、初めて見る大人に対しても物怖じする様子がない。
「ええ。伝えてはあります。彼女、いろいろと忙しいみたいで。僕たちは、ここで待つようにと言われていたんです」
「そうですか……」
そう言って、レイアクレセントはあたしたちの方をちらりと見た。トレーナーから待つように言われてるってことは、この人たちはトレーナーに用事があって来てるってことだ。となると、あたしたちは出直した方がいいのかな。
「ねえ、ルピナスちゃん」
そこへ、クラウンセボンが小声であたしの脇を小突いた。
「なに」
「あの子、私たちと同じB組の子じゃない?」
「え?」
言われてはじめて気づいた。岡島トレーナーの後ろにもうひとり、鹿毛のウマ娘が隠れるようにして立っている。知らない人が現れたことに気を取られていたせいで、全然見えていなかった。
「ねえ、そうだよね」
そのままクラウンセボンは、その鹿毛のウマ娘へ話しかけた。
「あなた、B組だよね。私たちとクラスは違うけど」
「は、はい」
鹿毛のウマ娘は蚊の鳴くような小さな声で返事した。不安げなその顔は、いまにも泣き出しそうな雰囲気だった。
「ボン、知ってる子なの?」
同期らしいけど、あたしには見覚えのない子だった。確認すると、レイアクレセントも知らないらしい。
「だってこの子、この間の選抜レース出てたもん。それに、栗東の子だし」
「あ、なるほどね」
どうやらこの子はクラウンセボンと同じ栗東寮の生徒らしい。美浦寮のあたしじゃ面識がないわけだ。生徒数の多いトレセン学園では、こうしたことは珍しくない。授業のクラスメイトでもない場合、寮かチームで同じ所に所属していないとなかなか顔を合わせることもないからだ。
それよりも、選抜レースに出ていた子というのが気になった。つい先日、今年度最初の選抜レースが行われたばかり。そこへ出走したということだろうか。その日あたしは、すでにチームに所属している自分には関係ないと思って、プールトレーニングに行っていたものだから、全然把握していなかった。
「で、その……岡島さん、でしたっけ。岡島さんたちは、どういう用件でここへ?」
あたしは話を戻して、目の前の男性トレーナーに尋ねた。実際のところ、よそのチームのサブトレーナーがウマ娘を連れてやってくる理由というと、なんとなく想像がつく。要はレイアフォーミュラのときと同じだ。大方、模擬レースの申し込みか何かだと思った。
「ええと、それがちょっと複雑で。できれば、皆さんのトレーナーが戻って来てからお話ししたいなと」
岡島トレーナーは困ったような表情でそう答えた。
「でしたら、お茶など淹れましょう」
レイアクレセントがそう言って、電気ポットのスイッチを入れながら、ふたりの客人をもう一度ソファへと促した。
「あ、じゃああたしにも」
「ルピナスさんはご自分でどうぞ」
「そう言わないで。クレセントが淹れてくれる紅茶は最高なんだから」
「おだててもダメです。『自分でやるのが面倒くさい』って、顔に書いてありますよ」
ちくしょう、バレたか。
「ところで、あなたお名前は?」
手際よく紅茶の用意を進めつつ、レイアクレセントは自分と同じ鹿毛のウマ娘に尋ねた。
「え、あ、その……」
鹿毛の子は岡島トレーナーの隣で、身を縮めている。緊張しているだけかもしれないけど、かなり臆病な子のようだ。口数の少なさはホープアンドプレイに似ているけれど、タイプはちょっと違うみたい。質問には、声が出せないでいる本人に代わって、岡島トレーナーが答えてくれた。
「この子は、テンダーライトといいます。ちょっと内気ですけど、とても良い子ですよ」
「この間の選抜レース、好走してましたよね」
クラウンセボンが笑顔で相槌をうった。
「ええ。あのメンバーで4着に入りましたから、僕は十分だと思います」
「へえ……」
出走したこともないあたしには、それがどれくらいのことなのか、実感がわかない。けれど、のちのGⅠウマ娘でも選抜レースでは1着を逃したという話もよく聞くので、入着だけでも立派なことだというのはわかる。
と、そこへ待ち人がやって来た。
「ガクお待たせ……ってあれ、あなたたち来てたの」
あたしたちを見て、トレーナーは一瞬不意を突かれたような顔をしたけれど、すぐに「ま、ちょうどいいか」と言って、腕に抱えた資料をどさりと仕事用のデスクに置いた。かなり急いで来たらしく、軽く息を切らしている。
「どうぞ」
トレーナーがソファに腰かけたところで、ちょうどお茶が入ったらしく、レイアクレセントが応接テーブルの上にティーカップを並べていく。客人のふたりと、トレーナー、それから、クラウンセボンとあたしの前に。ホープアンドプレイは、客人の方よりもトレーナーが持ってきた資料の方が気になるようで、デスクに置かれたそれをペラペラとめくっている。
「で、その子ね。メールで言ってた子」
連れてこられた鹿毛の子を見て、トレーナーは早速という感じで切り出した。
「ガクが担当になる
そう言われたとたん、相手方のふたりは表情を曇らせた。ガク、というのは多分岡島トレーナーのことだろう。いや、そんなことよりも、だ。
「はずだった?」
意外な言葉に、思わず口を挟んでしまった。てっきりこの子は岡島トレーナーの担当の子だと思っていたからだ。見れば流しの片づけをしていたレイアクレセントも、手を止めてこちらに目を送っている。
岡島トレーナーは、頭をかきながら乾いた笑いを漏らした。
「いやあ、僕が情けないせいで」
「違うでしょ」
トレーナーは自嘲する同期の言葉を遮った。
「みんなには私から説明する。いい?」
有無を言わせぬ雰囲気のトレーナーに、岡島トレーナーは力なく頷いた。どこまで聞いたのかと問われたので、岡島トレーナーの名と、連れてこられた鹿毛のウマ娘がテンダーライトという名前で、この前の選抜レースに出走した子だという話までと答えた。トレーナーはそれを聞くと「わかった」と言って、深呼吸をひとつした。あんまり明るい話じゃなさそうだというのが、なんとなく予想できた。
「さっきも言った通り、テンダーライトはもともと、ガクが担当になるはずだったの。選抜レースでスカウトして、契約書も交わしてた。ガクにとっては、初めての専属担当になるはずだった。……だけど、それが白紙にされたの。本人が望んだわけでもないのにね」
「えっ、どうして!」
つい声が大きくなった。ウマ娘にとって、担当契約が白紙にされるなんてひどい話だ。それなりの理由がなくちゃ、納得できない。
「それは、ガクが所属してる〈デネブ〉のチーフトレーナーに、担当ウマ娘の指定を出されたから。早い話『テンダーライトの担当を辞めて、別の子を担当しろ』って言われたってこと」
「ひどい! そんな勝手なこと許されるの?」
なんてことだろう。自分のことでもないのに、あたしは怒りで真っ赤になった。こんな話、ウマ娘にとっても、トレーナーにとっても不幸になるだけだ。そのチーフトレーナーとかいうやつを今すぐにでも蹴り飛ばしてやりたい気分になった。
すると、そんなあたしを
「ルピナスさん、こういうことは、大きなチームではよくある話です」
トレーナーも頷いた。
「サブトレーナーであるガクは、チーフトレーナーの指示に従わなきゃならない。チーフとサブの関係は、師弟関係と同じだからね。チーフにはチーフで、ガクをトレーナーとして成長させたいと思ってる。大事に思っているからこそ、これだと思う子を担当させたい。その気持ちに悪気はないはずだよ」
「だけど!」
「ルピナスの気持ちはわかる。ガクだって、何の不満もないわけじゃない。そうでしょ?」
岡島トレーナーはうつむいたまま、さっきのテンダーライトのように、小さな小さな声で、絞り出すように言った。
「……僕は、チーフを信頼してる。この業界になんの縁もなかった僕を世話してくれた恩もある。だけど……僕はともかく、この子のことを思うと、正直、つらい」
彼を見つめるテンダーライトの目には、光るものがあった。この契約は、彼女にとって重いものだったはずだ。だっていまはもう、B組の、五月なのだから。夏になれば同期たちがデビューを始める。選抜レースへの出走だって、タイムリミットを感じながらのものだっただろうに。
「だったら、そのチーフが、テンダーライトの担当になってやればよかったのに」
あたしのその呟きには、だれも答えなかった。それがなによりの答えだった。つまり、テンダーライトはデネブから「いらない」と言われたってことだ。
「で、なんで私のところへ?」
「わかりきったこと、聞かないでくれよ」
トレーナーと岡島トレーナーは互いにそう言って、揃ってテンダーライトへ視線を移した。
「僕が担当できないなら、ナギサに頼みたいんだ」
それを聞いたあたしは、何がなんでも首を縦に振るべきだと思った。テンダーライトにとっても、あたしたちにとっても、こんなに良いことはない。
けれどトレーナーは、あたしにもそうしたように、慎重だった。
「本人はそれでいいって? うちのチームがどういうチームか、知ってて言ってるんだよね?」
後ろでプッとホープアンドプレイが吹き出すのが聞こえた。あたしも「そこに所属してるあたしたちの前で何言ってんだ」とは思ったけれど、こういう人だから、かえって信頼できるんだとも思った。それに、あたしたちはみんな、悪評上等の覚悟で入って来てる。テンダーライトにも、それくらいの気構えは必要なのかもしれない。
「僕から言って聞かせたよ。ナギサは優秀で、信頼できるトレーナーだって。同期の僕が言うんだから、間違いないって」
「納得してる?」
この問いはテンダーライトに尋ねたものだった。内気な鹿毛の少女は、きょろきょろと目を泳がせて、ためらいがちに頷いた。
「こっちを見なさい」
トレーナーは珍しく厳しい口調で言った。テンダーライトはビクりと身を震わせて、おどおどしながら言うとおりにした。
「ひとつだけ聞かせて。あなたは、トゥインクル・シリーズで走りたい?」
テンダーライトは、今度ははっきりと頷いた。
「なら、話は簡単。あなたをスカウトしたい。是非、うちのチームに入ってほしい」
あまりにあっさりした回答に、テンダーライトの顔は明らかに戸惑っている。あたしは心の中で「うんと言え、入りますと言え」と念じていた。するとそこへ、クラウンセボンが静かに口を開いた。
「ルピナスちゃん、私たち、帰ろうか」
「ええっ、こんないいところで」
もう一度、ホープアンドプレイが吹き出すのが聞こえた。
「この後は、トレーナーさんたちに任せた方がいいと思う」
クラウンセボンの声は真剣そのものだった。こういうときは大抵、正しいことを言っているときだ。名残惜しいけれど、あたしは素直に従うことにした。
手早く挨拶を済ませて、逃げるようにトレーナー室を後にする。帰る道々、あたしたちの話題はやっぱりあのテンダーライトのことばかりだった。
「どうなっただろうね、あの子」
「私たちとしては、入っていただけるととてもありがたいのですけれどね」
「それにしてもルピナスちゃん、露骨に入らせようとしすぎ」
「だってあんまりかわいそうだったから」
「うちに入らせる方がかわいそうかもよ」
「ホープちゃん、そういうこと言わないの!」
「そういえばトレーナーも、うちのチームヤバいみたいなこと言ってたもんね」
「もう、ルピナスちゃんまで何言ってんの!」
ムキになるクラウンセボンが可愛くてつい軽口を叩いてしまったけれど、チームメイトたちを見ながら、あたしは妙に感傷的な気分になっていた。
走らないと言われ続けたヒト生まれ、自分だけがスカウトされるのを拒否した、ヒト生まれの友だち、同じ家の子と比べられるのが嫌で名門を飛び出したお嬢様、本心をなかなか明かさない謎だらけの編入生。そして、不祥事を起こしたチームの後を継がされた若いトレーナー。あたしたちはみんな、屈折と傷だらけだ。ここにまたひとり、違う傷を持った子が入ってくるかもしれない。
「……トゥインクル・シリーズは、人によって全然違うね」
皐月賞の夜、同じヒト生まれのルームメイトが言ったその言葉が、口をついて出た。
「え、なに? ルピナスちゃん何か言った?」
こちらへ振り向くクラウンセボンに、あたしは何でもないと言った。
――勝ちたいな、みんなで。
胸の奥が、ちりちりと熱くなるのを感じていた。
登場人物-No.08【岡島ガク】
職業 トレセン学園トレーナー
身長 168cm/体重 増減なし
河沼ナギサと同期のトレーナー。23歳。チーム〈デネブ〉のサブトレーナーをしている。トレーナー養成所時代の成績はトップクラスで、ウマ娘たちからも信頼されているが、家系にウマ娘関係の仕事をしている者がいないため、人脈に乏しい。