ストレイガールズ   作:嘉月なを

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#39-忘れないでよ

 海辺の小さな町にある、トレセン学園の合宿所。そこで開かれる、あたしたちにとっては二年ぶりの合同夏合宿。バスから降りて最初に感じるのは、照りつける夏の日差しの暑さ。それと、漂う潮の香り。ああ、こんなだったなと思いだす、夏合宿らしさ。空気の澄んだ高原で過ごした去年とは、まるで正反対。風の音と鳥のさえずりしか聞こえなかったあの場所とは違い、ここは寄せる波の音と騒がしいセミの声に囲まれている。

 

「じゃあ、あなたたちは先に荷物を下ろしておいて。私はトレーナー会議に行ってくるから、一時間後にビーチ前集合ね」

 

 トレーナーの指示を受けて、あたしたちは事前に決まっていた部屋割りに従って宿舎に入った。

 

 チーム配属や学園でのクラスは考慮されるものの、ひと部屋に入れるのは四人まで。人によっては、初対面の子と同室になる場合もある。そんな中で、あたしが配置された部屋の名簿には、クラウンセボンとテンダーライトの他に、チームメイトでもクラスメイトでもないウマ娘の名前があった。

 

「ちゃーっす、ルピナス」

 

 リュックサックにぶら下げたチェーンをチャラチャラ鳴らしながらニュッと顔を出したのは、トーヨーメリッサだった。

 

「メリッサさん!」

「お、えーと、クラウンセボン、だっけ? プルートのマネジだよね。とりあえず、この夏は世話んなるよ」

「こちらこそ、よろしくね」

 

 さりげなく、手元のノートをすっと後ろ手に隠しながら、クラウンセボンはにこやかに挨拶した。

 

「しっかし、まさかガチで通るとは思わなかったね」

「通った?」

 

 その言葉の意味がわからなくて聞き返すと、トーヨーメリッサは小さく肩をすくめて答えた。

 

「ウチのチーフに部屋割りのリクエスト出してたんだよ。できればアンタと同室にしてくれってね。その要求が通ったみたいってこと」

「そんなのアリなの」

「なんたってオークスウマ娘様だからね」

 

 樫の女王はそう言って、ニッと歯を見せて笑った。

 

「ふーん」

 

 なんであたしと同じ部屋に、とは聞かなかった。彼女があたしに特別な目を向けているってことは、言われなくてもわかっていたことだから。

 

 そしてそれは、あたしにとっても同じ。ホープアンドプレイやレイアクレセントに対するものとはまた違った意味で、彼女には強いあたしを見せたいという思いがある。なら、同室でこの夏合宿を過ごせるというのは好都合だった。

 

「ところでアンタ、隅っこで何してんの」

 

 トーヨーメリッサがそう呼びかけたのは、テンダーライトだった。その声にビクンと身体を震わせて、か細い声で「は、はい」と返事する姿は、あたしにも少し不自然に見えた。

 

 もともと人見知りで、臆病なテンダーライト。ただ、レース中でもないのにこんなに怯えた様子を見せるのは、珍しいことだった。まして、ここには〈プルート〉の仲間の方が多い。むしろ、トーヨーメリッサの方がアウェーといってもいい状況なのに。

 

「どしたの、テンダー」

「あ、えと、ううん、なんでもないの」

 

 明らかな愛想笑いでごまかすテンダーライトをいぶかしげに見つめて、トーヨーメリッサはあたしの耳元でささやいた。

 

「アタシ、怖い?」

「ど、どうかな」

 

 トーヨーメリッサの出で立ちは、ネイルもメイクも派手めだし、私服もパンクな感じで、言われてみればちょっと怖い。でも、体格がそれほどあるわけじゃないし、態度だって、出会ったばかりのころのホープアンドプレイの方がよっぽどキツかった。怖がられるほどのものじゃない……と、個人的には思う。

 

 すると、クラウンセボンが口を開いた。

 

「テンダーちゃん、ちょっと一緒に来てくれる? クレセントさんたちに、午後のメニュー持ってかなきゃいけないから」

 

 言いながらあたしに目配せをすると、クラウンセボンは戸惑いながらも小さくうなずいたテンダーライトをつれて、部屋をそそくさと後にしていった。

 

 軽く手を上げて二人を見送ったトーヨーメリッサは、苦笑いしてぽつりとつぶやいた。

 

「嫌われたかな。やっぱ、アンタたちにとっては、アタシってちょっと……」

「ううん、ボンは、アンタのこと気に入ってるよ」

「マジで? えー、なんて言ってた?」

 

 身を乗り出してくるトーヨーメリッサに、あたしはなんと答えようか困ってしまった。クラウンセボンが彼女のことを気に入ってる、というのは嘘じゃない。ただ、その中身を詳しく口にするのはためらわれた。なにせ「ルピナスちゃんの強さをすごく評価してくれてる子だから大好き」だなんて、相変わらず聞いてる方が恥ずかしくなるような内容だったから。こんなの自分で言うのもどうかと思うし、冷やかされそうで、とてもそのままは伝えられない。

 

 あたしは、その大げさな言葉をごくマイルドに言い換えることにした。

 

「あー、えーと、なんか、あたしといいライバルになりそうだからって」

「へえ、うれしいこと言ってくれるじゃん」

 

 ふっと頬をゆるませて、トーヨーメリッサはふうっと大きくひとつ息をついた。

 

「なるほどね。あの子、アンタのこと大好きなんだ」

「な……!」

「わかるよ、見りゃ」

 

 くっくっと喉を鳴らして、樫の女王は肩をゆすぶった。そのむずがゆさを散らすために、あたしはテンダーライトのことに話の矛先を変えた。

 

「テンダーの方はちょっと心配だけど。もともと人見知りだったけど、あそこまでは……」

「ま、それはいいや。どーせそのうち慣れるでしょ」

 

 こういうことであまりクヨクヨしないタイプらしい。あたしとしては、ありがたかった。

 

 クラウンセボンたちが戻ってきたのは、それから十分ほどたってからだった。他のチーム〈プルート〉のメンバーが配置された部屋はかなり離れた場所だったようで、合宿所中を走り回る羽目になったらしい。ならLANEでも使えばよかったのにと思ったけれど、テンダーライトの手前、それは言わないでおくことにした。

 

 荷物の整理が終わって、いざ練習場へと思ったそのとき、トーヨーメリッサが思い出したように声を上げた。

 

「ねえ、アタシも一緒に行っていい? オッケーなら、ウチのトレーナーも観に来たいって」

「あたしは構わないけど……」

 

 合宿所では同室とはいえ、よそのチームの選手のウマ娘と練習するとなると、少なからずデータを向こうに渡してしまうということになる。あたしの独断では決められない。あたしは、すぐそばにいるトレーナー助手にお伺いを立てることにした。

 

「ボン、どう?」

 

 クラウンセボンの答えは明快だった。

 

「いいよ。トレーナーさんも、そのつもりだったみたいだし」

 

 ペラリと差し出してきたメニュー表の隅には、トレーナーの字で「チーム〈デネブ〉メリッサ参加」と小さく書き加えられていた。

 

 

 

 照り付ける日差しが白い砂に反射して、ビーチはまるでステージの照明に囲まれたかのように眩しかった。去年は空気の薄さで鍛えられたけれど、今年はこの暑さで鍛えることになりそうだ。そんなことを思っていると、何やら押し問答が聞こえてきた。

 

「ホープさん、本当によろしいのですか?」

「いいって言ってるだろ」

 

 それはレイアクレセントとホープアンドプレイだった。何事かと尋ねてみると、レイアクレセントはため息をついて、困惑した顔で口をとがらせた。

 

「この日差しですから、日焼け止めを塗った方が良いと言っているのですが、ホープさんが聞かなくて」

「あー……」

 

 なるほど、と思った。でも、そうだろうなとも思った。ホープアンドプレイは普段から化粧水もロクに付けない。ウイニングライブのときのステージメイクも随分嫌がっていた。多分、そういうのが嫌いなんだろう。

 実のところ、去年の合宿のときもホープアンドプレイはずっとノーガードだった。去年はほとんど木々に囲まれた日陰でのトレーニングだったし、多少の日焼けは目立たなかったのだけれど、今年はそうもいかない。炎天下の中、直射日光をモロに浴びることになるんだから。どう考えても、レイアクレセントの言うことが正しい。それでも、ふと目をやると、当の本人は「わかるだろ」と言いたげな目であたしを見つめている。

 

「ま、いいんじゃないかな。ほっとけば」

「でも」

「いいのいいの。あとはもう自己責任。そうでしょ、ホープ」

 

 食い下がろうとするお嬢様を押しとどめて、あたしは芦毛の友達に目で合図を送った。

 

「ルピナスさんまでそうおっしゃるなら、もう止めませんが……」 

 

 まだ納得はしていないようだけれど、レイアクレセントはそれで引き下がってくれた。

 

 そんなあたしたちの様子を見て、トーヨーメリッサはクスクスと笑った。

 

「なんつーか、アンタら仲いいね」

 

 こういうのを仲がいいというのかはわからないけど、少人数のチームならではのこの空気感が、彼女には新鮮だったらしい。

 そうしている間に、時間がやってきた。予定通り、トレーナーが集合場所にやってくる。トーヨーメリッサの担当トレーナーらしい男の人と一緒に。

 

「え、ウソ!?」

 

 思わず、自分でもびっくりするような大きな声が出た。トレーナーが連れてきた人には、ハッキリと見覚えがあった。けれど、それはまったく、想像もしていない人だったから。

 

「ガクさん……だっけ」

 

 それは、たしかあたしたちのトレーナーと同期の人で、岡島ガクとかいう若いトレーナー。いや、それよりもあたしたちにとっては、プルートにテンダーライトを連れてきた人、という印象が強い。

 

 ハッとしてテンダーライトの方を見ると、気弱なあたしたちのチームメイトは、落ち着かない様子できょろきょろと視線だけを動かして、うつむき加減に身体を縮こまらせていた。

 

「お久しぶりです、皆さん。……テンダーさんも、元気そうで何よりです」

「メリッサ、あんたの担当トレーナーって……」

 

 あたしが慌てて問いただすと、トーヨーメリッサは意外そうな顔で目をパチパチさせていた。

 

「何、アンタら知らなかったの!?」

「だって……!」

 

 教えてくれなかったし、と言おうとして大人たちの方へ振り返ると、トレーナーは小さく「あっ」という声を上げて自分のひたいに手を当てていた。

 

「言ってなかったっけ」

「おいおい」

 

 ガクさんが呆れたように苦笑いした。

 

「ということは……」

 

 あたしはテンダーライトとトーヨーメリッサ、ふたりを交互に見て必死に頭をめぐらせた。

 

 たしか、テンダーライトがプルート(うち)に来たのは、本来担当になるはずだったガクさんが、他の子の担当に代わるようにとチーフから指示されて、それに逆らえなかったから。そして、そのガクさんがいま担当しているウマ娘が、トーヨーメリッサ。つまりテンダーライトはトーヨーメリッサに押し出される格好でチーム〈デネブ〉を離れることになったというわけだ。こんなの、因縁があるなんてレベルの話じゃない。

 

「なーるほどね。それでアンタ、あんなにビクついてたんだ。他の子たちには黙ってたもんだから」

 

 トーヨーメリッサはどこかホッとした表情で呟いた。

 

「ご、ごめんなさい」

 

 少し震えた声で頭を下げるテンダーライトに、トーヨーメリッサはいつもどおりの軽い調子で首を横に振った。

 

「謝ることないよ。どっちかって言やあ、恨まれんのはアタシの方でしょ」

「そ、そんなことないよ!」

「なら、そんな顔すんな。あんたはもうプルート(そっち)のメンバーなんだろ。なら、ライバルじゃん」

 

 にししと笑いながら肩を叩くトーヨーメリッサに、一瞬だけ身体を強張らせたテンダーライトだったけれど、すぐにぎこちないながらも笑顔を作った。多分、もう大丈夫だ。

 

「トレーナーさん、そういう大事なお話は、きちんと説明しておいてくださらないと」

 

 眉をひそめてそう言ったのは、レイアクレセントだった。バツが悪そうな顔で頷くトレーナーの横で、ガクさんもやれやれという風に肩をすくめている。

 

「相変わらず、こういうところが抜けてるなあ、ナギサは」

「た、タイミングがなかっただけ!」

 

 いつも毅然とした態度でいることが多いトレーナーが、こんなにうろたえているところを見るのは、初めてだった。これはこれで面白い。

 

「あの子の性格を考えれば、君が上手く話してやらないといけないんじゃないのか」

「わかってるってば。反省してる」

 

 そこへ、ピッピーと笛の音が鳴った。見れば、クラウンセボンが首から下げたホイッスルを笑顔で咥えている。

 

「はぁい、ガクさん! トレーナーさん! そのくらいにして、トレーニングに入りましょう!」

 

 その声で、大人たちふたりはハッと我に返ったように顔を見合わせて、揃って咳ばらいをした。個人的にはもうちょっと泳がせてみたかったけど、ま、確かにそろそろトレーニングに入らないといけないよね。

 

「テンダーちゃん、さっきお話ししたけど、誰もテンダーちゃんやメリッサさんのことを悪く思ったりなんてしないから」

 

 ね、と念を押すように、クラウンセボンはテンダーライトにウインクしてみせた。

 

 そうか、そういうことだったんだ。あたしは、ついさっきの宿舎でのことを思いだしていた。多分、彼女はこの話を知っていたんだろう。こういうときは本当に頼りになる。合宿に来る前に少し短くした栗色の髪が、いつも以上に輝いて見えた。

 

 

 

「ほら、もう一本! 次は速歩(ダク)から駈歩(キャンター)に!」

 

 初日のトレーニングは、砂浜でのゆったりとしたランニング。指示されるスピード自体はまるで調整みたいなものだった。とはいえ、これを何度も何度も繰り返すので、次第にじんわりと全身に負荷がかかってくる。はじめのうちは何ともなかったのが、やがてみんな肩で息をしはじめていた。

 

「結構、タフにやるんだね。いまどき珍しいんじゃない?」

 

 1分間のインターバルの間、息を切らしながら、トーヨーメリッサがあたしに尋ねてくる。

 

「そう? うちは大体、こーゆーのから入るんだよ。レースの後とか、合宿初日とか」

「へえ。デネブ(うち)じゃ、キツいのを短くパッと済ませることが多いからさ」

「ああ、そういうのは明日からかな」

 

 ふうん、と言いながらトーヨーメリッサはトレーナーたちの方へ目をやった。

 

「ところで、アイツはなんでやらないの」

 

 アイツ、というのは、ホープアンドプレイのことだった。あたしたちが息を切らしながらランニングを続けている間、彼女はトレーナーのとなりに座り込んで、まるで動こうとしない。そのわけがわかっていたあたしは、あははと笑いながら答えた。

 

「アイツ、このトレーニング意味ないんだよ。ぜんぜん(こた)えないから」

「マジで?」

「多分、この後ひとりでダッシュトレーニングすんじゃないかな。そっち鍛えなきゃだし」

 

 なるほどとうなずくトーヨーメリッサの顔は、どこか嬉しそうだった。

 

「はいインターバル終わり! 次は少しペース上げて、ハロン16-16!」

「うひー」

 

 無慈悲なトレーナーの掛け声で、あたしたちは悲鳴を上げながらまた脚を動かし始めた。

 

 

 

 レイアクレセントとテンダーライトが一足先に上がった後も、あたしとトーヨーメリッサは、日が傾くまで地獄のランニングを続けていた。途中からは、もう意地の張り合いみたいなもんだったけれど。トレーナーも、もうやめようとはなかなか言ってくれない。あたしたちのどちらかが音を上げるまで、終わる気配を見せなかった。

 

 結局負けたのはあたしの方。樫の女王のスタミナは伊達じゃなかった。そうしてようやく解放されたあたしたちは、波打ち際で仰向けにばったりと倒れ込んでいた。

 

「わあ、気持ちいい」

 

 そんな言葉がこぼれるほど、熱くなった身体を海の水が冷ましてくれるのは、心地よい気分だった。

 

「よーくわかったよ」

 

 あたしの隣で、トーヨーメリッサは空に向かって放り投げるように言った。

 

「何が?」

「ありゃあ間違いなく『長距離の河沼』の娘だね。なーるほど、こーやってステイヤーを育てたってわけだ」

 

 その言葉には少しの嫌味もない。それはわかっていたけれど、あたしはつい反射的に答えていた。

 

「それ、あんまりトレーナーに言わないでよ」

「なんで……あ、そっかそっか。そーゆーことね。ハハハ、めんどくせーなあ」

 

 トーヨーメリッサはむくりと身体を起こすと、手元で拾った貝殻を、海に向かって投げ込んだ。

 

「そりゃあ気にするよな。気にするヤツが、多すぎるからさ」

 

 あたしは寝ころんだまま、茜色に染まっていく雲を見つめながら尋ねた。

 

「……アンタは気にしないの?」

 

 答えなんてわかっていた。気にしないからこそ、あたしたちのトレーニングに参加したいなんて言ったんだ。だけどあたしは、どうしてもその証明がほしかった。また、弱いあたしが顔を出している。

 

 チャリン、と金属音が鳴った。トーヨーメリッサが首を傾けて、その大きなピアスがぶつかり合って立てた音だった。

 

「アタシさあ」

 

 湿った砂を指先でいじりながら、トーヨーメリッサはゆっくりと口を開いた。

 

「もったいねーなって思うんだよ」

「もったいない?」

 

 それは思ってもみない表現だった。

 

「いいチームだよ。アンタら。数は少ないけど、速いヤツがいて、賢いヤツがいて、タフなやつもいる。いいチームだよ。だのに、メディアはアンタらを中心には描かない。……みんなビビってんのさ。〈プルート〉って名前に、深入りしないようにしてる。URAだって、アンタらの話題を推そうとはしない。」

 

 いわれてみれば、レイアクレセントのダービー挑戦も、ホープアンドプレイのデビュー勝ちも、思ったより騒がれることはなかった。チームの過去を持ち出すような酷い記事もあまり出なかった一方で、明るい話題に対しても、周りは意外なほど冷静だったように思う。

 

「記者連中からしたら、ありがたい存在なんだよ。フォーミュラって。とりあえずアイツさえ追いかけて、三冠三冠って騒いどきゃ、それで読者の大半は満足するんだから」

 

 その口ぶりは、一緒にダービーを見守ったときのものと、同じ色をしていた。

 

「だけど、フォーミュラが何だって言うんだ。アイツのライバルなんて、パレカイコくらいじゃねーか。一度も勝ったことないヤツを、ライバルっていうのかは知らねーけどさ。今年はどう考えたって、ティアラの方が豊作なんだ」

 

 砂に描いた何かをこぶしでグシグシと消して、トーヨーメリッサはアタシの方へキッと振り返った。

 

「その中心に、アンタや、クレセントがいるはずだったんだ」

 

 ドキッとするような鋭い目つきで、あたしを睨みつける。でもそれは一瞬のことで、すぐに彼女はふっと表情を崩すと、少しうつむき加減になりながら、ゆらゆらと身体を揺らしてみせた。

 

「寂しかったよ。オークス。こんなこと言ったら他の奴らに悪いけど、アタシ……まだホントの意味で勝った気がしないんよ。だって、クレセントも、アンタも、モモだっていなかったんだ」

「モモ……モモイロビヨリ! そういえば、どうしてるの?」

 

 久しぶりに耳にしたジュニア女王の名前に、あたしは身を乗り出して尋ねた。あの桜花賞で不整脈を起こして戦線離脱して以来、その動向はちっとも聞こえてこない。

 

 樫の女王は首を横に振った。

 

「復帰するつもりはあるみたいなんだけどさ、アイツんちが、うるさいんだ。もう辞めて実家に帰って来いって。次に何かあったら困るからって」

「そう、なんだ……」

「ほんっと、バカだよなあ。アタシんちを見習えってんだ。こーんなに好き勝手やっても、黙って応援してくれてんだぞ」

 

 バシャ、と波を蹴飛ばして、トーヨーメリッサは背伸びをしながら立ち上がった。

 

 好き勝手やっても、黙って応援してくれる。それは多分、あたしの母さんも一緒だ。そう思うと、トーヨーメリッサが抱いているもどかしさの根本にあるものに、なんとなく少しだけ、共感できるような気がした。

 

「だからさ」

 

 さっぱりした表情でトーヨーメリッサはあたしに言った。

 

「アンタら、ちゃんと勝てよ。ティアラ路線蹴ってまで、勝負に行ったんだろ。なら、ちゃんとタイトル持って帰って来いよ。うんざりするくらいの注目と一緒にさ」

 

 あたしは黙ってうなずいた。それはきっと、あたしがそうありたいと願ったのと、同じものなはずだから。

 

 砂に勢いよく踏み込む音が聞こえた。音のする方を見ると、ホープアンドプレイが、1ハロンダッシュを繰り返している。去年のそれよりもずっと速く、ずっと力強い。あたしたちは確実に強く、速くなっている。

 

「はは、アイツやるじゃん。……困ったもんだねえ。アイツが加わるんなら、三冠路線も面白くなっちゃうよ」

 

 冗談めかしてそんなことを言うティアラのリーダーの肩に、あたしはポンと体を当てた。

 

「それでも、ティアラ(あたしたち)の方が面白い、でしょ?」

 

 夕陽に染まる景色の中で、あたしよりもひと回り小さなその背中が嬉しそうに上下するのを、あたしは誇らしげに見つめていた。

 

 




ボイスドラマ版第1話は今夜20時より公開されます。
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