ストレイガールズ   作:嘉月なを

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#01-希望

 運動公園での野良レース後、私はサカイ氏に連れられて、氏が責任者を務めているという養護施設へと足を運んでいた。施設の中は、つい先日のクリスマスイベントで使ったらしい飾り付けがちらほらと残っていて、あちこちからそわそわした様子の子供たちの声も聞こえてくる。

 

「年が明けたら、みんなであの有名な遊園地に行くことになっているんです。それで、子供たちもちょっと浮かれ気味なんですよ」

 

 手が掛かります、と言いながら、サカイ氏はどこかうれしそうだった。

 

「すみません、そんなお忙しい時期に」

「いいんです。この子にとって、とても大切なことですから」

 

 この子、と呼ばれたホープアンドプレイは、私が応接間に通される間、無言のままサカイ氏のそばに貼りついて離れようとしなかった。それは彼を慕っているというより、私に対する警戒心からくるようで、ちらちらと横目でこちらの様子を伺ってくる。

 

「それに、この時期は河沼さんの方こそお忙しいでしょう」

「あの、できればナギサと呼んでいただけますか」

 

 サカイ氏の何気ない会話に、つい強めの語気で言い返してしまった。自分とあの男とのつながりを意識させる言葉は、なるべく耳にしたくなかったからだ。サカイ氏は頭をかきつつ「わかりました。ナギサさん、ですね」と笑った。

 

「それにしても、あの人はどうやってこの子にたどりついたんですか」

 

 応接室に着いてから、一番最初に尋ねたのはそこだった。私をサカイ氏に引き合わせたのは父であるシゲルだ。けれど、偶然にせよ何にせよ、あの人が児童養護施設に足を運ぶ理由など思いつかなかった。父はいつ、どこでホープアンドプレイのことを知ったのだろうか。

 

「ナギサさんのお父様はいま、様々な場所で社会奉仕活動に従事なさっています。うちの施設にも、清掃ボランティアに来ていただきましてね」

 

 ああなるほど、と思うと同時に、私の中には反発心も湧いてきた。処分を受けた人間が、そういう仕事をして許しを乞う。よくあることだ。そんなのは真心から出たものじゃない。下心だ。いまの私には父の行いを冷淡に受け止めることしかできなかった。

 

「おどろきましたよ。突然私のもとへやってきて、あの子はすごい、中央で走れる子だ、なんて言い出すものですから。私はレースのことにはとんと疎くて、あなたのお父様がトレセン学園のトレーナーをなさっていたことも知らなかったんです」

「あの人は、もうトレーナーでもなんでもありませんから」

 

 私はぴしゃりと言い切った。するとサカイ氏は、ゆっくりと首をふりながら、隣に腰かけるホープアンドプレイを見て、穏やかに続けた。

 

「でも、あの方はあなたをここへ連れてきてくださった。この子の未来がいまより少しでも明るくなるのだとしたら、私どもとしては感謝するばかりです」

「そのことなんですが」

 

 私は話題を変えることにした。

 

「本人の意志は、どうなんでしょうか。つまり、レースの世界へ入るということについて」

 

 サカイ氏はそれには答えず、本人の答えを待っているようだった。そこで私は、今度は直接ホープアンドプレイに向かって尋ねた。

 

「走るの、好き?」

 

 すると、芦毛の小さな少女は静かに、こくんとうなずいた。

 

「トゥインクル・シリーズって、知ってる?」

 

 少女はもう一度うなずいた。

 

「あなたさえよければ、私に、あなたをその世界に連れて行く手伝いをさせて欲しいの。トレセン学園で。どうかな」

「そしたら……」

 

 はじめて言葉を発したホープアンドプレイ。その声は、か弱い少女のものというよりも、どこか大人びて、低く凛とした音色だった。

 

「そしたら、ボクはここを出ることになるの」

 

 やっぱり、そこが気になるか。私は薄々、そこがネックになるような気がしていたのだった。これくらいの年頃で、しかもこういった施設で暮らす子供にとっては、安住こそが大切になる。決して軽んじることの出来ない部分だった。

 

「一旦はね。うちの学園は、みんな寮で暮らすことになるから」

 

 私は正直に答えた。すると、ホープアンドプレイは口を真一文字に結び、しばらく押し黙った後、小さく息をついて答えた。その言い回しは、少し妙だった。

 

「そう。まあ、別にいいけど。慣れてるし」

「慣れてる?」

 

 平気、というのでもなく、楽しみ、というのでもない。「慣れている」という表現には、どこか違和感がある。

 その違和感の正体は、サカイ氏が教えてくれた。

 

「この子は、うちに来るまで、いろんなところを渡り歩いてきたんです」

「ここのような施設を、ですか?」

「そうです。そもそも、うちのような施設にウマ娘が保護されるという話は、あまり多く

はありませんし、専門の施設もありません。ですから、どこもノウハウを持っていないのです。おかげで、この子はどこへ行っても苦労してきたようです」

 

 聞けばなるほどと思った。ウマ娘は、そもそもの絶対数が人間よりずっと少ない。小学校でも、たまにウマ娘の児童が入学してくると、他の人間の子たちと比べて得手不得手の大きく異なる彼女たちをどう扱うべきか、不慣れな教員は苦労するという。子供たちの家代わりになる養護施設の対応は、学校以上に難しいはずだ。

 

「お恥ずかしい限りではございますが、私たちも、この子が来るまで、ウマ娘の児童に対してどう接するべきか、全く経験がありませんでした」

 

 サカイ氏はそう言って、すっと視線を動かした。その先の本棚には、使い込まれてよれよれになった、ウマ娘の児童心理学についての書籍がいくつも並んでいる。私がトレーナー資格の勉強に使ったのと同じ本もあった。ここの施設の人たちが、ホープアンドプレイのためにどんな努力をしてきたのか、目に浮かぶようだった。

 

「慣れている、というのは、私たちにとっても喜ばしいことではないのですが」

 

 寂しそうに語るサカイ氏の横で、ホープアンドプレイは伏し目がちにしてじっとしていた。完全に心を開いているわけではなくとも、この施設の人たちに一定の信頼は置いているということが、その様子からも見て取れた。

 ならば彼女にとって、ここを離れなければならないということは決して「平気」な選択ではないはずだ。私はまず、彼女の心の引っかかりを取り除かなければならない。

 

「ねえ、ホープアンドプレイさん」

 

 呼びかけると、耳だけをこちらに向けてきた。それでいい、と思った。

 

「きっと、不安だと思う。ここを離れて、また知らない人たちのところへ行くのは」

 

 返事は無かった。それでも、ちゃんと聞いてくれているのはわかる。私はひとつひとつ言葉を選びながら、彼女が一番に不安に思っているであろうことの答えを告げた。

 

「でも、トレセン学園に来ても、あなたの家がここだってことは、変わらない。それは安心して。家を捨てなきゃいけないってわけじゃないの」

「ほんとに」

 

 ホープアンドプレイはそう言って顔を上げた。その表情は変わらなかったものの、声はさっきよりも少しだけ明るくなったようだった。

 

「ええ、本当に。休暇になれば、家に帰る子だっている。あなたも帰りたくなったら、ここへ帰ってくることができる。トレセン学園は家じゃなくて、学校だから」

 

 目の前の少女をまっすぐ見つめて、私は真剣に答えた。白い芦毛の髪に、漆のように真っ黒な瞳。はじめて目と目を合わせて、私は改めて確信していた。この子は()()()だ。そのための強い意志を持っている。

 

「……へえ」

 

 返って来たのは、それだけだった。

 

「安心した?」

「別に。最初から言ってるでしょ。平気だって」

 

 訂正するつもりもない。聞きたい言葉が聞けて、満足だった。

 

「ボク、走ってくる」

 

 そう言って、ホープアンドプレイは立ち上がった。

 

「ああ。あまり暗くならないうちに、帰ってきなさい」

 

 サカイ氏がそう答えると、ホープアンドプレイは小さく「うん」と返事をして、応接室を出て行った。

 バタンと扉が閉じられ、足音が遠ざかっていくと、サカイ氏は私に向かって深々と頭を下げてきた。

 

「いろいろとご配慮くださり、ありがとうございます。あの子はとても繊細な子なので」

「お顔を上げてください。私もああいう子と話すのは初めてで。本当にあれが正しい言葉だったのか、よくわかっていないんです」

「大丈夫ですよ。私たちもずっと手探りでした。きっと、これからも手探りを続けていくのだと思います」

 

 そう言ってもらえると、心の重荷が軽くなったような気がした。だが、言葉とは裏腹にサカイ氏の表情は固い。

 

「――ただ、それとは別に……」

 

 神妙な顔つきのまま、サカイ氏は話し始めた。

 

「これからナギサさんは、トレーナーとしてあの子と接していかれると思うのですが、その際には、必ず守っていただきたいことがあるのです」

 

 どうやらただ事ではないらしい。私も真面目な顔でそれを聞くことにした。

 

「あの子の頭、とりわけ耳と、それから尻尾には決して手を触れないようにお願いします。大人が触れると、なんと言いますか、精神的にショックを受けてしまうので」

 

 ああ、そういうことか。これは、あの子がここへ保護されることになった理由と関係があるのだ。なんとなくいろんなことの察しがついた。

 

「わかりました。お約束します」

「お願いします」

 

 その意味するところはわかったけれども、腑に落ちないことがあった。

 

「でも、珍しいですね。ウマ娘が生まれたとあれば、どんな親でも喜んで、大切に育てるでしょうに。特に母親は自身もウマ娘なのですから、娘のことはよく理解できるでしょう」

「どれほど関係があるかはわかりませんが、実は……」

 

 そこでサカイ氏は、なにかためらうように言い淀んだ。話せないことなら無理に話すことはないと思った。こと、子供のプライバシーに関わることであればなおさらだ。しかし、そう言おうとした私をさえぎるようにして、サカイ氏はその先を告げた。

 

「信じていただけないかもしれませんが……」

「はい」

「あの子の両親は、ともに人間なのです」

「え……?」

「あの子は、人間の父親と、人間の母親のもとに生まれたのです」

 

 まさか、と思うのが最初だった。

 

「信じられないでしょう。私も、はじめはなにかの間違いではないかと思ったものです」

「……いえ、話には聞いたことがあります。ごくまれに、そういうこともあると」

 

 世界的にも例が少ないので一般にはあまり知られていないが、実際、ヒトからウマ娘が生まれることはある。俗に「()()()()()」と呼ばれるものだ。

 ただ、ヒト生まれはレースに向いていない、とも言われている。「ヒト生まれのウマ娘は走らない」という格言は、トレーナーの間でよく知られたものだ。だが、いまの私にはそんな過去のデータはどうでもよかった。私にとって重要なのは、素晴らしい走りを見せてくれたウマ娘がここにいて、私のスカウトを受けてくれそうだという事実だけだ。いまここで、さび付いた格言やら何やらを話す必要もない。

 

「ご両親は喜んだはずでしょう? そんな珍しい幸運に恵まれたのですから」

「そうかもしれません。ですが事実として、あの子はその後深い傷を追ったのです。身体にも、心にも。詳しくはお話しできませんが、私たちにとってはそれが全てです」

 

 それ以上の詳細はいらなかった。重要なのは、ホープアンドプレイが、いま何を考え、どう感じているかなのだから。

 

「いろいろと、大事なお話を聞かせてくださって、ありがとうございます」

「いえ、あの子ができるかぎり平穏でいられることが、私どもの願いですから」

 

 微笑むサカイ氏の姿は、穏やかでとても暖かかった。これはきっと、当たり前のものではない。ホープアンドプレイは幸運な子なのだ。

 

「……それでサカイさん、推薦入学の出願についてなのですが」

 

 気を取りなおして、私は早速、トレーナー推薦についての話を始めようとした。来年度入学させるなら、試験は2月に行われる。もうあまり時間が無い。

 するとサカイ氏は、きょとんとした顔でこう返してきた。

 

「推薦、ですか? ……あなたのお父様からは、編入試験だと伺っていたのですが」

「え?」

「あ、いえ、私としてはどちらでも結構なのですけれど」

 

 編入、というのは、新入生が受けるものではない。すでに中学校以上の教育機関に通っているウマ娘が受けるものだ。父がそれを紹介したということは……。

 

「あの子、中学生なんですか?」

「はじめに申し上げませんでしたか?」

 

 さらに予想外なことが発覚し、私は固まってしまった。あの体で、中学生。となると、B組以上のクラスに編入することになる。いくら豊富なスタミナがあるからといって、あれだけ小さくて勝負になるだろうか。少なくとも、本格化はかなり遅れることになりそうだ。私は急に不安になって来た。

 

「やはり、小柄なことは、レースでは不利なのでしょうか」

「いえ、必ずしもそうとは限りませんよ。ええ」

 

 とっさにごまかしてしまった。いまさら「この話はなかったことに」なんて言えない。

 

「よかった。野良レースなどにあの子が出走すると、周りはみな体格の良い子ばかりなものですから、心配していたんです」

「たしかに、そういう子は多いですが、大きければいいというものではありません。ホープアンドプレイさんくらいの体格で、GⅠウマ娘になった例もありますから」

 

 後の方は、もはや自分に言い聞かせていた。そうだ、まったく前例が無いわけではない。タマモクロス、ナリタタイシン、アグネスデジタル……。みな素晴らしいウマ娘だ。

 

「編入試験も時期としては変わりませんから、急いで手続きをしましょう」

 

 そう言って、なんとか話を進めた。

 

「――それでは、今日のところはこれで失礼いたします。ありがとうございました」

「いいえ、こちらこそ。ホープのこと、よろしくお願いいたします」

 

 帰り際に交わした会話。サカイ氏のその言葉に、私は後ろめたさを覚えていた。

 なぜなら、私は結局、肝心な自分自身のことを伝えていなかったからだ。チームはいま、崩壊状態にある。チームのメンバー数が足りていない現状では、ホープアンドプレイをデビューさせてやることができない。最終的には、よそのチームへ移籍させることになるかもしれないのだ。本当なら、真っ先に告白しなければならないはずのことだった。けれど、どうしてもできなかった。向こうは、いろいろな事情を話してくれたというのに。考えてみても、とても誠実とはいえない対応だった。

 自分のトレーナールームに帰ってきて、私は自分の顔を両手でパンと叩いた。

 

「なんとかしなきゃ」

 

 それで許される話とも思わないが、なんとしてでも、ホープアンドプレイがデビューできるように、チームを立て直さなければならない。腐ってなんかいられないのだ。

 そこでまた、あの男のほくそ笑む姿が浮かんだ。きっとあの男は、私を奮い立たせるために、こんな話を持ってきたのだ。思い通りにことが進んでいる。不愉快だった。……それでも。

 

「やるしかないんだから」

 

 がらんとした部屋は、昨日までの景色とは違って見えた。




登場人物-No.02【ホープアンドプレイ】誕生日 6月5日

【挿絵表示】

身長 141cm/体重 微減/BWH 69-50-72
毛色 芦毛/靴のサイズ 両足21cm
 人間の両親から生まれた、いわゆる「ヒト生まれ」の珍しいウマ娘。しかし、実の親の元での生活は長く続かず、6歳の頃から各地の児童養護施設を転々としてきた。ランナーとしての特徴は、豊富なスタミナを持つステイヤー。

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