ストレイガールズ   作:嘉月なを

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#16-勝者の背中

 出走表が発表されて以来、あたしたちのチームには再び報道陣が押しかけていた。

 

「同じレイア家同士が同日デビューということで、注目を集めていますが、いかがでしょうか」

「やはり、両名揃ってのデビュー戦勝利を目指すということでしょうか」

「移籍したのは、こういう展開を見越してのこと?」

 

 レイアクレセントだけじゃなく、そのマイクはあたしたちにも容赦なく向けられていた。

 

「レイア家の子が移籍した時はどんな気持ちだった?」

「フォーミュラさんと模擬レースで勝負したことがあるみたいだけど、クレセントさんとどっちが強いと思う?」

 

 最初のうちはちょっとしたスターのような気分で、悪い気はしなかった。それでも、校舎間を移動する間にも付け回されるものだから、疲れてくる。もちろん、デビューする張本人には、あたしたち以上にメディアの目が集まっている。あたしは見ないようにしているけど、クラウンセボンによればSNSでの話題も二人のレイア家のことでもちきりらしい。

 

「話題性があるのは事実じゃん? クレセントとフォーミュラが同じ日にデビューするなんてさ」

 

 本番前日の調整が終わったあとの帰り道、あたしはクラウンセボンにそう言った。正直、もしもチームメイトじゃなかったら、きっと自分も他の野次ウマと同じように騒いでいただろう、と思う。だから、面倒くさいと思うことはあるものの、あたしはそれも仕方ないと割り切った気持ちでいた。

 

「でも、みんな勝手なこと言ってる。ふたりが示し合わせてデビュー日を揃えたんじゃないか、とか」

 

 クラウンセボンは口を尖らせたけれど、あたしは逆に笑ってしまった。確かに、偶然にしてはできすぎている。ただ、本当に偶然なんだからどうしようもない。あたしたちからすれば、意図的に揃えるなんて無理な話だと思うけれど、周りからすれば、意図的じゃなきゃ揃うわけがないと思っている。そのすれ違いが妙にツボにハマったのだった。

 

「笑ってる場合じゃないよ、ルピナスちゃん」

「ごめんごめん、いやあ、ヘンな話だなと思ってさ。アハハ」

 

 バカみたいに笑いが止まらなくなったあたしを、チームのみんなは呆れ顔で見つめていた。それでよかった。うまく言えないけれど、こういうときは、笑っているくらいが丁度いい。そんな気がした。

 

 

 レース当日の朝、あたしとホープアンドプレイはレイアクレセントの部屋まで彼女を迎えに行った。トレーナーの車に向かうまでの間、待ち構えているであろう取材陣からガードする役目を、トレーナーから言い付かっていたからだ。

 

「大丈夫? ストレス、溜まってない?」

「いいえ。あの子に比べれば、私のプレッシャーなんて大したことありませんもの」

「あー、まあ、たしかにすごいよね。デビュー戦に向けて、ずっと一人で調整してたなんて」

 

 レイアクレセントがあの子と呼んだのは、レイアフォーミュラのことだった。チームのチーフトレーナーを帯同させたまま合宿の最後に姿を消して以来、新学期が始まっても登校してこなかった彼女。その理由は、デビュー戦に向けて一人で特別な練習をしていたからだった。併走には地方のトレセン学園の子たちを使って、中央(あたしたち)に情報が漏れないよう、細心の注意を払っていたのだとか。その特別待遇ぶりには、絶対に負けられないという本気度がうかがえる。

 

「それだけ、あの子には背負っているものがあるということです」

 

 それは、どこか同情しているような感じに聞こえた。改めて考えてみると、彼女はレイアフォーミュラの二番手扱いされることにいら立つことはあった。それでも、レイアフォーミュラというウマ娘そのものに対しては、特段悪い感情を抱いているような素振りはみせたことがない。本人たちにとっては自然なことなのかもしれないけど、ちょっと不思議な関係だと思った。

 

「じゃあ、行こうか」

 

 それだけ言って、あたしたちはレイアクレセントを両側から挟むようにして寮を出た。追いかけてくる記者たちには「学園を通してくださーい」と叫んで、脚にものを言わせる。まるで三人四脚。ウマ娘が三人そろえば、振り切るなんて簡単だ。

 

「待ってください!」

「げっ、ウマ娘!?」

 

 あたしは自分の目を疑った。取材陣の中にウマ娘の若いスタッフがひとり混じっていて、あたしたちを猛然と追いかけて来たからだ。後ろの人間のスタッフからも「行けー!」なんて声が飛んでいる。こうして、朝からいきなり路上(ロード)レースが始まってしまった。

 

「うわっ、結構ちゃんとついてくる!」

「ルピナス、前見ろ前」

 

 ホープアンドプレイの声のおかげで、あたしはすんでのところで電柱に激突せずに済んだ。

 

「一言だけでもコメントください!」

「取材にウマ娘使うとか、反則でしょ!」

 

 どこの会社のスタッフか知らないけど、意外といい脚してる。もしかして、昔レースをしてたことあるのかな。そんなことを考えながら、あたしたちはトレーナーが待つ学園の駐車場へと駆けていった。

 ちなみに、この時に歩道を襲歩(ギャロップ)で走る危険行為を働いたということで、あたしたちはこの数日後、生徒会から罰掃除を言い渡されることになった。車道に出る余裕なんてなかったのに。あたしはひとつ、理不尽というものを学んだ。

 

 会場に入って、そわそわしているうちに、あっという間に正午前になった。いよいよ、レイアクレセントのデビュー戦の出走者紹介が始まる。チーム〈プルート〉一同パドックの正面に陣取って、その瞬間を待っていた。

 

「ねえ、まだかな」

 

 両手に抱えたにんじん焼きやソーセージにかぶりつきながら、クラウンセボンが退屈そうな声を上げた。時間的にはもうそろそろといったところ。周りには普通のメイクデビュー戦より明らかに多くの人が集まってきている。やっぱり、注目度はかなり高そうだ。

 

「というか、いつまで食べてんの」

「これで最後だから」

「それ、さっきも聞いたよ」

 

 クラウンセボンのおなかはもうはち切れんばかりに膨らんでいる。これで吐かないんだから大した胃袋だと改めて思う。

 

「私も最近本格化してきたから、エネルギーはたくさん取らないと。そうだよね、トレーナーさん」

 

 最近、いつもこんな調子だ。本格化を言い訳に、ただでさえ多い食事量をどんどん増やしている。見てるこっちが心配になるくらいだ。本格化を迎えるとみんな食欲は増すというけど、ここのところクラウンセボンは明らかに太め感が出ている。大概にしておかないと、大変だ。

 

「んー、ボンはエネルギー不足の心配はいらないかな。その辺でやめておきなさい」

「トレーナーも言ってるじゃん。あとで後悔するよ」

「ルピナス、あなたはもうちょっと食べないとね」

「あ、うん」

 

 ここぞとばかりに注意するあたしにも、トレーナーはきっちり釘を刺してきた。……まあ、食べ過ぎるのも問題だけど、食べな過ぎも問題だよね。あたしは油断するとすぐに体重が落ちてしまうから、食事に気を付けなきゃいけないというのは、ある意味同じだ。

 

「じゃあ、ルピナスちゃんには私の分あげるね! 早く本格化が来ますようにって!」

「ちょっとボン、無理やりよこさないでよ。ああ、待って待って、服が汚れる!」

「あっ! ごめん、テンダーちゃん! ケチャップそっちに飛んだでしょ」

「だ、大丈夫だよ、これくらい……」

「ほらあ、ボンが無理やり押し付けようとするから」

「うるっさいなあ、ちょっと静かにしてよ」

 

 騒いでいるうちに、とうとうホープアンドプレイが怒り出した。これは完全にあたしたちが悪い。あわてて謝りながらなだめていると、場内アナウンスが聞こえてきた。

 

『それでは第五競走、メイクデビュー中山、出走者のパドックです』

 

 わあっと歓声が上がった。枠順に従って、最内一番の子から順に現れ、ポーズを取っていく。どの子もかなりひきつった顔で、ピリピリしているのがわかる。中には歩いてくる間に躓いてしまう子もいた。多分、あたしもあの場に立ったら足がすくんでしまうだろう。これは人生の中で、大勢の観客の前に立つ最初のステージなのだから。ひょっとすると、ウイニングライブよりもナーバスになるかもしれない。

 

「次だ!」

 

 クラウンセボンが待ちきれないといった様子で手を叩くと、舞台の幕が開いて、あたしたちのチームメイトが姿を現した。

 

『七枠13番、レイアクレセント。一番人気です』

 

 いつも通りの落ち着いた表情で、まっすぐセンターまで歩いてきて、ゆっくりと一礼。あたしたちが手を振ってアピールすると、こちらに気づいた彼女は、優雅な仕草で手を振り返してくれた。そのまま舞台を下りて、パドックで準備運動をしている他の出走者たちの輪に加わった。その堂々とした立ち居振る舞いは、やっぱり独特の存在感を放っている。彼女がただのウマ娘じゃなく、名門レイア家の令嬢なんだということを、いま一度思い出させられる。

 

「クレセントさん、なんだか不安そう。大丈夫かな」

「え、そう?」

 

 だから、クラウンセボンのこぼした感想は意外だった。とてもそんな風には見えなかったからだ。ゆったりとしていて、むしろ、余裕たっぷりという感じに見えた。

 

「トレーナーもそう思う?」

 

 あたしの問いに、トレーナーは答えなかった。代わりに一言「地下バ道に行こうか」と言って、あたしたちをその場から連れ出した。

 レイアクレセントの枠順は、16人立ての七枠13番。このコースでは不利な外目の番号になったけれど、出走表を見る限り、レイアクレセントに死角はないように思える。人気投票では全体の半分以上の票を集めての一番人気。それも納得の出走メンバーだった。負けるかも、なんて想像できない。普通に走れば、普通に勝つ。そんな状況で、緊張することなんてあるんだろうか。

 

 地下バ道では、ほとんどの出走者が各自のトレーナーと最後の打ち合わせをしている。少し聞き耳を立てれば「今回は力試しだ」だの「とにかくやれるだけやろう」だの、はなからレイアクレセントを格上だと認めているような声があちこちから聞こえてくる。一番前向きなものでも「やってみるまでわからないんだから」というくらいだ。

 ほら、みんなレイアクレセントが勝つと思ってるんじゃないか。あたしがひとりで頷いていると、そこへ当の一番人気ご本人がやってきた。

 

「みなさん、来てくださったんですね」

 

 落ち着き払った声で、彼女は嬉しそうに微笑んだ。それを見て、あたしはホッとしていた。やっぱり、クラウンセボンの心配なんて、杞憂(きゆう)だったんだ。

 

「クレセント」

 

 やけに真剣な様子で、トレーナーはレイアクレセントの顔をじっと見つめた。

 

「トレーナーさん?」

「心配しないで。私たちは今日、あなたを見に来たの。他の子のおまけなんかじゃない。わかった?」

 

 そのとたん、レイアクレセントは目をハッと見開いた。

 

「……わかった?」

 

 トレーナーはもう一度、確かめるように尋ねた。

 

「ええ。わかりました」

 

 そう答えるレイアクレセントを見て、何かを確信したようにトレーナーは頬を緩めた。

 

「うん、いいね。いい顔になった。あなたは、プレッシャーを力に変えられる子」

 

 その言葉に、レイアクレセントはクスリと笑い声を漏らした。

 

「だって、宣言してしまいましたもの。トレーナーさんに、皆さんに、勝利をお届けするって」

「うん。信じてるよ」

 

 トレーナーの返事に、一番人気の彼女は満足したように息をひとつ吐いて、(しと)やかに一礼する。そして、コツコツと蹄鉄の音を高く響かせ本バ場へと歩み出していった。体操服にゼッケンという簡素な装いだったけれど、それは息を飲むほど美しく見えた。その美しさに見とれて、用意していた応援の声をかけるのを忘れてしまうほどに。

 

「トレーナーさん」

 

 ああ、もう行ってしまう、と思ったところで、レイアクレセントが不意にこちらへ振り向いた。

 

「――見ていてください。私を」

 

 強い意志のこもったその声に、トレーナーはただ一言「うん」と頷き答えた。

 

「ありがとうございます。……では、行ってまいります」

 

 そうして再び(きびす)を返した彼女の後ろ姿に、今度こそあたしは声援を送ることができた。

 

「行ってらっしゃい!」

 

 それに続いて、クラウンセボンやテンダーライトも、思い思いのエールを彼女へ届けた。ホープアンドプレイはただひとり声を出さず、けれどしっかりと見届けるように、あたしたちの誰よりも最後まで、その背中を見送っていた。

 

『さあ、中山レース場、本日注目のレースがいよいよ始まります。第5レース、メイクデビュー中山。芝、1600メートルです』

 

 場内アナウンスが響いて、大きな歓声が上がる。あたしたちは最前列からレイアクレセントの様子を見守った。

 ファンファーレが鳴って、ゲートインが始まる。13番、奇数番号のレイアクレセントは先入りだ。嫌がる素振りもなくゲートに収まり、静かに胸に手を当てて、その時を待っている。

 すると、トレーナーがおもむろに口を開いた。

 

「ボン、クレセントのこと、よくわかったね」

「えっ、あ、はい。なんだか、そんな気がしたんです」

 

 それは、クラウンセボンが、パドックでのレイアクレセントの様子を見たときに「不安そう」と言ったことについてだった。どうやら、トレーナーの見立てでも同じ感想だったらしい。クラウンセボンは、あたしの耳元で得意げに「褒められちゃった」と呟いた。つくづく、その観察眼には感心してしまう。同じものを見ていたはずなのに、あたしには余裕綽々な態度にしか見えなかったもの。

 

「クレセントは、私たちの前では弱いところを見せたがらない。いつでも余裕があって、落ち着いて見える。……私が体操をやっていたころも、周りに何人かそんな子がいた。強い子、期待されている子ほど、そういう風になりやすいの」

「それって、悪いことじゃないんですよね?」

「もちろん。だけど、そういう子が不安になったり、辛い思いをしたりしていることは、誰かが気付いてあげないといけない。自分からは、言い出せないから」

 

 二人の話を聞きながら、あたしはレイアクレセントがチームに入ってきた時のことを思い出していた。そういえばあの時も、彼女は移籍の理由や悩みをあたしたちには教えてくれなかった。たまたま立ち聞きしたおかげで知ることができただけだ。思えばあれ以来、彼女がその件で感情的になっているところは見たことがない。悩みは決して消えてなくなったわけではないはずなのに。

 

「ボン、トレーナーに必要なことって、なんだと思う?」

「トレーナーに必要なこと、ですか?」

「そう。……私はね、一番必要なのは『気付き』だと思うんだ。担当の子の状態、チームの状況、対戦相手のレベル、作戦……いろんな場面で『気付き』は求められる。私はいつも、気付けるトレーナーでありたい」

 

 トレーナーがどうしてそんな話をしているのか、それはわからなかった。でも、あたしたちがそうであるように、トレーナーもこのチームと一緒に成長しようとしているんだということはわかる。だからこそ、今日のレースにはとても重要な意味がある。もしかすると、感じているプレッシャーは、出走する本人以上のものがあるのかもしれない。

 そうこうしているうちに、最後の子がゲートに入った。いよいよ、出走の時間だ。ふと横を見ると、テンダーライトが手を合わせて祈るような格好で、目を閉じている。このレースにかける思いの強さは、みんな一緒だ。それがよくわかる。

 

「ねえ、ボン」

「なに? ルピナスちゃん」

「ボンの見立てでは、このレース、勝つのは誰?」

「それはもちろん……」

『スタートしました!』

 

 その続きが返ってくる前に、ゲートは開いた。とうとう、始まった。レイアクレセントの、あたしたち、チーム〈プルート〉の最初のレースだ。

 

『……圧倒的一番人気、レイアクレセントはここ、現在四番手の位置につけています……』

 

 レースは自然に流れて、事前にミーティングなどで想定していた通りに進んだ。外枠ということもあり、最内に入ることはできなかったようだけれど、レイアクレセントは前目につけ、先頭を視界に入れつつリズムよく追走している。

 

(あたしなら……)

 

 あたしはいつの間にか、自分だったらどこにいるだろう、と考え始めていた。

 レイアクレセントは、いま前から四人目。ラチ沿いを確保した子たちを避ける格好で、少し外側を回されている。これは想定の範囲内。この状況なら、あたしは多少後ろに下げてでも、内側で脚を溜めておきたい。ポジションとしては、十二、三番手あたり。ここなら少し前後に空間もあって、いざというときに外へ抜け出す余裕もありそうだ。とにかくその場所で、レイアクレセントよりも内を回りたい。最後の最後、脚色の差を決めるほんのちょっとの違いを出すために。

 

『……1000メートルの通過は60秒8。ややスローペースか。さあ、最終コーナーを回ってスタンド前の直線に向かっていきます……』

 

 しまった。思った以上にペースが遅い。たしか、中山レース場の1600メートルは、最終コーナーまでほとんど下り坂。本来スピードが出やすいはずなのに、このタイム。前に見た差し脚質だらけの皐月賞の時は、もっとわかりやすく遅いように見えたのに、今回は全然わからなかった。多分、色々な脚質の子が混じっていて、展開が複雑になっているからだ。これは、まずい。あたしにとっては、最悪の状況だ。

 

 ――つまりそれは、先行抜け出し型のレイアクレセントにとっては、最高の展開ということで。

 

『さあ、13番レイアクレセントが早くも抜け出す! 4番アンビシオンをあっという間にとらえて、抜けた抜けた! 後続との差は縮まらない! 二バ身、三バ身と開いて、そのまま一着でゴールイン! 最後はやや流し気味だったでしょうか。前評判に応えて、見事デビュー戦勝利を収めました!』

 

「やったー! ルピナスちゃん、やったね! クレセントさん、本当に勝っちゃった!」

 

 叫びながら、クラウンセボンはあたしに抱き着いてピョンピョン飛び跳ねた。

 

「うん、本当に、すごかった」

 

 あたしはその強さに圧倒されていた。イメージするまでもない。この流れでは、あたしは絶対に届かなかった。完敗だ。本格化がどうとかそんなものじゃなく、位置取りの時点で、あたしは負けていた。

 

「皆さん、勝ちましたよ」

 

 息をはずませ、レイアクレセントがあたしたちのところまでやって来た。うっすら汗の(にじ)んだその顔は、とても晴れやかだった。

 

「おかえり、クレセント」

 

 出迎えるトレーナーの声は、どこか震えていた。

 

「トレーナーさん、見ていてくれましたか?」

「うん。しっかりとね。……ありがとう」

 

 その答えに、レイアクレセントは目を閉じて、幸せそうなため息をついた。その音は、この勝利の重さを象徴するように心地よくあたしたちの耳にも届いた。

 

「クレセントさん! すごかったよ! 私感動しちゃったよ!」

「わ、私も!」

「クラウンさんも、テンダーさんも、応援ありがとうございました」

 

 涙を流さんばかりに喜んでいるふたりの横で、それとは対照的に、ホープアンドプレイは相変わらず感情を露わにせず立っていた。けれども、勝者と目が合った彼女は穏やかな表情で「おめでとう」と祝福の言葉を送る。それが彼女にとっては最大級の賛辞だということを、あたしたちはみんな心得ていた。

 

「ホープさんも、ありがとうございます」

 

 そこで初めて、ホープアンドプレイは照れくさそうに鼻をこすった。

 勝利を祝う言葉は言い尽くされてしまった。あたしは、何を言うべきだろう。考えを巡らせていると、不意にある言葉が浮かんだ。あたしはためらうことなく、それをそのまま口にした。

 

「負けたよ」

 

 その意味は、すぐに伝わったようだった。

 

「ええ、私も思いました。これなら、絶対に負けないって」

 

 あたしたちは互いに頷きあった。それで、あたしの祝福は十分だった。

 

「じゃあ、控室に行って、ウイニングライブまで少し休んで――」

 

 トレーナーがそう言いかけた、その時だった。

 

「おい、次のレースのパドックが終わっちゃうぞ」

「ああそうだった。メインはそっちだもんな」

「とりあえず、前振りは完璧だし、いい流れなんじゃないか? マジで見れるぞ。レイア家のメイクデビュー独占」

 

 口々にそう言いながら、スタンドを後にしていく観客たち。その光景は、ひと組やふた組だけのものじゃなかった。

 

「なに、それ……」

 

 あたしは二の句が継げなかった。勝者に対する態度として、それはとてもじゃないけど受け入れがたいものだった。

 

「そんな、まだクレセントさんがここにいるのに!」

 

 クラウンセボンは怒りのこもった声で叫んだ。あたしも同じ気持ちだった。許されるなら、全員の頭を蹴り飛ばしてやりたいくらい。

 百歩譲って、見たい子がいるからと早々に次のパドックへと向かってしまうのは、悪いことじゃない。あるいは、次がGⅠや重賞のような格上のレースだというのであれば、まだ理解できる。けれど、実際次に行われるレースは同格のメイクデビュー戦だ。それなのに、勝ったウマ娘が、まるで次のレースの前座であるかのような言い方をされるなんて。

 

「仕方ありませんよ。今日ここにいらした方の多くは、私ではなく、あの子を見に来たんですもの」

 

 いましがた勝ったばかりの令嬢は、(つと)めて気丈に振舞っていた。でも、あたしたちにはわかった。その手が、唇が、まるで敗者のように揺れている。この痛みは決して軽いものじゃない。

 

「控室、行こう」

 

 トレーナーはもう一度、さっきよりも少し強い口調で言った。

 控室は、出走者とそのトレーナーだけが入れる場所だ。あたしたちも廊下までついて行くと言ったけれど、トレーナーはそれを押し留めた。

 

「あなたたちは、次のレースをしっかり見ておきなさい」

 

 そうして、勝者の背中を支えながら、トレーナーはその場を後にしていった。

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