「あなたを、スカウトさせてほしいの」
それは私にとって、挑戦だった。どんな反応が返ってくるか、想像するだけで手足が震える。本来、トレーナーとウマ娘との関係は、こんなものではないはずなのに。
そんな私の挑戦を受けた青鹿毛の少女、ルピナストレジャーは、どこか不満げだった。
「あたしだけ?」
唇をとがらせ、挑発するような目で私を見つめてくる。その意味は、すぐにわかった。彼女の
「この子も一緒じゃダメ?」
それは願ってもない話だった。ルピナストレジャーには見劣りするものの、栗毛の子の方も、今日見ていた子たちの中ではよく仕上がっている方だ。重賞はむりでも、うまくすれば条件戦くらいには勝ち上がれるかもしれない。いまの私には十分戦力になる。
だが当の本人はというと、友達の袖を握りしめながら、ふるふると首を横に振っていた。
「ルピナスちゃん、私はいいから……」
その仕草は、私を嫌がっているというより、遠慮しているように見えた。そんな慎ましやかな友人に向かって、青鹿毛の少女は強い口調で言った。
「ダメだよ。こないだボンがひとりでスカウトされたあの話、断ったんでしょ」
「それは、私とルピナスちゃんを比べて、私だけがスカウトされるのはおかしいから」
どうやら、何か事情があるようだった。
「あなたの名前は?」
私はまだ名を知らない栗毛の少女に話しかけた。
「クラウンセボンです。みんなからは、ボンって呼ばれてます」
「あなたも、まだ誰とも契約していないの?」
「ええ。そうです」
そこへ、ルピナストレジャーが横から割り込むように口を挟んだ。
「あたしのせいなの、それ。本当なら、ボンはとっくに契約しててもおかしくないんだよ」
「どういうこと?」
私が尋ね返すと、クラウンセボンは、ちらちらとルピナストレジャーの様子をうかがっている。わけを話してもいいものか、迷っているようだった。すると、ルピナストレジャーは「言いなよ」と小声でつぶやき、私の方へあごをしゃくって見せた。それに従うように、クラウンセボンはためらいがちに話し始めた。
「あの……私、先月、あるトレーナーさんからスカウトを受けたんです。うちのチームに入らないかって。でも、それはお断りしたんです」
クラウンセボンの話を聞きながら、ルピナストレジャーはそわそわと落ち着かない様子だった。「あたしのせい」と言っていたことと、つながりがあるのだろう。
「どうして断ったの?」
そう言って、私は話の続きを促した。クラウンセボンはやはりもじもじしながら話しにくそうにしている。察するに、この話は彼女の大切な友人にとって、あまり愉快ではない話らしかった。
「それは……そのトレーナーさんが、ルピナスちゃんとは契約しないって言ったから」
「ちょっと違うね」
我慢ならないといった調子で、ルピナストレジャーが再び割り込んできた。
「ボン、もっとはっきり言いなよ」
「だって……」
「あのね、トレーナーさん。その、ボンをスカウトしてきたトレーナーはこう言ったの」
青鹿毛の少女は耳を絞って、いかにも不機嫌そうに言った。
「『ヒト生まれのウマ娘はいらない』って」
一瞬、時間が止まったような感覚がその場を支配した。私の頭は、たったいま、ルピナストレジャーが口にした言葉の意味を理解するのを拒否している。
「『ヒト生まれのウマ娘は走らない』からだって」
立て続けに飛んでくる二の矢が
「あなた、ヒト生まれなの」
「やっぱり、知らなかったんだね」
ルピナストレジャーはあきれたように肩をすくめた。
「こんなことは何度もあったの。それでボンったら、意固地になっちゃってさ。『ルピナスちゃんと一緒じゃなきゃ、私は誰とも契約しません』なんて言い出したんだよ」
「だって、ルピナスちゃんは、私なんかよりずっとずっとすごい子なんですよ。トレーナーさんだって、見ていたでしょう? 私なんかじゃ、きっと100回勝負してもルピナスちゃんには勝てません。それなのに、お母さんがウマ娘じゃないっていうだけで、こんなの、おかしいもの」
口々に思いをぶつけてくるふたりを見つめながら、私はふたつのことに衝撃を受けていた。
ひとつは、こんなに近くに、もうひとりのヒト生まれがいたのだということ。ホープアンドプレイに出会うまで、私はこの目で実際にヒト生まれのウマ娘を見たことはなかった。それなのに、立て続けにこうして遭遇するとは、偶然という一言では片づけられない。運命的な何かを感じずにはいられなかった。
そしてふたつめは、そんなヒト生まれがトレセン学園にいるということを知らなかった自分の見識の狭さだった。かつて、父の後を追う形でチーム所属のサブトレーナーになったとき、周囲から言われたことを思い出す。“早すぎる”“世間知らずの七光り”“強いウマ娘しか知らないようでは、本当の意味でウマ娘を知るトレーナーにはなれない”エトセトラ。……本当にそのとおりだった。いまさら、それを実感している。ここ数日の無名なウマ娘たちの観察から、今日のこの出会いまで、自分がいかに何も見ていなかったか、痛感させられることばかりだ。
「それで、トレーナーさん、どうなの」
ルピナストレジャーの声に、私は呼び戻された。いつの間にか、すっかり日は沈んで、ライトアップされたグラウンドの明かりが、まぶしく私たちを照らしている。
「あたしをスカウトするなら、ボンも一緒にチームに入れてよ。……それとも、あたしがヒト生まれとわかったら、この話は取り消し?」
そんなことはない、と私はかぶりを振った。取り消す理由がなかった。大切なのはヒト生まれかどうかではなく、魅力のある脚をもっているかどうかなのだから。
「それより……」
むしろ、私の方こそ打ち明けねばならない話がある。それは、ホープアンドプレイのときにはできなかったこと。今度こそ、自分の方から話さなければと思った。
「あなたたちこそ、私でいいの? だって私は、あの薬の事件があったチームの――」
「知ってるよ。ナントカっていうクビになったトレーナーの、子供なんでしょ」
ルピナストレジャーは、私の告白をさえぎるようにそう言った。クラウンセボンも、小さくうなずいている。私は軽くめまいを覚えていた。
「知ってたの」
「当たり前だよ。アンタ、有名人だもの」
「だったらどうして」
「だからいいんじゃない。あたし、アンタのこと狙ってたんだ。わざわざ目の前で、居残りトレーニングまでしてさ。アンタなら、どんなウマ娘でも欲しがるだろうって思ったからね」
ひどい言われようだ。だけどそれは、私が無名なウマ娘をスカウト候補にしていたことと理屈は同じ。私も他人のことを言えた義理じゃない。それに、正直な子なのはかえって好感がもてた。
「怖くないの? 何をされるかわからないのに」
「そうねえ。噂じゃアンタ、ウマ娘を薬漬けにしたり、改造手術したりして、ボロボロになるまでこき使ったら、最後はポイ捨てするんだなんて話になってるよ」
そこまで尾ひれがついているとは知らなかった。あまりに荒唐無稽な話過ぎて、怒る気にもなれない。
「信じてくれないかもしれないけど、私は」
「わかってる。そんなのでたらめだって」
あたりまえじゃない、とルピナストレジャーは笑った。
「だって、アンタがもし噂通りの悪い奴だったら、アンタも一緒にクビになってるはずでしょ。トレセン学園って、そんなに甘いところじゃないもの。他の子だって、ほとんどみんなそう思ってるはずだよ」
「そうなの?」
「そうだよ。みんなが本当に怖がってるのは、アンタのことじゃない。アンタのチームに入って、親や友達からどう思われるかって、そっちの方を怖がってるの」
言われてみれば、その通りかもしれない。トレセン学園に通う子たちは、能力の如何にかかわらず、裕福で名のある家柄の出が多いし、そうでなくても、みな衆目に晒されるようなスターを目指しているのだ。背負わされた責任や期待の大きさは、同じ年頃の他の学生たちとは比較にならない。であれば当然、スキャンダルの臭いがするところには近寄りたくないだろう。それが事実かどうかはあまり意味をなさないのだ。
「……あなたは怖くないの?」
「全然。あたしが目指しているのは、勝つことだけ。それ以外の根も葉もない噂には、なんの興味もない。あたしは勝たなきゃいけないの。母さんのために。ヒト生まれでも、勝てるんだって証明するために」
母さんのために。その台詞は、これまで何度も耳にしたことのある、ありきたりな文句だった。けれど、この青鹿毛の少女の口から放たれたそれは、いままでに聞いたどの同じ台詞とも違う、特別な響きがあった。
「そのためには、トレーナーが必要なの。ヒト生まれがどうとか、そんなくだらないことばかり見ているやつじゃなくて、あたし自身を見てくれるトレーナーがね」
もうこれ以上、彼女の覚悟を確かめる必要はない。必要なのは、私の方の覚悟だけだ。
「あなたは? 私でいいの?」
念のため、クラウンセボンにも確認した。いくら片方がそれでいいと言っても、双方がそれに納得していなければ、ふたりを同時にスカウトすることはできない。
答えは、すぐに返って来た。
「はい。もし契約していただけるのなら。私は、ルピナスちゃんが信じるトレーナーさんを、信じます」
その言葉には、微塵も迷う様子がなかった。そうなれば、私の返事も決まっている。
「ルピナストレジャーさん、クラウンセボンさん、ふたりとも、これからよろしく」
「よろしく。トレーナー」
「よろしくお願いしま……クシュン!」
クラウンセボンの大きなくしゃみで、私たちはあたりが一気に冷え込んできたことに気づいた。二月の夜は、特に寒い。気づけば、吐く息も白くなっている。そろそろ帰らないと、風邪をひきそうだ。それに、学生のふたりには寮の門限もある。
「それじゃ、さよなら」
「ありがとうございました」
そう挨拶を残して、ふたりは手を取り合いながら、急ぎ足でグラウンドを出て行った。そんな彼女たちの後ろ姿を見つめつつ、私は深い充足感に満たされていた。
その日の夜は、久しぶりにぐっすりと眠りにつくことができたのだった。
その三日後、私はサカイ氏のもとへ出向いていた。ホープアンドプレイが編入試験を無事突破したという報告をするためだった。サカイ氏は嬉しそうに手を叩きながら、何度も何度も頭を下げて喜びを口にした。
「いやあ、本当によかった。心配ないとは聞いていましたが、いざその時となると緊張するものです」
「おめでとうございます。これで四月から、彼女は晴れてトレセン学園の生徒になりますよ」
「ありがとうございます。ナギサさんには学費の件からなにから、面倒をみていただきまして」
「いえいえ、むしろこのくらいのことはさせていただきませんと」
本来、ホープアンドプレイは、トレセン学園の学費を用意することができないという問題があった。施設が子供の養育に使える予算は、トレセン学園のような私立の学校に通わせられるほど潤沢ではないからだ。だがその問題は、私のトレーナー推薦枠での編入学ということにより、卒業まで納入の猶予をもらえるということで解消された。彼女がトゥインクル・シリーズで活躍すれば支払いは免除されるし、そうでなくても卒業後に自分のペースで支払うことができる。身寄りのない彼女にとっては、最高の解決策となった。
「……それと、チームのことなのですが」
この日、私ははじめて、チーム事情についての話をサカイ氏の前で持ち出す勇気が得られた。いまさら、という感は否めないものの、これからのことを考えても、うしろめたさを残したまま、なあなあで終わらせていい話ではない。
「契約選手数の件についてはいろいろとご心配をおかけしています。本来なら、はじめにお話ししておかなければならないことでしたが……」
サカイ氏はそれについて否定も肯定もせず、ただ私の言葉をひとつひとつ確かめるように、ゆっくりと相槌をうちながら聞いてくれた。
「ホープさんから聞きました。サカイさんはすでにご存じだったと。それでも、私を信頼してくださったことには、感謝してもしきれません。この御恩には必ず、結果でお答えしたいと思います」
今度は、頭を下げるのは私の方だった。サカイ氏はそんな私に向かって、ゆったりと落ち着いた口調で語り掛けてきた。
「はじめてあなたにお会いしたとき、私はおどろきました」
私は少し面食らった。てっきり、チームのこれからについていろいろと根掘り葉掘り聞かれるものだと思っていたからだった。そんな私の思いを知ってか知らでか、サカイ氏はぐいと身を乗り出し、私の顔をじっと覗き込んできた。そして、静かに、けれどはっきりとした音で、言った。
「あなたの目、その目が、あの子と同じ目をしていたからです」
「私の目が?」
「そうです。その目です」
あの子、というのが、ホープアンドプレイのことだいうのはすぐにわかった。けれど、その真意はつかめない。いったいどういうことなのだろう。私が「はあ」などとあいまいな返事をしているうちに、サカイ氏は真剣な顔で、先へと話を進めていった。
「その目は、痛みを知っている目です。あなたは、あの子と同じ痛みを知っている」
「……そうでしょうか」
なるほど、とは言えなかった。私は、彼女がどんな痛みを経験してきたのか、その詳細は知らない。だが、幼い身で親と引き離されるほどの事情があったという事実は、その苦しみが想像を絶するものであったということを物語っている。それに対して、私がいま抱えている痛みなど、たかだかトレーナーとしてのキャリアに傷をつけられたという程度のこと。比べることすらおこがましいとさえ思えた。
しかし、それでもサカイ氏は、自身の考えに確信を持っているようだった。
「そういうわけで、私は、はじめてお会いしたときから、あの子をお任せするなら、あなた以外にはありえないと思っていたのです」
どうしてこれほどの信頼を寄せられるのか、私には全くと言っていいほど理解できなかった。ただ、こうまで言われてしまうと、それを
「ご苦労なさっていることは重々承知のうえですが、どうかひとつ、あの子のことを、よろしくお願いいたしますね」
「……わかりました」
そう答えるよりほかなかった。
施設を後にして、トレセン学園へ戻る途中、私はステーショナリーショップに寄って、新品のファイルを三冊買った。私が初めて作る、担当ウマ娘の記録だ。
トレーナー室の棚の中から、もうここにいないウマ娘たちの名が書かれた青色のファイルをすべて出し、代わりに新しい、オレンジ色と、黒と、白のファイルを一冊ずつ並べる。私はその背表紙に書いた名前を指でなぞった。クラウンセボン、ルピナストレジャー、そして、ホープアンドプレイ。棚のスペースにはまだ余裕がある。
これからが、本当の勝負の始まりだ。
登場人物-No.03【ルピナストレジャー】誕生日 11月2日
【挿絵表示】
身長 157cm/体重 増減なし/BWH 80-55-83
毛色 青鹿毛/靴のサイズ 両足23.5cm
両親ともに人間である、もうひとりの「ヒト生まれ」。期待をかけ、応援してくれた両親のために、トゥインクル・シリーズで活躍することを夢見ている。鋭い末脚の切れ味が自慢のマイラー。
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序章はここまでです。
次回から第1章が始まります。
語り手が変わります。