ストレイガールズ   作:嘉月なを

45 / 80
#41-つなぐ想い

 京成杯オータムハンデキャップ。中山レース場で開かれる、サマーマイルシリーズの最終戦にして、秋シーズンの入口になるレース。その名の通り、かつてのトゥインクル・シリーズでは、出走者のこれまでの成績順に重りのついたジャケットを着用させる「ハンデ」を加えるという変則レースだった。故障や感覚の狂いが多発したことから、いまではもう名前だけのものになっているけれど。

 

 ただ、そんな歴史をもつこのレースにおいては、出走登録してくる者たちにある共通した特徴が見られる。

 

「今回は重賞ウマ娘が七人も出てきたか。全員先輩で、しかもうちひとりは去年の桜花賞ウマ娘。すごいメンバーだよ」

「でもルピナスちゃん、みんなここ最近は苦戦してるし、追い切りを見た感じ、調子が一番良いのはルピナスちゃんだったよ。先輩だからって怖がる必要なんかないよ」

「言うて、あたしも前走ボロ負けだったんですけど?」

 

 そう、これはもともと実力差のある者たちが平等に一着を狙えるように創られたハンデ戦。ここ最近苦戦している子や、実力がまだ伸びきっていない若手たちが出てくることが多い。その目的は、立て直しのためだったり、大躍進するきっかけを掴むためだったり、様々。ハンデの概念がなくなったいまでも、その風潮はなんとなく伝統として残っている。

 

「あれは経験が浅くて、調整に失敗しただけ。ルピナスちゃんはまだまだ伸びしろのある若手枠だよ。前走のことなんか気にしなくて良いって」

「まあ、良い方に回って考えないとね……」

 

 正直、このメンツだと誰がいま一番強そうかなんてわからない。実績で言えば、去年の桜花賞勝者ディドルティが唯一のGⅠウマ娘。通算成績ポイントもずば抜けている。とはいえ、そこから彼女は一度もレースで掲示板に入れていない。直近でも、ヴィクトリアマイルで7着に敗れている。クラウンセボンが言うとおり、状態は良くなさそうだった。その点、あたしはNHKマイルカップこそボロボロだったけれど、それ以外では重賞でも複勝圏内から漏れたことはない。問題はそんなに勝ててもいないことだけど。

 

「あと、初めての中山レース場ってのも、ちょっと気になるかな」

「大丈夫! 中山は1600はカーブが多いけど、ルピナスちゃんはコーナリング上手だもん。むしろ有利! 問題ない問題ない!」

 

 あたしの気がかりを、ひとつひとつ打ち消していくクラウンセボン。実は、これはれっきとしたトレーナーからの指令。レース前日の今日、あたしたちは部室で、明日の本番に向けたメンタル調整の真っ最中だった。

 

「他には? なにか心配事、ない?」

「えーとねえ……ちょっと待って。まだなんかあったような……」

 

 心配事というより、確認しておきたいことがあったはず。そう思って、部室のあちこちに視線を飛ばしてみて、ふと鏡が目に入った。それは、いつも自分の体型や勝負服のサイジングをチェックするときに使う、共用の姿見。と、そこで思い出した。そうそう、それに関係したことだった。

 

「体重、あんま増えてないけど大丈夫かな」

 

 あたしたちウマ娘の本格化には、ふたつの段階がある。ひとつめは、デビューするのに十分な力になる最初の本格化。そしてもうひとつは、だいたいクラシック級の夏頃にやってくる、シニアの子たちとも戦えるように力も身体もより一層強くなる本格化。最初の時点で両方終えてしまう早熟タイプもいるけど、大半の子たちは今年の夏合宿中にこのふたつめの本格化を迎えていた。その様子がわかりやすく現れるのが体重だ。太ったわけでもないのに、体重が増える。それでいて、より素早く、より強く動けるようになる。スポーツ科学の授業では、ホルモンのバランスがどうのとか言っていた気がする。

 

 ただ、あたしにはこのふたつめの本格化がまだ来ていないようだった。合宿中に数キロも体重を増やしたレイアクレセントやテンダーライトに対して、あたしはというと1キロ増えたかどうか。それも、追い切りで負荷をかけたらすぐに戻ってしまった。もともと最初の本格化だって遅かったあたしだ。それほど慌てる必要もないかもしれない。それでも、シニア級の先輩たちと戦うということになれば、どうしても心細さがちらつく。

 

「ルピナスちゃん、私すっごくワクワクしてるんだ」

 

 クラウンセボンの反応は、予想していたような慰めや励ましの言葉じゃなかった。

 

「ワクワク?」

「うん。だって、確かにルピナスちゃんはまだ次の段階の本格化を迎えてない。それなのに、私の目には今回の出走者の中で一番強く見えるんだもん。ということは、いつか次の本格化が来たとき、どんなことになっちゃうんだろうって、楽しみでしょうがないの」

 

 どこか遠くを見るようにしながら、クラウンセボンは胸の前でギュッとこぶしを握りしめた。

 

「ボンはすごいよ」

 

 それ以上は言えなかった。鼻の奥がヒクヒクなる感覚を、尻尾を振ってごまかす。ああ、こういうことかと思った。ドラマや漫画でよく見る、喜びのあまり尻尾を振るみたいな表現。あんなの嘘だと思っていたのに、いまあたしはおんなじようなことをやっている。

 

「んふふ、その調子で、クレセントさんに目一杯、プレッシャーかけちゃおうね」

 

 悪だくみでもするかのような表情で笑う親友に、あたしはうんと頷いた。半月前の札幌記念、トーヨーメリッサは宣言通り上級生たちを蹴散らして勝利を修めた。あたしがここに続けば、レイアクレセントは、同期の三人が連続して上級生を倒すという大偉業のバトンをアンカーとして引き継ぐことになる。天皇賞というGⅠの舞台で。

 

 不思議と、楽しみだと思った。いままでのあたしだったら、このバトンを我がチームのエースに引き継げないことを心配して、思うように身体が動かなくなるところだったのに。クラウンセボンのメンタルケアのおかげなのか、あるいはもっと別の理由があるのか、それはわからない。いずれにしても今日は、これまでのレース前とは何もかもが違った。

 

 誰に見せても恥ずかしくない、カッコいいあたしになる。そのための準備に費やした夏が、ようやくここで形になったような感じだった。

 

「じゃあ、明日は朝6時に、寮棟の前でね」

 

 パチ、とタブレットのカバーを閉じた頼もしいトレーナー助手に、あたしはただ一言「オッケー」と返した。

 

 

 

「それで、コンディションはどう?」

「バッチリ。全然動けるよ」

「よろしい」

 

 パドックステージが始まる直前、トレーナーはあたしの身体をじっと見つめて、満足そうに笑った。バッチリ、といっても、絞ろうと思えばもう少し絞れるくらいの余裕はある。ただ、あたしたちはこの京成杯が最終目標じゃない。この先に待ち構えているマイルのGⅠ、京都でのマイルチャンピオンシップを見据えている。それは、互いに確認し合わなくてもわかっていることだった。

 

「じゃあ、まずはパドック、いっておいで」

「うん」

 

 ステージのバックヤードへ行くと、視線が集まるのを感じた。当然だ。このレースで唯一のクラシック級。ついこの間、札幌記念で先輩たちを蹴散らした今年のティアラ組の一員。そして何より、なかなかお目にかかれないヒト生まれのウマ娘。妙な緊張感に包まれた先輩たち。彼女たちからゴクリとツバを飲み込む音が聞こえるようだった。

 

 これだ。この感じ。あたしは、レイアクレセントがダービーへ出走する直前に言っていたあの言葉を思い出していた。

 

『――貴女は、私がどんなに望んでも手に入れられないものを持っているのです』

 

 それがこういうことだ。自分でもはっきりと自覚できる。多分、今日のこのレースで、勝ったときに一番話題になるのはあたし。それに対抗できるのは、桜花賞ウマ娘ディドルティの復活劇くらいだ。それは、パドックステージに上がった瞬間の歓声でもわかった。

 

「ルピナスーッ! しっかりやれよーっ!」

「初重賞目指して頑張って!」

 

 前走8着に大敗したウマ娘に送られるにしては、過分な声援。幸いにして、チームに関する汚い野次は聞こえてこない。まあ、さすがに公衆の面前だものね。

 

 人気は三番人気。これまた、結構な高評価。それだけ、あたしの勝利を楽しみにしてくれている人がいるってことだ。いまのあたしには心強い。

 

「ずいぶん落ち着いているな」

 

 バックヤードへ戻ってきたあたしに、低くうなるような声が投げかけられた。声のした方を見ると、そこには黒鹿毛の大柄なウマ娘が腕組みをして立っている。

 

 うわ、場外戦? そう思って身構えたあたしに、彼女は大きくがっしりとした手を差し出してきた。

 

「バイキングミストだ。今日はよろしく」

「あ、ど、どうも」

 

 確か彼女は、去年の安田記念で3着に入った高等部3年のウマ娘。デビュー5年目ということで、今回の出走者の中では最年長。確か、まだ重賞を勝ったことはないはずだけど、オープン戦は何度か勝っている実力者だ。

 

「クラシック級の子が出るとなると、大抵はそわそわしてイレ込んでしまうものだがな」

「いやあ、緊張はしてますよ。周り全員先輩ですし」

 

 つとめて低姿勢に返事をすると、バイキングミストはクスリと笑って、面白いやつだとでも言いたげに自身の顎に手をやった。

 

「良い勝負にしよう」

 

 それだけ言って、彼女は言葉少なに地下バ道へと歩いて行った。その短パンの裾からは、はち切れんばかりの筋肉に包まれた脚が顔をのぞかせていた。スジが立って、これ以上はないというくらいに絞られた、鎧のような脚。成熟したウマ娘の、本気の仕上げだ。周りの出走者たちが、ざわざわと互いに何かをささやき合っている。ここで同期の一人でもいれば「大丈夫だった?」なんて声をかけてくれるだろうに、今回はそんな気配もない。

 

 だけど、あたしはなぜだか感謝したい気持ちになっていた。観客と、その期待に意識を移しかけていたあたしを、勝負の現場に引き戻してくれたのだから。闘う相手はここにいる、と教えてもらえたんだ。

 

 なら、遠慮なく行くしかないよね。

 

「どう? ついていく相手は見つかった?」

 

 バ場入り直前、トレーナーが最後の確認にやってきた。差しウマ娘のあたしは、レースで誰の後ろにつくかの選択が特に重要になる。いつもなら、極端なポジションになる逃げや追込の子以外で一番強いと思える相手を、そのターゲットにするところ。ただ今回、実力の面で飛び抜けた相手はいないというのがトレーナーの見立てだった。そうなると、当日のコンディションや仕上げ状態を見て決めないといけないのだけど……。

 

「えーと」

 

 チラ、とトレーナーの横に立っている親友に目線を送る。あたしの答えはなんとなく決まっている。でも、答えがほしかった。クラウンセボンに聞けば、正解は一発。そう思って、あたしは目で「助けて」と合図した。

 

「ルピナスちゃん?」

 

 けれど、栗毛のトレーナー助手はニコニコしたままとぼけたように首をかしげる。くそう、意外とこういうところはスパルタだ。

 

「えっと、その、バイキング、ミスト、かなって……」

 

 相マ眼に自信なんかぜんっぜんない。でも、さっき見た脚が忘れられなかった。秋の初戦、あれほど仕上げてくるなんてなかなかない。少なくとも、あたしの目にはそう見えた。あたしの解答を聞いたクラウンセボンは、くりくりとした丸い目を大きく開いて、力強く答えた。

 

「うん、それで行こう」

 

 それは短い返事だったけれど、なによりもあたしの自信を深めてくれる言葉だった。

 

 

 

『さあ、伝統のマイル戦、京成杯オータムハンデキャップ。夏から秋へ。季節の橋渡しとなるこの歴史あるレースに、今年は15名のウマ娘がそろいました』

 

 ゲート前で準備運動をするあたしたちに、そんな場内アナウンスが聞こえてくる。あたしの枠順は、五枠10番。外目の偶数番は、そう悪い枠じゃない。あとは有力ウマ娘の位置関係を気にしながらレースをするだけだ。

 

「はい! 3番ディドルティ入りまーす!」

 

 誘導スタッフの声がする。あたしより少しだけ背が高い、レイアクレセントと似たような体格の、芦毛のウマ娘。去年の桜花賞を制したという割には、どこか自信なさげで、うつむき加減にゲートへ向かっている。確か彼女の脚質は先行。レースのペースを握っている相手のひとりであることは間違いない。

 

「7番バイキングミスト入りまーす、はいそこ開けてくださーい!」

 

 さっきあたしに話しかけてきた、一番の上級生。こうしてゲート前で見比べてみても、彼女の仕上がり具合はひと味違う。このレースになにか並々ならぬものを賭けているというのが、よくわかった。あの人の脚質は差し。

 今回のレース、極端な逃げタイプも、追込タイプもいない。隊列はある程度固まったレースになることが予想される。あたしはもう一度、彼女の仕上がりを目で確かめた。あたしがついていく相手として、ふさわしいかどうか。……やっぱり、見比べるまでもない。他の子たちとは、仕上がりが全然違う。よし、もう迷いはいらない。

 

「あ」

 

 ゲートに入る瞬間、バイキングミストがあたしをチラリと見たのに気づいた。バリバリに仕上がった身体と不釣り合いなほど、どこか楽しそうな表情で。

 

「はーい次偶数入りますよー!」

 

 四ヶ月ぶりのゲートの中は、あたしの脚をむずむずさせる、独特の匂いがした。日に灼けた金属。蹴り上げられた土と芝草。染みついた汗。冷たくて熱い、いろんな時間が混じった匂い。その全部が、あたしの身体を包み込んでいた。

 

 やっと、帰ってきたんだ。

 

 誰より速く、駆け抜ける。ただそれだけの、シンプルな戦いの場に。

 

『最後に大外ビリエットが入って、各ウマ娘、態勢整いました』

 

 ガコン、と無機質な音がして、それを合図にあたしは力一杯地面を蹴った。おなかの底にまで震わせるような、力強い足音が一斉に鳴り響く。

 

 追いかける相手は、探す必要もないくらい目立つ。黒鹿毛の髪をたなびかせて、ひときわ迫力たっぷりな踏み込みを見せながら、位置取り争いで中団につけたバイキングミスト。他のみんなは接触を避けたのか、彼女の左右はもちろん、後ろにも小さなスペースができている。

 

(行くしかない!)

 

 放っておいたら、冷静さを取り戻した誰かがこのポジションに入ってしまう。ただでさえ大きな身体の彼女は風よけにピッタリ。まして差し脚質、最後に脚を残すように走るはず。なら、そのすぐ後ろが、一番脚の溜まる場所だ。それに、今日の仕上がりからいって、スパートをかけたいタイミングでバイキングミストが垂れてきて壁になることはない……はず。そう信じたい。

 

 あたしは急いで、狙っていたポジションに入った。すぐに外からひとりウマ娘が近づいてきた。あたしのすぐ外側へ来たのは、あたしより一回り大きな鹿毛のウマ娘。

 

「チィッ!」

 

 舌打ちが聞こえた。多分、あたしと同じところを狙っていたんだ。相手がいくら先輩でも、譲るわけにはいかない。すごい顔でにらんでくる。ひょっとすると、このまま外を締められて行き場をなくされるかもしれない。

 

 それなら、とあたしはちょっといいことを考えた。狙いは最初のコーナーに入ったところ。

 

「おぉっと」

 

 なんて声を上げながら、あたしは外へじわりと身体を寄せた。クラウンセボンが言ったとおり、中山レース場のコーナリングにはみんな苦労している。内側を完全に締めたまま回れている子はほとんどいない。だから、外を締めてきた相手も、遠心力に引っ張られて膨らんでいく。だったら、あたしも足を取られたフリして一緒に膨らんじゃえば良い。そうすれば、内ラチ側にスペースができる。これで、いざ最後に外を塞がれても、内を突くことができるって寸法だ。

 

(来た!)

 

 目の前を走っていたバイキングミストが、グイグイと進出を開始した。第四コーナーの中間。もうすぐ直線に出る。ついて行く。脚にはまだ全然余裕がある。ついて行って、かわしてやる。

 

「行かせねえっ!」

 

 外を締めてきたさっきのウマ娘が、あたしを睨みながらバイキングミストの左斜め後ろ、あたしのすぐ外側のポジションをキープしている。彼女も彼女でバイキングミストと一緒に持ち上がっていって、最後に自分だけ抜けだそうという魂胆だ。そのためには、自分よりもベストなポジションにいるあたしの進路を作らせてはいけない。やっぱり、あたしをこのまま内側に閉じ込める気だ。彼女がどいてくれなければ、どんなにあたしの方が脚色が良くても、外側へのルートは開けない。

 

 だけど、このために内を開けておいたんだ。

 

「さよならっ」

 

 あたしはそう吐き捨てて、ためらいなく内へ突っ込んだ。

 

「なっ!?」

 

 完全に予想外だったらしく、外を締めてきた彼女の驚く声が聞こえる。

 

 本来最内コースは芝が荒れいていて、走りにくいことも多い。最後の末脚勝負を狙っているあたしには、スパートをかけたときに内ラチ沿いを選択するのは危険な賭けといえる。実際、事前に少し開けておいた内側のスペースに入ってくる子は誰もいなかった。内を突くのはそれだけリスクがある、とみんな思っているからだ。

 

 だけど今日のあたしには、それを厭わない理由があった。最内の芝は荒れていない。ラストスパートで、十分踏み込みが利く状態になっているはず。そう確信していたから。

 

 

『内バイキングミスト、外リオユニゾン! バイキングミストが抜け出したか! さらに内からルピナス! 最内をついてルピナストレジャーだすごい脚! バイキングかルピナスか!』

 

 

 ゴール板まで残り数十メートル。そこでとらえた。

 

 

『並んでゴールイン! ……接戦となりましたが、最内ルピナストレジャーわずかに態勢有利か!』

 

 実況はまだ確信が持てていないようだったけれど、あたしにはもうわかっていた。勝った。間違いなく、あたしの方が前に出た。

 

「……あっぶな」

 

 最初に口をついて出たのは、そんな言葉だった。思ったより、僅差になってしまった。やっぱり、余裕を残して調整した分、微妙に力を出し切れなかったのかもしれない。

 

 でも、だとしても。

 

「勝った!」

 

 勝つ前に想像していたような、飛び上がって喜ぶようなことにはならなかった。なんというか、じんわりとした喜びのような、達成感のような、そんななんとも言えない気分が、熱くなった全身をさらに火照らせている。

 

 掲示板には、間違いなくあたしの番号、10番が一番上に並んでいる。審議のランプもない。確定の文字が出ている。本当に勝った。勝ったんだ。2月のこぶし賞以来、七ヶ月ぶりの勝利。――そして、あたしにとって、四回目の挑戦にして、初めての重賞制覇。

 

「いい、走りだった」

 

 ぼんやりしているあたしに話しかけてきたのは、あたしがマークしていた、あのウマ娘だった。

 

「バイキングミストさん」

「はは、そんな畏まるなよ。今日は君が勝者なんだ。もっと堂々としていいんだよ」

 

 その穏やかな表情は、パドックステージではじめて顔を合わせたときとはまるで違っていた。

 

「たいした勇気だ。あそこで内を突くことを恐れないとは。……なぜ、あんなことができたんだ?」

 

 あたしはその問いに、誠実に答えた。

 

「知ってたんです。今日の内ラチ沿いの芝が、まだきれいなままだってこと。だって今週は、秋の中山開催の、初めての週ですから」

 

 そう。あたしは知っていた。今日は第四回中山開催の一週目。春のレースが終わって、夏の間休ませたバ場を使う、最初の週末。春レースの間に荒れたバ場はすっかり元通りになって、青々としている。だから、一番内側のコースでも、それほど荒れていない。

 

「それは、自分で気づいたのか」

「い、いえ。トレーナーから、教わりました」

 

 正直に答えた。こんなの自分じゃ思いつかない。最終追い切りが終わった後、トレーナーとの作戦会議で教えてもらったことだ。すると、バイキングミストは豪快に笑って見せた。

 

「勝って当然。優秀な頭脳に、それを実行に移す勇気と脚が、君には備わっているんだからな」

 

 そうして、スタンドを眺めながら、バイキングミストは静かに言った。

 

「私は今年度限りで、トレセン学園を卒業するつもりだった」

「え?」

「高等部は三年でひと区切りだ。もちろん、その後も望めば進学することはできるが……私はここまで。そう考えていた。だから最後に、ひとつでも重賞のタイトルが欲しかったんだ。私にはそれを欲する権利があると思っていたから。だが、結果は完敗だった。しかも、()()()()の仕上げの君に、私はかなわなかった」

 

 その口ぶりは、このレースで引退する覚悟で挑んできていたということを意味していた。だから、これほどの仕上げをしてきていたんだ。それがわかって、けれどなんと答えてよいかわからないでいるあたしに、バイキングミストは髪をかきあげながら吐き出すように言った。

 

「惜しいなあ。……惜しい。君ともう戦えないなんて」

 

 そこには、悔しさとは別の何かが込められているように思えた。

 

「また……」

 

 だから、黙ってはいられなかった。

 

「また、勝負しましょうよ! これが最後なんて……最後じゃないですよ!」

 

 すごくバカみたいな言い方しか思いつかなかった。でも、これが最後だなんて嫌だと一番思っているのは、あたしじゃないはずだ。

 

 バイキングミストは、そんなあたしを見てクスクス笑った。

 

「なにが起きるか、わからないもんだな」

 

 その言葉の意味がわからなくて、あたしは首をかしげた。バイキングミストはスタンドを見上げながら言った。

 

「君より強いウマ娘を、私は何人も見てきた。……それでも、君ほど胸が踊る相手とは、ついぞ出会ったことがない」

 

 それは、いまのあたしにとって最大級の賛辞だった。

 

「ありがとうございます」

「メリッサが夢中になるのも無理はないな」

「はぇ?」

 

 突然聞き覚えのある名前が飛び出して、あたしはとんきょうな声をあげてしまった。

 

「メリッサと知り合いなんですか?」

「知り合いもなにも、私のチームの後輩だぞ」

「あっ」

 

 完全に忘れていたけど、たしか出走表に〈デネブ〉って書いてあったような気がする。……気がする程度で、いまでもちゃんと思い出せないけど。

 

「ははは、まあとにかく、私は今後のことを今一度考えてみるよ。もう少し、悪あがきをしたい気分になってしまったからね」

 

 そう言って、バイキングミストは颯爽と去って行った。追いかけることもできずに呆然としているあたしに、URAのスタッフたちが集まってくる。手には「GⅢ京成杯オータムハンデキャップ」と書かれた優勝レイ、そしてその背後には大勢の報道陣を従えたトレーナーたちを引き連れて。

 

「ルピナスちゃーん!! おめでとーーーーっ!!」

 

 涙で顔がべちょべちょになっているトレーナー助手と、当然のようなすまし顔でやってくるトレーナーが並んでやってくる様は、まるでギャグみたいで、あたしは返事をする前におなかが痛くなるほど笑い転げてしまった。

 

 クラシック級の夏から秋へ。あたしたちの挑戦(バトン)は、最終走者(レイアクレセント)へと引き継がれる。

 

 




トレセン学園って高専→大学みたいに
中学3年+高校3年+専攻2年+研究2年みたいな感じになってたりしたら面白いなと思います。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。