ストレイガールズ   作:嘉月なを

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お久しぶりです。ボイスドラマ企画、収録に行って参りました。
現在編集中。今回ドラマ化したのは第3章の28話、桜花賞までです。
ということで、連載を再開いたします。どうぞよろしくお願いいたします。


第4章 憧れの行方
#38ースタートとリスタート


 ダービーの熱狂からひと月後、あたしは新幹線に揺られて、仁川の地へと向かっていた。

 

「楽しみだなあ。早く着かないかな」

 

 風のように景色が流れていく窓側の席で、ショコラレインはそう呟きながらうれしそうに耳をパタパタさせている。その横で、あたしは出走表の文字をなぞる。6月のジュニア級メイクデビュー阪神。そこに、あたしたちの一番新しい仲間の名前があった。

 

 チーム内ではもちろんのこと、ショコラレインは同期の子たちの中でも、最も早い時期にデビューする。トレーナーの話によれば、もともと、チームに加入したときから本格化が始まっていたらしい。足が速くて、成長も早い。ウマ娘としては理想的といえる頼もしい後輩だ。あたしは、そんな彼女の付き添い役として、今回の遠征に参加している。

 

「自信、あるの?」

 

 ふと、そんなことを聞いてみたくなった。東京駅で買ったカチンコチンのアイスと格闘している姿を見ていると、とてもこれからデビュー戦を迎える子には見えない。まるで、観光旅行にでも行くかのような雰囲気だった。

 

「あります! だって、いっぱい稽古つけてもらったんですから。特に、ルピナス先輩には」

「あはは、その“ルピナス先輩”っての、まだ慣れないな」

 

 レースに向けての追い切りが始まって以来、ショコラレインはあたしたちを“先輩”づけで呼ぶようになった。本人は、これからトゥインクル・シリーズに挑んでいくにあたって、気持ちを切り替えるためだと言っている。

 

 困ったのはあたしの方だった。「先輩、先輩」といいながらあたしの後ろをチョコチョコ付いてくる様子は、正直言ってすごく可愛いし、慕ってくれるのは嬉しい。けれど、トレーニングをしていてもそんな調子なので、つい顔が緩んでしまう。ここ数日は、そのたびに同室の仲間に冷やかされる毎日だった。

 

「慣れるくらい、これからいっぱい呼びますよ。先輩、って」

 

 ようやくスプーンが刺さるようになったアイスをほじくりながら、ショコラレインは嬉しそうに目を細めた。鼻の奥がくすぐったくなるような感じがして、急いで目を逸らす。多分、いまのあたしはひどくだらしない顔をしていたと思うから。

 

「どうしたんですか?」

「気にしないで……あ、あたしにもそのアイス、ひとつください」

 

 ちょうど車内販売のお兄さんが通りかかってくれたので、とくに欲しくもないものを注文してお茶を濁した。手渡された冷たいカタマリは、あたしの火照った部分を冷ましてくれる。窓側の席を後輩にゆずってよかったと、心底思った。

 

「先輩、そのアイス、スゴイカタイですよ」

「知ってる」

「あは、お揃いですね」

 

 はしゃぐショコラレインの方を見ないようにして、あたしは買ったばかりのそれをカップの上からつついてみる。確かに、硬い。スゴイカタイ。思わずカタコトになってしまうのもわかるくらい。あたしは苦笑いして、何の気なしに尋ねた。

 

「ショコラはさ、あたしのどこがいいの?」

「へ?」

 

 基本、誰にでも愛想がいいショコラレイン。でも、あたしには特別熱心な気がする。それこそ、クラウンセボンといい勝負なくらいに。そういえば、入部してきたときも「ルピナスさんに憧れてる」なんて言っていた。今回の遠征の話だって、デビューが決まったことよりも、あたしが帯同ウマ娘になったことの方を喜んでいた。おかげで、クラウンセボンがやきもちを焼いて大変だった。

 

 あんまりにも熱が強いので、もしかしてショコラレインもヒト生まれなのかと疑ったことがある。ない話じゃないとは思ったけれど、さすがにそんなことはなく、母親は普通のウマ娘らしい。それどころか、ショコラレインはあたしと違って、小学生の頃からランニングスクールに通っていたような、トレセン学園生としてはごく当たり前の少女だった。でも、それならなおのこと、どうしてここまであたしに入れ込んでくれているのか、見当がつかなかった。

 

「あたし、でっかい夢は持ってるけど、それだけだし。重賞を勝ったわけでもないし。……メンタルだって、そんな強くないしさ」

「それは……あの……」

 

 歯切れの悪いその返事に一瞬、元気をなくしてしまったかと思って、慌ててショコラレインの表情を確かめた。だけど、その顔は不満そうでも、悲しげでもなかった。ほんのり赤くそまって、目をきょろきょろさせている。

 

「わ、笑わないで聞いてくれますか?」

 

 胸がドキンと跳ねた。何を言いだすつもりなんだろう、といろいろな想像が頭の中を駆け巡る。

 

 ショコラレインの答えは、その想像のどれとも違っていた。

 

「ルピナス先輩って、お姉ちゃんみたいだなって思うんです。私の」

「それって……先輩、だから?」

 

 ショコラレインは首を横に振った。

 

「私、本当にお姉ちゃんがひとりいるんです」

「ショコラ、妹なんだ」

 

 あたしが真っ先に思ったのは、そんなことだった。ついでに、自分にこんな妹がいたらさぞ楽しいだろうなとも思った。そんなあたしのバカみたいな感想を流して、ショコラレインは真剣な表情のまま、ためらいがちに続きを口にした。

 

「……ルピナス先輩は、その、私のお姉ちゃんに、似てるんです」

「あたしが?」

 

 こくんと頷いて、ショコラレインは照れたように鼻をこすった。

 

「お姉ちゃんは、小さいころから運動神経抜群で、夢に向かって一生懸命で。どんな壁にぶつかっても、諦めたりしない。……ルピナス先輩も、そういう人じゃないですか」

「そ、そうかな」

「そうですよ。だから憧れるんです。お姉ちゃんみたいな、ルピナス先輩に。お姉ちゃんは、私の憧れの人でしたから」

 

 今度照れるのはあたしの方だった。手元のアイスを握り締めて、どうにかこうにか声が上ずるのを抑える。

 

「そっか。会ってみたいな。ショコラのお姉さんに。トレセン学園にいるの?」

「いえ、お姉ちゃんはもう大学生なんです。歳が結構離れてるので」

 

 どこか寂しそうにショコラレインは微笑んだ。歳の離れた姉妹となると、一緒に同じ学校に通うこともできない。はじめから一人っ子のあたしよりも、かえって寂しさは増すのかもしれない。そんなふうに考えていると、あたしの可愛い後輩はふっと思いつめたような顔になって、あたしに問いかけてきた。

 

「先輩」

「ん?」

「たとえ、生まれが違っても、頑張る姿のすばらしさは、違わないですよね?」

 

 それは、あたしには少し唐突に聞こえた。どうしてそんなことをいま尋ねてきたのか、わからなかった。それでも、ショコラレインがあたしになんと言って欲しいのか、そして、あたしがなんと答えるべきなのか。それだけは、はっきりしていた。

 

「うん、そうだね。ショコラがあたしを褒めてくれるのと同じくらい、あたしもショコラのこと、すごいなって思うよ」

「えへへ、よかった」

 

 あたしはその笑顔に満足して、まだヒンヤリと冷たさを保っている自分のアイスクリームに、スプーンを突き立てようとした。

 

「うわまじでカッタい」

「あはは、当分は無理ですよ」

 

 車内アナウンスは、まもなく名古屋に到着すると告げている。

 

 

 

「それで?」

 

 ホープアンドプレイはあたしに向かって、ため息交じりに尋ねてきた。

 

「それでって、なにが」

「キミのことだから、もっとなんやかんやと詮索したんじゃないの」

 

 ショコラレインのことか、と気づくのに、少し時間がかかった。

 

「そんな暇なかったわ。忙しかったんだから」

 

 あのあと、我らが期待の新入りは見事に1200メートルのデビュー戦を制してみせた。短距離戦というだけあって、それほど大きな着差にはならなかったけれど、力の差を十分に見せつける快走だった。疲れた様子も見せず、ウイニングライブまでそつなくこなして、すっかり優等生なまま初めての遠征を終えたショコラレイン。あたしの方はというと、とにかく会場まで着いて行って、応援して、出迎えて、ライブの衣装を着せてやって、もうそれだけで手いっぱい。ホテルでも身体や蹄鉄のメンテナンスに付きっ切りで、行きの新幹線での話以上にあれこれ探りを入れる隙間なんかなかった。

 

「帯同の仕事って、もうちょっと楽だと思ってた」

「キミはいつも、着いてきてもらう側だったもんな」

 

 そう思うと、クラウンセボンのタフさには本当に感心してしまう。今回は別として、チームメイトの遠征にはほぼ全て帯同参加していたし、それに加えて帯同先で自分のレースも走っていたのだから。

 

「ねえ、もしかしたらさ、ボンだって……」

「やめなよ」

 

 あたしが考えていることは、ホープアンドプレイにはお見通しだ。

 

「そんなこと言って、あいつが喜ぶと思うの」

「……思わない」

「だろ」

 

 こんな調子で、ここ最近、ホープアンドプレイはあたしのブレーキ役になってくれている。以前はあたしが心配する側だったのに、すっかり立場が逆転してしまった。

 

 心配といえば、思い出すことがあった。

 

「ところで、アンタはどうだったの」

「どうって」

「稲城特別。勝ったんでしょ? 速報で見たよ」

 

 あたしがショコラレインの遠征に帯同している間に、ホープアンドプレイは府中で開かれた2400メートルのプレオープン戦で勝利していた。これでデビュー戦から二連勝。距離は全然違うけど、奇しくもあたしと同じような戦歴になっている。あたしが桜花賞を目指してチューリップ賞に向かったように、おそらくホープアンドプレイは、このあと菊花賞に向けてレースを重ねていくことになるはずだ。

 

「にしても着差、すごかったじゃん。5バ身だっけ? これなら重賞でもぜんぜんやれるんじゃないかって思ったけど、アンタ的には?」

 

 あたしは、いつだったかレイアフォーミュラが言っていたことを思いだしていた。菊花賞で戦うには、中距離の重賞でも戦えるスピードを持っていないといけない。この二戦、2400という中距離のレースを立て続けに快勝したことで、その課題は克服されているように思えた。

 

 けれども、当の本人は、あたしよりもずっと冷静だった。

 

「よく見ろよ。タイムが全然違うだろ」

 

 そう言って指し示すタイムは、この間のダービーの勝ち時計よりも2秒近く遅い。条件はまったく同じ、東京レース場の芝2400メートル。それでもこれだけの差が出るのだから、改めて、GⅠレースのレベルがいかに高いかを感じさせられる。

 

「結局、こんなのはちっとも参考にならないってことだよ。アレも、この時計を見たら笑うだろう」

 

 たしかに、正論。でも、あたしはそれで簡単に諦められるようなウマ娘じゃなかった。

 

「まだ、菊までは時間あるじゃん。本格化が遅かった分、アンタにはまだまだ伸びしろがあるってことでしょ。追いつくよ。追い越せるよ」

 

 すると、ホープアンドプレイはおかしくてたまらないというふうに吹き出して、相変わらずぼさぼさとした短い髪をかき上げた。

 

「バカだな。誰が菊を諦めるって言ったのさ」

「え?」

「結論を出すのはまだ早いって話だよ。次走は夏明けの神戸新聞杯。そこで勝てればよし、負ければダメ。ボクはキミよりシンプルに考えてるんだ」

 

 あたしは二の句が継げなかった。ホープアンドプレイが言っているのは、確かにとてもシンプルな話。でも、シンプル過ぎて逆に怖い考え方だった。

 

 神戸新聞杯といえば、菊花賞の前哨戦。三着までに入った子に、菊花賞への優先出走権が与えられる。形式的な話でいえば、あたしが桜花賞を目指してチューリップ賞に出たのと似ている。だけど、状況はそれと全然違う。

 

 桜花賞のときはクラシック級の春ということもあって、まだ成績ポイントをたくさん稼いでる子も少なく、仮に前哨戦で出走権を取れなかったとしても、あたしがそこまでに上げたポイントで出走ラインに手が届く可能性はあった。

 

 けれど、菊花賞の場合はクラシック級の秋。すでに多くの子たちが十分に成績ポイントを稼いでいる。そうなると、前哨戦の神戸新聞杯で優先出走権を取れなければ、いまのホープアンドプレイのポイントでは出走基準のボーダーラインには到底届かない。

 

 つまりホープアンドプレイは、初めて出走する重賞の神戸新聞杯、その一発勝負で、菊花賞の切符を取ろうと言っている。相当な自信がない限り、あまりにも危険な賭けだ。あたしはてっきり、もっといくつかレースを挟んで、ポイントを稼いでいくものだと思っていたのに。

 

「……それは、トレーナーの提案?」

「いや、ボクが決めたんだ」

 

 ホープアンドプレイは、そう言いながらベッドにぱたんと転がった。

 

「だらだら走るより、一発で決めた方がスッキリするよ」

 

 それはどこか楽しんですらいるようだった。

 

「アンタ、すごいね」

「まあ、そういうわけで、ボクらの春シーズンは終わり。あとはみんな、秋から再スタートってところじゃないかな」

 

 そうして、ホープアンドプレイは部屋の電気のスイッチを指さした。あたしに、消せと言っている。あたしは頷いて、パチリとスイッチを切った。

 

 夕方から降り始めた雨の音が、いっそう強くなったような気がした。

 

 

 

 夏休みの合宿は、去年と同じ高地の特別合宿所で行う……とばかり思っていたあたしたちに、意外な決定が言い渡されたのは、その三日後だった。

 

「今年は学園の合同合宿に参加するよ。住環境はあそこの方が整ってるし、何より……」

 

 トレーナーが目配せすると、クラウンセボンがいつの間にかかけていた伊達メガネをクイと持ち上げて、咳ばらいをした。

 

「私が、そうしましょうって言ったの。他のチームのみんながどんなトレーニングをしているのか、観察する絶好の機会だもん!」

 

 すると、レイアクレセントが嬉しそうに言った。

 

「それはとても助かりますね。実は(わたくし)、今回の合宿は私だけでも合同合宿へ参加させてくださいと言うつもりでしたから」

「どういうこと?」

 

 あたしが尋ねると、レイアクレセントはトレーナーと互いに頷きあって、意外な決定のふたつめを発表した。

 

「私は、秋の初戦を天皇賞に定めることにしました」

「マジで!?」

 

 驚いたのは、あたしだけじゃなかった。テンダーライトも、ショコラレインも、目をぱちくりさせている。このことを知っていたのは、トレーナーと、クラウンセボンだけらしかった。

 

 菊花賞へは行かないらしいということはわかっていたけれど、それなら秋華賞へ、となるのが自然な流れだったはず。この決定は、レイアクレセントがティアラ路線と完全に決別したことを表すものだった。

 

「まあ、ルピナスさん。そんな寂しそうな顔をなさらないでくださいな」

 

 その言葉でハッとして、あたしは顔をゴシゴシとこすった。また、顔に出ていたらしい。

 

 学園の合宿所は、入学一年目の夏に経験している。あそこへ行くというのも、それ自体はやぶさかではなかったけれど、レイアクレセントの決意を聞いてしまうと、なんだか嫌だと言いたい気分だった。彼女がますます遠くへ、手の届かないところへ行ってしまうような気がしたから。

 

 レイアクレセントはそんなあたしの気持ちを知ってか知らでか、フフンと笑って、穏やかな表情でみんなの顔を見回した。

 

「そういうわけで、合同合宿は大歓迎です。私の狙いは、クラウンさんと同じ。これまで勝負したことのないシニア級の方々と戦うわけですから、その力のほどを知っておきたいのです。この夏の間に」

 

 こう言われてしまうと、あたしはもう何も言い返せなかった。

 

 ただひとり残念そうな声を上げたのは、ショコラレインだった。去年は特別な場所で合宿をしたと聞いていたので、どんなところかと楽しみにしていたらしい。クラウンセボンは「来年は行こうね」なんて言いながらショコラレインの頭を撫でている。そんな姿を見ていると、途端に「まあ、あそこは別に、そんないい場所でもなかったよな」なんて思えてくるものだから、あたしときたら、本当に単純なもんだ。

 

 それでも、胸がチリチリと焼けつくような想いは、簡単には消えてくれなかった。

 

 

 その日の夕方、トレーニングを上がる前に、あたしはトレーナー室に寄っていた。どうしても、話しておきたいことがあったからだ。

 

「どうしたのルピナス、話って」

「うん……」

 

 部屋には、他に誰もいなかった。多分、トレーナーが気を回してくれたんだろう。

 

「あのさ、トレーナー」

「うん」

「あたし、レースに出たい」

 

 あのマイルカップから一ヶ月半、色々なものを見た。あたしたちのエースのダービー挑戦、ルームメイトや後輩の鮮烈なデビュー。あたしがグダグダと休んでいる間に、周りはどんどん先へと進んでいる。「勝ちたい」という気持ちこそが大事、それに気づいてからというもの、立ち止まってはいられないという焦りがあたしのなかで渦を巻き始めていたのだった。

 

「夏レースのどっか、出られるのないかな」

 

 とにかく、何にも決まっていないままなのはいやだった。まずは重賞で結果を出したい。レイアクレセントがそのつもりなら、あたしだって、あたしなりの道で結果を残してやる。合宿をパスしたっていいんじゃないか。そんな考えすらあった。

 

 でもトレーナーは、さっぱりとした顔で答えた。

 

「私は、ルピナスにこそ、合宿に参加してほしいな」

「どうして」

「きっと、その方が自信がつくから」

 

 トレーナーの言っている意味は、よくわからなかった。

 

「焦る必要はないよ。まずはもっと、じっくり鍛えなくちゃ」

「だけど、あたし」

 

 口を開きかけたあたしを押しとどめるようにして、トレーナーは言った。

 

「約束しようか」

「……何を?」

 

 トレーナーはデスクから立ち上がると、あたしの目の前までやってきて、肩に手を置いた。

 

「ルピナス、あなたはこれから一年以内に、重賞を獲る。私が保証する」

「本当に?」

「私、去年の阪神JFのとき、なんて言ったっけ?」

 

 あたしはハッとした。

 

 たしかあのとき、トレーナーは言っていた。あたしは、そこで走っている子たちと、メインレースで争えるウマ娘になる。……そしてそれは、その通りになった。勝てはしなかったけれど、チューリップ賞でも、桜花賞でも、あたしは掲示板に名前を連ねることができた。

 

「だから、信じなさい。焦らずしっかり、合宿で気持ちも身体も立て直して、万全な状態でレースに出よう? ルピナス、いい?」

 

 でも、だとしたら、いや、だからこそ、直近の成績がマイルカップの八着というのが、我慢ならない。あのときのダメダメだったあたしとは違う意味で、結果を出したい欲求が高まっていた。あたしはこんなものじゃない。ここで終わってしまいたくない。きっとこんなあたしを見たら、ホープアンドプレイは笑うだろう。融通が利かないヤツだ、と言うだろう。それでも、はやる気持ちは抑えられない。

 

「だったらせめて、あたしを一番に走らせて。合宿が終わったら、チームで最初にレースに出るのは、あたし。ねえ、それくらいならいいでしょ」

 

 あたしはすがるような目でトレーナーを見た。ひょっとしたら、ちょっぴり泣いていたかもしれない。トレーナーはやれやれといった顔であたしの肩をポンポンと叩くと、手帳をパラパラとめくった。

 

「予定では、10月の府中ウマ娘ステークスから始動するつもりだったんだけど……」

 

 それじゃ遅いとあたしが言う前に、トレーナーはパタンと手帳を閉じて、あたしの目を真っすぐみつめて、言った。

 

「じゃあ、京成杯オータムハンデ。ここに行こうか。9月の最初の週。これより早いレースはないよ」

 

 あたしは、めいっぱいの仕草で頷いた。

 

 

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