ストレイガールズ   作:嘉月なを

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#18-祝福

 便りのないのは良い便り、という言葉がある。遠く離れた親しい相手から連絡が来ないというのは、それだけ元気に楽しくやっている証拠。だから安心しなさい、という意味のことわざ。でも、こういう言葉って、たいてい近況報告をおろそかにするヤツの言い訳に使われてるよね。――あたしみたいな。

 遠征を終え、トレセン学園へと帰る新幹線の車内で、母さんから届いたLANEのメッセージを見たとき、あたしの頭に浮かんだのはそんなことだった。

 メッセージには、こう書かれていた。

 

『ボンちゃんのデビュー戦見たよ』

『暇ができたら、一度連絡くださいね』

 

 自分で言うのも変だけれど、あたしは本当に便りを出さないヤツだ。

 最後に母さんと話したのは、春休みに家に帰ったとき。トレーナー契約を結んだ報告をして、お祝いしてもらって。思えばそれ以降、ひとつも連絡を入れてなかった。だって忙しかったんだもの、なんて心の中で言い訳をしつつ、あたしは席を立ってデッキへと向かった。暇ができたら、なんて悠長なこと言ってられない。LANEを送れるということは、いま母さんは非番のはず。だったらいまのうちにやっておかないと。後回しにしたら、忘れちゃいそうな気がするから。

 

 デッキは思ったよりも静かだった。イヤホンマイクがいるかと思っていたけど、これなら必要ない。

 たった二回のコールで、母さんはすぐに電話に出てくれた。

 

『もしもし』

「母さん、あたし」

『ああ、元気そうだね。よかった』

 

 その反応を聞いて、あたしは謝らなきゃという気分になった。

 

「ごめん、全然連絡しないで」

『まあねえ、便りのないのは良い便りってことかな』

 

 それはさっき、あたしが思い出していた言葉。ああやっぱり、母さんはあたしの母さんだ。こんな些細(ささい)なことでも、それを感じさせてくれる。

 

「ボンのデビュー戦、見てくれたんだね」

『まあね。娘の大親友のデビュー戦だもの。仕事があったから、録画だけど』

 

 大親友、なんて言われるとちょっと照れくさい。でも、特に何も言わなかった。本当のことだし、それよりも気になっていたことがあるから。

 

「ボンのママは? そういえば会場に来てなかった」

『あれ、ボンちゃんから聞いてないの? 彼女、いま合唱コンクールが近いから毎日忙しいんだよ』

 

 クラウンセボンのママは、高校の音楽教師をしている。トレセン学園の入学式の時に、一度会ったことがある。クラウンセボンと同じ栗毛の、とても綺麗なウマ娘だった。

 それにしても、コンクールか。母さんによると、休日返上で指導に当たらなければならないらしい。あたしたちのトレーナーが、レースが近づいてくると忙しくなるのと一緒だ。そんなことになっていたなんて、全然聞いてなかった。

 

「あたしたち、お互いに母さんたちのことはあまり話さないから」

『そう。変な気を使ってんじゃないならいいんだけどね』

「そういうんじゃないから大丈夫」

 

 ヒト生まれでも、ウマ娘生まれでも、親の話はなんとなく気恥ずかしいものだから。

 

『こっちはあんたたち娘の話ばかりしてるよ。ボンちゃんはちょくちょく連絡してくれるってママさん言ってたけど、あんたは全然くれないから、ボンちゃんからママさん経由でいろいろ聞かせてもらってさ』

「うわ、マジで? やめてよ恥ずかしいから」

『そう思うなら、たまには連絡寄こしなさい』

 

 ぐうの音も出ない。本当にそうしようと思った。

 

『ところで――』

「うん」

『ボンちゃん、元気にしてる?』

 

 母さんが言いたいことは察しがついた。クラウンセボンのデビュー戦の結果は、16人中の8着。その次のレースでデビューしたテンダーライトは、14人中の2着。同じ敗戦でも、テンダーライトのそれとは印象が全く違う。見る目は素人同然のあたしでもわかる、完全な実力負けだった。

 それでも、レースが終わって引き上げてきたクラウンセボンは、いつもと変わらない様子だった。「次に向けてまた頑張らなきゃ」なんて、明るく振る舞っていたし、そのすぐ後に行われたテンダーライトのデビュー戦も、だれよりも大きな声で声援を送っていた。だけど、言葉や態度だけが全てじゃないということを、あたしはこれまでたくさん学んできた。それだけに、母さんの問いになんと答えていいか、迷ってしまう。

 悩んだ末にあたしの出した回答は、実に中途半端なものだった。

 

「元気、だと思うよ。多分」

『あんた、ほんと昔からわかりやすい子ね』

 

 わかりやすい、と言うだけで、母さんはそれ以上追及はしてこない。これ幸いと、あたしは話題を変えることにした。

 

「それより聞いてよ。もしかしたらボンのママから聞いてるかもしれないけど、今年からあたしのルームメイトにさ」

『ちょっとだけ聞いたよ。同じヒト生まれの子が来たんだってね』

「そうそう。でも全然、あたしとは違って――」

 

 そこへスッと自動ドアが開いて、ホープアンドプレイがやって来た。

 

「何してんの」

「うわっ」

 

 あたしは思わず通話を切ってしまった。別にやましいことをしていたわけではないのに、なんだかそうしなきゃいけないような気がしたから。

 

「いいの、電話」

「いいの! アンタこそ何しに来たの」

 

 ホープアンドプレイはそれには答えず、黙って化粧室へと入っていった。そりゃ、そうだ。デッキに来る理由なんて、電話じゃなければそれくらいのもの。あたしはカーッと顔が熱くなった。

 と、そこでスマホが鳴った。あんな切り方したから、不審に思った母さんがかけてきたに違いない。画面には案の定、母さんの名が映し出されていた。

 

「はい」

『もしもし、どうしたの?』

「ごめん、電波が悪いみたい。いま、新幹線の中だからさ」

 

 あたしはとっさに嘘をついた。

 

『そっか。じゃあ、同室の子の話はまた今度、ゆっくり聞かせてもらうね』

「うん。また」

 

 そのルームメイトが出てくる前に、急いで話を切り上げようとした。

 

『待って、ルピナス』

「ん?」

 

 なんだろう、と思って聞き返す。続きは思いもかけない事だった。

 

『誕生日、おめでとう。一日早いけど、今のうちにね』

「……あ」

 

 今日は十一月一日。あたしの誕生日の前日だ。

 

『あんた、まさか忘れてたの?』

 

 そのとおりだった。電話口の向こうから母さんの笑い声が聞こえる。

 

『あんたらしいわ。なにかひとつ夢中になってることがあると、他のことがポンと抜け落ちちゃうんだから』

「……うるさいな」

 

 自分でも信じられない。自分自身の誕生日を忘れるなんて。

 

『まあ、そういうことだから。来年は忘れないようにね』

「わかったよ。ありがとう。これでいい?」

『よろしい。お母さんは、いつでもあんたの――』

 

 そのとき、化粧室のドアの掛け金が外れる音がした。

 

「あー、また電波が。またね」

 

 そう言って、あたしはまた返事も待たずに通話を切った。

 

「まだいたの」

「もう戻るところだよ」

 

 不審そうに眉をひそめるホープアンドプレイに、あたしはすっとぼける。そうして、客室へと戻ろうとしたところで、あたしの背後から声が飛んできた。

 

「お誕生日、おめでとう」

 

 はっとして振り返ると、ホープアンドプレイが手を洗いながら、こちらをニヤニヤと見ていた。

 

「聞いたな」

「キミ意外と可愛いとこあるんだね」

 

 よし、一回シバこう。そう思って掴みかかろうとしたとき、あまりに帰りが遅いあたしを心配したトレーナーが顔を出して、あたしの決意はあえなく未遂(みすい)に終わった。

 翌日の練習後、チームのみんなは、クラウンセボンたちのデビュー祝いのついでにあたしの誕生日も祝ってくれた。他でもないクラウンセボンの発案で、事前に準備していたと聞かされた。誕生日を忘れていたのは、本当にあたしだけだったみたいだ。

 

「あたし、他の子の誕生日なんて祝ったことないのに、なんか悪いな」

「冬休みや春休み中の子が多いもん。仕方ないよ」

 

 気にしないでと言うクラウンセボンだけれど、あたしはやっぱり気が引けて、早速みんなの誕生日を聞いて回った。お返しは考えておかなきゃ。

 そういえば、ウマ娘は春先によく生まれるらしい。どうしてかはわからないけど、そういうことになっている。あたしみたいな秋生まれのヤツなんて、少なくともあたしは見たことが無い。

 

「特別って感じがして、いいじゃない?」

 

 そう言って、栗毛の親友は楽しそうに笑った。

 嬉しかったけれど、あたしは心のどこかで、次は誕生日じゃなく、デビューを、できれば勝利を祝われたいなと思っていた。

 

 

「では、前哨戦(ぜんしょうせん)を使わずに向かうということになりますか?」

「ええ、そうですね。トレーニングを見る限り、あまり使い詰めない方が良いタイプだと思いますので」

 

 それからあっという間に三週間が過ぎた、いま、トレーナーとレイアクレセントは記者会見に臨んでいる。内容はもちろん、朝日杯FSへの出走について。すでに、GⅠ出走用の勝負服デザインも提出済みだ。

 あたしたちチーム〈プルート〉のメンバーは、トレーナー室のテレビでその様子を見守っていた。

 

「ご本人にお聞きしたいのですが、阪神JFではなく朝日杯を選ばれたのは、クラシック路線へ進むということの意思表示とみて間違いないでしょうか」

「ええ、その通りです」

 

 記者席のざわつきが一段と大きくなった。これは実質、レイアフォーミュラへの宣戦布告と同じ。そう判断したらしいということが、かすかに聞こえてくる記者たちの囁きから聞き取れる。

 

「またうるさくなりそうだね」

 

 ホープアンドプレイは小さくこぼした。当分はまたメディアに追い掛け回される日が続きそうだ。想像するだけで、今から気が重くなる。自慢じゃないけどこういうのに一番弱いのは多分あたしだ。

 

「その分、緊張感のあるトレーニングができるんじゃない? 良い方に考えようよ」

 

 クラウンセボンがそう言って、テンダーライトも頷いた。確かに、言い換えればいつでも監視がいるということだから、サボっていられない。あたしもこの意見には一票入れることにした。

 それからは、坂路(はんろ)にポリトラックにと、レイアクレセントのトレーニングは次第に強度を増していった。それにつれて、見学に来る記者の数も、デビュー戦のころよりさらに増えていった。そうすると当然、雑音の大きさも増す。

 

「どう思う?」

「いやあ、やっぱり2000、やれて2400が限界でしょ」

「だよなあ」

「まず骨格が向いてないね。ほんとにクラシック路線で行く気なのか」

「トレーナーも必死なんだろ。チームがああいうことになった後だと、まずは注目集めないとさ」

「五人しかいないってんだもんな。入りたがる子は他にいないもんかねえ」

「いやーキツいでしょ。結果出ないことには」

「やっぱクレセントはカペラで見たかったよなあ」

 

 全部聞こえてる。「良い方に考えよう」とはどこへやら、トレーニングの間ずっとこんなことが続くものだから、あたしはすっかり集中力を乱されていた。

 

「あームカつく! 全員蹴っ飛ばしてやりたいよお」

 

 寮に戻るたび、あたしは毎晩こんなことを叫んでいた。

 

「キミも慣れなよ、いい加減」

 

 今日のトレーニングで外れた蹄鉄(ていてつ)を打ち直しながら、ホープアンドプレイはため息をついた。

 

「アンタは何とも思わないの」

「思わないよ。どうでもいいことだし」

 

 こういう時、彼女はいつも冷静だ。その神経の図太さはすごいけど、ちょっと冷たすぎるとも思った。

 

「ホープ、アンタには人の心ってもんが無いの?」

「ボク、ウマ娘だよ」

「バカ。そういうのいらないよ」

 

 あたしだって、気にしない方がいいことくらいわかってる。でも、許せないものは許せない。合宿やいろんなことを経て、あたしも少しは大人になれたかもと思っていたけど、こういうところはやっぱり変えられない。

 

「よしよし、少し落ち着きなさい」

「こら、子供扱いすんな」

 

 あたしが噛みつくのを無視して、ホープアンドプレイはあたしが誕生日プレゼントでもらったアロマランプのスイッチを勝手に入れた。

 

「まったく、キミは――」

 

 そこで、ホープアンドプレイは彼女にしては珍しく次の言葉を選ぶように、()を置いた。

 

「なんだよ」

 

 あたしはもう、やり場のない感情に頭がごちゃごちゃになっていて、ベッドの上にひっくり返りながら、尻尾で部屋の壁をバシバシ叩いていた。

 そんなあたしをじっと見つめるホープアンドプレイは、やけに優しげな表情で呟くように言った。

 

「キミは優しいんだね」

「え?」

 

 思いがけないその言葉に驚いて、あたしは身体を起こした。急にどうしたんだろうと訝しんでいると、ホープアンドプレイは表情を変えないまま先を続けた。

 

「他人のこと気にしてる場合じゃないでしょ。ボクたちは」

「あ……」

 

 そういうことか、と思った。夏が過ぎたあと、トレセン学園はハロウィンに駿大祭、聖蹄祭など、多くのイベントが開かれた。そして、そんなイベントの波と同調するように、ジュニア級に当たるあたしたちB組の生徒は次々と本格化を迎えていった。

 その中で、あたしとホープアンドプレイには未だ全く本格化の兆しが表れていない。一応、クラスメイトの中にはまた他にも同じような子はいる。ただ、だからといっていつまでも呑気に構えていられるものでもない。十二月がすぐそこまで来ている。おそらく、あたしたちはもう年内デビューには間に合わない。

 

「クレセントのことを心配してるみたいだけど、阪神JFや朝日杯って、本来キミが目指すべきレースだったんじゃないの」

「それは」

 

 その通りだ。あたしはマイル戦が一番得意だということは、体感的にも、トレーナーの持っているデータ的にも示されている。そのマイル戦の最初の大舞台、それがもうすぐ開かれる阪神JFと朝日杯だ。彼女の言うとおり、本当なら彼女の活躍を黙って見ている場合じゃない。自分がそこを目指さなきゃいけないはずだった。実力からいって、デビューしていたとしてもそんなところに届くかどうかはわからない。でも、今の状態ではそれ以前の問題だ。なんたって、デビューできてないんだから。

 

「それにこの前、阪神レース場に行って、スクーリングを見学してたところで、クレセントが言ったことを覚えてるよね」

 

 阪神レース場で。あのとき、彼女は何と言っていたっけ。あたしは記憶を急いで引っ張り出した。……確か、こんな話。

 

『私は、あの子と闘わずにティアラの女王になるくらいなら――』

 

「ボク驚いちゃったよ。何がって、素直に感心してるキミにさ」

 

 ホープアンドプレイが言いたいことはわかる。レイアクレセントは、ティアラ路線に行けば誰にも負けないと思っている。その自信自体はすごい話だ。でも、あたしが目指す道の先に、ティアラ路線は確実に目標として入ってくる。それは、あたしの適正距離を考えればチームの誰もが知っているはずだ。

 ――つまり、あの言葉は、あたしなんか眼中にないってことだったんだ。

 

「キミは勝ちたいんじゃなかったの。『ヒト生まれ』でも勝てるんだって証明するために」

「勝ちたいよ! 当たり前じゃん! だけど……」

 

 身体がついてこないんじゃ、どうしようもないじゃないか。いままで見ないようにしてきた心の焦りに、直接剣を突き立てられたような、そんな気がした。

 

「あたしだって、あたしだってね」

 

 うまく言葉にならない。本当は、ずっと(うらや)ましかった。レイアクレセントが本格化を迎えた、あの合宿の夜から。

 次々とデビューを決めていくチームメイトに、クラスメイトたち。ネットニュースや雑誌にも、同期の話題がちらほら出始めている。そういえば、パレカイコやオリンピアコスも、デビュー戦を勝利で飾ったと聞いた。ついこの前開かれた東京スポーツ杯ジュニアステークスでは、レイアフォーミュラとの対決も話題になっていた。結果はレイアフォーミュラの勝利で終わったけれど、相当ハイレベルなレースになったんだとか。

 それなのに、あたしはいつまでも、ホープアンドプレイと一緒にトレーナーの手伝いをして、基礎トレーニングのランニングを続ける日々。負荷の強いトレーニングは本格化前の身体では耐えられないからと、セーブさせられている。

 

「わかるよ。怖いんでしょ。キミはわかりやすいから」

 

 わかりやすい。何度も言われてきたその言葉。いつもよりもずっと優しい口調なのが、かえってあたしの胸に刺さる。

 そうだ。怖いんだ。もしもこのまま、本格化がこなかったら。そんなことを考えてしまうのが。

 クラシックの学年限定戦に出られなくなるどころの話じゃない。メイクデビューや未勝利戦で勝ちあがれないままクラシック級の秋を迎えれば、よほどの事情が無い限り、その時点で契約を打ち切られる。これはウマ娘の将来や進路を考えての措置ということになっているけれど、結局は競走ウマ娘としてのキャリアに見切りをつけられてしまうということ。そんなのを心配するのはまだ早いのかもしれないけれど、どうしたってその不安が消えない。

 

「ボクだって、いつまでもデビューできないのは困るよ」

「……ホープも、そういうのは気にするんだ」

 

 あたりまえだろ、とホープアンドプレイは少し不機嫌そうに答えた。そういえば、彼女はここに編入するにあたって、トゥインクル・シリーズでの活躍次第で学費を免除してもらえるという約束をしているらしい。詳しい経緯は聞いていないけれど、家を捨てたと言っていた彼女にとっては、デビューが遅れるのはたしかに死活問題だ。気持ちひとつのあたしとはレベルが違う。

 

「あたしたち、これからどうなるんだろ」

「とにかく、その日が早く来ることを祈るだけだね」

 

 ホープアンドプレイはどこか諦めた風にそう言った。

 消灯してからも、枕もとのアロマランプが照らす淡い光を眺めながら、あたしの頭の中ではぐるぐるといろんな言葉が(うず)巻いていた。

 焦るな、自分。別に、ジュニア級から大活躍しなきゃ、クラシックやシニアで戦えないわけじゃない。ほんのちょっと、本格化がゆっくりしているだけなんだ。きっと年明けごろにはデビューできるさ。そう考えようとしたけれど、あたしのくだらない想像はどんどん悪い方向へ向かってしまう。なんで、まだ本格化が来ないんだろう。あたしが少食だから? いや、それならウマ娘としては普通に食べるホープアンドプレイも本格化していないことの説明がつかない。

 浮かんだ答えは、一番考えたくないこと。もしもそれが本当なら、散々聞かされてきた()()が単なる格言じゃなくって、真実だと認めなきゃならなくなる。そんなの、嫌だ。

 

『えっ、ヒト生まれ? 珍しいね。いるんだね、実際』

 

 珍しくたって、あたしは他の子と変わらない。普通のウマ娘だよ。変な目で見ないでよ。

 

『うーん、ヒト生まれか……。おもしろいけど、()()()()()()()()()()からなあ』

 

 そんなの嘘だ。迷信だよ。

 

『だって、聞いたことないでしょ? ヒト生まれの名ウマ娘なんて』

 

 それは、もともと数が少ないんだから、たまたま今までそうだっただけ。あたしは走れる。あたしは勝てる。デビューさえできれば。デビューさえすれば。だって、模擬レースではクレセントにだって勝ったんだから。

 

『他にいくらでも生きていく道はあるんだからさ、無理しなくたって』

 

 違う、違う、違う!

 

『ルピナスさん?』

 

 やめて、もう何も言わないで。

 

「――ルピナスさん? ルピナストレジャーさん!」

「えっ」

 

 突然、大声で名を呼ばれてあたしはビクリと身体を震わせた。あたりを見回すと、心配そうな顔をしたクラスメイト達が、こちらを見ている。そこで、あたしはここが教室で、いまが授業中だということを思い出した。

 

「ルピナスさん、どうしたんですか? あなたの番ですよ」

 

 先生が訝るようにして見つめてくる。といっても、教科書を開いてすらいなかった私には、何をすればいいのかわからない。

 

「ルピナスちゃん、国語、133ページ」

 

 隣の席からクラウンセボンが助け舟を出してくれている。でも、とっさのことで、あたしはうまくその舟に乗ることができなかった。

 

「すみません、聞いてませんでした」

 

 素直に謝ると、先生は「しっかりしなさい」というだけで、それ以上あたしを責めなかった。なんだか気を使われているような感じがして、ますます気が咎めた。

 

「ではホープアンドプレイさん、代わりに読んであげなさい」

「はい。……沖には平家、舟を一面に並べて見物(けんぶつ)す。(くが)には源氏、(ウマ)娘を並べてこれを見る……」

 

 けれどやっぱり、その後もあたしは上の空だった。得意なはずの国語の授業なのに、聞こえてくる言葉は上滑りして、全然頭に入ってこない。

 

「ルピナスちゃん、どうしちゃったの?」

 

 昼休み、クラウンセボンはあたしを食堂へ連れ出した。注文した覚えのない定食が、あたしの前に二つ並べられている。

 

「まずはご飯食べようよ。元気でるから」

「……ボン」

「なあに?」

「あたしもボンと同じくらい食べるようにしたら、本格化、来るかな。デビューできるようになるかな」

 

 クラウンセボンは困ったような顔をして、うーんと考え込んでしまった。それを見ていると、自分の吐いた弱音がひどく情けなく思えてきた。

 

「ごめん。バカなこと言って」

「ううん、違うよ。やっぱりそうだったんだって、そう思っただけ」

 

 ああ、バレていたんだ。あたしって、わかりやすいから。

 

「トレーナーさんが言ってたの。ルピナスちゃん、焦ってるみたいだって」

「トレーナーが?」

 

 クラウンセボンは頷いた。

 

「それ聞いて、私お願いしたんだ。私のことより、ルピナスちゃんのことを見てあげてって」

「ボン、何バカなこと言って――」

「でも、それはダメだってトレーナーさんが」

 

 当たり前だ。デビューしてるヤツの勝ち上がりより、デビュー前のメンバーの心配をしてたらおかしいもの。

 クラウンセボンはしばらく押し黙って、自分自身の手元を見たり、あたしの顔を伺うようにしたりを繰り返した。何か、言いたいことがあるみたいだ。

 

「ボン?」

 

 あたしの大事な友達は、意を決したように顔を上げると、真剣な面持ちで口を開いた。

 

「ルピナスちゃん、私信じてるから。ルピナスちゃんは絶対デビューできるって。女神様の祝福を受けた子なんだから」

「は?」

 

 なんだそれ。あまりにも突拍子もない言葉に、あたしは混乱してしまった。

 

「何言ってんの」

「本当だよ! 本気でそう思ってるの。ルピナスちゃんは、女神様の祝福を受けた子なんだって」

 

 普段からやたらとオーバーな言い方をするクラウンセボンのセリフの中でも、今回のはとびきりだった。

 

「最近そういうマンガでも読んだの?」

「違うよ! 出会った時からずーっと思ってた」

 

 クラウンセボンの力説は止まらなかった。

 

「私、思うの。大きなレースで活躍するような子たちは、みんな女神様の祝福を受けてるんだって。何か、違うんだよ。他の子とは。見てるだけでドキドキするような、そんな特別な力を持ってる。……ルピナスちゃんも、そうなんだよ。いつか言ったように、黒い宝石みたいにキラキラしてて、風みたいに速くて、力強くて……私の、憧れなの」

 

 ふざけた様子もなく、その真面目な顔つきは少し怖いくらいだった。

 

「だから、心配しないで。ルピナスちゃんはちゃんとデビューできる。ちゃんと勝てる。私、見る眼だけはあるんだから。そうでしょ?」

 

 まるでもう一人のトレーナーみたいだ。ちょっとくすぐったいけれど、少なくともあたしを勇気づけようとしてくれているのはわかる。

 

「……そうだね」

 

 つくづく、あたしは周りに恵まれている。それに応えられるくらい、もっと強くなりたい。心も、身体も。そう思った。

 

「そんなルピナスちゃんに、頼みがあるんだけど――」

「え?」

「今日の午後、併走の相手、してもらっていい?」

 

 なんだ、そんなことか。あたしはもちろん、すぐにオーケーした。

 

「やった! ありがとう。今日のメニューはダートなんだ。ルピナスちゃん、ダート嫌いだから、ヤダって言われるかと思った」

「待って、聞いてないんだけど!」

 

 ハメられた。ダートなんて、走らなくていいなら一生走りたくないのに。あたしは安易に了解したことを早速後悔していた。もしかして、あたしって自分が思っているよりも大分ちょろいのかもしれない。強くなるだけじゃなくって、賢くならなきゃ。さっき心の中で思ったことを、あたしはすぐさま訂正していた。


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