ストレイガールズ   作:嘉月なを

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#14-耳をすまして

 出だしこそ躓いたものの、それからのあたしたちの合宿は順調に進んだ。半月も経った頃には新しい環境にも順応して、合宿生活を楽しむ余裕が生まれ始めていた。当然、トレーニングはハードだったけれど、それもみんなと一緒なら乗り越えられる。夜になればみんなで一緒にご飯を食べたり、遊んだり、夏休みの宿題をしたり。そんな生活は、普段ふたつの寮に分かれているあたしたちにとって、毎日特別だった。

 

「ルピナスさん、お塩を取ってくださいますか」

「はいよー」

 

 合宿所での食事は、チームのみんなが交代で行うことになっている。トレーナーが「身体づくりのための食事も、自分たちで管理できるように」と言ったので、そうすることになった。今日は、レイアクレセントとあたしが料理当番の日。内心あたしはラッキーだと思っていた。なぜって、前回レイアクレセントが当番になったときの腕前を覚えていたからだ。彼女はチーム一のお料理上手。なら、あたしは余計なことをせずに、横でちょっとした雑用をしていればいい。

 

「味を見てください。いかがですか」

「――うん、おいしい」

 

 そうこうしているうちに、レイアクレセント特製のポトフが出来上がった。練習場の近くで見つけたパン屋のフランスパンも、オーブントースターの中で香ばしい匂いを立てている。

 

「ルピナス、クレセントにばっかりやらせないでよ」

「酷いこと言うなあ。あたしだってまな板洗ったり、調味料取ったり、味見したりしたよ」

 

 トレーナーの注文に屁理屈で言い返すと、トレーナーはアハハと笑って、それ以上何も言わなかった。

 そう。料理はなにも食材を扱うことだけが全てじゃない。準備や片付けだって、料理のうちだ。……なんて、母さんがよく言っていたことを言い訳にしつつ、あたしは夕食の配膳に(いそ)しんだ。

 

「最高! クレセントさん、将来レストランのシェフになれるんじゃない?」

 

 いただきますを唱えて一口食べた途端、クラウンセボンはそう言って手を叩いた。他のみんなも、チームメイトの見事な仕事に舌を巻いている。

 

「レイア家の子たちって、料理とかも教わるの?」

 

 良家の教育は厳しそうだな、と思いながらあたしは尋ねた。

 

「いえ、そういうわけではありません。とにかくレースひと筋の子が多いですから。フォーミュラなどを見ればわかりますでしょう?」

「ああ、うん。わかる」

 

 確かに、同じレイア家でもレイアフォーミュラの方は、レース以外のことにまるで興味がないように思える。教室でも授業中はほとんど寝ているし、口を開けばレースの話しかしない彼女だ。あれにレイアクレセントのような料理の腕前があるとは思えなかった。

 

「でも、それならどうしてこんなに上手になったの? クレセントなら、自分でやらなくたって、いくらでもおいしいものは食べられるでしょ?」

 

 すると、レイアクレセントは口元に手を当てて、こらえるように笑った。

 

「ふふ、確かに、そういう考え方もあるかもしれませんね」

 

 それからレイアクレセントは、どこか恥ずかしがるように言葉を選びながら、その腕前のわけを教えてくれた。

 

(おっしゃ)るように、レイア家のウマ娘は自分で料理する機会などありませんし、求められることもありません。身の回りのことはすべて、良いようにあつらえてくださる方がいらっしゃいますから。ですが、だからこそ私はやってみたくなったんです。なんだか、子供っぽい理由ですけれど。つまりその、他の子とは違うことがしたくて」

 

 親族はいい顔をしなかったという。それを聞いて、あたしは少なからず憤慨した。彼女がうちのチームへ移籍するといった時に、トレセン学園まで乗り込んできたあの人のことを思い出したからだ。娘がやりたいということを、あれこれ理由をつけて制限するなんて。そう思った。

 けれど、当の本人は納得しているらしかった。

 

「考えてみれば当たり前のことなのです。私がそれをするということは、家付きの料理人から仕事を奪うということですから。そんなことも考えず、私は無理を言って、彼らから手ほどきを受けたのです。彼らも内心、なんて迷惑なと思っていたでしょうけど」

 

 あたしは目からうろこが落ちる思いだった。そうか、そういう考え方もあるんだ。他人の仕事を取らないために、あえて手を出さないようにする。大きなお屋敷の人たちは、そんなことまで考えて生活をしているんだ。あたしには全くない発想だった。

 

「でも、おかげで私たちは、この合宿でおいしいごはんを食べられてるんだから、結果オーライだよ」

 

 ポトフをおかわりしながら、クラウンセボンがそう言った。その意見にはあたしも大賛成だと付け加えると、レイアクレセントは嬉しそうに微笑んだ。

 クラウンセボンは続けて、みんなに向けて提案した。

 

「ねえ、だったらこの合宿中の食事当番、少し変えない? 全員で持ち回りにするんじゃなくて、クレセントさん以外のみんなが一人ずつ当番になって、当番になった子はクレセントさんからお料理を教わるっていうの」

「面白いじゃん。トレーナー、どう? それでもいい?」

 

 あたしが尋ねると、トレーナーは軽い調子で頷いた。

 

「いいよ。クレセントが面倒じゃなければ」

「私がお役に立てるなら、光栄です」

「なら、それでいいよ。順番はみんなで決めてね」

 

 やった、と声を上げて、クラウンセボンは三杯目のおかわりをよそった。

 

「クレセントさんは、私たちの料理の先生だね!」

「ということは、これからはルピナスさんにも、いままで以上に()()()()()()()()()()()()()()ことになりますね」

 

 レイアクレセントの声は穏やかだったけれど、どこか圧を感じる。これは鬼教官の予感だ。あたしは小さくなって「はーい、先生」と、わざとしおらしく返事を返した。

 

 

 

「ところでクレセント、料理の先生はいいとして、体調に変化はない?」

 

 夕食の片付けの後、トレーナーがそんな話を切り出した。レイアクレセントはきょとんとした顔で首をかしげた。

 

「特に、ありませんが……トレーナーさんは何かお感じになったのですか?」

 

 するとトレーナーは、バッグの中からタブレットを取りだして、何か操作すると、画面に目を落としたまま、真面目なトーンで話し始めた。

 

「ここへ来てから、みんなの身体のデータを毎日取らせてもらってるよね」

 

 あたしたちは頷いた。今回の合宿は高地トレーニング。体調管理には気をつけなければならないということで、トレーナーはあたしたちの身体の状態をこまめにチェックしている。毎日の検温と体重測定の他、トレーニング後には見たこともないいろいろな器具をとりつけられ、あれこれデータを取られている。何か変化があれば、トレーナーにはすぐわかるようになっていた。

 

「クレセントの数値の向上率が、ちょっと想定以上なんだ」

「つまり?」

 

 そんな小難しい言い方されてもわからない。わかるように言ってよ、と訴えながらあたしは聞き返した。

 

「つまり、思ったより早く良くなってるってこと。筋肉も、持久力も、すごいスピードで成長してる。それに、一週間前から体温も少しずつ高くなってる」

 

 トレーナーの言葉を受けて、あたしたちは全員レイアクレセントに目をやった。あたしにはあまり変わったように見えない。それでも、データにはもう表れているらしい。

 

「クレセント、トレーニングの時、これまでより長く走るのが楽になったり、スピードに乗るのが早くなったりした感じ、しない?」

「言われてみれば、というくらいですが……」

 

 レイアクレセント自身にはまだあまり自覚はないみたい。でも、あたしたちはみんな、この現象に心当たりがある。

 

「もしかして、本格化?」

 

 ぽつり、とこぼしたのは、クラウンセボンだった。

 

「んー、そうかもね」

 

 トレーナーも確証は持てないみたいだった。けれど、もともと本格化というのはハッキリと「この瞬間から始まった」なんてわかるものじゃない。身体が成長し、本番のレースで勝負できる状態へと変化していく。それは季節の変わり目みたいに曖昧なもので、引退するまで気付かない子もいるくらいだ。

 

「もしそうなら、お祝いしなくちゃ!」

 

 クラウンセボンは声を弾ませた。テンダーライトも、目を輝かせている。自分のことでないのに、あたしもなんだか嬉しくなった。なんとなく、あたしたちのチームで一番最初に本格化を迎えるのはレイアクレセントだと思っていたし、そうあるべきだとどこかで思っていたから。

 

「みなさん落ち着いてください。まだそうと決まったわけではありませんよ」

 

 顔を赤らめながら、レイアクレセントは照れくさそうに袖を握りしめた。

 

「テンダーちゃん、クレセントさんに一曲、弾いてあげてよ。私、一緒に歌うから」

「う、うん!」

 

 盛り上がったクラウンセボンたちは、その場で即興のセッションを始めた。

 

 ――夢のゲートひらいて 輝き目指して……

 

 あたしも一緒に口ずさみながら、ふと思った。レイアクレセントなら、この曲をステージの上で歌う日もそう遠くないだろう。それだけじゃない。きっと、もっと色んな曲を、センターで披露することになるに違いない。あたしは、夢が現実になる瞬間を、間近で見ることができるんだ。それは、どんなにか素晴らしいことだろう。

 合宿所の夜は、にぎやかに更けていく。テンダーライトの演奏に耳を傾け、クラウンセボンの歌声に拍手を送る。そんななかで、レイアクレセントの横顔は、どこか誇らしげに見えた。

 

 その日、あたしは布団に入ってから、今日一日のことを思い返していた。

 やっぱり一番印象的だったのは、レイアクレセントのこと。それと、料理の話になったときにクラウンセボンの言った言葉。

 

『クレセントさんは、私たちの料理の先生だね!』

 

 クラウンセボンらしい誉め言葉。その微笑ましさに、ふふっと笑いがこみあげてくる。レイアクレセントが料理の先生だとしたら、さしずめトレーナーは走りの先生か。なんて、くだらない考えも浮かんでくる。となると、夏休みの宿題であたしたちの面倒を見てくれるクラウンセボンは、勉強の先生。ヴァイオリンが弾けるテンダーライトは音楽の先生。音楽といえば、クラウンセボンは歌も上手だから、音楽の先生も兼任している。ホープアンドプレイは……先生っぽくはないけど、持久力向上を目指しているこの合宿では、あたしたちの中で目標になる存在だ。みんな、それぞれに得意なことがあって……と、そこまで考えたところで、ふと、もやもやした感情がわいてきた。

 

(じゃあ、あたしは?)

 

 いやいや、あたしだって瞬発力なら負けないし。模擬戦で一度、レイアクレセントにだって勝ったし。そう自分に言い聞かせてみたけれど、どうにも収まらなかった。それにみんな、ひとつだけが優れているわけじゃない。レイアクレセントだって、ホープアンドプレイだって勉強はできるし、クラウンセボンは歌もダンスも得意だし、テンダーライトはあたしと違って、おしゃべりで出しゃばりな性格じゃないし。あたしだけが、何にもいいところがないような気がしてくる。

 

(考えすぎだよ、やめなよ、そんなこと考えるの)

 

 わかってる、とあたしは自分で自分に答えた。そう、これはいつもの悪い癖。バカなあたしが考えなくていいことを考えてるだけ。自分でもわかってるじゃないか。

 

「うーん」

 

 言葉にならないもやもやが、そんな声になって出た。これじゃなかなか眠りにつけない。困ったな。明日は朝に散歩でもしようかと思っていたのに。

 そこへ、あたしの寝ているところから三つ離れた、入口そばのベッドから、低く静かな声が聞こえてきた。

 

「眠れないの」

 

 ホープアンドプレイの声だ。あたし以外は全員寝付いたと思っていたから、おどろいた。

 

「ごめん、起こした?」

「いや、別に」

 

 あたしたちは他のみんなが起きないように、ささやき声で言葉を交わした。ヒトの耳では聞き取れないような小さな声でも、あたしたちの耳なら聞き取れる。ちょっとしたテレパシーみたいだ。

 

「ボクも、今日は寝付けなかった」

「アンタも?」

「走り足らなかったのかも。明日はメニューをハードにしてもらおうかな」

 

 それを聞いたあたしは、胸がきゅっと痛くなった。

 

「あたし、このままでいいのかな」

 

 痛みはそんな弱気へと変わって、あたしの口をつく。

 

「何言ってんの」

「あたし、一番になれるものがないんだもん」

 

 すると、ホープアンドプレイは静かに身体を起こして、まっすぐあたしを見つめてきた。

 

「そんなこと考えてどうするのさ」

「考えたいなんて思ってないよ。考えちゃうの」

 

 あたしがそう言い返すと、ホープアンドプレイは足音もたてずにベッドをヒョイヒョイと飛び越えて、あたしの目の前までやってきた。そして、いきなりあたしの手をとると、ぐいと引っ張り上げてあたしを起き上がらせた。

 

「行こう。ここじゃみんなが邪魔だから」

「行こうって、どこへ?」

「外」

 

 あたしはそのまま手を引かれ、合宿所の外へと連れ出された。

 外は降るような星空だった。町から離れたここには街灯なんて無い。代わりに、今夜は月と星とが明るく辺りを照らしている。おかげで、あたしたちはお互いの顔がよく見えた。

 

「ホープ?」

「うん、よく聞こえる」

「は?」

 

 突然なんの話だろう。あたしが面食らっていると、ホープアンドプレイは片方の手で遠くの山を指差し、もう片方の手を自分の耳に当てて、言った。

 

「キミも聞いてごらんよ。あの山の向こうで、川の水の流れる音が聞こえるから」

 

 あたりは風の音がうるさくて、他に何にも聞こえる気がしない。あたしは半信半疑のまま、聞き耳を立ててみた。けれどやっぱり、川の音なんて聞こえなかった。

 

「聞こえないよ」

「もっと集中して。余計な音に惑わされないで」

 

 ホープアンドプレイの声色には、からかうような匂いがない。あたしはそれで、もう一度試してみる気になった。

 耳を大きくピンと立て、目を閉じて、わずかな音に集中する。近くで騒ぐ草の声を意識の中から追い出して、遥か遠くの川の声を探し出す。まるで水を求める野生の獣のように。

 すると、音の聞こえ方が変わった。音が混ざって雑音としか思えなかったものが、草のざわめきや、風のうなりのそれぞれの姿が手に取るようにわかる。それは初めての感覚だった。目を(つむ)っているのに、あたりに何があって、どんな形をしているのか、耳だけで感じとることができる。

 そして、ホープアンドプレイが指差していた山の向こう側からかすかな、本当にかすかな水の流れる音が、確かに聞こえてきた。音はあたしの耳を撫ぜて、その毛並みの一本一本を震わせていく。

 

「すごい……」

 

 あたしは思わずため息をついた。ウマ娘の耳は人間よりも敏感だと知ってはいたし、実際生まれてからこれまで何度もそれを実感してきた。けれど、こんなことまでできるだなんて、知らなかった。聴覚がどうのなんてものじゃない。本当に、魔法みたいだった。

 

「ボクのやり方も、悪くないでしょ」

「アンタのやり方?」

「聞きたくない音は捨てちゃって、聞きたい音だけを探し出す。そうすれば、怖いことや不安なんて、どこかへ押し流してしまえる」

 

 ホープアンドプレイはそう言うと、耳に当てていた手を下ろして、あたしの方へふり向いた。その表情は、いつも以上に大人びて見えた。

 

「アンタにも、怖いことがあるんだ」

「ついこないだ、散々ボクの恥ずかしいところを見ておいて、よく言うよ」

 

 言葉そのものは不満げだったけれど、その口調は穏やかだった。

 

「こないだのお返しだよ」

 

 ああ、そうか。あたしはようやく、これが彼女なりの「手当て」なんだと気付いた。ぶっきらぼうで、笑顔を見せることだってほとんどない。口を開けば冷たくて固い言葉ばかりが飛んでくる。そんな彼女だけれど、今日はなんだか柔らかで、丸い。あたしがセンチメンタルになりすぎているだけなのかもしれないけれど、そこには確かに優しさがあった。

 

「ありがとう」

 

 あたしは素直にお礼を言った。あたしをここへ連れ出した芦毛の少女は、月明かりの下で小さく肩をすくめる。その白くて短い髪が、ぼうっと浮かんだように光っていた。まるでおとぎ話の世界に出てくる天使みたい。そう思った。恥ずかしくて口には出さなかったけれど、きっと顔には出ていたはずだ。だって、あたしの顔を見たホープアンドプレイが、さっと目を逸らしたから。そして、小さな声でこう言ったからだ。

 

「恥ずかしいやつだな、キミは」

 

 だからあたしも言い返した。

 

「これでお互い様でしょ」 

 

 ホープアンドプレイは、そんなあたしの言葉をさらりとかわし、空を見上げて呟いた。

 

「星が綺麗だ」

「うん」

 

 あたしたちの間に、それ以上の言葉はもう必要なかった。

 あたしはひとりじゃない。きっと、大丈夫。少なくとも、いまこの瞬間だけはそう信じられた。

 

「眠くなって来ちゃった。あたし、寝るね」

「うん」

 

 寝室へと戻るときにつないだ手は、あの日の夜とは違って、とても温かかった。 

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