ストレイガールズ   作:嘉月なを

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#31-新たな始まり

 ホープアンドプレイのデビュー戦は、目の覚めるような快勝だった。最後の直線で繰り広げられたあの光景は、ウイニングライブが終わった後もまだあたしの(まぶた)に焼き付いて離れない。

 

『後方集団から抜け出したのは、9番ホープアンドプレイ! ホープアンドプレイだ! その差を5バ身6バ身と開いた! 強い! 圧勝! これは恐れ入りました! 小さな身体を大きく弾ませ、見事未勝利戦デビュー勝ちを修めましたホープアンドプレイ! またひとり、ヒト生まれの大物候補がトゥインクル・シリーズに現れました! 勢いが止まらないチーム〈プルート〉、四人目の勝ち上がりです!』

 

 2400メートルという距離は、クラシック級のあたしたちにとっては十分長いといえる。それなのに、走り終えたホープアンドプレイは汗ひとつかいていない程の余裕っぷりだった。以前「スピードが足りない」とレイアフォーミュラが言っていたように、確かに勝ちタイムはそれほど速いものじゃない。けれどもその圧倒的なスタミナは、レースを目の当たりにした者たちへ強烈な印象を残しただろう。

 

「そんなことより、誰だよ。ボクのことヒト生まれだってバラしたの」

 

 夕食と入浴を済ませ、寮の部屋に戻ってきた彼女が開口一番に言ったのは、そんなことだった。

 

「あたしたちじゃないよ。もう学園じゃみんな知ってるし、他の誰かがマスコミにしゃべったんでしょ」

 

 ホープアンドプレイは、フンと不機嫌そうに鼻を鳴らした。あたしたちがバラすわけが無い。彼女の一番嫌いなことは、自身の生まれについて他人に勝手に触れられること。それはチームのみんなが知っている。同じヒト生まれのあたしでさえ、彼女自身がそれについて触れるまで、口にしないよう気を付けているくらいだ。

 

「実力で黙らせれば良いじゃん。そういうのは」

「それで黙ってくれるなら良いけどね」

「まあまあ、ともかくおめでとうだよ」

 

 あたしが努めてにこやかに祝いの言葉を差し出すと、ホープアンドプレイはようやく眉間のしわをほどいて、ふうとため息をひとつついた。

 

「ボクのことはもういいよ。それより、アイツはどうなるの」

 

 アイツというのが誰なのか、不思議とすぐにわかった。わかってから驚いた。ホープアンドプレイが他の子のことを気にするなんて珍しい。いままでの彼女なら「どうでもいい」とか「ボクには関係ない」とか言っていただろうに。驚くのと同時に、嬉しかった。出会った頃はあんなに冷淡だった芦毛の少女が、今はあたしの大事な友達のことを心配してくれている。それだけで、無性に嬉しかった。わかって、驚いて、喜んで。感情がやたらと忙しい。

 だからあたしは、この忙しい嬉しさが消えて無くならないうちに、嬉しい報告でお返しがしたかった。

 

「ボンのことなら心配しないで」

「別に心配してるんじゃ……」

 

 反射的な反論は無視して受け流す。

 

「ボン、チームには残ってくれるって」

「だけど出走は」

「うん。競走登録はもう辞めるみたい。でも、チームのスタッフとして残ってくれるんだって」

 

 クラウンセボンは、一学期の終わりで競走ウマ娘としての登録を抹消することになる。代わりにチームのスタッフ、正確にはトレーナー助手としてチームに残ることにしたと、あたしは本人から聞かせてもらっていた。

 

「スタッフ研修生になるってことかい」

 

 ホープアンドプレイの問いに、あたしは首を横に振った。はじめに話を聞いたとき、あたしもそうするのかと思ったけれど、どうやら違うらしい。

 本来、チームのスタッフになるにはトレセン学園のスタッフ研修生のクラスを卒業する必要がある。あたしたちが所属している競走ウマ娘用のクラスとは別の課程だ。もちろんこのコースに通うウマ娘もいる。本来、チームスタッフを目指すのなら、クラウンセボンもこちらへ転課する必要があるはずだった。

 

「でも、例外があるんだって」

 

 その例外というのが、中央でレースデビューしたウマ娘で、チームを運営するチーフトレーナーから推薦を受けた者は、研修生のクラスに通うことなくそのままチームスタッフになれるという制度だ。もちろん、いちスタッフになれるというだけで、いきなりトレーナーになれるわけじゃない。おまけにチームの運営に役立つと認められるほどの知識と教養が無くてはいけない。

 

「つまり、ボンなら何の問題も無くこの制度を使えるってわけ」

「へえ、なるほどね」

「安心した?」

「安心したのはキミだろ」

 

 ホープアンドプレイの憎まれ口にも、言い返す気にはならなかった。本当に、安心したのはあたしだから。

 だけど、続いて彼女の口から飛び出した言葉には、安心していられなかった。

 

「で、NHKマイルカップの準備はできてるの」

「……あ、やば」

 

 すっかり忘れていた。もう本番は再来週。友達二人の大事なレースにかまけて、あたしは自分自身のことがすっかりそっちのけになっていた。仕方ないじゃない、とあたしは口の中で言い訳した。片や最後の、片や初出走のレースを控えた仲間のことを思えば、次のレースのことなんか考えてらんないもの。

 

「バカじゃないの」

 

 心底呆れたような声。今回ばかりはホープアンドプレイが正しい。わかってる。

 

「きゅ、休養だよ! 桜花賞まで、キツいローテだったもん」

「キミ全然元気だったじゃないか」

 

 ぐうの音も出ない。とはいえ、トレーナーからは別に何も言われていないし、基本のメニューはちゃんとこなしている。ただ、せっかく本番の会場になる東京レース場に行ったのに、ろくにバ場の視察も対策の想定もしなかっただけだ。こう考えると十分酷い。

 

「大丈夫だよ、あたし一月のデビュー戦で一回走ってるし」

「一月の芝と五月の芝が全然違うことくらい、キミも知ってるだろ」

 

 ダメだ。口じゃ勝てない。そういえば、ホープアンドプレイだって頭は良い方だった。あたしは諦めてベッドに飛び込んで、頭から毛布を被った。

 

「うるさーい、明日から本気だすもん」

「頼むよホント」

 

 妙に優しいその言い方が、かえって痛い。

 

「まあ、よかったよ、とりあえず」

 

 灯りの消えた部屋の中で低く聞こえたその言葉が、なにに対してのものなのかは、はっきりとはわからなかった。

 

 

「あれ」

 

 次の日、練習コースへ向かうと、いつも別メニューで練習しているはずのチームメイトの姿があった。

 

「テンダー、今日はメニュー一緒?」

「あ、ルピナスさん! そ、そうなの。トレーナーさんが、今日からしばらくはルピナスさんと一緒にって」

 

 おどおどしながら、テンダーライトは両手の指を組んでそう言った。

 トレーナーがどうしてテンダーライトをあたしの練習相手にしたのかは、なんとなく察しがついた。普段、テンダーライトはクラウンセボンのトレーニングパートナーだったはず。その相手が、もう走らないから。ホープアンドプレイは休養中だし、レイアクレセントは脚に負担がかからないよう、特別に組んだメニューで調整している。そうなると、併走相手になれるのはあたししかいない。向こうも、それはわかっているみたいだった。

 あたしは知らぬ素振りをして、内気なチームメイトを励ますように、明るい調子を作って言った。

 

「へえ、いいじゃん。最近あんまり一緒に走ってなかったから、楽しみだよ。今日は坂路三本、少し強めに行くからね」

「わ、わわ。ふつつかものですけど、よろしく?」

 

 緊張したのか言葉がおかしくなるテンダーライトに、思わず笑いがこぼれる。これじゃまるであたしの方が励まされたみたい。

 

「じゃあ、行くよ。テンダー先行して」

「う、うん!」

 

 そのほんの三分後。下りの道で息を整えながら、あたしはおもむろに口を開いた。

 

「テンダー、アンタ、結構やるじゃん」

「そ、そんなことないよ。結局、抜かれちゃったし」

 

 本人はそう言って謙遜するけど、正直あたしはテンダーライトの予想以上の力に驚かされていた。一番きつい最後の1ハロン、テンダーライトのスピードは落ちなかった。ほとんどの子はここで体力の限界がきてタイムを落とすはずなのに、テンダーライトは最後まで同じペースで走り切った。後ろから追走したあたしはクビ差先着がやっと。スピードではあたしの方が上だけど、その持続力はテンダーライトの方が上かもしれない。

 

「そういえば、テンダーが勝ったレースって2000メートルだっけ」

「う、うん。あとは全部、負けちゃってるんだけど」

 

 デビュー戦は1800メートルで二着。次の2000メートルの未勝利戦で初勝利を上げたあと、1800、1600の一勝クラスのレースで四着、二着。大敗することもない一方で、勝ちきれないレースが続いている。

 

「でも、今日の感じだともっと長い距離の方が良いかもよ?」

「そ、それ、トレーナーさんも同じこと言うの」

 

 テンダーライトはそう言いながら、不思議そうに首を傾げた。

 

「でも、ほんとかな。私、マイルでも長すぎて逃げ切れないのかと思ってたんだけど」

「うーん、でも勝ったレースは2000なんでしょ?」

「あ、あれは未勝利戦だし、たまたまかもしれないし……」

 

 考えてみればおかしな話だ。マイルの距離で逃げ切れない彼女が、距離を延ばせば逃げ切れるようになるかもしれないなんて、ちょっとよくわからない。でも、あたしも感じた。実際に併せて走ってみると、テンダーライトの適性は明らかにあたしより長い。短い間しかいい脚が使えないあたしと違って、彼女の脚はより長く保つことができる。いまさっきだって、捕まえられないんじゃないかと焦ったくらいだった。とても一勝クラスで勝ちきれないような実力とは思えない。

 

「とりあえず、もう一本いこう」

 

 二本目、三本目と繰り返して、驚きは確信に変わっていた。やっぱり、テンダーライトの持続力は並じゃない。スピードだって十分にある。バ群を怖がるクセさえ何とかなれば、レイアクレセントみたいな強い先行タイプとして活躍できるはずだ。

 

「テンダー、やっぱり今でもレースは怖いの?」

 

 オブラートに包むことなくあたしは率直に尋ねた。これだけの力があるのにそれを発揮しきれないなんて、もったいないどころの騒ぎじゃない。

 あたしの真剣な態度に、テンダーライトはきちんと答えてくれた。

 

「うーんとね、レースというよりも、足音が怖いの。音が近づいてくると、身体がすくんじゃって、思い通りに動かなくなっちゃう。怖がっちゃダメだって、頭ではわかってるんだけど」

「じゃあ、あたしとの併走も怖かった?」

「う、うん。実は、ちょっとね。ルピナスさん、すごい踏み込みで追いかけてくるから。わかってるんだよ? 併走で足を踏まれるなんて、まず起きないって。でも、ダメなの」

「そっか。なんか、ごめんね」

 

 あたしひとりの足音でもそうなるんじゃ、かなりの重症だ。逃げ脚質というより、本当の意味で逃げていると言っていい。むしろ、それで善戦しているのだから、逆にすごいことなのかもしれない。

 

「あ、で、でも、おかげで必死に逃げようって気になるから、悪いことばかりじゃないんだよ?」

 

 えへへと笑って頭をかくテンダーライトに、あたしは何とも言えないもどかしさを感じていた。

 

「もっと楽に走れたらいいのにね……」

「だから、距離を延ばすの」

 

 突如聞こえてきた声に振り返ると、そこにはトレーナーと、今日のメニューを終えたと見えるレイアクレセントが立っていた。そして、その後ろから、ぴょこんと顔をのぞかせる栗毛の髪。

 

「ルピナスちゃん、どう? カッコいい?」

 

 それはトレーナーと同じ色のジャケットに身を包んだクラウンセボンだった。髪型も以前のツインテールから、トレーナーとおそろいのポニーテールに変えている。並ぶとまるで年の離れた姉妹みたいだった。

 

「うん、似合ってる」

 

 寂しくない、といったら嘘になる。でも、親友が選んだ道に水を差すようなことは言いたくなかった。きっとこの道で、クラウンセボンは今まで以上に輝いてくれるだろうから。

 

「二人とも、今日のメニューは終わった?」

 

 トレーナーの問いにあたしたちはそろって頷いた。

 

「そう。なら、ちょっとトレーナー室に来てもらえる?」

 

 どうやら、あたしたちを呼びに来たらしい。断る理由もないので、あたしたちはまたそろって頷いた。

 

「と、ところでトレーナーさん、どういうことですか? “だから距離を延ばす”って……」

 

 トレーナー室への道を歩きながら、テンダーライトが尋ねた。そういえば、その話だった。トレーナーは、テンダーライトが楽にレースを走れるようにするために「レースの距離を延ばす」と言っていた。やっぱり、彼女の適性はもっと長い距離にあるということだろうか。

 

「能力だけで言えば、テンダーはマイルでも戦えるはず。スピードもあるし、持久力だってある。だけど……」

 

 トレーナーはそこでちらりとあたしを見た。きょとんとするあたしを尻目に、トレーナーは先を続けた。

 

「マイルだと後続の子たちもかなり速いから、どうしても追い立てられる感じになる。だから、必死に逃げなきゃって気になるでしょう」

 

 テンダーライトは、トレーナーの言葉にうんうんと頷いている。

 

「そうすると、無駄に体力を消耗してしまうの。テンダーの場合、普通に走れば体力的にもスピード的にも問題ないはずなのに、後ろのペースに急かされて、掛かってしまって余裕がなくなる。短ければ短いほど。直感的には納得しづらいかもしれないけどね」

 

 確かに、そんな風に考えたことはなかった。短ければスタミナはいらないし、長ければスタミナが大事、それがすべてだと思っていた。短くて忙しいレースになると掛かって余裕がなくなる、なんて不思議な感じ。でも、レース中に“掛かる”と余計な体力を使うというのは以前教官からも習ったことだ。

 

「え、じゃあテンダーは今までずっと掛かりっぱなしでレースしてたってこと?」

「それと同じような状態で走ってたってこと」

 

 にわかには信じられない話だった。それで掲示板を外したことがないなんて、ものすごいことをやってるんじゃないのか。トレーナーは続けてテンダーライトに尋ねた。

 

「思い出して。2000メートルの未勝利戦のときは、他のレースに比べてずいぶん楽じゃなかった?」

「い、言われてみれば……。あの時は、周りも見えたし、このくらいなら追いつかれないって考えながら走れたし……」

「それは、中距離戦のペースが、テンダーのメンタルにはちょうどいいってことだよ」

 

 未勝利戦の後、二度のマイル戦に挑んだ姿を見てトレーナーはそう確信したのだという。そして、今後テンダーライトに2000メートル未満の距離を走らせる必要はない、とも。

 

「ほ、本当に大丈夫なんでしょうか。私、そんなに長い距離逃げ切れるか、自信が……」

「まあ、とりあえずやってみよう。もう次のレースには登録してあるから。2000メートルの一勝クラス。期日はNHKマイルカップの前日ね」

 

 そう言って、トレーナーはあたしに目配せしてきた。

 

「もしかして、あたしとテンダーを組ませたのって」

 

 そういうこと、とトレーナーはいたずらっぽく答えて一度瞬きした。クラウンセボンのこともあるだろうけど、そっちの狙いもあったのか。相変わらず用意が良いこと。

 

「で、あたしたちはなんでここへ来たんだっけ?」

 

 いつの間にかあたしたちはトレーナー室の前まで来ていた。図らずもミーティングらしいことはここまで歩いてくるうちに済ませてしまったし、一体何をするつもりなのか。あたしが根本的な疑問を投げかけると、それに答えたのはトレーナーではなく、クラウンセボンだった。

 

「はいはい! 私が頼んだの。みんなを集めてって」

「ボンが?」

 

 すると今まで黙って付いてきていたレイアクレセントが、腕組みをしたまま言った。

 

「皆さんに会わせたい方がいらっしゃるそうですよ」

 

 会わせたい人? ボンが? あたしが首をかしげていると、レイアクレセントはクスクスと笑って、あたしの疑問に対する答えの発表を促した。

 

「さあ、もったいつけずに教えてあげてくださいな。ルピナスさんが困ってしまいますよ」

 

 クラウンセボンは目いっぱい胸を張ると、わざとらしい口調で口上を述べながらトレーナー室の扉に手をかけた。

 

「では発表させていただきましょう。私のトレーナー助手としての初仕事、それは~」

 

 そうして、自分の声のドラムロールを鳴らしながら、扉を二、三度ノックした後、勢いよく開いた。

 

「じゃじゃーん!」

「何してんの」

 

 扉の向こうに立っていたのはホープアンドプレイだった。そう言えば、今日は彼女は休養日。トレーニングを休んでいるのだから、ここにいたっておかしくはない。ただ、そうなると何がそんなに大事な発表だったのかわからない。ぽかんとするあたしたちの前で、クラウンセボンは慌ててホープアンドプレイを押しのけた。

 

「ホープちゃん! 違うでしょ、ホープちゃんじゃなくって!」

「バカみたいな声が聞こえたから、何かと思ってさ」

「んもう、ホープちゃんのいじわる!」

 

 そこへ、ごちゃごちゃと言い合っている二人の向こうから、もう一つ別の声が聞こえてきた。

 

「あのー……?」

 

 その瞬間、あたしとテンダーライトは互いに顔を見合わせた。間違いない。女の子の声。それも、知らない子の声だ。ここはトレーナー室。チームに関係ない人は決して立ち入らない場所。そこに、いままで聞いたことのない女の子がいる。それが何を意味するのか、あたしたちはすぐに分かった。

 

「トレーナー」

「うん。ボンが連れてきてくれたの」

 

 その答えを聞いたら、いてもたってもいられなかった。まだ押し問答している友達二人をどかして、その子が待っているであろうトレーナー室へと飛び込んだ。

 

「はじめまして!」

 

 あたしの顔を見るなり、その子は元気よく挨拶の言葉を口にして、キビキビとした動きでお辞儀をひとつした。少し小柄な、ふわふわの黒鹿毛。赤いベレー帽と、右の耳につけた黒いメンコが可愛らしい。

 

「チームに入ってくれるの!?」

 

 挨拶を返すのも忘れて、あたしは掛かり気味に尋ねた。仲間が増えてくれるのは、やっぱり嬉しい。それが、あたしの大事な親友が連れてきた子とあれば、なおさらだった。

 

「こちらこそ、今日はお願いしに来たんです。チームに入れてくださいって」

 

 ハキハキと喋るその子は、見たことのないウマ娘だった。どうやらあたしたちの同期ではないみたい。そこへ、もみ合いを終えたクラウンセボンが、尋ねる前にその疑問に答えてくれた。

 

「ジュニア級の子。一学年下だよ」

「あ、やっぱり」

「あの!」

 

 そこへ新人の子が、背伸びをするような格好で、あたしに話しかけてきた。なに? と聞き返すよりも早く、その子は元気よく口を開いた。

 

「私、ルピナスさんが憧れなんです!」

「へ?」

 

 予想だにしないセリフに、思考が追い付かなかった。

 

「デビュー戦から、ルピナスさんのレースは全部見ました。どれも最高にカッコよくて、私もあんな風になりたいなって思ってるんです!」

 

 こういう言葉は、ファンレターの文字で読むと嬉しいだけなのに、声に出されるとどうしてこうも気恥ずかしいのか。でも、クラウンセボンが連れてきた子というのを思い出すと、ああなるほどという気がした。

 

「あらあら、こんな熱烈なファンがいらっしゃるなんて、ルピナスさんったら羨ましい限りですわ。桜花賞で勝ったのは私ですのに。あんまりですわ。妬いてしまいますわ」

「ああっ、ご、ごめんなさい!」

「クレセント、面白がってるでしょ」

 

 怒っていないのは耳を見ればわかる。口調もふざけているし、あたしのことを茶化しに来ているのは明白だった。

 

「冗談ですよ。可愛らしい後輩じゃありませんか」

 

 ニコリと笑みを投げかけられて、その子も少し落ち着きを取り戻したようだった。

 

「ま、まあ、ありがとう。ところで、名前は?」

 

 するとその子はハッとしたような表情になって、身に着けた制服をササっと手で整えた。それから、姿勢を正して礼儀正しく一礼し、ハッキリとした明るい口調で答えた。

 

「ショコラレインって言います。どうぞ、よろしくお願いいたします!」

 

 長い睫毛の奥で、キリっとした瞳がまっすぐこちらを見つめている。愛らしい響きの名前を授かったその子の見た目の印象は、とてもしっかりした子という感じだった。

 

「トレーナー?」

 

 あたしに異存はない。それは他のみんなも同じようだった。あとは、このチームを束ねるトレーナーが決めること。

 トレーナーはそれほど間を置くことなく、あっさりと答えた。

 

「うん、よろしく。ショコラレイン」

 

 それを合図に、あたしたちは全員でこの小さな新しいメンバーを取り囲んだ。嬉しそうに顔を赤らめる少女に、先輩たちから質問攻めの雨が降る。トレーナーが準備していたらしいお菓子や飲み物を並べて、即席の歓迎会が始まった。

 

――そうか、そうだったんだ。

 

 笑顔でショコラレインの隣に腰掛けるクラウンセボンを見ながら、あたしはふっと、あたしたちの最後の追い切りの日を思い出していた。

 




登場人物-No.10【ショコラレイン】誕生日 2月27日

【挿絵表示】

身長 150cm/体重 完璧な仕上がり/BWH 77-53-78
毛色 黒鹿毛/靴のサイズ 両足22.0cm
 ルピナスたちの一学年下。五歳年上の姉が一人いる。
 運動も勉強も優れた姉を見習い、自身もしっかり者のウマ娘になろうと努力している。トレセン学園に来てからは、ヒト生まれながら生まれの逆境を覆して活躍しているルピナスに感銘を受け、憧れを抱いた。

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