ストレイガールズ   作:嘉月なを

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一週間に一本のペースでアップロードしてきた本作ですが、
ボイスドラマ化企画を進行させるため、
少しの間休載するか、更新ペースが落ちるかもしれません。(エイプリルフールではありません)
どうか今後ともよろしくお願いいたします。


#37-最高の場所

「ああっ!」

 

 大歓声の中で悲鳴を上げたのは、クラウンセボンだった。

 

「なに、どうしたの」

 

 返ってきた答えは、まったく想定にないものだった。

 

「フォーミュラさん、スタート失敗しちゃったみたい」

「え!?」

『――きれいなスタートです。大きな出遅れはありません。選ばれし18名の優駿が、数多の声援を背に受けてたったひとつの栄冠を目指します』

 

 場内アナウンスも、周りの観客も全く気付いた様子はない。実際、レイアフォーミュラは一見、スムーズなスタートを決めたように見えた。なにかの見間違いじゃないか、というのが感想だった。もちろん、あたしは内枠の方に注目していたから、よく見ていたわけじゃないけど。

 ところが、異変はすぐに表れた。

 

『注目の大外レイアフォーミュラはそれほど行きません。今日は後方からのレースを選択するようです。さて先行争いはどうなるか。内からやはり上がっていった1番パレカイコ。それから5番ポエタリリコが押していきます。無敗の桜の女王、レイアクレセントはその後ろへマークする格好となりました。集団は最初のコーナーを曲がって、これから向こう流しへと向かいます』

 

 いつも先頭集団の中でレースをしているはずの彼女が、すうっと位置を下げる。初めて見る光景に、場内からはどよめきが起こっていた。

 

「完全にタイミングを外されてた。逆足に体重を乗せた瞬間にゲートが開いちゃったの」

 

 それでも出遅れずに飛び出せるあたり、流石としか言いようがない。だけど、やはり体重移動の失敗は大きいようで、スタートダッシュで普段通りの加速ができていない。こうなると、無理に脚を使って前へ出るよりは、素直にポジションを下げた方がいいと判断したんだろう。

 

『レイアフォーミュラは、後方四番手あたりに付けたでしょうか。やや縦長の展開になっていますが、どうでしょうか。あるいは桜の女王とのマッチレースのような展開になるかとも思われましたが、そうはいかないというのがどうやら答えのようです』

 

 まさか彼女がスタートで失敗するだなんて、誰も思わない。なにか作戦があるに違いないと考えるのは、至極当然だった。

 

「でも、フォーミュラさんは別に焦ってないみたいです」

 

 ショコラレインが言った。目を凝らしてみると、レイアフォーミュラの表情に動揺は見られない。こうなった時のことも想定していたのか、それともこれくらい大したことはないと考えているのか。どちらにしても、自信はまったく揺らいでいないようだった。

 

『さあ三強の位置取りは、パレカイコとクレセントが前、フォーミュラは後方とわかれました。……隊列を確認していきましょう。先頭はポエタリリコ。外ホワイトロッコ。続いて1番パレカイコ、その外スフマート、オリンピアコス。14番ドリームハリアーここにいて、その後ろ、じわっと様子をうかがうように2番レイアクレセント、アンビシオンはちょっとかかり気味か。9番ブレイクジアイスに並びかけてトランシャント、今日は中団バ群の中。ターフェルルンデ、ハレノヤマビコは中団のやや後ろ。それを追って13番ハンクアハンク、そしてここ! レイアフォーミュラはここにいました。後ろから五、六人めの位置。これは作戦通りなのでしょうか。後にはフジノフラッグ、レクトクリサリス、ストームライナーと続きます』

 

 一番人気の名前がコールされ、ターフビジョンに大きく映し出されると、場内からはひと際大きな歓声が上がる。あたしたちはというと、それよりも前を行っているチームメイトのことが気になっていた。遠くてよくわからないけれど、いまのところはとてもいいリズムで走っているように見える。体感、少し遅め。もちろん、レイアクレセントにとっては初めて2000メートル以上の距離を走るレースになる。経験的にも、脚質的にも、ゆったりとしたテンポで進めたいというのが本音だ。

 そして、その本音は、どうやら他の出走者たちにとっても同じらしかった。

 

『1000メートルの通過タイムは1分1秒4、やはりスロー。それほど速い流れにはなりません。このペースはフォーミュラ陣営にとってどうか、あるいはちょっと気になる展開というところでしょうか』

 

 場内実況の声が焦っているのがわかる。展開的には、レイアフォーミュラにとっては不利な流れだ。スローペース、しかも良バ場。つまり前がバテてくれない。まして先団の中心にいるのは、タフなパレカイコとスピードのあるレイアクレセント。レイアフォーミュラとはまだ10バ身近い差がある。

 

「いや……これは、ヤバいでしょ」

 

 ぽつりとそうこぼしたのは、トーヨーメリッサだった。

 

「負けるじゃん、フォーミュラ」

 

 それは、戸惑いと歓びが入り交じった言葉。あたしたちウマ娘だからこそ、直感的にわかる感覚。この位置、このペース。普通ならまず届かない。特に、差し脚質のあたしとトーヨーメリッサにとっては、ここから差し切ることのつらさがよくわかっている。

 

「で、でも、だったら」

 

 声が震えた。そう。それなら、あたしたちのエースが、ティアラの女王が、この舞台で最高の結果をつかみ取れるかもしれない。そんな予感が次第に大きくなってくる。レース直前の速報値ではレイアフォーミュラの人気支持率は70パーセントを超えていた。その彼女を倒すなんてことになったら、単なる波乱じゃすまされない。そして、それはあたしたちにとって最高の下剋上になるはずだ。

 

「行け! 行っちまえ、クレセント!」

 

 残り1000メートルの標識を通過した。トーヨーメリッサは両手を振って叫んでいる。ちらりと横に目をやれば、クラウンセボンも、ショコラレインも、テンダーライトも、みんな祈るように両手を合わせて、怖いくらいに真剣な顔でレースを見つめている。

 

 そんな中で、あたしはチューリップ賞でのことを思い出していた。あの時、あたしは出遅れひとつでその後のレースプランが狂ってしまった。結果的には他人の降着に助けられることになったわけだけど、もしも、レイアフォーミュラがあの時のあたしと同じ状況になっているのだとしたら。当然、あたしよりもレイアフォーミュラは強い。だけど、いまレースを支配しているパレカイコやレイアクレセントだって、信じられないくらい強いウマ娘だ。

 

 大外枠、スタートの失敗、後ろからでは不利なスローペース、前が止まりにくい良バ場、相手は内枠でロスの無い走り。これだけの条件が揃えば、普通はまず勝てない。胸がドキドキしてきた。まさか、あるのか。絶対に負けないと思われていたレイアフォーミュラが、負ける。本当に、そんなことが。

 

『大欅を抜けて、さあ、新緑の季節を迎えた若きウマ娘たちの勝負所、動いた! 動いた! レイアフォーミュラが動いた! 二冠へ向けて、進出を開始した! しかし先頭まではまだ距離がある!』

 

 来た! やっぱり、簡単には終わらない。コーナーの外目をついて、するすると上がってくる。その目は、獲物を狩る獣と同じ。ここからが、本気の勝負だ。

 

『先頭はパレカイコに変わったか! オリンピアコス、ターフェルルンデも先頭を伺っている! 最高のメンバーが、最高のウマ娘たちが、正面スタンド前、最後の直線へと入っていきます!』

 

 まずはパレカイコが先頭を奪った。レイアクレセントもぴったりとそれについていく。作戦どおり、パレカイコの一バ身後ろ。ここまでペースが遅かった分、ヨーイドンで、上がりの勝負だ。スピード豊富なレイアクレセントの末脚ならば、可能性は十分にある。

 

『さあ府中の上り坂、その(きざはし)の向こう側に、栄光のゴール板が待っている! 先頭はパレカイコ! 三度目の正直へ! 最内手ごたえは十分だ!』

 

「よし!」

 

 今度叫び声を上げたのは、トレーナーだった。それと同時に、まるで通じ合っているかのように、レイアクレセントが仕掛けた。

 

『並びかけてきたのはレイアクレセント! ティアラの、己の力の証明をかけて、この勝利は譲れない! 先頭入れ替わったか!』

 

 かわした。ほんのわずかだけれど、たしかに前に出た。その光景に、会場のボルテージが一段上がる。史上初の、無敗の変則二冠が、もう目の前にある。レイアクレセントが、ダービーを制する。桜の女王が、世代の王者へ。期待の色に一度染まった府中のスタンドは、けれど次の瞬間、驚きと別の歓喜の色に塗り変えられた。

 ヒーローは遅れてやってくる。その言葉を体現するかのように、視界の外から、それはやってきた。

 

『大外から皐月のレイアが桜のレイアに襲い掛かる! レイアフォーミュラだ! あっという間に取り付いた! のこり200メートル!』

 

 観客の声量が一気に大きくなる。耳の奥がグワングワンと叩かれるような、地響きにも似た歓声。行け、行け。逃げろ、逃げろ。交差するふたつの感情は、まるで戦場。あたしが味方する方は? ――そんなこと、決まり切っている。

 逃げろ。逃げろ。逃げろ! 拳を握りしめて、あたしは叫んだ。

 

「クレセント! ……行け。行けぇ!」

 

 そして、祈った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――ぶつかり合う三強の夢!

 

 

 

 フォーミュラかわすか、かわすか!

 

 

 

 かわした! かわりました!

 

 

 

 抜け出したのはレイアフォーミュラ!

 

 

 

 レイアフォーミュラだぁぁぁーーー!!

 

 

 

 

 

 

『歴史に残る優駿たちの争い! そしていまここに、歴史に残る無敗の二冠ウマ娘誕生です! レイア家初のダービー制覇は、まさに最高傑作の証!』

 

 

 

 

 

『ああいま、チームメイトのパレカイコが、新しいダービーウマ娘へ何か声を掛けました。おそらくは祝福の言葉でしょう。仲間にして最強の壁、その壁の前に三度(みたび)敗れた彼女もまた、圧巻のレースを演出してくれたことに、我々は拍手を送らなくてはなりません。彼女たちの戦いは秋の京都へと続いていきます。それはまた、無敗の二冠ウマ娘にとっては新たな偉業への挑戦であり、敗れ去った者にとっては雪辱の舞台となることでしょう』

 

 

 

 

『そして、いま画面に映っているのは見事三着に食い下がりましたレイアクレセント。17名の三冠路線のウマ娘を相手に、ただひとり、ティアラ路線から挑戦状をたたきつけました。誠にその気鋭に恥じぬ戦いぶり、これもまたあっぱれと言うべきところでしょう。その目にはどうでしょう、光るものがあるでしょうか。例年であればそれぞれがダービーウマ娘の栄誉を勝ち得たであろう三強ですが、これが勝負の常。ダービーの称号を手にするのはただひとり。しかし、いや実に今後が楽しみとなる今年のクラシック世代であります』

 

 

 

 あたしたちの夢は、敗れた。最後は、パレカイコにも差し返されての三着。プルートのワンツー決着となった桜花賞の意趣返しのように、カペラが上位二名を占めることになった。 

 場内にいる多くの者が驚き、喜び、あるいは称賛しているその中で、そのどれにも当てはまらない者が、あたしのすぐそばにいた。

 

「……クソ。アイツでもダメなのか。あんなに有利にコトが運んだってのに。……ねーよ。マジでねーわ。こんなことって……」

 

 吐き捨てるように言ったのは、トーヨーメリッサだった。唇を噛み、固く握られた手の中では、親指のネイルが剥げかけている。不愉快そうな雰囲気を全開にしたその姿は、スポーツマンシップという意味では決して認められるものじゃない。それなのに、あたしはどうしても責める気持ちにはなれなかった。

 

「メリッサは、信じてたんだね。クレセントが、勝てるって」

 

 そのとたん、トーヨーメリッサは鋭い目つきであたしをにらんだ。

 

「アンタは、信じてなかったのかよ」

 

 尻尾に氷水をかけられたみたいな寒気が走った。

 

「……ごめん」

 

 もう、それ以外の言葉は出てこない。

 

「……どうしたのさ。桜花賞んときのアンタは、そんなんじゃなかったのに。アタシ、あの頃のアンタの方が好きだったな」

「メリッサさん、ルピナスちゃんは――」

 

 クラウンセボンが助け舟を出そうとしてくれた。けれどトーヨーメリッサは、その舟の行く先へと先回りして、笑いながら答えた。

 

「ワケがあるんだろ。……わかってるよ。こないだから、ずっとおかしーもん」

 

 そうして、トーヨーメリッサはため息をついて席を立った。そのまま立ち去るかと思いきや足を止め、こちらに振り向かないまま口を開いた。

 

「プルートのトレーナー」

「なに?」

 

 トレーナーも、トーヨーメリッサの方を向くことなく答えた。

 

「ルピナスのこと、ちゃんと立ち直らせてよ。アンタの力が、ソイツには必要なんだ」

「信用してくれるの? 私のこと」

「まーね。今日のクレセントを見て、泣くほど悔しがってくれるんだ。いろいろ噂はあるけど、アンタ、いいトレーナーなんじゃないかな」

 

 え、と思ってトレーナーの顔を見る。その頬には、流れ落ちた涙の跡がくっきりと残っていた。

 

「ルピナス、アンタ知らねーだろ。そのトレーナー、マイルカップんときも、おんなし顔、してたんだよ」

 

 トレーナーと目が合った。少し照れくさそうに笑っている。……全然知らなかった。

 

「勝ちに来いよ。マイルで結果を残したら。次は、アタシの距離で。待ってるから」

 

 呆然としているあたしを肩越しに見て、トーヨーメリッサはニヤリと笑った。

 

「言ったろ。勝ち逃げなんて許さねーって」

 

 あたしは何か言いたくて、口をパクパクさせていた。その間に、トーヨーメリッサは右手をヒラヒラさせて、呼び止める間もなく行ってしまった。

 なんだか、ここ何日もの間ずっと胸の奥につかえていたものが、どうしようもなくバカバカしいことに思えてきた。こんなに本気で、こんなにまっすぐに目の前のレースに向き合っている仲間たちがいるっていうのに、あたしときたら、全然違うことを考えていたんだから。

 

「ルピナスちゃん」

 

 クラウンセボンが、あたしの手を握った。

 

「大丈夫、ルピナスちゃん。私たちはみんな、ルピナスちゃんの味方だから。……クレセントさんも、きっと、そう言ってるんだと思う」

 

 言いながら、クラウンセボンはターフの方へと視線を動かした。その先には、肩で息をしながらスタンドを見上げて立っている、あたしたちのエースの姿があった。

 

「クレセントさーん! カッコよかったですーっ!」

「す、すごかったよー!」

 

 ショコラレインが、テンダーライトがありったけの称賛を送っている。ちょうどその時、客席は万雷の拍手と歓声に包まれた。それはウイナーズサークルで深々と一礼した勝者に送られたもの。でもいまのあたしには、あたしたちが夢を託した誇り高い桜の女王への、(ねぎら)いの音色に聞こえた。

 

「あたし、行かなきゃ」

 

 だから、いてもたってもいられなかった。

 

「ルピナスちゃん?」

「ボン、ありがとう。あたし、ちょっと行ってくる」

 

 後の返事は聞かないで、あたしは駆けだした。一刻も早く、地下バ道へ。そこへ戻ってくるはずの、あたしのライバルを迎えに行くために。

 

 あたし、バカだった。本当に、バカだった。あたしが一番大事にしなきゃいけないもの。それは、あたし自身が「勝ちたい」って思う気持ちだったんだ。みんながあたしを支えてくれているのは、あたしの勝利を望む気持ちに答えてくれたからだったのに。ヒト生まれだからだとか、血統の良いやつに勝ちたいからだとか、あたしが何を理由に勝ちたいかなんてこと、みんな気にも留めていなかったはずなのに。勝手に後ろめたく思って、勝手に自信を無くして。こんなの、一番カッコ悪いじゃないか。

 フォーミュラに勝ちたい。本家を見返したい。一番に注目されたい。そんな思いでダービーに挑んだクレセント。「本家」を「血統」に言い換えれば、あたしとおんなじだ。似た者同士だったんだ。その夢は、今日は叶わなかった。それでも、ちっとも恥ずかしくなんかなかった。世界一綺麗で、世界一カッコよかった。

 

「あっ」

 

 フロアの廊下の曲がり角、突然現れた大人のウマ娘と肩がぶつかった。本気で走っていたわけじゃないから、軽い接触で済んだけど、危ないところだった。

 

「ごめんなさい! 大丈夫ですか?」

「ええ、大丈夫よ。ただ、屋内を駆けまわるのは、あまりお行儀のよいことではないわね。その制服、学園の子でしょう? 身体が資本なのだから、お気を付けなさい」

「すみません! 急いでいたので……」

 

 謝りながら、あたしには気になることがあった。相手の声に、聞き覚えがある。どこでとは思い出せないけれど、確かに聞いたことのある声だ。

 

「あら……あなた」

「え?」

 

 相手の反応に思わず顔を上げる。見覚えのある顔があるはずだったのに、そこにいたのは初めて見るウマ娘だった。すらりと背の高い、鹿毛のウマ娘。名家のご婦人といったようないでたちで、めまいがするほど美しかった。

 

「あれ……?」

「どうなさったの?」

 

 婦人は柔和に話しかけてくれた。声に覚えがあるのに、どこで会ったか全く思い出せない。こんなことは初めてだった。

 

「いえ、すみません。……ちょっと、混乱して」

 

 気にするなという風に婦人は首を左右にゆっくりと動かした。そして、どこか遠くを見るようにして、鈴の鳴るような声で行った。

 

「……いいレースだったわ」

「ええ、本当に」

「とても、誇らしい気持ちよ。あなたも、そうでしょう?」

「……はい」

 

 不思議な人だ、と思った。まるであたしのことを良く知っているみたい。どういうわけか問いただしたい衝動にかられたけれど、いまは早く地下バ道へという思いが勝った。

 

「あ、じゃあ、すみません。あたし、急いでるので」

「ええ、よろしく」

 

 別れ際まで、よくわからないことを言う人だった。現れたのも、地下バ道へ向かう道からだったし、一体何者なんだろう。そんな疑問は残しつつ、あたしは目的の場所へと急いだ。

 

 地下バ道の入口へやってくると、そこには先客がいた。

 

「どうしてここに?」

「ここにいれば、キミが来ると思った」

 

 あたしに目を合わせることなく、ホープアンドプレイはそう答えた。

 

「あたし、わかりやすい?」

「ああ、ものすごくわかりやすいよ」

 

 それなら、これ以上説明することはない、と思った。あたしの小さなルームメイトは眉ひとつ動かさない。いつもよく見る無表情だ。でもその無表情が、今日は心なしか嬉しそうに見えた。薄暗い地下バ道に差し込む光の加減が、そんな錯覚を起こさせただけかもしれないけれど。

 

「羨ましいよ、まったく」

「何が?」

「キミのそういうところがさ」

 

 その瞬間、あたしの心臓がドキンと跳ねた。なぜって、ホープアンドプレイが頬を緩めて、今まで見たことがないほど優しい顔で微笑みかけてきたからだ。見慣れないものを見せられて、あたしは自分の顔が赤くなる音を聞いていた。

 

「もうすぐ、帰ってくるよ」

「うん……わかってる」

 

 ホープアンドプレイの言葉に、あたしはうつむいたまま小さく返事するのがやっとだった。

 

「じゃあ、ボクはナギサのところに戻るよ」

「え、どうして」

 

 このまま一緒に出迎えるのかと思っていたのに。すると、ホープアンドプレイは大したことじゃないという風に肩をすくめてみせた。

 

「ボクはキミと話がしたかった。それだけだから」

「そう?」

 

 ちっとも話なんかできてないような気がしたけれど、彼女が満足したのならそれでいいんだろう。そう思うことにした。

 

「それに、二人きりで話したいんだろ? アイツと」

「……ありがとう」

 

 本当に、なんでもお見通しだ。悔しいけれど、いまこの時ばかりはありがたかった。

 

「じゃあね」

「あ、そうだ!」

 

 行ってしまう前にひとつ、聞きたいことがあった。

 

「なに?」

「ホープ、アンタここへ来るときに大人のウマ娘と会わなかった? なんかこう、高そうな服着た」

「なんだよその言い方」

 

 ケラケラと笑ったあと、ホープアンドプレイは頷いた。

 

「会ったよ」

「あの人、あたしのこと知ってるみたいだった。誰だか、わかる?」

 

 すると、ホープアンドプレイは両目をパチパチさせて驚いたように口を開いた。

 

「キミ、本気で言ってるのか?」

「本気じゃ悪いの?」

「……いや、別に。……ボクも、知らない人だね」

 

 ピンときた。こいつ、嘘をついてる。

 

「ウソでしょ」

「知らないねえ」

 

 「知らない、知らない」と繰り返しながら、ホープアンドプレイは逃げるように去っていった。追いかけようかとも思ったけど、いまはこの場を動きたくなかった。

 後で絶対聞き出してやると思いながら、あたしは桜の女王の帰還を待った。今度こそ、混じりけなく、真っすぐに、心からの感謝を伝えるために。

 

 そして、新しいあたしを見せると誓うために。

 

 


第2回東京開催12日目 東京優駿(日本ダービー) 芝2400m 天候:晴 芝:良

1着 ⑱レイアフォーミュラ(1番人気)2:23.8

2着 ①パレカイコ(3番人気)    1.1/2バ身(+0.2)

3着 ②レイアクレセント(2番人気) 1/2バ身(+0.3)

4着 ⑮ターフェルルンデ(6番人気) 4バ身(+1.0)

5着 ⑬ハンクアハンク(8番人気)  ハナ(+1.0)




第三章終了。次回から第四章へ突入します。
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